摂理から見たアベルの正道


1979年12月30日

 アベル文化の世界と歴史の完成
 統一教会の恨みの七〇年代は、三日をあとにして過ぎ去ろうとしています。八〇年代は希望の年となるようにお祈りいたします。


 きょうは、「摂理から見たアベルの正道」について話しましょう。
 統一教会に入教してきた人たちにとって、まず問題になるのはカイン・アベルです。普通は、先に入ってきた人がアベルだとみんな考えていますが、それは間違った考えです。なぜかというと、摂理路程には蘇生時代があり、長成時代があり、完成時代があるからです。原理がそうなっているのです。統一教会の歴史を見ても蘇生時代、長成時代、完成時代へと発展しています。アベルとは、アベルとしての道の蘇生時代を勝利的に歩み、長成時代も勝利的に歩み、完成時代も勝利的に歩んだ人です。このような責任がアベルにあるということを、はっきりと知らなくてはなりません。そして責任を果たした証を持たなくてはなりません。
 ではなぜ、アベルは蘇生時代、長成時代、完成時代を行かなくてはならないかというと、堕落したためにそうなるのです。もし、堕落せずにアダムとエバが成長して二十一歳を迎えたならば、このような位置は全部越えてしまうのです。その位置で、天の世界の成人となってしまうのです。それで、この位置から家庭時代に入り、家庭を中心にして氏族的家庭時代、民族的家庭時代、国家的家庭時代へと発展していくというのです。
 したがって、家庭の伝統も蘇生時代、長成時代、完成時代を経て受け継がれなくてはなりません。言い換えれば、祖父の時代、父の時代、孫の時代を中心にして受け継がれるというのです。すなわち、一つの家庭が中心の氏族的基盤となって、横的に発展していくのです。そのように家庭、氏族と広がれば、兄弟たちによる家庭氏族、家庭民族が大きく発展して国家基盤になるのです。そして国家から世界に伸びていくのです。そうなればアダム文化世界が広がって、神様の伝統的歴史が成立するのです。これがアダム文化の世界と歴史の完成であるというのです。
 では、その文化は何をもって成すのかというと、我々の生活をもって成されていくのです。また、歴史は何をもって形成されていくのかというと、我々の伝統によって形成されるというのです。これをはっきりと知らなくてはなりません。それゆえに生活と伝統は絶対に必要なものなのです。そこで、どのような生活をし、どのような伝統を受け継ぐのかということが重視されますが、それは生活文化と伝統歴史の一語に尽きます。その課題は何千年前のアダムにとっても、何万年後の後孫にとっても同じです。


 伝統的中心思想は神様の心情を実現する天国の愛の完成である
 それでは、その伝統的中心思想は何でしょうか? それは神様の心情を実現する天国の愛の完成です。天国の愛は伝統歴史の骨髄であり、その愛の力で摂理歴史は進展してきています。そして摂理歴史の進展に伴い、伝統が引き継がれ、生活圏と生活文化、すなわち家庭が引き継がれるのですが、その中心は心情です。心情が問題なのです。心情の中心軸は骨髄に向かい、地上から永遠の霊界にまで連結されるのです。そうであるため、このような形態は霊界にまでも連結されるのです。この二重構造のゆえに、成就することが難しいのです。
 人の一生は霊形体時代、生命体時代、生霊体時代へと発展していきます。霊形体、生命体、生霊体、これは原理が教えているものです。そしてこのような段階的発展を遂げたならば、堕落はなかったのです。ところがこれが失敗し堕落したために、ここからここに落ちてしまったのです(黒板で説明)。遠い圏内に落ちてしまったのです。落ちた世界は次第に大きくなりましたが、堕落しているためにこれは死んだ世界なのです。エバの堕落の原因は、初めに不信でした。その次に心の問題です。心情をなくしたのです。そして三番目は天を失ったことです。
 堕落エバとは何かというと、それは不信仰の人であり、不心情の人であり、不天国の人です。そのように、堕落した女性は信じることのできない者たちです。心情的に天と一つになることのできる愛がないのです。理想がなく、現実に縛られていて自己中心です。神様に向かって、「神様を信じているから、神様、私を信じてください」「神様を愛しているから、私を愛してください」と言い、将来の天国よりも今を問題にするのです。そのような考えは堕落から来ているのです。堕落のためにそうなるのです。そしてこのエバは、アダムまでも引き入れたのです。
 不信仰の人、不心情の人、不天国の人は、天国には行けないようになっているのです。堕落によってつくられたこの世は不信の世であり、愛のない世であり、理想のない世です。受け継いだ文化は堕落した文化であり、受け継いだ伝統は自己中心の愛の伝統です。男性も女性も自己中心の愛を求めるほかは、神様も全体も知らないのです。英語で、「I」を大文字で書くのも自己中心性の現れです。「I」は「am」という文字を抱いて大きく現れます。歴史的に見て、この「I am」を代表的に受け継いだものが西欧文明です。このような結論が出るのです。
 そのような国を代表する実用主義国家、それがアメリカです。アメリカ人は実用主義のあまり、利益を求め過ぎており、利益のためなら将来のことなどどうでもよいという生き方の人が多いのです。アメリカの諸君、先生の言ったことは正しいですか? 皆さんもそうですか?


 審判はアベル文化圏の使命
 堕落は何を蒔いたのかというと、不倫の種です。不倫の結果として実ったこの世に、倫理破綻の時代が来るというのです。青少年たちが人間始祖の蒔いたとおりの種になる倫理破綻の日が訪れる時に、アメリカの樹木の下では、若者たちの堕落圏の現実の舞台が繰り広げられるのです。その中でもアダムは恥じて覆い隠すのに、女子は着ていた服を脱ぎ捨てるのです。そこに男と女の違いがあります。恥を知らないのです。女性は恥じらいをもなくしてしまったというのです。背信のアダム、エバが神様から追い出されたように、この地球上から追放しなければならないそのような者たちです。国家が、民主世界が滅亡途上に入っているのです。何の話か分かりますか? 地球上に滅亡の時が来ようとしているのです。自然に滅亡するのです。
 これは審判されるべきです。では審判は誰がするのでしょうか? (メシヤです)。これが大きな問題です。誰がすべきでしょうか? (メシヤです)。メシヤではなく、アベルがしなくてはならないのです。アベル文化圏がするのです。
 神様は、アダム、エバの堕落によって拡大された、不信仰、不心情、不天国のこの世を正すために信義の人を立て、心情の人を立て、天国の理想的な人を立てて歴史を巻き返す運動をしてこられたのです。この運動の先駆者として信義の先知者、心情の先知者、理想の先知者が地上に送られたのです。人々に天を慕う心情を抱かせ、天の愛と信仰を主張する使命を背負ったのが先知者たちです。また、預言者たちなのです。
 このように、先知者たちは天から送られた人ですが、地上の人々からは「私はついて行けない」と、背を向けられて悲惨な道を歩むのです。彼らは反対され卑しまれる運命に遭ったのです。時には蹴られ、時には争う中で死に襲われて「ワー!」と叫び、人間世界の落伍者となっていくのです。だから先知者たちは仕方なく、見捨てられた立場で、この世の落伍者や不具者たちを中心にして、天の愛と信仰による新しい因縁を結び始めたのです。新天新地に希望を抱かせ、霊界を背景にした新しい信仰の波を起こしたのです。
 しかし、この世の者たちは信仰の話に耳を傾けながらも、古い習慣や観念を優先し、昔の風習から脱皮することができなかったのです。代わりに底辺の者たちが集まるという逆現象が生じたのです。立派な人たちはみな通り過ぎ、立派でない人たちもみな通り過ぎたあとから、病人や屑のように扱われた人々が、新しい世界を求めてやって来たのです。
 この世には、立派な父母、立派な息子、娘、立派な家庭をもった人はほとんどいないのです。家庭が破綻し、家族が別れ別れになっている父や母、あるいは息子や娘、負傷者たちが宗教に関心をもち、新しい世を希求して先知者を訪れるようになったのです。そこから天の因縁が始まるというのです。
 このような働きをする責任者、預言者たちの位置が、それがアベルの位置なのです。その預言者、アベルは地上の人々に頭から、「おい! お前たち、私に仕えろ」と言って、この世に受け入れられると思いますか? この世で人間の屑として卑しまれている人々を、不信の人から信仰の人に変えるためには、自らが信仰者としての行動を示さなくてはならないのです。不心情の人から心情の人に変えるためには、愛をもって感化させなくてはならないのです。無天国、無理想の人を理想天国の人として立たしめるには、ため息が出るほどつらいことがあっても、それを希望に燃えた表情の下に隠していなくてはならないのです。そうするのです。皆さんもそうするのです。


 アベルが責任を果たせば、カインはアベルを保護する
 七年たって、信義の人になったのですか、心情の人になったのですか? 天の国の理想をもった人になったのですか? 知ろうと知るまいと、伝道の志を立てたならば、対象者が従順屈服するようにもっていかなくてはならないのです。このように、アベルの伝統歴史がいかに難しいか知らなければなりません。
 仮に、先知者たちが地上に送られる時、世の人々から歓迎されることが約束されていたとしましょう。先知者は王の座で、あるいは出世の道で称賛を受けるものと喜んだのですが、実際は違う結果となり、考えもしなかった厳しい現実に直面した時に神様が信じられなくなり、「本然の愛も天の理想もみな疑わしい」と言うような先知者は、本物の先知者でしょうか? (いいえ)。
 アベルは、そのサタン世界の底辺に住む僕のような人たちに仕えるようにして、感化させなくてはならないのですから、僕の歴史にいま一つの僕の歴史を積み重ねなくてはならないのです。しかしその場合、サタン世界の僕たちと、天の世界のアベルのどちらがより悲惨な道を歩んだのかを問われる時に、アベルがアベルとして認定されなくてはならないのです。その時にサタン世界の僕たちは、「何の希望ももてないどん底の中にあっても、あなたは希望を捨てることなく、力強く私を支えた」と認めるのです。アベルは「いかに耐え難い時も、信義の理念をもち、愛の心情をもち、天国の理想をもっていたから、最後まであなたを信じて尽くすことができました」と、言えるのです。そこで「地上で自分の生命も惜しまず、愛と理想をもって犠牲的に尽くしてくれたのはあなたしかいません。私は誰よりもあなたを信じ、国よりも世界よりも、あなたのために尽くします」と、なるのです。その認められた事実でもって、初めて「自分はアベルであり、あなたはカインである」と言うことができるのです。アベル・カインの関係はその時から始まるのです。アベルにはカインがいなくてはならないのです。カインは兄さんです。
 そのようにアベルが責任を果たすことによってカインが、「あなたは私の後ろに立ってください。サタン世界のみ旨は私が引き受けます」と言って、先頭に立って戦うようになるのです。その時点からカイン・アベルが成立するのです。そして、「私のすべての財産と、すべての所有物をあなたの仕事のために捧げましょう。私の体が犠牲になっても構いません。私がみ旨の先頭に立ちます」と言えるのが、カインです。そうすることで天の国に行くことができるというのです。
 カインはアベルの面倒をみなくてはなりません。兄さんが弟をみてあげるのが天のカインの道理ですから、弟を保護する運動が起きてくるのです。エデンの園では、カインがアベルを保護しないで殺してしまったのです。反対になってしまったのです。
 このような原則があるにもかかわらず、今日の統一教会の信者の中には、自分は不信仰であろうと、不心情であろうと、不天国であろうとどうでもよく、「ただ先に入ってきたからアベルであり、お前はカインだから屈服しなさい」と言う者がいます。そんな法がどこにありますか! アベルが寝る時間が短いと不満をもらしたり、仕事もこなせず、実績も上がらず、全体の犠牲にもなれないとすれば、いったいどうなるでしょうか、皆さんもそのようなまねをするのですか?
 次の問題は、天国に入る時にはカインが、「私が先に入ることはできません。あなたが先に入ってください」と言わなくてはなりません。天の父の前に進む時には、弟が兄さんの位置に立たなくてはなりません。では、それを誰が決定するのかというと、アベルが決定するのではないのです。カインが決定しなくてはならないのです。「統一教会で、自分はアベルだ」と思う人は手を挙げてみなさい。それでは、「自分は統一教会のカインだ」と思う人は手を挙げてみなさい。それならば弟のいないカインがいるのですか? (笑い) アベルがいなければカインもいないのです。カインとアベルの決定は、「お前はカインになり、私はアベルになる」と言って、互いに約束すればいいのです。「私が兄であり、私は弟になる」。こういうふうにです。
 では、アベルとカインを結ぶ力の中心は何でしょうか? 不動の中心がなくてはならないのです。それが何かというと、信義と心情と理想です。信義は動くことができず、心情も動くことができず、理想も動くことのできない存在になっているのです。さて、次にもう一つの問題があります。理想に到達し、理想がかなえられると、理想に酔ってしまって二人が行くべき道を歩めなくなるということです。
 皆さんにアベルはいますか、カインはいますか? カインとアベルはなぜ必要なのですか?「私はこのアベルが嫌いだ」「カインにばかり仕事をやらせて何だ」。(笑い) どうして笑うのですか、本当のことでしょう。カインなんか煩わしい、みんな蹴ってしまえばいいじゃありませんか? (いいえ)。なぜ「いいえ」ですか、カインがいかに煩わしい者か知っているのですか? カインはこう言うのです。「統一教会はいいのだが、アベルというのは嫌いだ。天才主義ではないか。アベルは勉強もしていないし、あのような者が何だ。あれがアベルなのか」と。


 カインのメシヤはアベル、アベルのメシヤはカインである
 皆さんは、皆さん自身がメシヤであることを知っているのですか? カインのメシヤはアベルであり、アベルのメシヤはカインであるということを知らなくてはなりません。それを知らなくてはならないのです。今まで説明したそのような関係を結ばずしては、それを経ずしては駄目です。では、なぜそうしなくてはならないのでしょうか? この原因はエバにあります。エバは堕落して誰を生んだかというと、カインを生み、アベルを生んだのです。これが兄であり、これが弟です。堕落ののち、誰が先に生まれ兄になったかというと、カインが先に生まれて兄となり、アベルはついていったのです。これは何かというと、後ろからついていく根拠になるのです。そのために、カインがサタン世界の相続権をもっているのです。サタン世界のすべてのものの相続権はカインにあるのです。サタン世界はカイン世界ですから、カインのものになるというのです。
 もし堕落しなかったならば、長子も天の側であり、次子も天の側になったはずです。これを知らなくてはなりません。そして、その国の相続は長子が受けたのです。長子が引き継ぐようになっていたのです。神様の原理法度は、先に生まれた人が父のすべてのものを管理し、責任を負うようになっていたのです。そして堕落した世界も、原理法度に従って規範どおりに運営していくというのです。
 長子がサタン圏のものとなったのですから、二番目の息子はどのようにしてこの、長子の位置を越えていくのでしょうか? それは屈服させることです。長子の権限をどのようにして引き継ぐか、これが問題なのです。どのように迎え入れるかということです。争って越えるのではありません。不信から信義へ、不心情から心情圏へ、不理想から理想圏へと、兄さんは弟についていかなくてはならないのです。そうすることによって、昔カインがアベルを殺したことを償えるのです。従順にアベルについていくことによって復帰されるというのです。カインは自分のほうから先にアベルを殺したのです。何の話か分かりますか?
 このようないきさつに基づいて、二〇〇〇年前に、国家的アベルとして来られたのがイエス様であり、国家的カインはイスラエル民族でした。イスラエル民族は国家的カインの立場から、国家的アベルであるメシヤに絶対服従してついていくべきでした。イスラエル民族は自らが滅びたとしても、アベルであるメシヤを生かすべきでした。そうできたならば、イエス様は死んだでしょうか? イエス様は十字架で死んではならないという話はここから出たのです。死を決して守ったならば、カインはアベルを殺さずに生かしたはずです。イスラエル民族が二〇〇〇年間メシヤの出現を待望したのは、この蕩減法からきたものです。


 母子協助
 神様のみ旨の中で、弟が兄さんを屈服させることに誰が協助するかというと、お母さんです。母子協助です。お母さんのエバは、堕落の実であるカインを、アベルと一つになって復帰しなければならないのです。母子協助という言葉はここから出てくるのです。弟が兄さんを屈服させる摂理がいつ行われたかというと、ヤコブとエサウの時代です。エサウは外的な存在です。お母さんであるエバの立場は誰ですか? それはリベカなのです。堕落の種を蒔いたのはお母さんですが、復帰は息子にお母さんが手助けをし、また息子がお母さんを手助けしたのです。
 エバが堕落する時、どのような事態が起きていたかというと、アダム、兄さんをだまし、神(父母)を偽り、堕落したのです。お父さんと息子の二人をだまして堕落したのですから、こちらからこちらに行くことで蕩減復帰ができるのです(黒板で説明される)。
 エバが堕落することにより、カインが長子になりました。そこでヤコブは何をしたかというと、お父さんのイサクと兄さんのエサウをだましたのです。そして祝福を奪うのです。なぜこのようなことが聖書に記されているのでしょうか? これが聖書だろうかと考えてしまうのですが、しかしそれだから聖書なのです。祝福を奪い取ったのです。長子の祝福は、口で言って次子に与えられるものではないのです。ヤコブはその長子の祝福を要求したのです。ヤコブは知恵を使って言いました。「兄さん、おなかが空いているなら、パンとレンズ豆のあつものを上げますから、代わりに長子の嗣業を譲ってください」と。長子の嗣業は売り渡すべきものではないのです。それは自分の天国を売り渡したのと同じであり、自らを滅ぼすことになるからです。天国も神様もなくなってしまうのです。
 エバの立場のリベカは、それほど重大な取り引きに対して、「お前たちが約束したとおりにしなさい」と言ったほかは何も触れていません。「お前たち、売れるものは売るし、買えるものは買えばよい」という調子です。リベカはヤコブに長子の嗣業を奪わせようと思いましたが、イサクが長子の嗣業をヤコブに譲らせるはずがないことははっきりしています。そこで思いついた方法が、兄弟で約束を交わさせることでした。
 つまりヤコブはアベルの役割をしたのです。そしてヤコブはリベカに、「お母さん! 約束どおりになりました。兄さんはレンズ豆のあつものを食べて祝福を売りました」と言いながら、母子でこそこそと話し合ったのです。実は、こそこそしているのはエバでなく、アベルだったのです。そのようにしてヤコブが祝福を受けることになるのです。ヤコブを祝福したのち、イサクから「カインは祝福をすることができない」と言われたエサウは、ヤコブを殺そうという憤りを抑えることができなかったのです。それは何かというと、ヤコブがアベルの立場で、カインの脳みそを抜き取ったようなものです。何の話か分かりますか? もし統一教会がある村においてそうしたならば、統一教会は完全にその村のカインの福を占領することができるのです。祝福を奪ってくるということなのです。


 ヤコブは二十一年間にカイン以上の基盤をつくる
 ヤコブは祝福を受けてから二十一年間、天の側の身代わりとなって、ありとあらゆる苦労をしました。家を出て、二十一年間苦労をしたのです。しかし、祝福を受けたはずのヤコブは、両親にも親戚にも、「私は神から祝福された。私は勝利したのだ」と言うことができなかったのです。エサウを屈服させる前は、そのように言うことができないのです。それをはっきり知らなくてはなりません。
 ヤコブは結婚をし、家庭をもったのですが、妻子たちにも神様の祝福を受けた話はしませんでした。祝福を公認する立場にないからです。「長子の嗣業を相続したのですから、あなたが天の祝福を受けなくてはならない」というサインを誰がするのかというと、カインなのです。それをカインが認定しなくてはならないというのです。カインがエサウが認定しなくては、ヤコブは祝福を受けられないという話なのです。
 では、ヤコブは家を出てから二十一年の間、何をしたのでしょうか? 自分の枠を築いてその中に氏族をつくったのです。カインより優秀な基盤をつくり、カインを消化しようとする運動をしたのです。その努力する姿を見て、ヤコブを神様が祝福してくれたのです。お金も多く、羊も多く、すべてのものが豊かに恵まれていたのです。ヤコブは母方の叔父や両親との因縁を大切に思い、それで、故郷ははるか遠い地にあったのですが絶えず贈り物をして、家族とのつながりを保ち続けていました。分かりますか? (はい)。そうしているうちに、エサウが考えるのです。“弟がいない、ハランに逃げたのだ。長子の嗣業を売った私が悪かったのだ。そうだ、私が悪かったのだから、私のほうから先に弟に会いに行かなくてはならない”。そして、「もう今は反対しない」と言って歓迎してくるのです。エサウも自分の過ちに気がつくようになるというのです。
 こうして二十一年後、故郷に戻る時にヤコブは最上の物を兄に捧げたのです。僕も動物も、そして財貨もです。それらの万物を僕たちに持たせて先に贈らせました。「このように、これらの物をすべて差し上げます」と言いながら。しかし一つだけ、長子の嗣業だけは手離さなかったのです。それは、長子の嗣業を返さなければ殺されることもあり得るのを知っての上です。そして、そのようなことがないように、すべてから解放される条件をつくるために、ヤコブは必死に二十一年間を働いたのです。その条件を供えれば、サタン世界を完全に越えることができるのです。それが何かといえば、財物です。何の話か分かりますか? (はい)。これが歩むべき伝統の道です。これが伝統なのです。この伝統の公式はどの時代にも通用するものです。


 「怨讐を愛せよ」
 先ほど説明した家庭基盤、氏族基盤、国家基盤、世界基盤にこの伝統を立てなくてはなりません。ヤコブは、イスラエルの氏族を中心にした国家編成までの伝統を立てたのです。ここにおいて民族交代をするのです。イスラエルの氏族が、エジプトに大移動しなければなりません。ヤコブの家庭基盤がそうなったためにエジプトに入るのです。エジプトという異邦の国に入って、受難の道を歩むことになるのです。
 氏族から民族基盤をつくり、次にエジプトに向かって移動しましたが、エジプトの国は長子の国です。文化も長子の文化ですから、サタンの文化なのです。イスラエル民族は次子ですから、文化も次子の文化です。すなわちエジプト文化はカイン型文化であり、イスラエル文化はアベル型文化なのですが、エジプト圏内でイスラエル文化がつくられていくのです。分かりますか? エジプトで民族的試練を受けながら、国家的基盤を築かなくてはならないのです。
 そうして四〇〇年の間、僕として過ごしたのです。それは迫害を受け続ける長い道程でした。その受難の中で信義のイスラエルの民族となり、また心情において天を愛することにより、彼らの前に、大いなる恵みが与えられることになりました。イスラエル民族を神様は祝福せざるを得なかったのです。
 イスラエル民族は、エジプトの最下級以下の人たちと交流を深めており、高位の人ほどその間に隔りがありました。天の摂理圏にある、アベル圏の立場のイスラエル民族が親しくしたのは、社会からつまはじきにされた人たちでした。イスラエル民族を愛した下層のエジプトの家族たちです。しかし上流階級の人たちはイスラエル民族を蔑視したのです。そして、エジプトの地でイスラエル民族は次第に増えていったのです。
 やがてエジプトの民は、このままではイスラエル民族のためにエジプトの民がいなくなり、エジプトの地がなくなるのではないかと恐れるようになり、国王は王権が奪われ、国中が侵害されてしまうと危惧したのです。国王が、「さては長子の嗣業を奪いに来たのか」と警戒するのです。これは公式なのです。
 さあそこで、モーセがイエス様の仮の立場で現れ、カインがアベルを殺した歴史の、国家的基準を越えるのです。個人的犠牲を耐えなくてはならず、国家的犠牲を耐えなくてはならないのです。イスラエル民族は耐えること四〇〇年間、怨讐に対して耐え続けたのです。イエス様が言われた「怨讐を愛せよ」ということはここから生まれたのです。既成教会はこれを知りません。イエス様が何をもとにして、「怨讐を愛せよ」と言われたのかを知らないのです。ヤコブも怨讐であるエサウを愛したというのです。兄弟を愛するのも、神様を愛するのも、父母を愛するのも同じことなのです。そのように、神様を愛しているから兄さんを愛することができたのです。兄さんから見れば、自分がアベルの立場ですから、ヤコブがカインであり、ヤコブはまたイエス様の立場でもあったというのです。イエス様の兄弟なのです。この兄弟が一つにならなければ必ず神様の仕事が複雑になるのです。分かりますか?
 イスラエル民族はこれを解決したのでしょうか、できなかったのでしょうか? エジプトで兄弟のような立場を、国家的次元でイスラエル民族が解決しているのでしょうか、いないのでしょうか? (解決しています)。そのように解決したのならば、エジプトでは他にすることがなく、イスラエル民族はエジプトでの受難期を終えてカナンに復帰したでしょう。しかし、カナン復帰してから何をしたのかというと、メシヤを待つ間に、もっと大きなカインであるローマ帝国の国家圏内に入っていったのです。ローマ、それは世界圏なのです。もし、カインであるエジプトを屈服させて、一つになっていたならば、ローマは問題ではありませんでした。ローマは問題外だったのです。
 カナンに復帰してから、イスラエル民族に大勢の優れた頭脳をもった人々が生まれました。それは神様が祝福したからです。次第にイスラエル民族が繁栄していくので、ローマ帝国は恐れ始めました。ローマ帝国は、イスラエル民族にはメシヤ思想があるということを知るようになったのです。イスラエル民族はメシヤの名を呼び、「我々はローマの兄弟ではなく、神様が送った人の兄弟だ」と叫んでいました。
 そして、イスラエル民族はローマ帝国から打たれたのです。メシヤを信じる人たち全員がです。そうすることでローマ復帰が始まるのです。一方、ローマ帝国でもイスラエル民族と親しむ人々が増えていき、イスラエル民族の勢力が広い範囲に及びました。その時期にイスラエル民族がカナンの人々と一つになって、メシヤを迎えたならば、メシヤとイスラエル民族が完全に一つになることができ、カナンにいる十二支派も完全に一つになれたのです。
 そして次はどこに行くかというと、アラブ圏を通って、インドへ通じる道が用意されていたのです。当時、ヨーロッパはローマ強国に直轄されていました。アジアを中心に世界が一つになるためにはまず、アラブ圏内でイスラエル民族が一つになった条件を立てるべきであったのです。それができたならば、インドと中国はイスラエル民族を応援し、受け入れたはずなのです。インドと中国はローマ帝国に圧力をかけ、イスラエルの政治的基盤を強力にしたに違いないのです。イエス様が血を流したのはなぜでしょうか? 本来イエス様はこの地点を通過して中国に渡ったに違いありません。中国とインドは宗教圏であり、ローマは純然たる人本主義圏です。キリスト教は絶対にローマでなく、インドから中国に渡ったはずでした。東洋にキリスト教が伝わるという結論です。それを知らなくてはなりません。
 しかし、イスラエル民族がメシヤに反対したために、どこに行ってもキリスト教信者たちは打たれて歩くようになったのです。追われつつ、より大きな怨讐のいる、より大きな国に入って、より大きな蕩減をしなくてはならなくなったのです。
 イスラエル民族はローマの中に入ってしまいましたが、本来の神様の計画は、東洋にキリスト教を迎えることでした。しかし、イスラエル民族が反対したためにアラブ圏の道がふさがれてしまいました。そしてローマ帝国に逃げて行ったために、ローマ帝国を相手に勝利しなければならないのです。そうしなければ、追われていくだけなのです。この世界が許さないのです。民族が離れ離れになってしまうのです。信義の人、心情の人、理想の人になるか、否かにかかっているのです。イスラエル民族も一つにならなければ、カナン復帰はできないのです。一つになることによってこそ、下水溝の底のような位置からはい上がって、ローマ帝国に勝利することができるのです。
 ついにそのような底辺から立ち上がった大衆運動が、ローマ帝国をしてキリスト教を受け入れさせ、全世界はローマの支配下に集まったのです。この勝利が、イエス様が死なずして勝ち得たものであれば、イエス様は天下を統一したはずでした。しかしイエス様の死によって得たものなので、キリスト教は霊的キリスト教文化圏としてのみ世界に広まったのです。
 ローマの世界制覇は、教皇を中心とした自由世界のローマ統治時代の幕明けとなったはずでしたし、その時の王がアベルに屈伏したならば世界は統一されていたのです。国民が知ろうと知るまいと、アベルが王に向かって、「王よ、あなたは私の言うことを聞きなさい」と言い、王が、「はい。絶対に服従します」と答えたならば、この世のすべては平安に治っていたはずなのです。
 本来、イエス様は死なないで、元老院と折衝すべきであったのです。しかし十字架のために、キリスト教は、ローマを経て英国に渡り、アメリカを回って中国に向かい、再びローマに戻っていくのです。アジアを通ってローマに戻るという逆の道をたどっていくようになるのです。
 その過程で、霊的であるはずの教会が物質的な教会になり、西欧文明の外的なキリスト教になったのです。精神的文化のキリスト教がなぜ、実用主義の物質的なキリスト教になったのか、キリスト教自身も分からないでいるのです。キリスト教が物質的アメリカを導いていかなくてはならないのに、物質的アメリカがキリスト教を引っ張っているのです。逆になってしまったのです。これを逆転させなくてはならないのです。


 アメリカの不信仰
 アメリカにサタンが入ったのです。サタンとしては、キリスト教を滅ぼさなくてはならないのであり、家庭と倫理を滅ぼさなくてはならないのです。その的の中心は、二世の青年たちです。神様が入らなくてはならないのに、サタンが入って全部を堕落させています。若者たちは酒を飲み、ディスコ・ダンスに夢中です。二世たちは国がないと言い、宗教も必要ないと主張するのです。全く単純としか言いようがありません。父母を否定し、兄弟を否定し、家庭を否定し、国を否定し、宗教を否定しているのです。すべてが否定であり、ただあるのは自分一人の人生なのです。
 愛についても、人が何と思おうと身勝手な愛に溺れているのです。サタンが若者たちに淫らな行いをさせるのです。日本女性を愛したあとで中国の女性も愛し、黒人の女性も愛して、十二種以上の女性たちを放蕩させているのです。サタンの所有物だからそうなるのです。自らを破滅させる者たちにはサタンがついているのです。
 これらはみな、アメリカで起きていることです。アメリカの女性は、男性と簡単に結ばれているのです。これらの人たちは落伍者です。必要のない人たちです。今夜はどこへ行こうか、東に行こうか西に行こうかと考える、このふしだらな女たち。女が問題です。男よりも女が問題なのです。そのように女たちは、あのエジプトの時代も今も、村や町のあちらこちらで、時には路上で男の遊び相手となっているのです。アメリカの女性たち、どうですか、そうでないのですか?
 これからアメリカの女性に何が起こると思いますか? 嫁にいきたくても、アメリカの女性はまず同じアメリカの男性から嫌われるようになります。嫁にいっても娼婦のような女たちです。パーティーなどと言って、家を回りながら、愛を売り歩く女たちです。そのように歩き回ったあとどうなるのでしょう。今に一人住いの女性のアパートが数十棟、ずらりと列をなして建つ日を、アメリカは目前に迎えているのです。このことゆえに世界中から打たれ、「ヤンキー・ゴー・ホーム」と叫ばれ、追放される日が来るでしょう。これは、レバレンド・ムーンが作った話ではなく、神様が教えてくださったことです。アメリカはこのように不信仰に陥っています。カインがアベルを殺した不信の歴史は、殉教の形で受け継がれており、終末の最後の時まで天の人は卑しまれ、世界の果てまで及ぶということを知らなくてはなりません。
 アメリカは韓国を犠牲にしようと陰謀をたくらみましたが、時を逸して失敗しています。どういうことかというと、この線がアメリカの行く道です(黒板で説明)。韓国を通過しなければなりません。このように、アメリカは韓国を切り離すことのできない運命にあるのです。加えて、キリスト教がアジアを通過しなくてはならないことを意味するのです。イエス様が死ななかったならば、アジアの東洋文化世界を中心にして、世界を指導し、その精神的基準はアジアにおいたはずでしたが、イエス様の死により、物質的世界が精神的世界を求めて行かなければならない立場に置かれてしまったのです。そのため、キリスト教文化は逆の道を回り、物質を根拠にしてきましたが、今度は物質世界の西欧から精神世界を捜して、世界を一周する役事をしなければならないのです。
レバレンド・ムーンの使命はアベル的歴史の収拾
 現在アメリカは滅亡の危機に瀕しています。統一教会の我々は、このアメリカを救うために、韓半島を通過してこの地に集まってきて、二世たちに手術を施しているのです。
 レバレンド・ムーンの使命は何でしょうか? それはアベル的歴史を収拾することだというのです。今日世界的に拡大した人類の数から見て、カイン・アベルの歴史も、二人の歴史ではなくなっています。それを一人の人が解決しなくてはならないのです。
 家庭を中心にして見る時、家庭には必ずカイン・アベルがいて反対し合うのです。家庭的時代から氏族的時代に移ると、加重された十字架がカイン・アベルに負わされることになるのです。氏族的反対があってそれを越えると、より大きな民族的カイン・アベル圏に入り、国家的、世界的へと広がっていくのです。そのように役事をしなければならないのです。そして、今日の全世界的カイン圏は何かというと、天の前に一番近いキリスト教です。来られる主の前にはキリスト教がカイン圏なのです。ユダヤ教がイエス様の前にカイン圏であったことと同じ立場に立つのです。
 ユダヤ教のすべての祭司長や祭司たちがイエス様に、「この世のすべてが、あなたのためのものですから、ユダヤ教もあなたのためのものです。すべての財産とこの身を捧げますので、どうぞ指導してください」と言ったならば、「分かりました」と言うイエス様の一言で、アベル圏ユダヤ教としての大きな恵みを受けることができたのです。そうすれば、ユダヤ版図を中心にして、ユダヤの国王と一つになることができたのです。
 そこで国王が、「私はあなたの絶対カイン圏として服従します」と誓ったなら、国家的アベル世界が広がったのです。次は、もっと大きな国ローマを、そしてインドや中国を屈服させれば、世界的版図の世界統一が成就したのです。その日に、世界は完全に一つになれたのです。
 英国が世界的な支配力をもった時代には、アジアもインドもその支配下にありました。国土を擬人化した場合、半島は息子であり、島はお母さんです。それを知らなくてはなりません。キリスト教はどの道を通ったかといえば、ローマの国を中心にして、ヨーロッパを過ぎ、英国を経て、次は大陸に、お父さんである大陸に行くのです。そのようにしてアメリカ大陸に入ったのです。
 アメリカは男性です。そして天の側の女性の国家は島国です。ですから、島国の日本を通過してアジアを回らなくてはなりません。島の次は半島です。半島は息子です。韓国は息子です。必ず、日本から韓国への過程を通らなくてはならないのです。物質的なものが、精神的な世界に入っていくのです。アメリカも、日本についていくようになるのです。
 最近は一つになる道しかないのです。韓国の統一教会もキリスト教と一つになるならば、アメリカとも自然に一つになれるのです。世界を代表した立場でアメリカの宣教師がみな韓国に入っているではないですか。
 二〇〇〇年間、繁栄し発展してきたキリスト教は、約二十年前に力を失ってしまいました。罪のない統一教会に反対したからです。我々統一教会は底辺の位置にありましたが、今やはい上がって世界的キリスト教に勝利したのです。全世界のキリスト教が、レバレンド・ムーンをどうすることもできないのです。統一教会をどうすることもできないのです。
 ヤコブは七年で終わらせることを、二十一年かかりました。キリスト教が七年の間で統一教会と一つになったならば、七年以内に世界的統一をして余りあったのですが、その責任を果たせなかったのです。統一教会は、一週間以内で思想を変えることができます。たったの七時間で思想が変わることもあります。皆さんがそうであったからです。それは本当ですか? (はい)。皆さんがそうであるのに統一教会に反対し、レバレンド・ムーンを踏みにじり、「レバレンド・ムーンはブレーン・ウォッシュをして、搾取した」と悪口を言った世界中のキリスト教も、七時間でその思想を変えることができるのです。七時間です。そういうことを可能にしたレバレンド・ムーンが罪人になるとしたら、悪いことで罪人になるのでしょうか、良いことで罪人になるのでしょうか? (良いことでです)。
 それでは、レバレンド・ムーンが個人的カイン・アベルの蕩減復帰を瞬間的に果たし、家庭的カイン・アベルの蕩減復帰も瞬間的に果たせるならば、すべてのカイン・アベルの蕩減復帰も瞬間に終えることができ、キリスト教会の世界的版図も瞬間的に乗り越えることができるのです。
 その機会は、私がアイゼンハワー大統領に会った時にあったのです。そのころは韓国動乱が起きていた最中でした。アイゼンハワー大統領が私の考えを受け入れたならば、キリスト教が反対したものを蕩減復帰できたのです。私は間違いを指摘してあげましたが、彼のアジア政策はことごとく反対に回っていったのです。何の話か分かりますか? 彼はキリスト教が反対したことを蕩減復帰しなくてはならなかったのです。ですから、世界史的カイン圏の蕩減条件を立てなくてはなりません。それで七年の間にアメリカで、世界中の動きを正す運動を展開することになったのです。そのような目的で私はアメリカに来たのです。


 より大きなカインを求めて戦っていく公式の道
 一九八〇年までが七年路程です。全部を合わせると二十一年です。世界蕩減に反対したために、そのような世界蕩減の路程を歩むことになったのです。三次七年路程を中心にして、打たれながら統一の日まで歩み続けなくてはならないのです。それで先生が打たれてきたのです。また、私に反対した大統領も打たれたのです。先生の話を受け入れたならばこのようにはならなかったのです。それで、アメリカの統一教会の中にも騒ぐ者たちが現れたのです。彼らはいつの間にかいなくなることでしょう。「私は、アベルについていけない。アベルは嫌いだ! 先生にも厳しくてついていけない。ついていけない」と、このように不平不満を言い散らすのです。アメリカの国民が統一教会を受け入れようとする時は、また統一教会の群れたちが落ちやすくなるのです。
 統一教会はどのような反対を受けたかというと、私が何もしなくても、アメリカの人々は統一教会の信者たちをけなし、先生がさも暴力人間か詐欺師かのように言いふらしているのです。アメリカの国民は審判されなくてはなりません。
 もし、アメリカの国民がみ旨の責任を果たさなければ、南米人が果たし、黒人が果たし、アジア人が果たすというのです。白人たちがみ旨を放棄した場合は、スペイン人がやり、黒人がやり、アジア人たちが成就するのです。世界がアメリカを打つ日が来ます。それが何の話か分かりますか? 南米ではレバレンド・ムーンを招請しています。「敬意をもって、歓迎する」と言って、人を送ってきているのです。レバレンド・ムーンが南米に行くとすれば、皆さんはアメリカに残りますか、ついていきますか? (ついていきます)。南米に行って何をするのですか? その国に行くというのは、迫害を受けにいくことなのです。新たな迫害を受けにいくことなのです。そこでは我々をさげすむ「ムーニー、ムーニー」という声が、アメリカ以上に高まるでしょう。
 しかしそこで、何回も会って協議を繰り返しているうちに、下層階級の人たちはレバレンド・ムーンとムーニーたちが好きになります。今やアメリカの反対で、下層部にいる黒人たちとスパニッシュたちが行き来しています。レバレンド・ムーンの下に集まっているのです。そして、「ムーニーは信義のある人で、心情的で愛のある人であり、思想のある人たちである」という噂が次第に広まって、今度は歓迎の、「ムーニー、ムーニー」の声を聞くようになるのです。今のアメリカの不信仰、不心情、不思想も覚えておきなさい。語る言葉はみな覚えておきなさい。もし摂理が延長されたならどうなるでしょうか? 七年路程でアメリカが方向を変更しない場合、二〇〇〇年まで摂理が延長してしまうのです。
 私はアメリカの牧師たちに、英国、南米、ヨーロッパ、アフリカ、アジアに新しい基盤をつくらなくてはならないと指導してきました。この指導をアメリカが支援すれば、私は遠からずして間違いなくモスクワ大会を開きます。たとえ一人であってもです。何の話か分かりますか?
 それで先生は、青年の皆さんを厳しい試練の場に送り出しているのです。そのような試練を与えるのはなぜでしょうか? アメリカの幹部たちは先生を怖いと思っているのですが、君たちもそうでしょうか? 先生は厳しいのです。誰のために厳しくするのかというと、民主世界のためにそうするのです。共産主義の打倒を先生が一人でやっているのです。共産党が背後から攻撃してくるのを、先生が一人で受けているのです。サタンの攻撃を先生が一人で受けているのです。キリスト教会からのサタンの攻撃も先生が一人で受けているのです。
 皆さんは、攻撃されるのが嫌ですか? みんな嫌がっているのではないですか。では一つ聞いてみましょう。昔、愛していた、好きな男性、好きな女性に会いたくないですか、その人が恋しくないのですか? ディスコに行って踊り、学校では自分の自慢をし、自分だけが満足する生き方をしたくはないですか? クリスマスや年末でにぎわう通りを歩きたいでしょう。おいしいごちそうを思いきり食べたいのも知っています。しかし、君たちの現実は全く別のものです。
 アメリカ人で、レバレンド・ムーンが死んだらいいと思う人が、どれほど多いか知っていますか? 国務省でさえ、レバレンド・ムーンを追放しようとしているではないですか。「彼をこのままにしておくとアメリカが危ない。彼はアメリカを滅ぼそうとしているのだ」と言っているのです。昔のローマ帝国と、そっくり同じことをしているのです。アメリカ全土でレバレンド・ムーンをのみ込んでしまおうとしているのです。今、我々にとって、キリスト教が怨讐であり、共産党が怨讐であり、アメリカ人が怨讐となっているのです。民主主義も、共産主義も、キリスト教信徒も、アメリカもすべての人々がレバレンド・ムーンを嫌っているのです。
 これが公式なのです。アベルという名の公式です。歓迎せず、反対する日にはこの公式どおりのことが起こるのです。天の側の人は、サタン世界では、反対されても歓迎はされないようになっているのです。そのような見方で歴史の内容を分析する時、アベルは、「個人的カインよ出てこい。家庭的カインよ出てこい。氏族的カインよ出てこい。民族的カインよ出てこい。国家的カインよ出てこい。アジア的カインよ出てこい。世界的カインよ出てこい。共産主義の世界的最後のサタン、カインよ出てこい」という具合いに、より大きなカインを求めて戦っているのです。
 カインは全部アベルを殺そうとするのです。個人的基盤で殺そうとし、氏族的基盤で殺そうとし、国家的基盤で殺そうとし、世界的基盤で殺そうとするのです。蕩減をするのにも、個人のレベル、家庭のレベル、イエス様のレベルなど、いろいろな蕩減の段階があるのです。それを知らなくてはなりません。
 では、皆さんにアベルがいますか? (いいえ)。何が「いいえ」ですか。アベルのレバレンド・ムーンと一つになるのです。一つになって伝統を立てるのです。レバレンド・ムーンは、天の国の摂理的伝統をつくるために来ているのです。その伝統は単にアジアや韓国だけのものではありません。それは神の伝統なのです。(拍手)
 私は個人を信じたいし、家庭を信じたいし、氏族を信じたいし、民族を信じたいし、世界を信じたいのですが、すべてが信じられません。信じられるのは自分自身だけです。分かりますか何の話か? (はい)。もう分かりましたね。この世がどうなっているのか、世界がどうなっているかということを。先生は反対を受けるたびに、「この身に世界中の反対の弓矢が当たろうとも神様のみ前に恥じないアベルとしての十字架の道を越えさせてください」と祈って乗り越えてきたのです。今後は共産陣営のモスクワで、アダムの仕事を成功させることです。その時、皆さんは共産党に勝利できますか? 共産党に勝利して、次は何をしますか? 皆さんはソビエトに行かなければなりません。皆さんはその国で働き、その国に住まなければなりません。それにはお金も必要ですし、友達も必要になります。それをどのように解決するのですか? それには基盤をつくることです。黙々と基盤をつくらなければなりません。
 そうすることで、カンボジアの青少年のことを、ベトナムの戦争のことを、回教圏で戦う人々のことを考えられるのです。これらの考えをもって、心情の中に鋭敏に感じ取った不義なるものを歴史から除去してしまわなくてはならないのです。ベトナムの人々は家族がバラバラに分かれて生きているのです。そのような悲惨さをよそに、皆さんは今まで甘く楽しいことばかり考えて生きてきました。そのままの延長では、果たして世界に出て天のみ旨を立てることができるのかというのです。
 み旨の地で「神様! 私を保護してください」と言っても、絶対に保護されないのです。アメリカで私から受ける訓練は、共産主義からの大きな迫害を消化させるためのものです。迫害を乗り越えて、未来世界に行く準備です。未来世界で神様にお会いする準備をするのです。そのためにはもっと苦労しなければなりません。私は皆さんを骨が抜けてしまうほど訓練させるつもりです。


 韓国の蘇生圏、日本の長成圏を吸収して、アメリカの完成化を
 今日まで、数十年たちましたが、その間皆さんを愛さなかったとでも思うのですか? レバレンド・ムーンは、韓国人を最も愛し、その次は日本人を愛し、三番目にアメリカ人を愛していると思っているのですね。皆さんは原理が分かっていません。私は韓国を捨て、日本とアジアも捨て、アメリカを訪ねてきたのです。なぜかというと、アメリカは世界的な版図であるためです。世界中の民族がアメリカに来ています。韓国人も日本人も先生と一緒になって苦労してきました。皆さんも、その苦労の伝統を受け継ぐのです。その文化を受け継ぐのです。
 今まで何を行ってきたかというと、新しい文化と生活方法を残し、新しい伝統を立てるための仕事をしたのです。皆さんは韓国と日本の食口から先生の生活方法と伝統を聞いて、いろんなことを知っているでしょう。それらは全部私が教えたものです。私は多忙なため、個人のためのみに時を費やすことはできないのです。そこで一つの方法として、指導できる人たちを連れてきて、私の代わりに教えるように指導しているのです。皆さんたちはその指導者たちから、文化と生活方法を学ばなくてはならないのです。皆さんには伝統がありますか、あるとすればいったいどこの伝統ですか?
 皆さんは日本や韓国の指導者なしに、自分たちだけでみ旨をしたいと願っているに違いないのですが、果たして皆さんだけでみ旨ができると思いますか。韓国が蘇生で、アジアが長成で、アメリカが完成だとすれば、蘇生圏を吸収して、長成圏を吸収して、完成化すべきではないでしょうか。天使長が、アダム圏、エバ圏以外のどこから何を受けるのですか? それを知らなくてはなりません。しっかりと覚えておかなくてはなりません。
 アメリカ人がアメリカで仕事をするよりも、韓国人や日本人がアメリカで仕事をすることは、はるかに骨が折れるということを皆さんは知らなくてはなりません。韓国人が英語をしゃべり、日本人が英語をしゃべらなくてはならないという、そういう原則はないのです。逆に皆さんたちにも同じことがいえます。しかし先生は英語を学び、日本語も学んでいるので、皆さんも韓国語を学び、日本語を学ばなければなりません。
 韓国人に話すためには韓国語で、日本に行けば日本語で話し、アメリカに来れば米語で話せるように私は努力しました。言葉が通じないため、アメリカに来てからどれほど面倒な思いをしたかしれません。本を見れば分かることでも、会話となっては出てこないのです。そのような経験をしながら、韓国では「イエス」と「ノー」しか知らなかった私が、今では大分聞き取れるし、理解もできるようになりました。
 初めのうち、言葉が理解できない部分は心情で理解しようと努めてみましたが、どれだけ言葉が重要か、改めて教えられる思いです。皆さんは先生よりも若いのですから、「学べ、学べ、学べ」と言うのです。先生の年になると本を読むのも大変です。昔だったら二十ページぐらいなら、一度読むだけでも自然に単語が頭に入ったものですが、今はそうはいきません。きのうも単語の勉強をするつもりで、夜三時間ほど頑張りましたが、これがくねくね、あれがくねくね、ちらちらして、虎文字です。健忘症に陥ったような気持ちになってしまうのです。
 最近になって少しずつ分かるようになったのですが、勉強の苦痛は知らない時より大きいのです。何の話か分かりますか? (はい)。外国の地に行って仕事をするということは、そのように言葉の悩みがつきまとうのです。皆さんが私の立場であったなら、仕事を投げ打って逃げてしまっていることでしょう。
 私はこの国を救ってあげようとするのに、この国は私を捕まえて殺そうとしているのです。私に何の罪があるというのでしょうか。この国を救うために、膨大な資本を注いでいます。そのことに対して同情されることは願いませんが、私を捕らえるのでなく、彼ら自身は同情しなくてはならないというのです。
 さあ、それでは、皆さんはアベルをもっていますか? (はい)。それは誰ですか? (先生です)。先生は天の側に立っているのですか、サタン側に立っているのですか? (天の側です)。では、先生が迫害されるべきでしょうか、皆さんが迫害されるべきでしょうか? 原理的に先生の話を考えてみなさい。「私はこんなに苦労しましたから、先生覚えていてください」と言うべきでしょうか、「先生、責任を果たせなくて申し訳ありません」と言うべきでしょうか?


 原理がすべてに通じる公式である
 自分がカイン的基準で迫害されたならば、その迫害に負けず、より高い基準の迫害へと乗り越えていくのです。氏族的迫害から民族的迫害へ、民族的迫害から国家的迫害へ、国家的迫害から世界的迫害へと、迫害を受ける次元を高めながら先生の歩む道を直くしなくてはならないのが皆さん自身の責任であるのに、私は世界的迫害は嫌だと言うのですか? (いいえ)。「迫害という迫害はみな引き受けて、先生が行かれる道を、アベルが行く道を自分がつくってみせます」と言えるようにならなくてはなりません。(はい)。
 先生に対してアベルというのですが、そのレベルは、家庭的レベル、氏族的レベル、国家的レベル、世界的レベル、天宙的レベルのどのレベルなのですか? (天宙的レベルです)。
 天宙的レベルになれば、カインも祝福されるでしょうか、されないでしょうか? み旨を成したあとで、天宙的レベルになれば、神様の前で私が祝福を与えることにより、家庭段階に入っていかなくてはならないのです。アベルの家庭を中心とするカイン家庭は、「我々の家庭が犠牲になっても、アベルの家庭は犠牲にさせないでください」と祈るのが道理であるにもかかわらず、「我々の家庭は犠牲にしないで、アベルの家庭を犠牲にしてください」と言うのですか? (いいえ)。それならば、「先生はイースト・ガーデンでいい暮らしをし、我々の家庭は惨めな生活をしている」と言うのは、どういうことですか? それがカインの言う言葉でしょうか、カインがそのようなことを言えるようになっているのですか? 先生は、そのような祝福家庭の事情を知った上で言っているのです。
 イースト・ガーデンを守るためには、喜んで迫害され、家族も家庭も犠牲になれるようでなくてはならないのです。皆さんはイースト・ガーデンを保護するためには犠牲となる責任があるというのです。先生にはまた、守ることのできる天の側の本物のカインをつくる責任があるのです。皆さんを昼も夜も苦労させているのは、早く蕩減復帰して、永遠なる世界的位置のカインとならしめるためです。原理がそうだからです。先生は例外だとでも思うのですか? 原理はレバレンド・ムーンに対しても同じだというのです。何の話か分かりますか?
 レバレンド・ムーンの息子たちは今まで何をしたのでしょうか? 個人であっても、世界史的個人として、世界史的家庭として、世界史的氏族として、世界史的民族として、世界史的国家として、世界史的世界として立つことができるよう、天宙を賭けて戦ってきたのです。そのようにして、世界史的位置を定めることができたというのです。その位置は誰のために定めたのかというと、皆さんたちのために定めたのです。
 もし、共産党が民主世界を襲撃した場合、我々は民主世界を守るために天軍となってサタン世界と戦わなくてはなりません。その時、その位置は皆さんを守る柵となるのです。保護は柵の中で受けるのです。ですから柵がなくてはなりません。先生はこのアメリカに、共産主義の侵入を防ぐことのできる世界的柵をめぐらせようとしているのです。この柵が皆さんたちの家庭を守っているというのは事実なのです。何の話か分かりますか?
 これは原理的思想による話です。原理的思想をもたない者には理解できない話です。原理に外れたことを言わないように気をつけなければなりません。この原理を知らないと、伝統の原理も生活の原理も知ることはできません。原理に従って伝統が受け継がれ、原理に従って生活も営まれますが、これは、原理がすべてに通じる公式であるからです。
 レバレンド・ムーンは最も原理の公式どおりに生きているのですが、歴史上の世界的迫害を受けるというこの事実はなぜでしょうか? それは世界的アベルの責任があるということを示しているのです。分かりますか何の話か? (はい)。黒人たちでレバレンド・ムーンに反対する人がいますか? (いいえ)。最初は反対したのです。世間の噂を聞いて、最初のうちはレバレンド・ムーンは間違っていると非難していたのです。しかし、蕩減期間は短いのです。


 神の前に信仰、愛、理想においてアベルでなければならない
 世界の一二七カ国に宣教師を送ったのは全部、攻撃を受けさせるためです。世界的反対を受けさせるためです。宣教師はアメリカ人、日本人、ドイツ人の組み合わせでした。アメリカは南北アメリカの代理であり、日本はアジアの代理であり、ドイツはヨーロッパの代理です。この三つの国の宣教師たちが世界の国々に派遣されていったのです。三人の宣教師はそれぞれに、かつての敵対国家の国民です。その怨讐同士で一つにならなくてはならないのです。これはやさしいことでしょうか? (いいえ)。そこでもし、「自分がアベルだから従順に従え」と言えば、怨讐は従うでしょうか? アベルは、カインに尽くしたあとにアベルとなるのです。互いに相手を尊重しなければなりません。尊重されるためには先に、カインとなる人に尽くすのです。誰よりも信仰心が厚く、誰よりも愛の心情が深く、誰よりも理想的であるという模範を示し、自然屈服させたあとに、カインたちのほうから、「我々の代身となって指導してください」と願われた時、「はい」と答えてアベルになれるのです。
 そうであるのに、食事の時に一番先に御飯を食べるのがアベルですか? (いいえ)。「私は食べ残りでもいい。君たちが先に食べなさい」と言うのです。休む時も「君たちは休みなさい。私はもう少し仕事をしてから休みます」と、言わなくてはならないのです。そこでカインが、「あなたは天の人です。どうぞ私たちの代表者となってください」と言ったならば、その時から御飯を先に食べてもいいし、先に寝ていいし、先に休んでもいいと言うのです。
 先に入教したからアベルであり、先に食べて良いという、そんな法はないのです。年取った人が、先に生まれたからといって天を先に知るというのですか? 統一教会の前にも、神様の前にも先に入った者がアベルではないのです。信仰においてアベルとならなければならないのであり、愛においてアベルとならなければならないのであり、理想においてアベルでなければならないのです。助けてくれず、伝道してくれなければアベルとは言えないのです。アベルは低くなければなりません。またエバの立場も低くなくてはならないのであり、アダムの立場も低くなければならないのです。これが何の話か分かりますか? (はい)。これがアダムとエバの位置です。
 カイン、アベルは一つになっていなければ、祝福は受けられないようになっているのです。その三者とは、神様とアダム・エバ、そして息子・娘です。
 皆さんも同じです。なぜ伝道するのかというと、父も子も、四位基台をもたなければならないからです。内的にも外的にも、子女が生まれれば食べさせなくてはなりません。自分の子女だけでなく、他人の子女たちも食べさせなくてはならないのであり、結婚させる準備もしなくてはなりません。ですから、各自が資金をつくることもでき、伝道することもできなくてはなりません。
 まず外的に家庭を祝福して、次は自分の息子、娘を祝福してあげるのが原理です。先生もそのようにするのです。先生も、原理があるから勝手にはできないのです。もし勝手にできるならば、私がなぜ苦労するでしょうか。皆さん、今日のこのアメリカの自由奔放な結婚を見てみなさい。祝福の意義を無視しているのです。全く許せないことです。貧しいのは嫌だとけちをつけるし、顔はきれいでなければいけないと要求するのです。どれほど頭の痛いことでしょうか。良いものは全部自分が得ようとする欲張りです。ある者は「レバレンド・ムーンとその息子、娘は良い暮らしをしているのに、我々は苦労しています」と、不平をもらしています。それは皆さんがレバレンド・ムーンを助けたのでいい暮らしをしているとでも言うのですか? 先生は血の汗を流し、世界で苦労しながら、自分の力で生活しているのです。何の話か分かりますか? (はい)。外的に先生が祝福してあげて、そして食べさせてあげて、嫁に行かせる時には、世の中のお母さんお父さんが生んでくれた以上にしてあげなければならないのはなぜでしょうか?
 三家庭以上が、先頭に立って天の祝福を受けるのを讃揚してから、内的家庭が生まれてくるのです。これが原理です。それから皆さんが、今度は「このように、我が息子、娘にも」と教えるのです。そのような自分の内的家庭として、一つになることのできる教育を教えているのです。
 そして、私がこのアメリカでは住めなくて、追い出される時、「あなただけが出ていくのです」と言うのではなく、霊的子女として共についていくのです。それは、自分が世話になったことを報いるためにです。あなたの息子、娘に対し「これこれこうだから、それを報いるためについていかなければなりません」と、言うのです。「あなたが私のために、また私たちの三家庭のために尽くしてくださったので、我々三家庭はあなたの息子、娘が結婚される時にはすべての精誠を込めて、あなたが苦労することを、我々が代わってあなた以上にしてあげたいのです」。このように報いていけば、今度は自分の息子、娘を愛することができるのです。アベルの息子、娘を愛するように、自分の子女たちを愛することができるというのです。


 アベルは目的をもって世界に伝統をもたらす者
 アベルはそのような目的をもって世界に出ることができます。伝統をもたらすのがアベルですが、その一つの希望をもって働くのです。伝統を残すためです。伝統は誰が立てなくてはならないかというと、アベルが立てなくてはなりません。アベルが、祝福家庭がです。何の話か本当に分かりますか? (はい)。それで、その復帰の基準が何かというと、僕の僕から、僕の位置、養子の位置、その次は実子の位置、父母の位置、神様の所に来るのです(黒板に書かれる)。これが統一教会の復帰の公式だというのです。
 ではこの「僕」とは何かというと、天の側からサタンの側に来た人を指すのです。サタン世界の僕の僕の位置だということを知らなくてはなりません。僕の僕から蕩減復帰しなくてはならないのです。その時、彼らは、「彼が我が家を奪いに来た」と言うのです。「主が来る時は盗人のように来る」と言うのです。サタン世界の泥棒です。それが誰ですか? (イエス様です)。皆さんもそうです。四方を見回して見て、自分がひどすぎたことを知り、息子を見るのも恥ずかしいし、お母さん、お父さんを見るのも恥ずかしいのです。また隣近所を見るのも恥ずかしく、国を見るのも恥ずかしく、世界を見るのも恥ずかしいのです。それを悟ったので屈服してきたのですね。
 皆さんはいつサタンが屈服し、いつカインが屈服するのかを知らなくてはなりません。いつ僕が屈服するのでしょうか? 隣近所で、「あいつを殺さなくてはならない。こいつ死んでしまえ」と、このように迫害されるというのです。そうしたあとで、サタンが屈服するというのです。皆さんはそのような迫害を受けたことがありますか? 皆さんは、僕の僕になってみましたか、話だけではなく、やってみたことがありますか? 「この統一教会の信者たち、みなこの位置に行け」と言ったなら、一人残らず逃げてしまうでしょう。このアメリカの者たち!
 僕の僕ですから、僕の主人がこう言うのです。「おい、お前はそこにいることはできない」と。また僕の主人は、「おい、お前のような奴はこうしなさい」と言い、僕が滅びるのを見ようとするのです。そうかというと、「おい、ああいうのを連れていけば金をもうけることもできるし、仕事をさせれば何でもできる」といって他に連れていくのです。そこでまた死ぬほど仕事をさせ、金もうけをするためのありとあらゆることをさせるのです。
 また僕に仕事をさせて、牛を買い、土地を買い、いろんなものを買ったということがみな噂となり、「あれは僕が来てから全部つくったのであって、主人がつくったのではない。この主人を殺せ、殺せ」というほどの噂が立った時に初めて、「これは汗代として」と言ってくれるようになるのです。そのようにして、養子の座に行くことができるのです。
 そうすることで、自分の贈物をもって初めて天の前に祭祀を捧げることのできる位置に立つので、養子圏内に行くことができるのです。その養子の立場で祭物を供える時、サタンの讒訴できる何らの条件もないのです。養子とはどういう位置なのか分かりましたか? 皆さんが祝福を受けるのは養子としてなのです。
 祝福され、次にはたくさんの財産を得ますが、その財産は自分のために得るのではありません。来たるべきメシヤ、アベルのために得るのです。養子になってから、“自分のために稼いだものだ。自分のものだ”と考える人は、絶対に天の国の、息子、娘の位置に立つことはできないということを考えなくてはなりません。息子、娘として迎えられないというのです。これが皆さんが行くべき道だというのです。話だけでなく、行かなければならない道だというのです。
 そして、養子圏を中心にして、家庭をつくり、国家をつくり、世界をつくったので、神の真の息子として立ったのです。これが養子圏内の神側の僕です。これを世界的につくったのがユダヤ教であり、キリスト教でした。また、これは天の側の天使です。僕は天使長側ですから、カインの側です。天の側のカインです。
 皆さんはどのような位置にいるかを知って、七〇年代を越えなくてはなりません。皆さんは今どの位置にいますか? サタン側でこういうことをすべて成して、僕として仕えたことを世界が知り、「ひどすぎる」と噂され、「ムーニーが何の悪いことをしたのか」と味方してくれる人をもったのですか? 今や「レバレンド・ムーンが何の悪いことをしたのか」と言われる、今そういう時が来たのです。何の話か分かりますか? (はい)。
 ここを通過せずしては結婚生活はできません。子供を生むことはできません。その十字架を背負っていく時には、その息子、娘を苦労させなくてはならないからです。ですから終わりの日には子をはらんだ女が罪になるというようになっているのです。養子の位置を経て、息子、娘にならなければ結婚できないために、独身生活をしなくてはならないのです。新郎、新婦もみな独身生活をしなければならないのです。五色民族が独身生活を強調するのは、蕩減条件を埋めるためです。そこで、宗教家はみな独身生活をしなければならないのです。この僕の僕の座を経ていく時に妻がいれば、どれほど気が重いことでしょうか。子供がいればつらく、その苦難を耐えられるでしょうか。どれほど耐え難い苦痛でしょうか。


 神様の理想的文化圏を中心とするレバレンド・ムーンの歩み
 それで、レバレンド・ムーンは生まれて今日まで何をしてきたかというと、この養子圏を中心として、僕の僕から耐え難い苦痛を経て、養子の道理、特権を賦与される恵沢を受けたのです。それでは、レバレンド・ムーンはどのようにその権利を受けたのでしょうか? サタンと天から、蕩減復帰をしてサインを受けたというのです。世界を代表した戦いで、個人的勝利、家庭的勝利、氏族的勝利、民族的勝利、国家的勝利、世界的勝利のサインを受けてきたのです。二〇〇〇年の間、また数千年の間の歴史を連結させ、その収拾をみな終えたのです。
 この意味を知るだけでもどれほど大変なことか分からないのに、それを成し遂げることはどれほど気が遠くなるようなことでしょうか? しかしこれを成就しなくてはならないのです。これをレバレンド・ムーンが一生捧げて、今までやってきたことなのです。
 そのため、レバレンド・ムーン自身は天の国の伝統と、自分の伝統を立てるために、神様が立てようとなさる理想的文化圏を中心にして、不信の息子になるまいと、それこそ身を震わせながら父母様の理想天国、天国理念を失敗してはならないと、いかなる立場に立ってもこの仕事を越えてから死ななくてはならないと、そのような努力をしてきたのです。
 サタンの全勢力を相手にして、個人的に打たれて、サタンをノックアウトさせれば、次に家庭的に打ってくるのです。家庭的にノックアウトして、氏族的にノックアウトして、国に打たれ、世界に打たれ、それで六〇年代でお母様をお迎えすることになったのです。それでお母様も絶対服従するのです。お母様は今まで、この道を築いてきたのです。女性は何も言わず、絶対服従するものです。
 二十年の間、このように迫害されながら一次七年路程、二次七年路程と、自らの家庭を犠牲にして、子供たちを全部外に出して苦労させなくてはなりませんでした。その次は統一教会全体を苦労させるのです。統一教会でも祝福家庭を前線に出して苦労させなくてはならないのです。それには不平を言ってはならないのです。アメリカだけでもなく、韓国だけでもなく、日本だけでもありません。それは伝統なのです。
 堕落はエバが神様を否定し、夫を否定し、息子を否定したのです。ですから天の側の子供と夫を全部否定していかなくてはならないのです。これを知らなくてはなりません。それで、自分の夫や子供たちにも「行きなさい」と言うのです。そしてどこへ行くかというと、一番苦しい所、一番遠い所に行くのです。そしてそれに不平を言ってはいけないのです。このエバのために、自分も苦労をし、イエス様も亡くなり、聖徒たちがみな犠牲になってきたのです。先生は原理の伝統を立てているのです。それを成すべきでしょうか、どうでしょうか?
 では、先生は個人としてどのように準備したのでしょうか? 神様の息子、娘としてのアダムとエバが堕落したことによって、全霊界が散り散りに分かれてしまい、すべての秩序が乱れてしまったために、霊界の分裂を付合させなくてはならなかったのです。アダムの伝統に基づく霊界として、統一しなくてはならなかったのです。何の話か分かりますか?
 堕落はどこで始まったかというと、霊界においてです。ですから統一的な約束を神様と結び、地上に来て迫害される中で構成されていく統一的な家庭を経ることで、霊界の統一も展開するのです。先に霊的な世界で、皆さんたちは公認を受けて来なくてはならず、神様のサインを受けて来なくてはならないのです。
 それで誰が一番先にその霊界に行くかというと、堕落に対し相反的な結論になるのです。それはアダムだというのです。永遠なる信義の人、永遠なる愛の人、永遠なる天の人としてのアダムなのです。そしてこの地上でもつれたものを次々と解くのです。そのもつれはどこから始まったかというと、家庭からです。それで統一教会は家庭から解かなくてはならないのです。それが問題です。
 そのために妻は夫を天の人として信じるのです。絶対に信任しなくてはならないのです。白人であろうと黒人であろうと信じるのです。それでこそ、その二人の間の愛は引き離すことができないものであり、神様も国家も引き離すことができないものです。また、サタンも引き離すことのできない、先生も引き離すことができないものです。そのような愛で夫に従っていくのです。夫が妻について行けば打たれるのです。夫がつれて行けない時、妻は「私のために強く雄々しくあってください」と激励しなくてはならないのです。夫は自分の力で乗り越え、そして妻を引き上げるのです。そのような道を先生の家庭が行ったのです。どのような複雑な環境にいたとしても、その原則は守っていかなくてはならないのです。
 お父さんと夫を見てみる時に、夫よりもお父さんに仕えるほうがたやすいのです。ですから夫は、「私を愛さなくても、私から離れても神様をより愛さなければなりません」と、そう言わなくてはなりません。それはなぜかというと、完全なる神様の愛を体験するためです。完全なる天の愛をエバが受けるためです。神様が、神様の愛に加えて、夫の愛プラス息子の愛で私を愛してくれるのです。そのような人が神のもとへ来れるのです。そうせずしては来られないというのです。分かりますか? もし皆さんが夫から、「あなたは私をどれだけ愛していますか」と尋ねられた時、「神様よりも、息子、娘よりも、誰よりもあなたを愛します」と言うのがいいですか、「あなたを夫として愛します」と言ったほうがいいのですか? ですから、レバレンド・ムーンは妻を捨て、息子を捨てて神様の所に行ったのです。しかしその神様は、私に父の愛、妻の愛、息子の愛まで与えてくださったのです。そのために、私が神様の代わりに役事してあげることができるのです。
 それでレバレンド・ムーンが世界で自慢することは何かというと、父も愛し、妻も愛し、息子・娘の三代を愛することのできる男になったということです。これが問題なのです。それでサタン世界はレバレンド・ムーンに対して飛びかかってくるので、レバレンド・ムーンの道は全部犠牲になるのです。この世にはそういうことはないのに、なぜレバレンド・ムーンだけを打つのでしょうか? それは神様をもっと愛するようにです。これが原則です。何の話か分かりますか? このことを慣例ではなく、理論で整理するのです。
 このことを皆さんに与えようとするので、父母を捨て、妻を捨て、息子、娘を捨て、家庭を捨ててきたのです。これが神様のみ旨と関連するので、生活的になさなくてはならないために、皆さんをそのような所に送り出すのです。そうすることで、先生はエバが堕落したすべての怨恨をみな払い落としたのです。神様と息子・娘時代、夫の時代、この三代にすべてに失敗したものを払い落とすのです。これが四位基台です。本然のアダム・エバの主管圏です。


 神の息子、娘になる道
 それで結婚とは何かというと、夫の愛を経て、夫よりも神様を愛するのであり、妻よりも神様を愛するのであり、息子・娘よりも神様をもっと愛することです。それが伝統になるのです。そして、天の世界を自由に飛べるようになるのです。
 統一教会の祝福を受けた家庭において、神様よりも妻に未練があり、子供に対して未練があるという時、それは引っかかるのです。それは天の側にいるのでなく、サタン側にあるというのです。霊界も、神様以上に家庭を愛して行ったならば、天国の門も閉まってしまうのです。「お前は誰を一番愛したのか?」と。ですからイエス様も、「私の弟子になるためには、誰よりも私を愛さなければならない」と言ったのです。このことを誰もこれまで説明できなかったのです。皆さんはこのことを誰によって学んだのですか? (先生によってです)。レバレンド・ムーンによってです。このレバレンド・ムーンがそういう人であることを誰も知らないのです。皆さんも知らないでいたのですね。
 これらを全部知ってみた時に、自分は今まで統一教会の信者として本物であったのか、偽り者であったのか? (偽り者です)。自分は果たして統一教会の人か、サタン世界の人か、天の側の人かというのです。自分自身で確実に分かるでしょう? (はい)。
 五時間たちましたね。きょうは一番重要な話をしたのです。この話はアメリカ大統領の就任式でする演説よりも、ずっと重要であることを知らなければなりません。「この席で私は眠ってしまった」「家で眠ってしまっていた」という人は、その看板が霊界に行っても、ちゃんとくっついているのです。
 神様の息子・娘になることはたやすいことでしょうか? アメリカの大統領になることも難しいのに、韓国の大統領になることも難しいのに、神様の息子になることはやさしいことでしょうか? これは歴史上一番難しいことです。こういうことを聞くだけでも、きょうはレバレンド・ムーンに何千回感謝しても行かなくてはならないことです。
 このような重要な話をどうして知ることができたのでしょうか? どこかのコンサイスに記録されていたのでしょうか、図書館の本棚にあったのでしょうか? 皆さんは、先生がそれを何をもって知り得たのか分かっていないのです。私が神様の心臓の上で原子爆弾のような大砲を、五〇〇発ぐらい撃ったので、それが得られたとでも思うのですか? 世界を遊覧しながら、自分勝手にそういうことができたとでも思いますか? (いいえ)。徹底して研究して現代の知性人たちにも理解することのできる本を作ったということを考えると、「偉大だ」と言うのです。これは神様も今までできなかったことです。ですから、神様の心情を中心にして、霊界に行った数千億の人たちが、「レバレンド・ムーンは偉大なる先生であり、我々が知らなかった天の心情を教える先生だ」と言うのです。
 皆さんは、先生に対してどのように考えていますか? 別に大したこともなく、聖日に出てきて説教をしてくれるくらいの先生だとでも思うのですか? その背後の何たるかを知っているのでしょうか?
 先生は行けば行くほど、もっともっと新しい話をするのです。それでお母様も先生が好きで従ってくるのです。神の息子の責任を果たすために、こういうことを知ったのです。息子になることのできる使命を果たして、息子として初めからそのような座に行ったのでなく、この世で一番悲惨な、野良犬が行くような道を歩んできたのです。この道を僕の僕から築いてきたということが、「偉大だ」と言うのです。それを知らなくてはなりません。
 僕の僕。その務めを私は果たしたのです。私は僕となって道を開き、養子へと開いてきたのです。キリスト教の牧師、博士といわれる人たちに、天で使える者が一人もいないので、私が責任を負ってやってきたのです。
「僕の僕という話をする時は、私のことを言っているのです。僕という話は私のことを言っているのです。また養子の話は他人の話ではなく、私のことを言っているのです。さらに息子として仕えたという話は、他人の話をしているのでなく私のことです」と。神様の心情を知っているため、そのようにするのが息子の行くべき孝誠の道理として考えたために、こういう道を経てきたのです。


 神様の前に絶対に不平のない統一教会の伝統
 神様の息子の位置で、私は養子になり、たとえ僕の僕の位置で死んだとしても、私は息子の位置でかつて死んだ人以上に、その人に尽くしたのです。ですから、見えないサタンも讒訴できないのです。「神様の息子がどうしてこのような位置にまで降りて来てこんなことをするのか?」などとは言えないのです。僕の僕の道は、私が願って行ったのです。イエス様がゲッセマネの丘で三回の祈祷をする時、「この杯を私から過ぎ去らせてください」と言いましたが、私は僕の位置に行っても、そのように祈祷することができませんでした。「私は自ら願ってこの杯を飲みます。たとえ僕の僕の位置で死んだとしても、お父様の願い以上の位置で死んでいきます」と祈ったのです。
 先生ですらこのような道を歩んできたのに、皆さんは何を望むのですか? 神様の息子、娘になるというのですか? たとえ神様の僕の僕になり、何千倍尽くして死んだとしても、神の前に不平を言えないのです。それが統一教会において受け継がなくてはならない伝統であると私は考えるのです。何の話か分かりますか? 私たちは天の前に不平が言えるのですか? 私はありとあらゆる悔しい目に遭っても、私は不平を言ったことがありません。私はどういう所に置かれても、「神様、私をどうしてこのような所に送ったのですか?」とは言いませんでした。手錠をかけられて監獄に入っても、「神様、私をどうしてこのような道に送るのですか。息子に栄光の座を約束したのに、これは何ですか?」と言うのではなく、「あなたの心情はいかばかりでしょうか?」と祈るのです。何の話か分かりますか? (はい)。
 皆さんは、苦しければ「苦しい」と言い、寝なければ「眠たい」と言い、食べなければ「おなかが空いた」と言い、寒ければ「寒い」と言える、そういう位置に立っているのです。おなかを空かし、寒さに震え、休むことのできない人を見つめる神様が、どれほど悲惨であるかということを知っていますか? それを知らなくてはなりません。
 そうであるために、神様がいるとすれば、レバレンド・ムーンを愛さなければならないようになっているのです。ですからレバレンド・ムーンが苦労の道を行くとすれば、神はいつも友人をつくってくれたのであり、慰労の対象をつくってくれたのです。険しい道では食事を用意して待っている人がおり、車に乗って行かなくてはならないのに歩いていこうとすれば、車を用意してくれる人がいたりしたのです。話そうと思えば、謎めいた出来事が数え切れないほどたくさんあるのです。そのようなことが起こるたびに私は、「この責任を果たさない男に対して、天はこれほどまでに助けてくださるのか、私は死に値する罪を犯しました」と、このようにしてきたのです。「死なんとするものは生きる」と、先生は一生の間そのような道を歩み、今日まで生きてきたというのに、皆さんは何年間苦労してきたというのですか? 神様はこの歴史を、このあと一〇〇〇年をおいて復帰しなければならないというのに、その神様のみ旨を考えてみる時、私たちが不平を言うことかできるでしようか?


 「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」
 きょうは、一九七九年最後の聖日です。八〇年代に向かって越えていく前日です。怨恨多い七〇年代は過ぎ去り、希望に満ちた新しい八〇年代に向かって越えていかなくてはならない今、世界でレバレンド・ムーンを知らない人はいません。一度であっても、レバレンド・ムーンの話を聞いたことがないという人はいません。みな聞いているはずです。レバレンド・ムーンを知らない人は、この世のことも知らない、新聞も見ない、ラジオも聞かない人たちです。国に関心がなく、この世に関心のない人たちです。しかしそれほど悪い人たちなのに、滅びるはずなのに、今も残っているということを考える時、それは一度訪ねて行くべき人々ではないでしょうか? ですから足が腫れても、かたわになるまで訪ねて行って話をするのです。
 皆さんが行き、反対されて、悪口を言われながらも、監獄に行くほどに皆さんが州や町や村の人々すべてに話せば、彼らはもう知らなかったとは言えないのです。そのようにして、伝道のパンフレットを配って歩くのです。そして迫害され追われる人に一円を恵んだことが、千万金を与えたよりも、もっと神様が心に留められるために、その人を忘れられなくなるのです。金持ちには絶対にムーニーを後援する人はいません。黒人たちと貧しいスパニッシュたちしかムーニーを後援しません。
 ムーニーは次第に大きくなり、良い暮らしをしているアメリカの人たちよりも、もっと繁栄することでしょう。何の話か分かりますか? (はい)。しかし、私たちは栄光なるこの富と祝福を神様のみ前に返すのです。私たちは涙とともに感謝するのです。自慢して感謝するのでなく、涙で永遠なる神様にすべてを返すのです。かつてレバレンド・ムーンは、金もなくて夕食なしで生活したのです。すべては天のものです。私のためのものであれば、既に使ってしまっているでしょう。ですからこれら全部を、誰か引き受けてくれればいいと思っています。(笑い)
 私がどこかに出張する時は、有名な食堂には行かず、マクドナルドの店によく行ったものです。「あの人はレバレンド・ムーンに似ているけれど、まさかレバレンド・ムーンがこんな所に来るはずがない」と。レバレンド・ムーンに似ている人が来ていると思うのであって、この人がレバレンド・ムーンだとは夢にも思えないのです。(笑い) 私が世論調査のためにラスベガスに行っても、レバレンド・ムーンとよく似た人が現れたと言って、レバレンド・ムーンとは考えられないのです。
 先生はこの世を知り尽くしているのです。何の話か分かりますか? 知らないことがないのです。キャバレーの背後がどのようになっており、マフィアの背後がどのようになっており、麻薬組織がどうなっていて、共産党の背後がどうなっているのかを知らなければなりません。
 先生は、何をしていても自然のように見えるでしょう? (はい)。先生は山に行けば即座に山の人になるのです。海に行けば海の人に、農村に行けば農夫になるのです。学者の世界に行けば学者になり、どんな学者をも相手に理論を語り合うのです。(拍手) 先生はやらないことがありません。乞食にすらなってみたのです。ござに座り、寝る時、「神様の息子はこのように寝ます」と。これはどれほど詩的なことでしょうか。
 このような天の事情を皆さんは先生から学ばなくてはならないのです。先生が話す時、皆さんはひっくり返って逃げようとして、「私は聞くのは好きですが、行動は嫌です」と言いませんか? 話を続けますか? (はい)。
 先生は皆さんよりも、ソ連にいる地下運動の人たちに対し、また共産主義の衛星国家で地下運動をする者たちに話してあげているつもりです。皆さんと先生との間にどれほど遠い距離があるかということを知らなくてはなりません。苦労を感謝し、自ら死へ進むその道のみが自由に語ることのできる環境をつくれるのです。それは、私がその同じ立場を通過したから分かるのです。皆さんに苦労させるのは、そのような事情をみな知っているからです。アメリカのメンバーは、日本の食口の心情基準からはまだ格差があります。また、韓国で先生が通過したことを分かっていないのです。
 さあ、そのように、養子になる道は難しいのです。さらに、息子になる道はどれほど難しいことでしょうか、父母となる道がどれほど難しいことでしょうか? それを知らなくてはなりません。天が立てた息子になり、父母になろうとすれば、天の国の法度と地の法度を取得しなければなりません。ですから天の法度と地の法度を先生がつくって宣言したのです。ところが、この世が私について歩調を合わせないために、私一人ででも歩まなくてはならないのです。そうしながら、「神様、私がこの仕事に責任をもちますから、私に少しだけの時間をください。少しだけ待ってください。そうすれば私がアメリカで、今までの十倍の力でこの仕事を完成させます」と祈るのです。
 そうすれば、みな越えて行けるのです。それがアベルの行く道です。摂理的歴史観です。そのような道を行って、神の息子、娘になりますか? (はい)。それはとても難かしい道です。私が泣きながら生きてきた場であり、私が泣きながら生きてきた位置なのです。その道においては、目と口は閉じなければなりませんでした。ですから「目を閉じろ、口を閉じろ」と言うのです。
 皆さん、ハーバード大学に入ると、卒業の合格点を取ることはどれほど難しいことでしょうか? 泣きながらでも勉強しなければなりません。降りることはできないのです。それが運命です。その合格点を取らなくてはならないのです。先生もこの道に合格するためには、雨が降ろうと雪が降ろうと、男としての若き青春時代をかけて、一生をみな水泡に帰したつもりでやってきたのです。
 誰もアベルの歴史がこんなに難しいものとは、夢にも思わなかったというのです。今日の宗教家たちはただ盲目的に信じて、天国に行けると言うのです。そんな人は、私とは千里万里の距離があります。
 皆さんはそのようなレバレンド・ムーンを必要とするのですか? (はい)。私から学位を受けるのは難しいことですが、そのような伝統的な者になりますか、それともいい加減な者になりますか? (伝統的な者になります)。みな落第です。落第者たちです。中途でみな挫折してパスできなかったのです。皆さんはマイクも落ちていったその道を行けると思うのですか?
 私はマイクを愛し、アメリカの責任者にしようと思って育てたのに落第したのです。皆さんにはそういうことも考えていないのについてくるのですか? (はい)。ではやってみなさい。卒業の時が近づくほど、より難しくなるのです。先に統一教会に入って十年たったという人たちは、落第するでしょうか。前進するでしょうか、どちらですか? やってみますか。それとも適当に様子を伺いながら、遊びながら、ディスコにも行って、バンケットにも行って、リゾートホテルにも行って、人のすることをみなやりながら行くのですか、それとも「ええい、どうにでもなれ」と言って、手鍵をはめられ監獄の鉄格子の中に入っても、早く越えるほうを取るのですか?
 いったい全体レバレンド・ムーンは何の命令をするというのでしょうか? それはやったとしても死ねという命令しかないのですから、私は早く死ぬ場に行ったほうがいいというのです。そうすればみな済むのです。簡単です。それで、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」と言うのです。簡単だというのです。実践をして御飯も食べず、休まないし寝ないのです。それで死んだとすれば、その人は生き返るというのです。


 ホームチャーチの方法
 そして伝道においても、「ひと月に一人伝道では少ない、毎日一人を伝道する」と言って、それで伝道に行って死んだとすれば、霊界が「どこそこで人が死んだから、お前が行って生かしてあげなさい」と働くのです。十二人が集まってきてその人のために泣くのです。そして「我々があなたの代わりをします」と言って、先頭に立つようになるのです。分かりますか?
 ですからホームチャーチはどれほど大切なことでしょうか。ホームチャーチに行って、「反対する人よ出てこい。サタンよ出てこい。白人であろうと、黒人であろうと、スパニッシュであろうと、東洋人であろうと、出てこい。一度に勝負しよう!」と言うのです。(笑い) どうですか、ホームチャーチをするのに、参考になるでしょう。
 ラッパも吹いてみるのです。その次は近所を一回りしてみるのです。夜はろうそくに火をつけて、一回りしてみるのです。「あなた何をしているのですか?」と聞く人に、「あなたのお父さんお母さんに会わせてください」と言えば、「私の家に行きましょう」と、自然に話ができるようになるのです。そして家に行き、「あなたの息子さんが私を誘ったので来ました」と言えばいいのです。また歌の上手な人は、美しい歌を毎日一曲ずつ歌ってあげるのです。心情を込めて涙を流しながら歌うのです。何も言わずにそのように、一カ月だけやってみなさい。
 その次は、車を一台借りるのです。ニューヨークではゴミが問題になっているので、袋にゴミを全部入れて捨ててきてあげれば、一カ月、二カ月ぐらいたつと、「お金を出しましょう」「私はお金はいりません」「では昼食でもひとつ招待しましょう。夕食を家で接待します」ということになるのです。そこで、「あなたの家はどこですか?」「私には家がありません。私はドン・キホーテのような人間です」。そうすると、食事をさせてくれ、宿泊もさせてくれるでしょう。そのように大事にしてくれるのです。また、小説や詩の好きな人は、「文学が好きですか?」と、文学や詩の勉強をしたい学生に教えてあげるのです。
 おなかが空いた時に、おじいさん、おばあさんに会ったら、「私に御飯を食べさせてください。私のおじいさん、おばあさんは、私がおなかが空いたといえばよく御飯を食べさせてくれました。あなた方は私のおばあさん、おじいさんのようです。私にひとつ昼御飯を食べさせてください」。そうすることに何の問題があるでしょうか。そうして関係を結ぶのです。そして次の日には、カステラでも一箱買って、「人情があり、心が広い、あなたのようなおばあさんにお会いしたいと天に祈っていたのです。おばあさんにおいしいカステラを一箱買ってきました」と言うと、「やあ、若いけれど、うちの孫より立派だ」と、そのようになるのです。そのようにして親しくなっていくのです。そして、その次は茶箪笥を開けて、「これは何ですか。私がきれいにしてあげましょう」と、さっさと掃除をしてあげるのです。すると、「あれ、いつの間に片付けてくれたのか、これこのように青年がしてくれました」と。これでいいのです。これを一日、五分ずつでもやればいいのです。
 また、ある家を五回訪ねたところ、この家の主人が目をつり上げて、「このムーニー!」と言っても、それを「よしっ」と、こらえるのです。それを隣近所の人たちがみな見ているのです。そして、「そのムーニーが泥棒でもしたのか?」となるのです。そこで主人に「あなたは、どうしてムーニーを嫌がるのですか、どんな理由でいじめるのですか?」と、言うのです。(笑い) そして「あなたはムーニーの十分の一にも値しない。ムーニーとはこういう人だ。迫害を受けながら、この国のために尽くし、反対する人を愛でもってカバーするのです」と、近所の人たちが証せば、すべてが終わるのです。
「神様、もう私がムーニーとしての資格ができていますか?」と祈祷して、神様が「できている。しかし、一度ひどいめに遭わせてあげよう」と言うのです。そうして出かけて一度やっつけられてみるのです。すると隣近所の人が、「なぜ罪のない人を、そのようにするのか!」と、ムーニーの味方になるのです。そして、「ムーニーは本当にいい人だなあ。一度行って相談してみよう」と言い出す時、その人は復帰されるのです。毎日訪ねていくことも、劇的にするのです。
 皆さんが七回以上ないがしろにされれば、その家の娘、妻、全部が皆さんの味方になるのです。「あなたの性格には私たちも苦しめられてきました。私はムーニーの味方をします」と言いながら、味方になってくれるのです。
 クリスマスの時などには、飴菓子を一袋買って、サンタクロースの服を着て行くのです。そうすると近所の人たちが集まってくるでしょう。そこで、「飴菓子をあげるから、みんな来てください」と言って、配ってあげるのです。そうしたあとに、サンタクロースの服を脱いでみせると、「あっ、ムーニーだったのか」と、一遍にその隣近所の人々の主人になれるのです。そして、この地域の人々はどうであり、誰々はどうであり、どういう人が福を受け、どういう人が罰を受けるかが全部分かるようになるのです。そこで全部救わずにはいられなくなるのです。


 アベルは大胆でなければならない
 そして三六〇軒の人たちのことを日記につければ、それは必ず残るでしょうし、それが皆さんの財産になるのです。お父さん、お母さんは悪口を言ったのに、息子、娘たちはついてくるのです。そして三十年たてば世代が代わるのです。そういう考え方をしなくてはなりません。アベルは大胆でなければなりません。預言者は大胆でなければなりません。レバレンド・ムーンは大胆ですか? (はい)。
 私はカーター大統領の悪口を言ってもいないのに、悪口を言われているのです。「アメリカに火がついているので、私は消防士として来た、病気になっているから医者として来た、若い人たちを全部救うために来た」と言っているのに、「そういうことは必要ない。聞きたくない」と言うのですか? そのようなことですから、父母を嫌うアメリカの息子、娘たちは、全部レバレンド・ムーンのほうに傾いてくるのです。
「ムーニーはどうだ」とか、「統一教会が何だ」とか言い過ぎた人、良心に呵責がある人、また、「良くやった」と言う人、原理のみ言を聞いて喜ぶ人など、次々と問題が起き、それが継続するほど良いことが生じてくるのです。十年もたつと、ムーニーは良いということを知り、あまりにも反対し過ぎたので悔い改めなくてはならないと、ムーニーがアラスカに住んでいたとしても、飛行機に乗って訪ねて来るということも起こるのです。それを体験したことがありますか? 十年、二十年後に原理を聞いて悔い改めて訪ねて来るのです。歴史がそのようになるのです。
 この前、私が旅行していた時、飛行機の中である人が、「今まで、レバレンド・ムーンや統一教会が一番嫌いだったが、良いことが分かったので悔い改めます」と言うのです。そういうことが多く起こってくるのです。そのような時はどれほど慰労となり、誇りとなることでしょうか。
 それで皆さんは、カイン・ブロックをもっていますか、どうですか? 皆さんたちは何ですか? (アベルです)。先生がアベルとして皆さんを認定してあげるからです。ですから皆さんは、「私はカインです」と人々が言えるように、導かなくてはなりません。「私の家庭はカインであり、あなたの家庭はアベルです」と言う家庭を、約十二軒つくって巡回に行くのです。それはどれほどいいことでしょうか。電話が鳴れば、「どこどこに行って、私の代わりをしなければなりません」。「はい、はい」ということになるのです。そうなればどんなに素晴らしいことでしょう。
「三年前にはムーニーたちは八十人くらいだったのに、今はこんなにも増えました。ムーニーの活動は素晴らしい! 私も一度そうしてみよう」と、言われるようになれば、どれほど発展的なことでしょう。
 近所の人々は皆さんをどのように言っていますか? 人々の中には、「私はこの地域の百万長者であり、どんな高い地位の人も私より低い」と言う人がいませんか? しかしこれからレバレンド・ムーンが、「アラスカへ」と言えばアラスカに行き、「どこどこへ」と言えば全部、海外でも飛行機で飛んでいくでしょう。いつでもそうするでしょう。そのようになれば、「レバレンド・ムーンは悪口を言われてきたのに、本当にうらやましい」と、アメリカの人々が言うことでしょう。またアメリカの事業家たちや、大きな組織をもって何かをやってみようという人もそれを見て、「レバレンド・ムーンはうらやましい」と言うことでしょう。
 皆さんを見る時もそうでしょう。「我々が仕事をするのは、レバレンド・ムーンのためであり、世界のためである」と言うのを人々が聞いた時には、「お前はレバレンド・ムーンの僕か?」と言うのですが、「私は、世界のためにやるのです」と答えれば、それは、どんなに素晴らしいことでしょうか。そこで「やあ、立派な仕事をしている」。そうなるのです。レバレンド・ムーンのためにするのでなく、世界と神様のためにするということは、どれほど素晴らしいことでしょうか。
 命令はレバレンド・ムーンがしたのに、世界のためにすると言うそのことを考えてみなさい。それはどんなに素晴らしいことでしょうか。「レバレンド・ムーンは今はもう年も六十歳になったのだから、間もなく死ぬ。しかし死んだとしても、これらの者は残るのだ。だから世界はこれから先、全部レバレンド・ムーンの思いどおりになるに違いない。いつまでも反対するのはやめよう」。そのように考えるというのです。


 「自分の十字架を負うて、私に従ってきなさい」
 それでこれから先も、台風のようなレバレンド・ムーンの悪口をみな良い意味で聞くというのです。それを何よりもの趣味とするのが、アベルの行く道なのです。それが運命です。私たちが行かなければならない運命の道なのです。どうせ鞭で打たれるなら、虐待を受ける時に一遍に受けてしまうことです。これを残して、延期して受けるならば、一〇〇日打たれても終わらないのです。
 三次七年路程は何かというと、二〇〇〇年間打たれるべきものを、二十年間で打たれたことなのです。打ってみた結果、自分たちは地獄の中にいるのです。ですから二億四〇〇〇万の国民を代表する大統領をはじめ、すべてが悔い改めなくてはならないのです。悔い改めながら、レバレンド・ムーンに、「あなたの言うことを聞いて、何の仕事でもいたします」と言うようになるのです。「それは自由世界を屈服させ、共産世界までも、既成教会までも全部屈服させることのできる準備だったのですか、それは素晴らしい!」と言うのです。
 このように、アベルの行く道とは、アベルになるために、アベルとして承認を受けるために行く道なのです。もし地上でできなければ、天国の霊界に行ってからでも、間違いなくするようになるのです。千倍、万倍も霊界では悔い改めなければなりません。
 この世だけを考えるとすれば、みな嫌になるに違いありません。しかしこのことは永遠なる世界に、一〇〇年、一〇〇〇年、万年が過ぎても、ムーニーたちの誇ることができるものです。迫害した人の後孫が残っている限り、統一教会は滅びません。天は滅ぼすことはできないのです。迫害を受けて私が死ぬとすれば、そこは公園になるでしょうし、ハイウェイが通って、一〇〇〇年、万年たてば、参拝する人々がどんどん多くなるのです。
 今日、レバレンド・ムーンが話していることは、世界の文献の中に、歴史的に残されるということを知らなくてはなりません。歴史の中に消すことのできない事件として残される話だということを、皆さんは知らなくてはなりません。必ず世界の図書館に保管されるようになるのです。これから数多くの国、数多くの民族に覚えられるのです。ムーニーはそのような希望をもって生きるのです。
 それでは、皆さん、「アベルの正道」を歩みますか? (はい)。では皆さんは、アメリカに対する十字架を背負い、自由世界と共産世界の十字架を背負うことができますか? その答えは何ですか? イエス様もそう言ったでしょう。「自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」と。アベルが行く道についていくためには、自らの十字架を背負っていかなくてはならないのです。
 若い人で、「私は若い時代に成功しよう」と言う人は、絶対にアベルの仕事はできません。あるいは壮年たちが、「私は壮年だから」と言っては駄目です。一〇〇〇年後に、何百年かののちに、永遠なる世界において成功しようとしなければならないのです。神様の前に行った時、「ああ、お前が来たのか」と言われる人になるのか、「さあ早くおいで!」と喜んで迎えてもらえる人になるのか、あるいは涙を流しながら、「お前は本当にそんなに苦労したのか」と言われる人になるのか、どんな人になるのですか? レバレンド・ムーンは皆さんが涙でもって迎えられることを考えているのです。その時には、神様ばかりでなく、霊界にいるすべての霊人たちが涙を流しながら迎えてくれるというのです。そのようにして霊界に行けば、アメリカで迫害したアメリカ全土の霊人たちが、迎えるようになるでしょう。
 皆さんは、神様の前にどのような立場で行きますか? 神様に迎えられる準備をし、すべての霊界を従えて、涙で迎えられる息子、娘になりますか、それとも僕を使って迎えられる、そのような息子、娘になりますか? レバレンド・ムーンは、皆さんを神様から、すべての霊界から、涙を流して歓迎されるそのような人にしようとしているのです。皆さんが霊界に行ったとすれば、「ああ! うちの誰それの息子、娘が来る」と言って、皆さんを歓迎するようになることが、先生の願いです。それはやさしいことですか? (いいえ)。
 それはどれほど難しいことでしょうか。その涙の一筋は、神様の涙と、すべての聖人たちの涙と、先生の涙と、皆さんたちの涙が、一つになって、太陽に向かって、永遠な世界へ向かって、列をなして昇っていかなければならないのです。そして、神様の喜びがあるなら、その喜びはいつでも皆さんの喜びになるのです。そのような世界に連れていこうとしているのです。


 霊界とはどのような所か
 霊界はどのような所なのか、少しの間話をしましょう。霊界の話をすると、精神病者のようになるから、今まであまり話さなかったのです。
 神様の心情と同参し、同級に立つことのできる心情をもつことができれば何事も可能な世界なのです。これから先、ムーニーが何千万になったとしても、「君たちみな新しい服に着替えなさい」と一言いえば、さっと新しい服にみな着替えられるのです。そして、「バンケットの場所に行け」と言えば、すぐに行けるのです。レバレン・ムーンが、金と銀と五色の絢爛とした装飾の中に座わって、テーブルや椅子も素晴らしく、そこに座わったすべての人たちは、歓喜の愛の中に酔って踊りを踊ることでしょう。その喜びは、一〇〇〇年踊っても疲れることがないというのです。
 ムーニーたちがいかに苦労したとしても、そのもっていた理想を成就して余りある世界なのです。この世のことはすべて、このような道を行くためのものです。先生と一緒にそこに行きたいですか? (はい)。その「はい」がやさしくないのです。
 皆さんは、信じてそこへ行こうとするのでしょうが、先生は信じるのではなく、それを知っているのです。ですからどれほど真剣だったことでしょうか。それで、霊通人たちはみな先生の弟子なのです。そのような真理を、先生が実力で明かしたということを知らなくてはなりません。それで、その世界では既に話す前に内容が分かるのです。考えだけで、皆さんがオペラ歌手になりたければ、オペラ歌手になれるのです。詩人になろうと思えば詩人になり、文学者になろうと思えば文学者になれるのです。心情の世界に通じれば、何にでもなれるのです。
 アベルの世界も、千層、万層と訓練の階段があって、みな十字架の道を行き、統一教会の承認を受けて、一段、一段と上っていくのです。
 文化は一つになることができるのです。アメリカ人であろうと、東洋人であろうと、この世のすべての人がこの道を行くのです。先生が知ってみると、そうだったので、皆さんも行けるのです。先生はそのような経験をこれまで話したことがありましたか? 皆さんには、話そうにも話せないのです。もし話せば、「レバレンド・ムーンは狂った話をしている」と言うはずです。
 我々は、その世界に拍子を合わせるための準備をしているのです。何の話か分かりますか? このような背景を知るならば、皆さんは、レバレンド・ムーンを疑うことなく、ただ信じるのみであるというのです。先生はそのような基盤を築いたのです。死ねばその世界に行くのです。そのような考えをもっているのです。死を超越し、死ぬことを恐れる先生ではないのです。
 私は死ぬようなことがあっても、私の心情が生きている限り、私を殺すことはできないのです。私は霊界に行ってから、この心情に接ぎ木するのです。サタンに「お前が神様の心情圏を犯した。お前の心情圏は侵犯できても、神様の心情圏は侵犯することができない」と言ったのです。そして、サタン世界の心情圏を主管したのです。もはやサタンは天の心情圏を主管することはできないのです。サタンが私を殺そうとする日には、私は神の愛の心情圏内に入って、一遍に一つになってしまうのです。
 サタン世界の中において、この心情圏を中心にすべての心情を同化させれば、この世界全体を同化できるのです。そうして、天国の王宮に入る時には、東西南北の、十二真珠門のどの門を通ってもよいというのです。何の話か分かりますか? ここから入っても、こちらに出ることができ、ここから入っても、こちらに出ることができ、十二の真珠門を思いどおりに出入りすることができるのです。十二に十二を掛ければ一四四で、どこにでも合うのです。


 神様の心情圏に通じる世界
 神様の心情に通じればみな一つになることができ、どこにでも行くことができるのです。そのような段階に達したとすれば、どこに行こうと「万歳! 万歳!」と、霊人が喜んで迎えてくれるのです。そこでは、食べたければ何でも食べることができ、着たければ何でも着られるし、遊びたければいつも遊べるし、何でもしたいことを好きなようにすることができるのです。地球星で一〇〇年も住むことができず、十分味わうことのできなかった生きて余りあるすべての幸福感と、感謝を、一瞬間で感じられるのです。
 この世には、私のようにアベルの道を通して、王子のような理想を心情世界に成就する者はいません。いかなる幻想家が、いかなる妄想家が、いかなる夢想家がいたとしても、私には及ばないのです。お母様にもそのような世界は話していません。お母様もその世界を知らないのです。
 お母様は簡単なのです。お母様は神様の心情をもった唯一の夫に、神様の息子の中で一番愛する者に、「私はその方と共に、永遠に行きます」と、信じて行くのみなのです。皆さんはどうですか? 皆さんも、お母様のように従っていくのです。先生が韓国に行けば韓国に行くのです。太平洋であろうと、それを越えるのです。そこはトンネルがなければ行けませんが、霊界からは行けるのです。愛の太陽が先生です。先生がいなければ心が暗くなっておもしろくない世界です。
 きょうはもう七時間も話を聞いたのですね。時間がなければどれほどいいことでしょうか? (拍手) この部屋も、先生がいればいっぱいになるけれど、先生がいないと空っぽなのですね。(笑い)
 眠っていても、ベルベディアやイースト・ガーデンを訪ねたくなり、御飯を食べる時にも、休む時にも気になるのですね。一日の生活がそのようにならなければなりません。皆さんはそのように暮らしていますか? 会いたい人と言えば、「先生」。行きたい所と言えば、「イースト・ガーデン」。したい仕事と言えば、「先生と同じことを」と、そのようになるのです。そのような愛の紐は、誰も切ることができないというのです。先生はそれを皆さんに相続させてあげようとしているのです。これは、天下を与えられたとしても、この地球星のようなダイヤモンドをあげても買えるものではないというのです。それほどのものならば、一度やってみるだけのことはありますか? (はい)。
 皆さんの心の故郷はどこですか? 地上の本拠地がここであり、これが心の故郷なのです。その故郷で、父母の家に入れば勝手に御飯を炊いて食べてもよいし、財産も自分のものだというのです。そのような愛の紐でつながっているのです。レバレンド・ムーンは、その責任において、み旨を尊ぶならば、そのようにしてあげるというのです。これが何の話か分かりますか? (はい)。
 八〇年代はそういう世界のために行くのです。もし七年間で行けなければ、二十一年間に延長されるのです。分かりましたか? (はい)。


 アメリカの青年の使命
 アメリカは、八七年までにやるべき責任が残っているのです。その期間に、ドラッグ問題等を中心にしてアメリカは落ちるだけ落ちるでしょう。見ていなさい。教会を収拾することができないのであり、若い青年を収拾することができないのであり、共産主義を収拾することができないのです。そうして、「これはムーニーでなければ解決できない」となってくるのです。間違いなくそうなるのです。アメリカの国民がそのようになる日に、共産世界は縮まり始めるというのです。
 今に共産主義も手がつけられないほどになるために、我々はこれを収拾していく準備をするのです。そのために今から、カナン復帰を出発しなければならないのです。ソ連に入っていかなくてはならないのです。それが何の意味か分かりますか? (はい)。原理がそうなっているのです。
「レバレンド・ムーンの考えは正しい」と言う日には、どうなると思いますか? 「レバレンド・ムーンは実に偉い。若い人のためにはレバレンド・ムーンが指導者とならなければならない」「教会を生かすためにはレバレンド・ムーンが必要である」「共産党を防ぐためにはレバレンド・ムーンに従っていかなくてはならない」というような噂が、アメリカ全土に満ちた時どうなると思いますか? 考えてみなさい。
 その時は、レバレンド・ムーンは既に別の所に行っているのです。もうここにはいません。その時は皆さんが栄光を受けるようになっているのです。そうすれば、皆さんを韓国に連れていくでしょう。それは、まず韓国を一つにしなければなりません。神様のみ旨が世界的に成されないからです。分かれたものを一つにするのです。偽りの親を屈服させるのです。分かりますか? (はい)。それを誰がするかというと、皆さんがしなくてはなりません。
 アメリカは韓国に影響を与えなくてはなりません。良い意味での影響を与えて、韓半島から金日成を追い出し、ソ連の共産党を追い出すのです。韓国を中心にして世界的共産党がみなやられるようになっているのです。今やこれらが一つになって、南韓をねらっているのです。かつて、韓国動乱において世界の若者たちが血を流したのですが、彼らが復活しなくてはならないのです。その時は犬死したようになっていますが、天の聖殿のために祭物として、復活させなくてはならないのです。その流された血を、誰が偉大なる聖なる血につくり変えるかという、この問題が残っているのです。
 神様の戦争のために血を流したのですから、これから霊界の聖なる霊として解放させてあげる運動を繰り広げるのです。この怨恨を、まず地上で誰が解いてあげるのかというと、それは統一教会のアメリカの若者しかいないのです。自由世界を代表するアメリカの若者たちがしなくてはならないのです。
 期間内にできれば、血を流さずにその解放ができるが、期間が延長するほど多くの血を流さなくてはならないのです。それを防がなければ自由世界のすべての国民が、共産党の前に殺りくされ、数億の人々が血を流すことになるのです。アメリカが今のままであれば、キューバがアメリカを打たなければ、メキシコがアメリカを打つでしょう。その次には、中国にいる共産党が、カナダにいる共産党が、南米にいる共産党が打つでしょう。アメリカはアジアから撤退してはいけないのです。ベトナムから撤退したように撤退してはいけないというのです。東西戦になるのです。だから急いでいるのです。何の話か分かりますか?
 それで、アメリカの世論が「レバレンド・ムーンが好きだ」ということになれば、韓国は完全に変わってゆくのです。韓国国民が団結すれば、金日成を打つことができるのです。韓国を統一することができなければ、その日には、もう一度血を流すことになるのです。血を流さずに韓国をどのように統一するか? そのような問題があるのです。皆さんは知らないけれども、先生はそれを直視しながら、そこにも適合できる皆さんに育てていかなければならないのです。神様の心情がそうであり、先生の心情がそうであるから、皆さんの心情もそうでなくてはならないのです。今、何か勝手にできますか? 何を躊躇するのですか? 共産党の前で死ぬこと以前に、民族が滅びるだけでなく、国が滅んでしまう時です。皆さんの一人が躊躇することによって、アメリカが滅び、自由世界が滅んでもいいのですか、全世界が滅んでもいいのですか!
 これからの問題は人種戦争です。国家戦争でなく、人種戦争です。黒人対白人で戦う戦争です。「黒人の怨讐は白人だ」と。共産党がそうさせるのです。アジア人対白人の人種戦争が起きるのです。それを知らなくてはなりません。誰がそうするかというと、世界的に共産党がそのように指導するようになるというのです。それをアジアに早く教えてあげなくてはならず、アフリカを正しく導かねばなりません。回教国家を正しく導かなければなりません。一つ一つ会議を通して、共産党に踊らされるということを知らなくてはなりません。アフリカはすべて黒人世界です。そして中東を経てアジアまで広がっているのです。そして次には宗教です。「回教の怨讐はキリスト教だ」「この魁首がムーニーだ」というのです。
 人種戦争が起きれば、誰が防ぐのですか? 数的に見ればアメリカは大して多くありません。南米の三分の一にもなりません。こういうことを考える時、先生が結婚問題を中心にして、すべての人種を超越する神様の愛の祝福を教えて、愛の世界に関する指導をしなくてはなりません。それで、韓国から世界に連結しなければならないため、ヨーロッパを訪問しなければならず、アフリカを訪問しなければならず、全地球上を訪問しなければならないというのです。
 共産党が一番嫌っている統一教会ですが、民主世界から見ると、「統一教会は希望に満ちている」と、このようになっているのです。それが何の話か分かりますか? そのような歴史的な転換が、歴史的な運命が我々の前に迫っているのです。これを乗り越え、それを消化させる責任が統一教会にあるのです。


 ホームチャーチはサタン世界屈服の基地、天国への道である
 それで三次七年路程の八一年の中間までに、全食口が一つになって伝統をつくり、滅びることのないようにしなければなりません。それが先生の責任です。入教してきたらすぐに四十日修練会を行い、アメリカ全土でホームチャーチをするのです。二万人の食口がいるとすれば、七〇〇〇万軒のアメリカの全家庭を世話できます。そうすれば共産党がアメリカを滅ぼそうとしても不可能です。武力でもってしても、何をもってしてもできなくなるのです。
 共産党を誰が何で防ぐのか? これが一番の問題です。そうすることによって青少年の淪落も防ぐことができ、教会の淪落も防ぐことができるのです。ホームチャーチをするならば、共産党を防ぐことができるであろうし、青少年の淪落と、家庭破綻を防止し、キリスト教会の破綻を防御することができるのです。そういう意味を知らなくてはなりません。 教会を復興させるために団結しなければなりません。ホームチャーチに火をつけて、教会を復興させ、心情を高め、神様の願うこのアメリカを防御する橋頭堡を築かなくてはなりません。それを国ができると思いますか? 大統領がキリスト教を復興させることができると思いますか? 皆さんの足下に今、共産党が刀を差し出しているということを知っていますか。
 これらは自由世界で一番難しい仕事であり、神様のみ旨の中で一番難しい仕事です。宗教歴史の中で一番難しいこの仕事を、アベルがしなくてはならないのです。この巨大なる使命のために、実践する中でつらい目に遭うなど、そんなことは問題ではありません。この責任をどのように完成させるのかが問題なのです。
 そのようにすれば、今まで皆さんが清算できなかったものを、一気に蕩減してしまうに違いありません。ヤボク川でヤコブが戦ったのと同じことを、ここで実体共産党を、実体教会を、実体の青少年を相手に戦うことによって屈服させるのです。ヤコブが腰の骨を打たれて折ったように、ホームチャーチによる相撲をして勝たなくてはならないのです。これに勝利すれば、我々統一教会をアメリカが歓迎するでしょうし、全世界が歓迎することでしょう。これに勝利する日には、共産党も我々から退いていくのです。ホームチャーチさえ築いておけば、言葉においても、理論的にも、共産党は我々を突いてこれないのです。
「統一教会と会うな、会えば苦しいから、会ってはいけない」「理論闘争をしてはいけない」と。日本の共産党もそうしてやられたのです。(拍手) その時になれば、科学者大会が必要になるでしょう。科学者会議にも共産世界の学者たちを集めて、理論的に屈伏させなくてはならないのです。何の話か分かりますか?
 ホームチャーチがどれほど重要かということが分かりましたか? サタンを屈伏させるための基地なのです。政府にそんな仕事ができると思いますか? それができるレバレンド・ムーンが、今アメリカから怨讐のように扱われているのです。
 それで皆さんはホームチャーチが必要ですか? (はい)。神様は、皆さんが復帰過程の個人、家庭、氏族、民族、国家の、アベルが通過したすべての蕩減路程を、全部なしたという条件をなぜ必要とするのかというと、それはアベルとして行かなくてはならない道であり、天国はホームチャーチを通じなければ行けないからです。このことを皆さんは知らなければなりません。そこで、個人的に迫害を受け、家庭的に迫害を受け、氏族的に迫害を受けるのです。このアメリカに数多くの民族が住んでいるのですから、十二以上の民族からの迫害を受けるのです。
 それはどういう意味かというと、個人レベル、家庭レベル、氏族レベル、民族レベル、世界レベルでの蕩減的アベル路程を歩んだという条件を立てることになるのです。皆さんはそれが嫌なのですか? 神様は、人間始祖の堕落以後、人類歴史始まって以来今日まで、宇宙的なアベルの蕩減歴史の中でどれほど苦労してこられたことでしょうか。ユダヤ教では四〇〇〇年間苦労をしても失敗し、キリスト教では二〇〇〇年の間苦労しても蕩減できなかったのです。先生はそれらを二十年間で、死ぬほどの苦労をしてすべて蕩減したのです。その基台の上での皆さんの七年の間です。それができないというのですか? 先生に勝利の方法をみな教わって、細密に知っていながらもできないのですか?
 皆さんはアベルの正道の歴史を個人水準で蕩減するのです。先生は世界的蕩減路程を歩んだのに、皆さんはそれができないのですか? 皆さんは小さな氏族的基盤を一日に何回か回ることもできないのですか! 皆さんが、ここでカイン的ホームチャーチをつくれば、アベル的ホームチャーチは自動的にできるのです。この私が、アメリカにいて勝利的歓迎を受ければ、韓国は自動的に歓迎してくれるようになっているようにです。


 有史以来の最後の戦いである
 このことは、皆さんのための公式路程だということを知らなくてはなりません。それで先生は、統一教会のすべてのものを犠牲にしても、アメリカを世界のアベル圏として定めたために、これを全体として取り扱うのです。このすべての民族を一つにして、キリスト教のアベル社会を中心として摂理をするのです。このアベル圏に集まってきた人々は、みなサタン圏から追い出されたアベル的人々なのです。その人々によるキリスト教ですから、アベルだと言うのです。
 しかし、そのキリスト教の前に、統一教会はアベルになるのです。それでアメリカがカイン的立場となって反対するのです。一つにならなくてはならないのにアメリカが反対する日には、世界全体が反対するのです。ですから、ホームチャーチ・エリアの人たちに、「あなた方がアベルです」と言われるようにしなくてはならないのです。これは歴史の勝敗を賭けた戦いです。ヤボク川でヤコブが戦ったことと同じ内容です。イスラエル民族が、ヨルダン川を賭けて戦ったことと同じです。これを知らなくてはなりません。その戦いに勝利した日には、国境もなくなり、韓国にも歓迎されるようになるのです。
 私たちは有史以来の最後の戦いの場に立っているのです。アベルとして最後の戦いの場に立っているのです。今から本格的に七年路程を出発するのです。八一年からしなくてはなりません。これを世論化させ、アメリカ国民がその世論を歓迎しさえするようになれば、七年間で世界は平等になり、世界のすべてを一つにすることができるのです。これが最後の戦いです。
 きょう、皆さんはこのことを知ったのですから、これを早いうちに達成するのです。早ければ早いほどいいというのです。それで、きょう蕩減の話をしたのです。先生のような信念をもてば、三年もかかりません。三カ月でできることです。八〇年代には、「なるほど、よく分かりました。先生がおられなくとも私たちが成します。アベルとしての責任を私が果たします」という、決定をして越えていくのです。
「私こそ、ホームチャーチの不変なる伝統を立てる人になる」ということを、一度考えてみてください。それはどれほど霊界が、イエス様とその弟子たちがうらやましく思うことでしょうか。何の話か分かりますか? (はい)。もうアベルの行く道についてはっきりしましたか? 皆さんは今カインの位置にあるのに、アベルの位置もみな知ることができたのです。もし、白人たちがこの道を行かず、黒人たちが行くとすれば、その黒人たちがアベルとなるのです。黒人たちはこの国においては白人たちよりも苦労し、天の蕩減路程のアベル的歴史の奴隷の道を歩んできたのです。この国を創建したのは黒人たちであって、白人たちではありません。白人は自分たちのために黒人たちを犠牲にし、さらにはインディアンを犠牲にしたではありませんか。もし黒人たちが、インディアンたちが仕返しをしようとすれば、皆さんたちは残れると思いますか。そのことを考えたことがありますか。
 レバレンド・ムーンは、アジア人であるインディアンとは、人種として見ればいとこ同士なのです。兄弟なので、私が来て仲裁してあげなくてはならないというのです。復讐しようとして来たのでなく、仲裁して仲直りさせるために来たのです。
 そういう仕事を、白人ができるでしょうか、黒人ができるでしょうか? それは誰もできないことです。黒人は白人の言うことを聞かないし、白人は黒人の言うことを聞かないのです。ここで、かつて滅亡させられたインディアンという黄色人種が、「白人はアジア人の怨讐でもある。それを私が許すから、君たちも許せ」と言えば、黒人にも話が通じるというのです。それは、歴史的にアベルの行く道がそうであったからです。
 今日、アベル圏に同参できる恩恵のゆえに、最近になって黒人たちも祝福されるのです。黒人たちの名が知れわたり、黒人たちが出世するのです。アメリカ国内でも有名なスポーツマンや、名を売って活動している人のすべてが黒人です。アメリカの食口も、半分が黒人です。そこに統一思想を入れるだけで、いかなる天才的なアメリカの博士よりも、もっと立派な博士につくって上げることができるのです。白人たちに負けない思想を、全白人世界の助け手となる思想を入れてあげることができるのです。それを、今レバレンド・ムーンがやっているのです。
 このアメリカでも人種戦争が起こり得るのです。ネバダ州には約四十七万の人々がいるというのですが、そこに共産党員を投入して共産国をつくり、「中央政府は二重の搾取をするので、中央政府を脱退する」と言う時には、どうするつもりですか? そのような州が三つできれば、アメリカは大きく崩れるのです。中央政府が飛ばされないという保証がどこにありますか? 今日、イランのような小さな国に反対されただけでも、歯が立たなくて全部後退せざるを得ない敗者たちなのです。皆さんはそういうことを考えたことがありますか? そこに、もし黒人を動員して復讐してみなさい。アメリカは簡単に攻られるのです。
 白人はそのようなことを心配して、それを防御しようとしているのです。ですから、黒人が白人を許すことによって、黒人が救いを受け、白人も救いを受けられるのです。そうしないと両方とも滅びるというのです。それで、我々統一教会の信者においては、そのような人種的差別があってはなりません。蕩減のための祭物は反発してはならないのです。志願しなくてはならないのです。祭物にならないならば、先生にはついてこれません。
 イサクも、お父さんのアブラハムが祭物を捧げる時、反抗しなかったためにアブラハムの祝福を受けることができたのです。十二歳にもなれば、自分がお父さんの祭物として刃物で刺し殺されようとしている立場がよく分かるはずです。しかしその時、「なぜですか? お父さん」と言ってはならないのです。何の話か分かりますか? 皆さんにも、そういう難しいことがあるというのです。その時、そうせずしては生き残る道がないのです。
 このようなとてつもない大きな仕事が、アベルの歴史の中にあるという事実を知らなくてはなりません。これを知った時に、皆さんはこれまでにどれほど偉そうにしてきたことでしょうか。それは神様の前に、どれほど恥ずべきことか、先生の前にどれほど恥ずかしいことかというのです。
 今現在、アメリカがどうなっているのか分かりますか? では、それを何でもって防止しようとするのですか、最後の方法として、何をもって防止するというのですか? (ホームチャーチです)。そうです、ホームチャーチで防止するのです。そして、サタンはいつ攻撃してくるか分かりません。既に地下工作をしています。しかし、我々が七八年まで三万名復帰を成せたなら、先生がアメリカにいなくても、このことは可能であると思います。
 そして一人が十人ずつ伝道するとすれば、三十万名になります。そうすれば全アメリカに配置しても余りある数です。ではホームチャーチを急ぐべきか、急ぐべきでないのか? 休む時間があるのですか、皆さん! (いいえ)。
 仕方がないので、皆さんをして教会を立て、カープを立てて七七年から始めたのです。そして八〇年までの三年間にこれを成そうとしたのですが、アメリカ人が責任を果たせなかったために仕方なくタイガー・パク(先生)を立て、「進め、進め、進め」とプッシュしたのです。「共産党を、既成教会の牧師を、ならず者たちを、淪落するすべての者たちを訪ねて行け!」と。学生たちは勇敢でなくてはなりません。それは学生の本分です。


 神様の名のもとに、世界の名のもとに、人類の名のもとに戦う道
 ホームチャーチができれば、カープに負けない活動をしなければなりません。そのような善の戦いをしなくてはならないというのです。それは既成教会のため、若者のため、共産党のため、アメリカのためにするのであって、統一教会のためにするのではないのです。アベルは自分のために苦労するのではないのです。それがアベルの行く道です。
 全体のために尽くすのです。私自身は統一教会のために尽くすのではなく、世界のために尽くしているのです。統一教会のためではないのです。それが何かというと、「アベルの正道」なのです。それが「アベルの行く道」だというのです。神様の復帰摂理から見た方向に、アベルたちが行く道が正道だということを皆さんは知らなくてはなりません。もうはっきり分かったでしょう。
「私は三年路程を歩んで祝福を受けるのだ」というのは、アベルとしての行く道ではありません。「私は実践して、全部教会に捧げて、自分には良い相対者を」という人は、アベルではありません。私が犠牲になれば国が良くなり、より大きな世界が良くなるのです。それが一生のすべてです。何の話か分かりますか? 堕落したカイン圏が天に対して、「私をこのようにしてください」と言える権利は全くないのです。そのようなことは、考えることすら恥ずかしいことであり、それこそ悔い改めても、悔い改めても仕方がないほどの恥ずかしい荷を背負っているというのです。
 皆さんはつらくて、つらくて、涙を流すこともあるでしょう。しかし自分のために涙を流すのではありません。涙を流すのであれば、天を懸けて、アメリカを懸けて、世界を懸けて流す涙でなくてはなりません。
 私たちが反対されて不安になれば、神様はどれほど不安であり、人類がどれほど不安であるか、それを考えるのです。何の話か分かりますか? 価値のある涙を流さなくてはならないのです。たとえ人々からひどい扱いを受けても、その人に決して怒りの情をもってはいけません。自分の痛みで泣いてはいけません。その代わり、よりつらい道をたどってこられた神を慰めるのです。人類の身代わりに涙を流すのです。
 もし国民が不平を言うならば、「この民よ、天を信じることのできない呪詛される国民よ」と、国を懸け、世界を懸け、神様を懸けて言わなければなりません。世界人類を懸けて言えば、それは受け入れられるのです。先生がカーター大統領のすることに対し不満を言う時、それは個人的感情ではなく、人類の名のもとに言うのです。たとえどのようなことがあろうと、自分のことのために涙を流し、泣くようなことはしてはいけません。
 皆さんにも悲しい時があるでしょう。先生にも悲しい時が多いのです。痛哭する時が多いのです。そういう時、神様をつかまえて、「どれほど悲しまれたことでしょうか。あなたの愛する息子、娘たちの悲しみを見られてどれほど悲しかったでしょうか?」。「人類が行かなくてはならない復帰の道はどれほど悲しいでしょうか?」。そうして、涙を流すのです。それがアベルの行く道です。
 イエス様も十字架の道を涙を流しながら行かれ、神様に、「怨讐を、許してください」と涙を流したのです。「あなたが私のために苦労をしませんように、悲痛にならないでください」と涙を流したのです。神は「許してあげなさい」と、そう言ったでしょう。そうして、涙を流したのでしょうか、どうでしょうか? 神様は涙を流したのです。そしてイエス様は十字架の道を行かれ、「私は神様のために、人類のために、この十字架が怨めしい」と言ったのです。何の話か分かりますか? レバレンド・ムーンは、「あなたは、神様のため、世界のための仕事ができなかったので不平を言ったのです」と、そのように言いました。それは「私はどんなアベルよりも、もっと良くやります」と言うことと同じです。
 人類を懸け、世界を懸けて戦ったのです。自分を懸けて戦ったのでなく、世界を懸けて戦ったのです。ダビデもゴリアテの前に立って、「自分のために戦うのでなく、神様とユダヤ教のために戦うのだ」と言ったので、神様が共にあって、助けたのです。自分のために戦ったのではないにもかかわらず、自分が一番先頭に立って戦ったのです。そこには神様に代わって戦うので、神様が共に働いてくださるのです。
 レバレンド・ムーンがイースト・ガーデンに住んでいるのも、自分のためではないのです。統一教会の威信を保つためにそうしているのです。人々が教会を見下さないためにです。統一教会の皆さんたちにはそのような考えをすることは難しいでしょうが、自分がイースト・ガーデンに住んでいると考えてみてください。それはアメリカの大統領に対抗するのではなく、未来のために、世界に対してそうしなければならないのです。
 それでは、家庭の中のアベルは誰かというと、自分のためではなく、兄弟と父母のために戦うそのような家の中での主人がアベルです。こう見る時、それは統一教会でも同じ道理です。そのようなアベルの伝統を知らなくてはなりません。さあ、もう伝統の意味が分かりましたか? (はい)。自分が完全に祭物となって、天上に福を持って行き積んでくるのです。
 先生が資本をたくさん注ぎ込んで成したことで、自分のためのものは一つもありません。全部皆さんたちの名前で成し、私の名前のものは一つもないのです。先生が持っているものはみな、教会の人に、分けてあげるのです。
 それでは、アベルの家族という意味が分かりましたか? 統一教会でイースト・ガーデンに住む人たちはみな、そのような思想をもって住まなくてはなりません。その息子、娘たちにもそのような教育をしなければならないというのです。私は、イースト・ガーデンに来ている人たちを一度もしかったことはありません。それは天に対しての責任があるからです。国と人類に責任があるからです。その人たちは人類のために、私に仕えているのだというのです。
 私はどこかに見物に行く時には、絶対に一人では行きません。いつもカインと共に行くのです。三人以上の人と共に行くのであって、絶対に一人では行きません。このごろではガードマンが自然にそのような立場に立つのです。こういうことが、アベルの行く伝統の道です。
 このように考えるから、子供たちに何かしてあげる前に、全部食口たちにしてあげるのです。そのように生活しているので、統一教会の食口は私のために尽くしてくれるのです。そのように統一教会の食口はレバレンド・ムーンのために精誠を込めようとするし、神様は私を助けようとするのです。そのような原則があるのです。ですから、ここには不平がないのです。それが原則です。私の一生は滅びないのです。たとえ自分は一人になっても死なないというのです。どこに行っても、夫のあとに妻がついてくるのです。私のために命を懸ける人がいるというのです。
 このようなアベルの伝統があるために生き残れるのであって、これを万一間違えば、死んで犠牲となったすべての聖人たちは、打たれて残るものが一つもないというのです。ですから、孔子とか釈迦の時代は、打たれながらみな死に、生きながら指弾されたのです。世界中の人たちが指弾したのです。なぜそうなるのでしょうか? 歴史的になぜそうなのでしょうか? なぜそういう目に遭うのでしようか? それはカイン・アベルの歴史の伝統がそうであるためです。私も皆さんも、同じように行くのです。


 歴史の蕩減法則
 私が三十八度線を越えて南に来たのは、私が生きるためではなく自由世界と神様のために越えてきたのです。私は金日成に、「もしお前が私以上の愛で韓国を愛するなら、私は退こう。しかしそうでない限り、決して足を踏み入れることを許さない」と言ったのです。来年四月まで、韓国の安定のため、霊的に緊張して、神の守りを祈らねばなりません。
 私がニクソン大統領に会ったのも、世界のために会ったのです。神様のためにしたことです。ニクソン大統領を支持したのは、ニクソン大統領個人のため、我々統一教会のために支持したのではありません。それは神様と、これからの自由世界と人類のためです。そこで「許せ、愛せ、団結せよ」と訴えました。しかしアメリカはそれを成せず、大統領の権威は地に落ちたのです。アメリカを悪く言っても、それは先生の個人的感情ではありません。神の感情をそのまま述べているのです。皆さんが働くのは、神様と人類のために仕事をしているのです。それがアベルの教会であり、アベルの家族です。
 あなた方を犠牲にさせるのは、あなた方に責任を負うゆえであり、復活させて天国に行かせるその責任を私がもつからです。それがアベルの行く道なのです。我々は統一教会だけの発展は考えていません。私が「これらの話を聞きなさい」と言うのも、人類のためです。神様は、神様の摂理と人類のために、統一教会が何をプラスにし、何をマイナスにしたかを全部見ていられるのです。ですから皆さんを苦労させることには、私は良心の呵責がありません。アベルの行くべき伝統の道を、そのとおりに行くことを願っているからです。間違っていますか? (いいえ)。
 アメリカ・インディアンに対して、このようなアベルの伝統から見て、「皆さんはアメリカのために犠牲になったのではなく、世界と神様のために犠牲になったのです」と言う時、白人と和睦できるのです。アメリカは歴史的にそのような責任を負っているために、黄色人種に対して償わなくてはなりません。それで、アメリカの若者たちが多くの犠牲の代価を支払うことになったのです。韓国動乱の時に参戦して償ったのです。
 そのため、レバレンド・ムーンはアメリカに対して、その恩に報いる責任があるのです。彼らは責任を償うために韓国に入ってきた時、私を解放してくれました。それで私はこの国に来て、血の汗を流しながら、このようなことをしているのです。歴史のこの蕩減法によって、摂理が分別されていかなくてはならないのです。摂理的理由でこういうことをしているのです。私に命が与えられたから、感謝して行こうとしているのです。
 私がそのようにしたのですから、次は皆さんが韓国に行って、アメリカの自由の鐘を鳴らさなくてはなりません。レバレンド・ムーンがアメリカの解放のために尽くしたように、皆さんは韓国と韓国人の解放のために、尽くさなければなりません。外的アメリカの軍備が韓国のために存在するよりも以上に、皆さんが韓国に、内的により尽くすことです。
 アメリカの娘さんたちが韓国の青年と、アメリカの青年たちが韓国の娘さんと結婚しようとするのですが、それはなぜでしょうか? それによって、過去にインディアンを愛することができず、一つとなれなかったことを蕩減することができるのです。先生はそのように見るのです。摂理的にそのように見るのです。かつてアメリカのために、インディアンたちが血を犠牲とし、黒人たちが肉体を犠牲としてきたのです。ですから、アメリカ人はアフリカを助けなくてはならないので、いろいろな物資を送らなければならないのです。黒人たちの血の犠牲によってつくった物質ですから、それでもってアフリカの黒人世界を助けてあげる責任があるのです。これがレバレンド・ムーンの摂理観なのです。
 愛を受けることなく犠牲になったことを、物質を送ってでも償わなければならないというのです。それは、黒人奴隷問題の蕩減です。それは、アメリカのためだけでなく、自由世界への神の摂理のためでもあるのです。
 アメリカがアジアに派兵して、血を流してきたのも、アメリカの初期歴史を蕩減する摂理の重要な一部なのです。韓国で血を流したので、韓国は重要な摂理の中心地だという結論になるのです。アメリカは韓国を、神様の名のもとに、人類の名のもとに、共産党から守らなくてはならないのです。韓国と手を切るようになる日には、自由世界は滅びるのです。そうなれば韓国の人たちがたくさん虐殺されますが、韓国がギブ・アップすればアメリカも同じです。何十倍の蕩減をしなければならないというのです。アメリカは韓国を中心として、共産党と戦う伝統を引き継ぐことが、何よりも重要なことなのです。
 アメリカは韓国を、生死を懸けて守り、犠牲になりながらも、共産党に勝たなければなりません。これがアメリカの伝統になるのです。生きんとして戦えば滅びるのです。韓国で、共産党と戦う思想武装をしたのは先生です。日本でも共産党と戦う勝共理論を教えたのは先生です。今先生はアメリカに来て、その伝統を皆さんに伝授させているのです。体力においても、思想においても強くなくてはならないのです。共産党は物質中心の宗教のようなものです。共産党以上に神を愛する自信をもたなくてはならないのです。それで「空手を学べ」「正道術を学べ」とも言っているのです。この世の人たちは、自分の国家と自分自身を保護するためですが、我々統一教会員は世界を保護し、神様を保護するのです。これから歴史が整理され、すべてのものがきれいに整理されるのです。
 それでこれから先、アフリカに共産党が侵入したとすれば、皆さんたちが志願して、「先生、私はアフリカに行って戦います」と言い、たとえ先生が「行ってはいけない」と言っても、行こうとするでしょう。そのような皆さんでなければ、この世の中を収拾することができないということを知らなくてはなりません。この世で愛を抱く人がいなければ、神様もみ旨を成すことができないという、結論が出てくるのです。
 たとえFBIや警察官が全部逃げていっても、それが死の場であっても、自ら志願していくのは統一教会員しかないのです。その考えは間違いですか? (正しいです!)。このレバレンド・ムーンがなぜ暴力主義者なのですか! 統一教会はこの世の人類のために、このようなアベルの伝統を立て、それを残していくのです。


 摂理から見たアベルの正道はみ旨の正道である
 先生は今度、アメリカの上院議員にも、下院議員にも会ってみましたが、彼らの中には本当にアメリカのために尽くし、自由世界のために尽くすという人が見られないのです。このアメリカの将来は絶望です8 先生は寝ずに何のために十時間も話をするのでしょうか? 皆さんをつらい目に遭わせようとしてでしょうか? それは伝統を残すためです。たとえ私が死んだとしても、この伝統を残していかなくてはなりません。この責任は私がもつのです。このレバレンド・ムーンの涙で、天と地と人類の中心を成すのです。
 このように歴史を見て、摂理や世の中がこのようになるということを、誰が考えるでしょうか? 私たちは、人々の考えられないことを、泰然と微笑んで、自信をもってやっていくのです。このレバレンド・ムーンの十時間もの説教を、テレビ放送でもしアメリカ国民が聞くことができたならば、揮発油が爆発するような現象が起こるに違いありません。そうは思いませんか? (はい、思います)。大学教授が、政治家が、宗教家がこういう話をしますか? 今日、異端と呼ばれ、非難されているレバレンド・ムーンだけが、このような話をするのです。
 皆さん、眠っていられますか! レバレンド・ムーンの話したことが成されず、アメリカが滅びてはなりません。一〇〇〇年後であっても、それを成さなければなりません。ホームチャーチが難しいの、何がどうのと言ってはおられないのです。このような話の内容が成就される時には、レバレンド・ムーンと同じように、皆さんたちも滅びることがなく、またアメリカも滅びることがないのです。
 このように見るから、「神様よ、レバレンド・ムーンを助けてください。人類はレバレンド・ムーンを保護しなくてはなりません。若者たちはレバレンド・ムーンを崇敬して、そのみ旨を受け継いでいます!」と、アメリカの五色人種の若い男女が騒いでいるのです。しかし父母たちは、「息子、娘をレバレンド・ムーンが連れていってしまう」と言って、彼らを拉致したのです。しかし今や、それが事実として表れたために、「レバレンド・ムーンは神様が共に在り、天のみ意を代行する人だ」という、結論を下すことのできる現実的証拠を得ることができたのです。
 これから皆さんは、精神を正さなくてはなりません。若い人たちこそアベルの立場です。青年たちこそこのアメリカの地ではアベルであり、年を取った人たちはカインであります。
 皆さんのお父さん、お母さんは、プラグマティックです。個人主義です。我々はみ旨を中心としての全体主義です。み旨のために尽くすことのできる人たちこそ、この世界文化と神様文化のために尽くす人になれるのです。神様主義時代が到来するのです。アベルの行く道は、過ぎ去ったあとで分かるのです。レバレンド・ムーンがアメリカを去ったあとでアメリカの国民は、「もう一度来てください」と言うのです。
 アベルの伝統、アベルの文化を形成しなくてはなりません。アメリカにアベル文化を創造し、文化生活をしなくてはならないのです。アベルは自分を打って、自ら行くのです。皆さんがそうする時、アメリカには大きな創造の歴史が始まり、大爆風が吹くのです。火山が爆発するのです。一度やってみようではありませんか! (はい!)。テーマの、「摂理から見たアベルの正道」が「み旨の正道」です。先生はこのような目で見るのです。責任者を見る時もそうなのです。
 さあ皆さん、自分がどのような立場にあるかよく分かったでしょう。なぜ自分がホームチャーチをしなくてはならないのかが分かったでしょう。先生は、八一年度からアメリカに新しい伝統をつくってみせます。あと一年半が残っていますが、家庭教会伝統は皆さんが立てるのです。「きょう先生が十時間話してあげた甲斐があった」と、そうなるように努力しなければなりません。そして先生の責任もこれで終わるのです。今はもう、先生がここにいなくとも大丈夫でしょう。
 先生は今まで、自分の自由は一つもなかったのですが、今からは自由が得られます。六十歳を過ぎたので、自由な生活をする段階に入ってきたのです。神様が、「レバレンド・ムーンは責任を果たせなかった」と言うことがないように今日まで生きてきたのですが、私がこの思想だけつないであげたので、もはや神様のみ旨は皆さんがみなもっていってやるのです。何をしても、事業も世界のために、神様のためにするという、このような群れでなくてはなりません。そうすればその会社で、その職場で不正があり得るでしょうか? そのような偉大な思想をもたなくてはなりません。分かりましたか? (はい)。もうこれ以上先生が説教をしなくても、はっきり分かりましたね。
 今まで絶望の中にあって、今日まで仕方なく生きてきたのですが、これから自ら進んで希望の八〇年代への峠をしっかりと越えて行かなくてはなりません! (はい!)。
 どうもありがとう。では神様に祈祷をしましょう。
<完>

 

 


 本書の編纂を終えて


 この御言は、一九七九年十二月最後の聖日に、新しく八〇年代を迎えるに当たって、私たち統一教会員のアベルとしての心構えとホームチャーチ摂理について、十時間にわたって語られたものです。
 今日、日本におきましても、氏族的メシヤ摂理の重要性とともに、正しいアベル・カイン観のみ言も伝えられ、有史以来の時を迎えました。私たちはこれらのみ言が、既にイギリスにおいては一九七八年七月に、またアメリカにおいても、このようなる形で語られていたことに対して、天と真の父母様に、ただただ感謝するものです。
 今や成約時代におけるエバ国家としての世界的使命の完遂のためにも、このみ言を再度熟読し、信仰者としての基本的姿勢を体恤して、真の父母様の打ち立てられた四大心情圏と三大王権の勝利圏と伝統を相続する者となりますことを願いつつ、本書を編集させていただきました。