マタイ25書 25:1そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。 25:2その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。 25:3思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。 25:4しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。 25:5花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。 25:6夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。 25:7そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。 25:8ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。 25:9すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。 25:10彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。 25:11そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。 25:12しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。 25:13だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
韓国で大変なことが起こっています。これは九里家庭教会の写真です。九里教会は教会において最も歴史のある場所です。お父様が数えきれないくらいここで修錬会をされ、祝福のマッチングもその多くがここでおこなわれました。アメリカでは一和ビルとして知られています。九里市にあるので九里教会となっていますが、一和ビルです。宿泊寮もあり修錬会の設備も整っています。お父様が韓国で用いられた主要な修錬所であることを心に留め置いて下さい。
ここが数カ月前、上が何の相談もなくこの施設の売却を進めてきました。韓オモニがそうするよう強く押していたのです。しかしここの信徒たちが反対しました。主要な巡礼地であり、お父様が直接修錬会をされた歴史的な場所であるとして売却に反対したのです。さまざまな紆余曲折を経て、韓オモニは幹部を九里に送って説得するように指示しました。基本的に「売れ」というわけです。この数カ月ここをめぐって内輪揉めがあったのです。
この韓オモニと幹部からの売却命令に対して、この写真にも見えるように教会員たちは垂れ幕を玄関に掲げました。垂れ幕には「真の父母さまの第二の故郷、心情の象徴体であるa、b棟を聖地、巡礼地として死守しよう」と書かれています。上級幹部がやって来てなんだかんだ言ったようですが先週、投票が行われました。投票の前にも上からの働きかけがあったことは当然です。投票前に「真の父母は一つなのだからお母様の命令と一つになれ」といって「教育」したそうです。投票の結果は賛成101、反対183で、売却話は否決されました。教会員たちはこれが韓オモニの直接の指示だということを十分承知したうえでの決断でした。
牧会者は呼び出されいろいろ話を聞かれたそうです。なぜ売りに出されたかというと九里の地が清平と競合する地だからです。清平を中心にしようとする意図からでたものでした。本部機能をすべて清平にあつめ、またまた何か壮大な「博物館」をつくるという計画もあります。世界で最も素晴らしい博物館で一度入って出てくる頃にはすっかり信者になっているそうです。(笑)献金の準備をしておいたほうがいいですね。重税がくるでしょう。
建物に命はありません。神様の神霊が建物に命を与えるのです。神様の霊が去ってしまうとただの冷たいコンクリートの塊に過ぎません。それがどれほど壮麗で巨大であっても死んだものだというのです。
このように明らかに正面切って韓オモニの命に背く事件がおきています。お父様の遺業を消し去り、お父様に背く道をオモニが進んでいる現実にハッと気づかされるのです。そして目が覚めるのです。
罵られ、責められていますが、ただ真実を話しているだけです。財産を横領していませんし盗んでもいません。しかもお父様が私に下さった統一マークを使うだけで罪に定めようとしているのです。これが私の罪だというのです。私は不倫も淫行もしていませんし、公金横領も盗みもしていません。メンバーを搾取することもしていません。統一マークのネックレスを着けていること、そのことが犯罪だというのです。狂っています。
こういう現象を世界レベルでもみることができます。トランプ騒動をみてください。これほど衝撃的でセンセーショナルな大統領選挙はこれまでなかったことです。韓国のニュースをみても、トランプをバズーカ砲で攻撃していました。それが最近では変わってきています。褒める言論も出てきている。(笑)
以前ここに911事件についての専門家であるリチャード・ゲイジ博士を招いたことがありました。世間の人は「おかしいのではないか」「陰謀説だ」とか言っていますが、ただ証拠、事実を知りたかっただけです。予断のない心で現実を見たいのです。トランプはこともあろうに大統領選でこれを持ち出しました。「国民が政府から聞いていることは真実ではない」と。サウジ・コネクション(訳注:サウジアラビアとの関係に配慮して事実の一部を隠している)だと。
先週アメリカ上院でアメリカ国民はサウジアラビアを訴えることができるという議決を行いました。驚くべきことです。事件から15年間聞かされてきたことが間違っていたことを認めることになるからです。
これまで「イラクが首謀者だ」と繰り返し聞かされてきました。ところがいま、アメリカ合衆国上院は「アメリカ国民はサウジアラビアに対し訴訟を起こすことができる」と言っているのです。これに対してサウジは、「もしそういうことになれば法廷で戦う、そもそもそちら(アメリカ政府)が持ち掛けてきたことではないか」と言っています。これはもう言語道断です。CNNや主流メディアは粉砕することでしょう。賢明にみせてなんだかんだ言っていたことが間違っていたのですから。取材力が問われます。
今真実が明かされ、政府が本当のことを話していなかったことが国民にもわかるようになりました。このようなことが大統領選で始まると誰が想像できたでしょうか。全く信じられないことです。アメリカ国民の自国に対する認識が根底からかわりました。中央集権的政府は問題だ、と思わせたのです。
国民の投票権を奪い、トランプの選挙運動に対してコロラドでは何百万人の投票権が奪われました。黒人、ヒスパニック、白人それぞれ数千人規模で投票権が認められませんでした。権力が腐敗していることが良く分かります。政府は必至で体面を保とうとしています。まるで家庭連合とおなじです。嘘を続けようとするのです。
「何の問題も起こっていません。それよりも今度、壮麗な博物館を造るから献金を送りなさい。」
このようにミクロ(家庭連合)とマクロ(世界)が連動して動いていることが分かります。
不思議ではないですか。数年前、遺伝子組み換え作物や911事件ほかの様々な事柄について話をしましたが、それがいま大統領選挙という場で浮上しているのです。
インフォウォーズ(http://www.infowars.com/)という主流から外れた陰謀論を唱えるキリスト教系サイトでも大きく取り上げられています。このサイトこそ今、真の正当なジャーナリズムかも知れません。これらのことが大統領選挙の中で話されているのです。まったく信じられないことです。
ドナルド・トランプはルールに従って闘い、頭角を現すと、「彼は人種差別主義者だ」とか言われますが、時が経てば経つほどそうではないことがはっきりしてきました。先はまだ長いですがこういう風に選挙戦は展開しています。
選挙戦の集会のたびにいざこざが起きたりしていますが、今アメリカで本当に文明の衝突が起こっています。レーガンの時やケネディの時とまた状況が異なっています。経済の状況が破滅的です。20兆ドルの負債を抱えています。
今、草の根的に人々がアベル型人物であるトランプを支持しています。昔、私たちもトランプは悪者だと話していたことを覚えていますか。いまやトランプはライバルをすべて倒して共和党の大統領候補になろうとしています。彼は真実を語りながら政敵を圧倒してきたのです。既存の権力者をはじめ、他の誰も触れようとしない話題にあえて踏み込みました。このように今、アベル型の革命が起きています。アベル型の革命とカイン型の革命に違いがあります。カイン型革命は下(民衆)から始まり最後は社会主義、共産主義に乗っ取られてしまいます。一方、アベル型革命はエリートが分立されます。アメリカ建国の父たちもそうでした。ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファーソンは英国ではトップ・エリートでした。ワシントンなどは現在のお金に直して5億ドルの資産を所有していたといいます。彼らはアベル型エリートといえます。既存の体制で民を抑圧する体制にくみしたくない、神様の賜物である自由を享受できるような人民が自由に生きる体制を作りたいという意志を示したのです。そして既存の体制に反抗し戦争を起こしました。
ジョージ・ワシントンは男の中の男といったタイプの人でした。身長も190㎝位ありました。金髪のかつらをつけたりしますがタフガイです。正義の人、アベル型人物として悪に立ち向かいました。
このようにエリートが分立されなければなりません。そして彼らを中心軸としてひとつになるようにして民衆が草の根のように立ち上がるのです。そして闘いを戦い抜き、長成級完成まで引き上げます。それは人類が体験したこともないような自由の世界でした。天使長が抑え込まれた世界です。お父様がかつてのローマのようなその地に来られてそこから世界を導くために用意された国でした。このような歴史の同時性がいま進行しています。
私が沈黙を破った当初、多くの人は韓オモニが間違っていることには気がついていても、その先に一歩踏み出すことができませんでした。とくにアジアではそうでした。周りに人もいない中で私自身も大きな内的な葛藤を経ていよいよことを起こさなければならないと決意しました。霊的にも強く押され前進しました。
ひとたび沈黙を破り、大胆に真実を語り始めたとき、人々が集まってきました。世界中の教会が立ち上がりました。同様にアメリカ革命もキリストの冒涜者に対する内的闘いでもありました。
これらはミクロの摂理ですが、これがいま世界的に反映されて世界の権力層に対する草の根の反対運動が起こりつつあります。深刻な時代です。艱難の時代の始まりを感じています。黙示録の四騎士、他の預言の内容が実現しつつあるのを見ています。文明間の深刻な衝突が起ころうとしています。先週、NATOの元副長官が、2017年ごろにロシアとの間で戦術核兵器を用いた戦争が起こっても不思議ではないと発言しています。
ここに至って世界の権力層は自分たちの詐欺行為が白日の下にさらされることを避けようとして国内、国外での闘争、戦争を煽ります。人々に「それどころではない」と思わせ、追及の視線をかわそうとしているのです。世界の経済は崩壊しようとしています。
大切なことは、たとえそれが辛くとも現実を直視することです。そして霊的準備、外的準備を適切な形で整えておくことが重要です。今のうちに家族とよく話し合い、神様との関係を深めておくことが必要あり、今がその時です。
王国と花嫁について考えるとき、個人的次元で考えるなら、メシアは花婿としてくることがわかります。メシアは祝福を与えるために来られるのであり、その祝福は世界の始まりの時から神様が準備されていたものです。それはアダムとエバの結婚です。摂理の歴史はメシアが来られて結婚の祝福を与えることのためにあったといえます。それが原初からの目的です。しかしアダムとエバは堕落し、彷徨(さまよ)い出てしまいました。このように個人的次元ではメシアによって祝福結婚が与えられること、また三日行事の重要性も理解できるでしょう。ですから祝福式と三日行事こそ、わたしたちがサタンからの自由を獲得するターニングポイントだというのです。
自由は何かをする自由がすべてではありません。何かから免れる自由という側面もあるのです。独立戦争もイギリス政府からの自由を求めて建国の父は戦いました。
霊的に見ると祝福式と三日行事を経ることでサタンから解放されもはや讒訴を受けることはなくなるのです。もはやその種(精子)に文句をつけることができません。主イエスキリストは聖書で言う、スペルマタ、神の種をもってこられますが、それが神様の血統をもたらすのです。サタンはそれを良く知っているので、その神の種の破壊を試みます。つまり神の種を相対化しようとするのです。「そんなものはどうでもよい、汚らわしいものだ」「卵子のほうが数十倍も大きいではないか」などと言って。男性女性間の闘いにすり替えようとするのです。本質は神様の精子です。それがもたらされなければなりません。地上の天国を建設するためには、それは実体で来なければならないのです。それが原理でいう肉的救いです。
その意味においても三日行事は重要です。それを家庭詐欺連合はもはや教えないというのです。なんという背信行為でしょうか。三日行事はすべての花嫁がお父様と一つになった条件をたて、すべての息子を彼の体とする目的で真のお父様がつくられたものでした。核の核となるべきサタン分立であるというのです。男女の一体化の核心です。なぜならそこからすべての文明が出発するからです。
それをもはや表立って教えない。お父様の遺業と伝統をそれほどまでも消し去っているのです。三日行事を知れば知るほどそれが偉大な賜物であることがわかります。人類のこれまでの悪なる性の歴史から私たちを救い出してくれるものです。悪なる性による支配、レイプ、ホモ、小児愛性向などすべてを終わらせるものです。私たちを新しい王国へ生みかえてくれるものです。夫は神の息子となり、地上のキリストの体になるのです。もちろんその体は頭であるキリストに従うことになります。そして妻は神の妻となり、創造理想を完成した存在になります。三日行事は隷属と自由の核心的境界線になるということです。サタンに隷従するのかそれともサタンから自由の身になるのか。
メシアは花婿として来るというのです。そして悪の裁き主としてこられます。お父様は世界的悪、共産主義を審判されて行かれました。そして王国、王権を創設すること。
これを国家的次元で考えるときどうなるでしょうか。花婿の国はキリストの国、キリストから来る国を意味します。キリストの王権です。ここに天一国が創建され、国民が天一国憲法を受け入れるとき、その憲法の中心は神様の宣布なのです。再臨主である真のお父様の宣布であるというのです。更に一人の男性が歴史を変えた事実、その神の種が世界を変えることがその中心です。そして人類がこれまで体験したことのない現実、これまでの寡頭政治、社会主義、共産主義、全体主義のエンドレス・ループだったサタン支配の人類歴史が終わり、それらとは対極的で正反対、逆転の王国が築かれるのです。
国家的次元でみるとき、花婿の国は天一国だというのです。聖句には花婿が来るのが遅れるとあります。今、私たちは三代に渡ってまさにアブラハム、イサク、ヤコブのようにして王権を完成させようとしています。アブラハムに約束された内容はヤコブとヤコブの家庭で初めて成就しました。同様にアダムに約束された内容は、イエス様、そして再臨主、第三アダム、三代目の王のときまで成就されなかったのです。
韓オモニの失敗により摂理的過渡期に立たされました。ここには個人の責任分担があります。多くの人が天正宮に留まっておれないと感じています。留まれば否応なしにお父様を冒涜させられます。それは結婚生活において、貞節を守ると同時に淫行を重ねることはできないことと同じです。相反的だというのです。
「妻に忠実だが淫行もする」などという者は嘘つきであり淫行者です。どちらかを選ぶしかないのです。オモニが公式の場で話す話の内容によって、多くの人が私たちが天正宮を去らなければならなくなった理由を理解するようになりました。その権力から離れ、その向かう道から離れざるを得なかったのです。なぜならその道は100パーセントお父様への冒涜につながるからです。そして審判を招くことになりました。
もし韓氏オモニが対象の位置に留まり、お父様を讃えていたならば、真の父母の勝利によって神の国は祝福を伴ってもたらされるはずでした。お父様が持っておられた基台を考えてみて下さい。今頃はトランプ候補と共に立ち、世界的に力強く摂理を進めていたことでしょう。国進兄さんはアジアの指導者たちと会談を重ねていたことでしょう。実際、兄さんは中国の脅威について既に6年前にアジアで声を上げていたのです。シナリオは全く異なったものになっていたことでしょう。
しかし兄が言ったように、中心人物の信仰の勝利によって天国が来ることは確実なものとなりました。なぜならアダムの勝利とその種は受け継がれ、王権が確立されたからです。しかしそれは艱難と共に来るのです。延長されました。審判の期間を経るのですが、その間私たちをキリストから引き離すような様々な試練があることでしょう。聖書がいうところの「獣の刻印」を刻みつけようとすることからくる試練です。天使長の刻印です。その印を受けた者は天国に入ることができません。
「花婿」がやってくるのが国家的次元においても遅れるということです。天一国の建設がおくれることとなりました。審判の期間を経て三代の王権を経なければならないということです。イサク世代は喜んで祭壇にのぼらなければなりません。ある兄弟はこう問いました。「でもイサクは最終的に神に助けられました。そういうこともありますか。」イサクの基準は、死が必要なら100パーセント喜んで死ぬというものです。イサクの世代は真実のためなら死の場においても喜んで進んで行かなければなりません。王国のためにそれが必要なのです。
将来、花婿の国が遅れてやってくるときに天一国は始まるのです。そのときには花嫁の国が待っていることでしょう。天一国は様々な国と連合する用意があります。また他国は天一国に同化することも可能です。しかし同化するには天一国の一部として完全自由主義的君主制を採用する必要があります。共産主義のままで同化することはできないのです。その意味においては民主主義でもダメです。なぜなら民主主義は歴史的に見ても常に寡頭制に崩れていくからです。大衆は口のうまい政治家に票とお金のために甘い汁を吸わされることでやすやすと丸め込まれてしまうのです。こうして民主主義は例外なく独裁へと流れていきます。数百年と続いたためしがありません。実体の神の国が来なければなりません。
個人の次元で摂理の中心目的が「神の種」を待ち続けてきたのと同様に、国家次元においても花婿の国家である天一国と関わりを持つことで国々も「神の種」、即ち天一国王権と関わることができます。この王権には世界に放たれる「神の種」があります。それは国のアイデンティティの核を形成し、本質を形作るもの、すなわち天一国憲法です。天一国に参加しようという国はこの「種」である天一国憲法を受け入れなければなりません。もちろん信仰の自由がありますから、必ずしもすべての人が祝福結婚を強要されるわけではありません。しかしそこにキリストの血統があり望むならばいつでも祝福を受けることができます。神様を中心とする原点であるという天一国の本質から外れることはありません。決して世俗の国ではないのです。この国の中心理念は神様とキリスト、そしてキリストがつくった王権との関係性です。信仰は自由であり信仰がなくても構いませんが、この国の本質および文化は神様を中心とした目的にもとづいているのです。
たとえばイギリスでは女王を首長とする英国国教会がありますがそこで暮らす人々すべてに国教会に所属することが強制されることはありません。しかしその文化は国教会の文化なのです。今はその文化もかなりサウジアラビアのワッハーブ派の過激なイスラムの侵入と影響を受けていますが。
天一国憲法はユダヤ・キリスト教文化を受け継いでいます。神中心文化であり文鮮明師を再臨主として受け入れています。この再臨主こそが王権を樹立し空前絶後の逆転の王国を創立されたのでした。そこでは神様が国民と誓約をかわし国民一人一人が(キリストの)共同相続者であり「王」としての権利を持ちます。そして僕(政府)は王(国民)を支配することは許されません。天使長(政府)は鎖でつながれているのです。憲法を修正する民主的プロセスなど存在しません。後の世代がたとえ天使長の考えに影響を受け、マルクス主義、共産主義に走ったとしても、また大企業にそう持ち掛けられたとしても、彼らは法を変えて国を破滅させるようなことができないのです。暴力革命に訴えたとしても国民参加型の平和警察と平和軍があって該当する地域の次元で対応します。ですからたとえ彼らが洗脳をほどこされたとしても法を変え、国に破滅をもたらすことはできません。
花嫁は多くいても花婿を迎え入れる準備ができていなければなりません。つまり天一国を受け入れる用意ができていないといけないのです。夜に人工衛星から写真を撮ると都市部の明かりが光って見えます。自由のない独裁国家ではその明かりがまばらです。自由な先進国では多くの明かりが点灯しているのがわかります。もちろんその明かりの下でいつも素晴らしいことが起きているとは限りません。多くの犯罪もなされていることでしょう。しかし象徴的に光の多い国は機会に恵まれた豊かな国です。闇からのがれてそこに行けばチャンスをつかむことができます。その明かりのもとは何だと思いますか。それは自由と責任だというのです。国家に豊かさと成功をもたらすものそれは自由と責任なのです。人が自由をもちまたそれについての責任を負うときに繁栄します。政府という保護者(big daddy)に頼っていると最後には飼いならされてしまうのです。現行の銀行制度、世界政府構想、国連などがそれです。人間を養殖するようなものです。そこではつねに搾取が起きています。それは神様の御心ではありません。私たちは被造物を主管する自由な神の子です。キリストの共同相続人ということは王国に対しても支配する権利を持つということです。天一国ではそれが法律で守られるのです。
多くの花嫁国家が花婿(天一国)とのかかわりを求めてくることでしょう。しかし油を用意して待っていなければなりません。明かりの燃料となるものです。国の繁栄のための燃料となるもの、すなわち神様の賜物である自由と責任と責任です。それがない限り、天一国に迎え入れられることはありません。外で歯がみをするしかないのです。「主よ、主よ、私を入れて下さい」「私はあなたを知らない」こうなるのです。共産国家として天一国に同化することはできません。多くの花嫁国家が花婿の種、憲法を受けようとしますが、用意ができていなければそれがかなわないのです。
マタイ25章 25:14また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。 25:15すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。 25:16五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。 25:17二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。 25:18しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。 25:19だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。 25:20すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。 25:21主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。25:22二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。 25:23主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 25:24一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。 25:25そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。 25:26すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。 25:27それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。 25:28さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。 25:29おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 25:30この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
これにはキリスト教世界での個人的次元での解釈が既にあります。それは神様から与えられた才能や恵みを周りの人のために用いなければならない、自分だけのものとして隠すようなことをしてはならない、などとするものです。これが普通の解釈です。これも神の国という視点で見るときまた違ってきます。逆転の王国で「僕」とは何を指しますか。政治家、公僕こそ「僕」です。サタン世界で暮らしてきた私たちにはなかなかこれが理解できません。つまりサタン文化に同化しているのです。しかし神の国に暮らす者にとって「僕」の意味は明らかです。
普通、政治家に対して身を低くしてお願いするイメージがあります。アジアでは特にそれが強いのです。天一国の政府には法的役割がありますが、それは制限されたものです。その活動がGDPの10%を超えてはなりません。その旨、法律で規定されています。議会は反独占法を制定しなければなりません。それは議会の権限の一部です。独占を継続的に取り締まっていくのです。また外的の攻撃があった際には軍を組織する権限があります。数多くのグループに分かれた民兵を組織して大きな軍を編成します。戦争終結後はそれを解散させるという明文規定が憲法にあります。
もちろん天一国にも政治家はいます。2100人の選挙母体から選ばれた議員です。彼らの活動は天一国でも正当なものです。しかし政治家としてよい仕事をしたいなら「僕」でなければなりません。
天一国は生産者の国です。他からの何の干渉も規制もなく好きなものを生産することができるのです。他の人のためのモノづくりに励み同時に聖書的原理を実践することで自分の家族を養うお金を稼ぐのです。良いことしかありません。政治家も同様です。彼らも自分たちの主人(国民)のために良いものを作ろうという動機づけが必要です。天一国の「王」「主人」は国民です。政治家は国民のためによい「モノづくり」をしなければならないのです。
例えばある地域で政治家(僕)が市民(主人)のために有力産業を誘致したり、自分のネットワークを使って多くの仕事を作りだしたりして雇用を創出するなど、5倍価値あるモノを生みだしたとしましょう。このような政治家は祝福されて成功します。2袋の銀を持っていてもそれが増え続けるという話です。他方、そういう「モノづくり」の努力をしない政治家はどうでしょうか。袋の銀を浪費してなくすことはしませんが、どこかに隠しておいたとしましょう。彼は自分の地元の「王の市民」のために何も良い働きをしません。そうすると彼らは持っているものまで取られて外に放り出されてしまうのです。
僕は主人に恩義を受けているものです。逆転の王国では公僕である政治家は主人である国民に恩義を受けているということです。国民が政治家の命運を握っています。政治家としてのキャリアを取り上げ他のもっと有能な者に与えることができるのです。天一国では国民一人ひとりが王の権力を持つのです。
国家次元で聖句を解釈するときこの国の仕組みがわかります。繁栄と自由と責任をもたらす理由がわかるというのです。このような仕組みで動く国家は道徳性を持たざるを得ません。毎週日曜日に教会へ行く、どこかの教会に所属するなどというのではなく、天一国という自由と責任の地においては道徳が必要だというのです。
ビジネスをするとき約束を守らなければなりません。誰かをだましたとすればその評判は地に落ちビジネスを継続することは不可能になるでしょう。誠実さがすべてです。アマゾンでインターネット・ビジネスをしてみて下さい。変な不正をはたらけば評価が下がり誰にも相手にされなくなります。これがインターネット・ビジネスです。これはインターネットの世界だけではなく現実社会でも起こりうることです。
天一国憲法が種として国に根付くとき自然にその国は「十戒」に従うようになるのです。おおっぴらに十戒を唱えなくとも、自然なかたちでそれを守る国になるということです。もし守らなければ人望を失いビジネスもできなくなってしまいます。自然に神の十戒にしたがうようになります。
今日は女性、明日は男性などと性別を自分勝手に決めるような狂った国には権利などありません。そこには幻想、妄想の世界があるだけです。このような社会で「40歳の男が女装して職場に来るのはおかしい」と言うものなら「私を差別するのか、訴えてやる」ということになってしまいます。道徳観が成長、促進される社会とはならず、自分に絶えず嘘をつき続けなければならない社会になっているのです。生物学にも反する自己欺瞞です。そのような社会は十戒に背くように誘導する社会です。まず自分に嘘をつき自分勝手な現実をつくりだして勝手な理屈をつける。リアリズムの欠如した相対主義者のたわごとに過ぎないのです。
雑多な性行為をくりかえして性病を拡散したとしても「そこに愛があるのなら」「自分を愛しなさい」といって正当化するようになります。妄想にすぎません。これが自由と責任に欠く国の姿です。このような社会では不道徳の循環がはじまります。十戒を破り続ける社会、ますます神から離れていく社会です。何かクリエイティブで新しい流行りに思わせながら実は古代のバビロンやアッシリアで行われていたことの焼き直しに過ぎないのです。バイセクシャル、ホモ、トランス・ジェンダーなど、とんでもなく古くからある全く退屈な風習にすぎません。時のエリートが好むその風習がどこに導いていかれるかもうわかっています。我々をだますことはできません。
新しいのは美しい夫、美しい妻、強い家庭の絆、健全な子供たち、これこそ美しいというのです。これこそ人類のあるべき姿です。全体主義者はそれを憎みます。美しい妻を連れて男らしく夫が道を歩く。子供たちも子供であることを恐れず男であろうが女であろうが気にしない。そのような姿を全体主義者は憎むのです。自分たちが支配しやすいように弱々しく病んだ姿でいさせたいのです。強く健全な人はいらないのです。神様とつながる強き人、人生の目的と生きる道を知るたくましい人、神様と絆を結び、悪魔が「とって食べよ」といっても見向きもしない、かえって悪魔に「ぶっ飛ばすぞ」という、そのような人は全体主義者にとっては無用の人なのです。そのような人を彼らは憎みます。健全な夫と妻、健全な子供、それを憎むというのです。
天一国では公僕が僕です。公僕は憲法を変えることはできません。修正条項を認めません。全体主義者の皆さん残念でした。この王国を壊すことはできません。だからキリストの王権、千年王国と呼ばれるのです。完成級の王国です。中央集権の悪しき仕組みで崩壊などしません。社会主義、共産主義、寡頭政治、全体主義など、もうその正体は暴かれています。背後の悪魔が見えるのです。その動きも戦術も知っているのです。神が花婿として地上に降り立ちました。彼の血と種で王権が打ち建てられました。王国は建てられすぐにやってくることでしょう。
天聖経(429英語版) ところが、(アダムとエバが)ここで脱線しました。脱線しなかったならば完全に一つになっていたでしょう。このように一つになったなら、神様も離れられず、アダムとエバも離れられなかったはずです。 そのようにして、子々孫々に連結され、氏族、民族、国家、世界を形成したことでしょう。ここが素晴らしい世界、地上天国になるのです。(祝福家庭と理想天国i-312)
み言は「サンクチュアリNEWS」から引用させていただきました。
※ サンクチュアリNEWS:https://nqj17437.wordpress.com/