家庭教会は天国基地

 

一九八〇年 一月一日 ワールドミッションセンター


(祈祷)

愛するお父様! ただ今、まさに一九七九年と七〇年代を送る歴史的な一瞬間に位置しております。ただ今、八〇年代を迎える厳粛な新しい出発の日、元旦を迎えて、お父様のみ前に感謝の祝辞を捧げることができますことを、心から讃美申し上げます。
 愛するお父様! 数多い国の中でも哀れな韓国の国を、お父様!記憶してくださって、韓国の中でも哀れな場所からこの息子を呼びたてて育まれた、あなたの歴史的な労苦を、今一度確かめさせてください。
 物心のつかないその時節より十代に入り、二十代を前にしていく道をわきまえるようになるまで、あなたは背後に心を配りつつ、前途に希望を掲げてみ旨を計画されておられましたが、分別のつかない時はわかりませんでした。物事をわきまえるようになるにつれて天のみ旨がどういうものであり、天の中心であるその主人が、人間のお父様であることを悟らしめてくださいましたし、やがてくる備えられた苦労の路程で多くのことを悟るようにしてくださいましたお父様の労苦を、真心から感謝申し上げます。十代を過ぎて二十代に立ち向かいながら、身震いする歴史的な艱苦を乗り越えながら、ため息と涙の激動の若き青春を迎えさせてくださったことを感謝申し上げます。
 二十代から三十代にかけては、韓国国民と共に民族の倒れていく運命を案じられたあなたのみ意を思いました。また、そのみ意の中で、解放の一日迎えることのできる喜びの歓喜と共に、悲しみの一日がまた来るであろう未来を案じつつ、お父様のみ前に祈祷したその日が、まるで昨日のようでございます。そして、韓国解放と共にアジアの新しい燈火を高々と持ち上げなければならないあなたのみ旨を負う使命が、その国とその地にあったのであり、不肖この息子の体にあったことを悟る身としては、前後を掻き分けながらでも、困難な環境にぶつかって憂慮しながらでも、いかなければならなかった使命責任がどれほど重大であったかを、今一度、思い起こさずにはいなれません。
 お父様! キリスト教を中心とした摂理の旗幟を高く上げて、歴史的な恨みを解くための六千年の所願の道の基をつくりあげ、勝利の天国と勝利の建国のラッパの音を天宙に鳴り響くことを願ったお父様でありました。
 そのみ旨のために、数多くの隠れたところに、人知れぬ涙の場所で天の召しを受けた多くの人々がおりました。その時のために準備された、その国の数多い信仰篤き人々は、天のこのみ旨を受け継いで永遠福祉天国に向かって、勝利のラッパの音と共に教団の身代わりとなって、あるいは家庭の身代わりとなって、民族と国家の身代わりとなって、栄光の日を探さなければならなかったのであります。しかし、人間の五パーセントの責任を果たせなかった歴史的な恨みのほら穴に、彼ら自身も知らないうちに皆落ちて、死の道を倒れていったのであります。それらの事実を考えれば考えるほど、やるせない悲しい結果を迎えて、孤独のため息をつかなければならなかったあなたの事情の数々が、今一度、新たに思い出されます
 その中で、あなたが備えて送られた数多くの人々が反対されてきた天のみ旨の道を、不肖この息子がすべて受けていきました。その事などは苦しくありませんでしたが、そのような目に遭うのを眺められるお父様の心は、どんなにか過重な痛みを覚えられたことでしょうか。その歴史的な恨みが再び主の上に下された事実を考える度ごとに、天の前にひれ伏したその時が昨日のようであります。
 それによって、あなたが六千年の間準備した数多い教団は破壊されてサタン圏に引き入れられてしまい、天のみ旨を知る孤独な息子たちは幾度も追放の行路に向かって三八度線を越えなければならなかったという、世界的な事実があったのです。
 使命の深い立場で最後の道を再び越えなくてはならない、そのような運命の道においても、生死の常緑樹であるあなたは、愛の住み家を授けられて、生の歓喜の生まれかわりを受けることのできる栄光のひと日を持たせてくださった一九五〇年十月十四日を、今一度回想するものであります。
 それから、また再び、怨恨のこもった南韓の地で残っている恨み多い道をただ歩みしかなかった悲惨な道を越えて、十年という歳月の血涙の路程を経、六〇年代においての解怨式を迎えるときまで、数多い事情をはらんだ歴史的な一つの峠がどれほど大きかったかが、今一度回想されます。
 青波洞の一殿堂で孤高なるわが主人であるお父様のみ前に跪いて呼訴しながら、六〇年代においての解怨式を追求したその時間が、歴史的な時間を再出発期間として宣布することのできるときでもありました。その日から新たに、三次にわたる二十一年の三次七年路程を宣布したのであります。しかし、その時は淋しい有様であったので、果たして歴史的な勝利の道を克ち得られるであろうかと夢のように考えながら、すべての人々はいぶかしい目をもって、神の前にそのように早く成し遂げられるのかと問い尋ねておりました。その時節が、まるで昨日のように感じられます。
 そして、第一次七年路程においては、お母様の道を整えながら、父母の日、子女の日、万物の日を定め、アダム・エバが失った恨みの峠の道を蕩減したのであり、一九八一年神の日を歓喜と共に迎えることのできた過ぎた日が昨日のようであります。それから第二次七年路程においては、祝福受けた全世界を七〇年代に向けて路上に放り出さなければなりませんでした。民族のために、世界のために、祭壇を!家庭を捧げる祭壇をつくらなければならない厳粛な、天理原則に従って現れたその日々が、追憶と共に新たに心に刺激を起こすのであります。そういうことはあってはならないでしょうし、そういう立場を誰も願わなかったのでありますが、民族を探し出すことのできなかったためであり、教会を探し得なかったために、家庭の十字架を背負って開拓伝道に出て、子女のために涙を流し、夫のために涙を流さなければならない惨めな立場であるにもかかわらず、民族と既成教会のために涙を流さなければならなかった三年期間、七二年までのその期間を今一度思い出さずにはいられません。
 それから、民族的祭壇を築いて、家庭的祝福を受けた種族的祭壇を勝利の基盤として、民族の前に積み上げて、世界行脚の路程をしての第三次七年路程を出発するための準備期間である七一年度から、七二年、七三年、七四年までの今一度考えるのであります。異国の地、この大陸に向かい、民主世界の中心地であるこのアメリカを中心として、本格的な前進のラッパを吹いたのが昨日のようでありますが、既に七年の歳月、歳月が過ぎ去っていきました。お父様!その間、言い尽くせない事縁が数多くありました。
 あなたが昔なされたみ業には困難が積まれていましたが、あなたは必ず勝利することのできる場に呼び立たせ、導いて下さったのであります。ゆえに、この栄光ある勝利は、今日私たちは統一教会のものでもなければ、ここに立っております息子のものでもなく、誰のものでもありません。あなたの勝利であることを、今一度、讃美する以外の何ものでもありません。それだけではなく、三次七年路程の恨み深い峠の闘争路程も、既に何もかもが通り過ぎてしまいました。お父様に有終の美をもたらすことできる七六年までの天のみ旨を負わせてくださった、驚くべきお父様の恩賜の前にひたすら感謝申し上げます。
 今、八〇年代を希望に満ちた願望の年として迎えました。七〇年代は蹂躙と涙と悲憤につづられたものでありましたが、八〇年代は所望の年であり、希望と讃揚の年として、お父様のみ前に統一教会が顔を上げて、天下に歓喜の光を輝かせるために闘うことを誇りとすることのできる群れとならなくてはならないことを知っております。
 ここに新しく八〇年代の新しい元旦の朝を迎えて、お父様のみ前にお祈り申し上げますので、これからお父様!このアメリカ全地と自由世界を、あなたが完全に装備してくださって、残された闘いの場に輝く勝利の旗を高く挙げ、六千年の恨みを解きはらし、この二千年のキリスト教の殉教した信仰者の恨みを解きはらし、統一教会を中心とした恨みを秘めた歴史を解くことをお許しくださいますよう、懇切にお願いいたします。
 きょう、ここに集ったあなたの子女たち、五色人種が、お父様のみ前に跪いて集いましたので、お父様!影となってあげてください。彼らの心が!彼らの心を!彼らの意のままにできるそのような心を持たないように許してください。彼らがお父様の意のままになることのできる心を持つ者とならしめてください。必ず、七〇年代の恥ずかしい息子たちとなるのではなく、七〇年代に残したすべての未完成の基準を完成することによって惨めな息子の面を脱いで、八〇年代の最高完成を成就することにより、栄光の息子の姿を現して不足のない、そのような息子・娘となるようにしてください。
 先日、息子たちが行くべき前途においてなすべきことを長時間聞きました。息子たちが行くべき道がどういうものであるか確実になりましたので、これから新たに決心したそのような基盤の上に輝く行進をなさせてください。
八〇年代の栄光が、あなたの夜明けの光が照らすこの時間から、八〇年代こそ、誇りある統一教会であり、世界に伸びていくことのできる統一教会の年として、祝福してくださることを懇切にお願いいたします。今、新たにこの八〇年代に向かう八〇年を新しく迎えましたので、お父様が祝福してくださいますよう懇切に望みお願い申し上げます。
今年の標語は、「家庭教会は天国基地」であります。この標語をもって、天国の基地を必ず各自がつくって、自らの安息の基盤を備えることを決意することのできる、そのような年になることをお許しくださいますよう。
今から、新しく、八〇年代をあなたのみ前に捧げます。今この日から、十年期間が過ぎた後には、私たちの統一教会がどのような段階を備えて現るべきかは、各自の努力と彼らの血を流すほどの闘争が加重する、このような心情的基盤が拡大することによって、その勝利的結果が全天地に現れることを知っております。すべてのものは喜んで感謝しながら、不平を言わずに真実で受け取り、お父様のみ前に成就した祭物として捧げ奉ることを感謝する群れとなれるようにお許しください。躊躇せず大胆に前進する群れとならしめてくださいますよう懇切に願うしだいでございます。
 この日を祝福してくださいますことをお願い申し上げます。諸事万端の恩賜と愛を一つにしてくださいますよう、韓国と日本、アメリカ、そして全世界にひろがった一二七ヶ国、この時間を記憶してこれを追慕するすべてのあなたの子女たちに、等しく天の手厚い祝福のみ手が差し伸べられますよう、心からお願い申し上げながら、すべての言葉を、真の父母様のみ名によって宿願申し上げます。アーメン

(み言)


 天国は安息の場所

 統一教会にとって忘れることのできない七〇年代が、今、まさに過ぎ去り、新しく希望に満ちた八〇年代を迎えました。原理で学んだように、八数は再出発の数であり、新しい希望を持つことのできる数であるということを、あなた方は知っていますが、そのような年になることを心からお祈りいたします。
さて、この統一教会と統一教会の信者たちは、八〇年代はどこに向かっていくべきでしょうか。すでに私たちが言っているように、今年からは本格的な家庭教会活動を展開しなければなりません。本来のみ旨的観点から見るなら、三次七年路程が終わったならば、完全にホーム・チャーチ体制を展開させなければならないのです。そこで昨年は「家庭教会と天国完成」という標語を以って一年間過ごしてきましたが、今年は「家庭教会は天国の基地」という標語で、これから一年を過ごしていきたいと思います。家庭教会がなければ天国は成就しないのです。家庭教会がなければ、何も成就することはできません。
「天国の基地」とは、どういうものでしょうか。天国と言うのは、安息する場であり、幸福を生む場であり、愛の宿る場であり、平和の場であるのです。では、安息とは、自分ひとりだけでするものいでしょうか。それには、自分の妻がいなくてはならないし、自分に家庭がなくてならないし、自分の子女がいなくてはならないし、自分の氏族が、自分の民族が、そして全世界が、その中に入っていなければならないのです。ですから、どんなに自分ひとりが安息したくとも、もし父母が安息することができず、また妻が安息することができず、子女が安息することができないならば、そこは安息できるところではないのです。私たちの統一教会は真の父母のことを語っていますが、もし、その真の父母が安息できない立場にいるとするならば、そのもとにいるすべての人々も安息することができないのです。
 本来の神のみ旨によると、昨日も言いましたように、今から三十年前に、もしカイン圏キリスト教基盤がアベル圏統一教会を迎えていたならば、その時、安息の基盤が世界史的に築かれていたはずです。そうすればその場で、父母の結婚と共に、真の子女と真の家庭と真の氏族と真の民族と真の世界の基準がつくりあげられていたことでしょう。そうして父母をはじめとして、子息、氏族、民族、国家が安息することのできる基盤・圏が拡がっていったことでしょう。そのような国家の安息基盤が出来上がっていたならば、世界の国家は、その国家的安息基盤を持った国家がどれだけ幸福であるかをみて、それを自動的に見習って安息圏を求めていくことができたはずなのです。
 そこで私たちは、キリスト教と統一教会が一つになれる道を探し求めたわけですが、実際は、歴史上に世界的基盤をつくりあげた二千年のキリスト教基盤を信じることも頼ることもできませんでした。そのために、どういう結果が繰り広げられたかと言うと、私たちは統一教会をつくって、統一教会自体が、キリスト教を代置することのできる基盤を国家的基準から世界基準まで再び築き上げて、これを安息圏の基盤にまでもちあげなければならないという、このような悲惨な運命の道を歩むことになったわけです。
 
 家庭的基盤造成のための第一次七年路程
 ところが本来のみ旨では、私一人だけでは統一教会の出発を国家的基準にまで引き上げることはできないのです。家庭基盤をもってこそ、国家的次元から出発することができるのです。
 天国を建設する理想をもって統一教会は現れました。天国とは、夫婦子供が同伴して入るものですから、それは地上で出発しなければなりません。六十年代に入ってから、ようやくそれは始まりました。それまでは、あらゆる血と汗を流しました。国家が反対し、教会や、その他すべてが反対しました。追放され、反対され、サタン世界に行って蕩減的条件を立て終えてから再び戻ってきて、十四年目の六十年代にお母様を迎えることで、統一教会は本格的出発をするようになりました。たとえ国家が反対し、教会が反対しても、国家や教会が行くべき道を歩めるように後押しして行くことができる基盤を築いたその基盤の下で、お母様を迎えたのです。
 しかし、お母様を迎えはしましたが、お母様は結婚しても生活を一緒にすることができませんでした。三年間は、あなた方の結婚と同じように、外部から家庭を訪ねてくる立場にあるのです。
 皆さん、原理の道を行くということは、誰しもがそのような道を通っていくことなのです。お母様自身も同じです。こうして、初めて第一次七年路程を歩みことができました。この第一次七年路程の間において、家庭におけるすべての複雑な問題を完全に蕩減する路程を通過しなければなりませんでした。二十一年に及ぶ三次の七年路程がなんであるかというと、それはお母様を中心とした家庭的基盤をつくることであったのです。
 それはどういう基準であったのでしょうか。長成期完成級でアダム・エバが堕落したので、それは、長成期完成級から完成期完成級に越えていく七年間にあたるのです。この期間において、神が失われた神の日、父母の日、子女の日、万物の日を全部取り戻すことになるのです。したがって、どんな困難があるにせよ、いかなる艱難辛苦があったとしても、神を疑ったり、神に対する不信の心をもってはいけなかったのです。そのために、サタンによって惨殺の憂き目にあいそうになるほど、それほどまでに家庭的に四方から攻められました。
 お母様も、お母様においても、夫についていこうと思えば思うほど、「ああ、辛くてついて行くことができない」というような、風呂敷包みを抱えて自らが退いていかなければならないというような場面がいくらでもあったはずなのです。夫が大事にしてくれるなら別ですが、その夫がまた怖い夫、一番厭な夫と苦労しなければならなかったのです。
 なぜ神はそうするのでしょうか。それはサタンが無慈悲にすることを愛の動機から先に代わってするからです。それによって、暗示的にも教えてあげる道があるということになるのです。三年半、そのような道を行くのです。三年半と三年半。七年の歳月を越えて、結局は、どのような試練の過程でも克服して余りある夫であり妻であるということを、天が認め、サタンの認めなければならないようにするのです。
 そのような家庭が中心となるならば、祝福家庭は、たとえ不平があったとしても、どれほど辛かったとしても、不平を言わないで、その父母に対して周囲で侍っていくことができるはずなのです。
 この世のどこに、そのような良い夫がいますか。どこに。良き妻に対しても同じことが言えます。それで周囲にいる人々は、私の家庭が神のみ旨のために、そのような道を歩んでいるという、そのことだけは知ったのです。私の家庭はこの七年路程においてどれほど苦労したか、辛い思いをしたかを、三六家庭、七二家庭、一二〇家庭、四三〇家庭の全員が知っているのです。だから、不平を言うことはできません。

 家庭的七年路程である第二次七年路程
 七年路程が終わって神の日を決定しましたが、本来の神の日とは逆になってしまいました。父母の日が先に決定され、次に子女の日が決定され、万物の日が決定されてから神の日となったので、神の日が逆になったのです。かわりますか。なんの話か。とにかく、神の日を定めたのですから、その次からは神の日、父母の日、子女の日の順で、本来の原則的な基準に入りました。そのように父母として行かなければならない家庭的七年路程を越えていき、失っていた神の日、父母の日、子女の日、万物の日を解放したのです。
 そのことによって、国家的環境基盤からの迫害が次第次第に平らになっていきました。なんの話かわかりますか。迫害がなくなるのです。朝から晩まで既成教会が迫害してきても、なんにもならないのです。国家からの迫害もみんな終わったのです。しかし、迫害があった場合、その迫害は誰が受けるのでしょうか。それは私がみんな受けるのです。それはサタンン世界を代表しているので、国家的基準で受けなければなりません。それは、アダムが果たせなかった責任を完成するためですので、不可避的なことなのです。
 そのようにして国家的次元において勝利的基準を立てたので、その次は何をするかというと、第二次七年路程を中心として祝福家庭を立たせることです。国のために家庭がどのように立つべきかを教えなければならないのであり、家庭の各々がどのようにして国のために貢献し、公的生活をどのようになすべきかを、国民の前に教え示さなければならないのです。それで祝福家庭を全部動員しました。二次七年路程が家庭的七年路程であるので、二次七年路程においては全祝福家庭が動員され、七〇年代に入ってからの三年の間、子供や夫を残して、妻たちが開拓伝道のために家を出たのです。女性たちが!
 なぜ、そうしなければならなかったのでしょうか。それは、お母様が歩んだ道と同じ道を行かなければならなかったからです。夫と暮らし、息子・娘と暮らしていた家庭から出て行くとき、もし、夫が行ってはならないというならば、それはみ旨に対して反対することになります。ですから「行くな」という誘惑を克服する最良の方法は、自分の夫を怨讐とみなすのが一番です。なぜなら、もしサタンが来てとめようとするのであれば、それは気になりませんが、愛する人が止めようとするのは苦痛です。だから怨讐のように考えれば、その怨讐の前で「行かない」などとは言えません。ですから、そのように考えるならば、万一、夫が行ってはならないと言ったとしても、それはなんでもないわけです。なんの話かわかりますか。
 このように前もって決意することによって、それがたとえ現実に現れたとしても、母親の基準はそれをくいとめることができるのです。それによって、子供はサタンのものにならないですみます。怨讐がよいものになるのです。それが愛というものです。愛なのです。聖書のみ言にも「敵を愛しなさい」とありますが、それが統一教会の行くべき道なのです。これらは虚しい言葉ではありません。歴史がそのようになっています。
 そのため、自分の息子を直接愛するのではなく、怨讐の息子のようにして自分の実家に預けていくわけです。ここアメリカなら、孤児院もあれば育児所もあり、国で預かってくれますが、韓国ではそのように子供を預かるものは何もないのですから。つまり、怨讐の立場にある子供を捨てるようなもので、親戚の家や自分の実家、兄さんの家、他人のように遠い姻戚の家に名前を書置きして出発したのです。そして三年目に帰ってくるという道をなし終えたのです。
 
 家庭祭物による救国活動
 しかし、統一教会の夫・妻・子供たちは私の味方です。それが国家が祝福を受けることのできる条件となりました。これがどういう話か、わかりますか。国は騒いで反対するけれども、反対に統一教会の祝福家庭は、先生の家庭のほうがかわいそうな家庭であると言って、祝福を与えることのできる立場に立つことができたのです。国の反対は彼女たちに対してのものではなく、レバレンド・ムーンに対するものです。だから反対されているにもかかわらず、祝福家庭は私の味方となって、「私たちの苦労はなんでもありません。先生が私たちのために辛い目に遭っていらっしゃる」と言ってくれたのです。反対される環境で、「先生を祝福してください」と言ったのです。そのようにして天は私を通して、その祝福家庭までたずねて行くことができたのです。それは楽な立場ではありませんでした。世の中に憎まれ、全体から反対される血が煮えたぎる場です。
 最初に騒ぎ立てたときの六ヶ月間は、それこそ天下のすべてが震動しましたが、六ヶ月過ぎると、「あなたたち、どのように過ごしていますか。みんなに噂されながら、子供を捨て夫を捨てて、家を出たそうですね。なんのためですか。」と聞いてきました。国を救うためです。この国の色々な家庭の婦人たちが、このように子供を置いて夫を離れて!国を愛するという事情で!
 こうして「この国を救え」という全国的教育を約一年続けているうちに、以前は否定的だった人々も、私たちと共に泣き、共に祈り、やって来ては助けてくれるようになりました。そのようにして、反対していた人や「それを見ろ」と言わんばかりだった人たちは、皆こちら側になってきたのです。わかりますか。さあ、それが二年近くたつと、近所のあちこちで、「国を愛するあの統一教会の人を見なさい。統一教会の人のように国を愛するならば、われらの国は滅びることはないし、共産党も問題ではない。世界のどの国よりも立派な国になることができる」と言うようになりました。
 さあ、こうなってきたので、「近所の誰それの統一教会の子供とは親戚に当たる」とか「甥だ」とか「何寸(等親)の婿になる」とか言い出す人が出てきました。祝福を受けて学生結婚をした、などと悪口を言った人々がまた、その子供たちを置いて行ったときに陰口をたたいて指差していた近所の人々が、そう言うようになったのです。こういうふうで、もし既成教会の信者たちが統一教会に反対したりすると、「なんだ!この統一教会になんで反対するのか!」とも言うわけです。 
 このようにして怨讐の間柄であっても争うことなく、三年の間に親戚がひとつになり、民俗がひとつになり、国がひとつになることのできる基盤を築いたのです。私たちに対して国が反対し、キリスト教が反対したにもかかわらず、親族が子供たちを迎えれることで同情をかい、相談がかわされ、再び結び合うことができ、離れていたキリスト教と反対していた国が恵沢圏に入ることができる立場になったのです。こうして反対する国と反対するキリスト教を再び生かすことができたのです。家庭を祭物にして、国と教会を救ってあげる因縁を結ぼうという、み旨通りになったのです。二千年前のイエス様のときに、ユダヤ教と国が極端に反対したこととは異なって、歓迎できる一点をつくることができたというわけです。それがなんによってなったかといえば、それは家庭祭物によってなったのです。わかりますか。(はい)

 アメリカを中心とする世界的摂理
 これが終わったために、私は韓国を出て、世界的な摂理を行うことができるようになりました。七二年から三年を立てて、アメリカを基盤とする世界的な活動体制を目指して出発しました。
 ここアメリカに来ると、最初の七二年、七三年、七四年の初め頃までの二年半は、キリスト教全体とアメリカ市民の全部が歓迎してくれました。それによってどういうことが繰り広げられたでしょうか。反対した韓国も世界的国家を代表し、キリスト教も世界を代表するものですが、最も世界国家の中心であるアメリカが反対する立場に立つ国家―キリスト教国家であるにもかかわらず、歓迎することによって、世界国家が神との関係をもつことができるようになったのです。こうして七四年まで勝利の基盤を築き、七四年一二月には国際機動隊(IOWCの前身)をつくりました。アメリカではプロクラメーション(名誉市民の宣言等)を八五〇枚も受けました。
 その後、私はすべてをつれて、韓国に入っていきました。そこではユダヤ教がローマとひとつになってキリスト教に反対したこととは全く反対のことが起こったのです。国が統一教会を守り、キリスト教に反対して蕩減復帰したのです。
 このアメリカが天とひとつになることによって、天をアメリカが歓迎する基盤となり、さらに韓国とひとつになって統一教会と共に賞を受けるようになるのです。歴史的な総蕩減復帰をそこで行うのです。国家的次元で、世界的次元で。アメリカが内的な面でひとつになったため、これからは内面的にいかなる反対をしたとしても、今度は押していくのです。もし、このアメリカがレバレンド・ムーンに反対するならば、まずキリスト教が「ワアッ」と歓声をあげ、韓国のキリスト教にアメリカのキリスト教、そしてそこに共産党も加わってひとつになって反対するでしょう。反対運動をするときは、アメリカ政府と言論界が踊りに踊って、何もかもが突撃してくるのです。
 しかし、これまでどんなに突っ込んできても、綿足たちはびくともしないので、彼らは降参したのです。結局、負けたのです。それで負けたとならば、今後においても、既成教会がどんなに統一教会を攻めても、共産党がこれからどんなに攻撃しても倒れることはありません。これからはキリスト教がどんなに反対しても無駄であり、共産党がどんなに反対しても何にもならないのです。そのような基盤が築かれたので、新しい時代に入るということが言えるのです。
 私が第三次七年路程にたつとき、私は個人の十字架を負い、家庭の十字架のすべてを負わされました。そして、みな道を整えました。あなた方は整えられた道を行くのです。結論はなんであるかというと、統一教会でなければもはやキリスト教の行く道はなく、アメリカがどんなに大きいといっても統一教会なしで生きる道はなく、共産党が生きる道さえも統一教会なくしてはないということになります。
 あなた方も大概わかっているようですが、こうして三年路程が勝利的に終わったので、もう私も休むときがきたのです。そう、今こういう蕩減復帰路程は終わったのです。家庭も、お母様も休み得る時がきたということです。もう今は、私の家庭がサタン讒訴圏を完全に掃き出してしまったので、心身が安息できる天国で私は安息することができるようになったのです。

 精神集中して家庭教会活動せよ
 アメリカの家庭も二年間、走るのです。全体を通してこれからのアメリカが、アメリカの国民のためになるように、世界のためになるように、家庭が祭物となっていかなくてはなりません。わかりましたか。今、それだけをしておけば、その後からはそういうことがありません。私の家庭では迫害がなくなり、祝福家庭は祝福家庭なりに、迫害なしに男女が家庭教会の基盤で祝福されて生きる道が開いたのです。今まで私は、涙を流したり悪口を言われたり、人をつかまえて泣く人をみたり、殴られて頭から血を流したり、蹴られるだけ蹴られて顔が腫れ上がったり、裸にされたりするのを見てきましたが、あなた方にはそういうことがありません。話しをするときでも笑いながら話し、楽しみながら歌を歌えるときなのです。
 今しがた、タイガー朴が来て、私に報告しました。彼の報告によると、四〇〇名の聡明は学生が今フロリダに来て一週間のワークショップを受けているとの事です。一ヶ所で原理講義を聞き、皆感動して、ムーニーのように見え、ムーニーがムーニーでないように見えるほどであったとのことです。あなた方は神のタイムテーブルを知らないのですか。今は、そういうことが起こるべき時なのです。わかりますか。あなた方も同じ事をするのです。つまり精神集中して完全に私の歩んだ道に従い、私が立てた基準を越えるのです。私の受けた迫害の限界を越えるのです。そうすると全霊界が降りてきて、まったく新しい地平線があなた方の前に開かれることでしょう。そしてあなた方は無敵の人間になるでしょう。もう一歩、前に進むと、すべてが容易になるのです。できますか。(はい)。
 家庭教会活動するときは、ベルトを高くして強く結び、前に進む決意をして行くのです。家庭教会に行くときは、表玄関から奥の部屋に入っていくのではなく、裏玄関からトイレに行くのです。「ちょっと、トイレを借ります」と言って、そして、「天国のトイレはこんなに汚くてはいけない」と言い、「私はこんな廊下に天のお父様をお迎えできない。きれいにしましょう」と言うのです。すると主人が来て、「お前はいったい何者だ」と言うでしょう。「どこから来たのか。どうしてうちのトイレのことを気にしているのか」と言うでしょう。するとあなた方は、「あなたこそなんですか。あなたは自分の家を愛することもできないのですか。これは私の家庭教会です。私はあなたの家をきれいにして、ここに天の父を迎えようとしているのです。誰も私を止められません」と言いましょう。
「家庭教会」という言葉を歴史的に考えると、それはあまりにも貴いものです。ユダヤ教を中心とした四千年、キリスト教においても、多くの人々が数え切れないほど働きかけ、夢にまで描いていた家庭教会です。神様の歴史上に勝利的終着点を刻み、神様のみ前に初めて迎えることのできたのが、「家庭教会(ホーム・チャーチ)」という言葉なのです。簡単に言って、家庭教会とはどういう意味であるのかというと、自分の教会であるということです。ミスター・スミスであれば、ミスター・スミス教会となります。
 さて、誰がこの家を建てて住めるようにしたのでしょうか。自分がしたのですか。自分がみんなつくったのですか。その時思うことは、ああ、神様はサタンたちを連れていって働かせて建ててくださった、ということです。それで、サタン世界のどのように幸福な人々よりもそれ以上に、そこにおいて自分が幸福に住んでみようと思うのです。それを神様も、「やあ、それはよい」と言って喜ばれるのであり、サタンも喜んで、「あなたのおかげで住みよくなりました」と言うでしょうし、自分もよくなったということになるのです。
 
 家庭教会は天国の基地
家庭教会という言葉は、たやすい言葉でしょうか。それはどれほど苦労して生まれた言葉であるかしれません。あなた方も、そしてこれから原理を学ぶ人々も、あれこれとみことばを聞いているうちに、私の喋る言葉のすべてを悟った日には、「家庭教会」ということばを聞いただけで畏れ多いと考えるでしょうし、ことばを聞くだけでなく、文字を見ただけでも頭を下げて跪き感謝することでしょう。
私は、あなた方が世界的な家庭教会をもつことができるようにしておきました。あなた方のために世界的に苦労してつくっておいたのです。しかもあなた方は、わずか三十分ぐらいで全部回れそうな三六〇軒を与えられているので、それに取り組んで成し遂げることができないはずはありません。もし、その任務を拒絶して「先生、わたしはできません」と言うならば、私がそれをやります。そうすればあなたは天国ではなく地獄に行くことでしょう。
 考えてごらんなさい。週に一回でもいいから、アメリカをめぐる雰囲気、とくに言論機関の雰囲気、世論の雰囲気をみまわしてごらんなさい。そして、そこでやってみなさい。三次七年路程であなた方が一生懸命がんばって、家庭教会から天国を拡大していけば、「レバレンド・ムーン!いいぞ!統一教会、いいぞ!やれ!やれ!」と言うでしょう。こういうアメリカとなったならば、誰もが「レバレンド・ムーン、どうぞ来てください。どうぞ来てください」というでしょう。どうですか。家庭教会ができますか。それは簡単です。あなた方は迫害されるか、ヒーローとなるでしょう。
 皆さん。基地がどういうものであるかと言うと、すぐにケープ・カナベラルやケープケネディ基地が連想されるでしょう。これらはどんな基地ですか。ケープ・カラベラムでは何をしますか。(ロケットを発射します)。知っているではありませんか。基地ではロケットを発射するのです。月への有人ロケット・・・アポロ九号とは十一号・・・で、人間のいる部分は先端のところにあります。あらゆるエンジンはその下に組み込まれており、中間部やコンベヤーなぞもその下に組み込まれています。一番最後にカプセルが組み込まれているわけです。それにあなた方が乗るのです。
 だからあなた方は、重い基礎(ベース)から始めてエンジンを作ります。それが一番困難なときです。それから胴体を作り、そして段々と作りあげていって、最後にカプセルです。そしてそこにあなた方が入るのです。ロケットを先まで作りあげて完成させたら、ボタンを押し、発射ということになります。「スリー、ツー、ワン、発射」です。それは統一教会の家庭教会でロケットを作るということを、そのようなことを通して象徴的に見せてくれたことになるのです。
 では、そのロケットでアームストロング氏はどこに着陸しましたか。(ムーン)。どこ。(ムーンです)。その綴りを言えますか。(MOON)。読んでください。(ムーン)。それが旅行で終わるのではありません。あなた方が月の世界に行った後は、私がそのてっぺんに立って、太陽の国へ昇っていくのです。そのときは、ムーニーがサニーになるのです。それでも終わりではありません。私はまたあなた方を出発させます。そして今度は、まさに、神の心情に着陸するのです。その神の心情圏で、キングニー(神の国の王たち)にならなければなりません。そうなるとあなた方は幸福ですね。では、それで終わりです。外の人々は、「あなた方は洗脳されたのじゃないですか」「あなた方は気違いじゃないですか」と言うでしょう。しかし、私たちが幸福である限り、人がなんと悪口を言おうとも、誰がそんなことを気にするでしょうか。
 今年の標語はなんでしたか。「家庭教会は天国の基地」です。
 
 二十年かけた苦労
 今年は私も少し休みたいと思います。お母様と一緒に連れ立って、どこか景色のよい、あのパリとか、宮殿とか、世界で有名な遊覧地のようなところに、少し遊びまわってもいいでしょうか。(はい)。あなた方も行きたいでしょう。誰でもついてきたいでしょう。あなた方が家庭教会さえ終えれば、一緒に連れて行きます。私は世界的な家庭教会をつくったから言えるのです。そして私の基台の故に、どこでも家庭教会が始められるようになっているのです。それが私のした仕事であったわけです。あなた方は何もしない前から言っているでしょう。どんなに大きなことを言っても、どんなにねだっても駄目です。
考えてみてください。皆さん。私が二十年先のことを考えながら、家庭教会の出来上がる日を待って苦労したことに比べると、あなた方の三百六十軒は二十年もかかるでしょうか。あなた方はどれだけ家庭教会活動をしてきましたか。あなた方のうちのある人は、家庭教会活動を二十二週間位しかやっていません。「先生、私は疲れました。足が痛くなりました」と言っているのです。(いいえ)。苦労して前進して、一度に早く済ませてしまって解放されるのです。
 考えてください。あなた方は家庭教会が途方もなく難しいことだと思いますか。それともできることですか。(できることです)。将来の最高の裁きは、「あなたには家庭教会が与えられません」と言われる事であり、家庭教会活動をする権利を剥奪されることです。家庭教会によって世の中は理想圏内に入っていくのです。それは理想、理想、理想です。これで、家庭教会の意味が良く分かりましたね。
これをつくるために、神と私は二十年の間、休まずに一生懸命働きました。そして神と私は、多大な代価を支払いました。多大な蕩減が払われ、多くの聖人、預言者が血を流し、数多い宗教者たちが殉教しましたが、彼らは家庭教会の摂理を知っていたでしょうか。もうこれ以上、家庭教会の話をしなくても良いでしょうね。もう、私がいなくても、家庭教会に出かけられますね。
 家庭教会の競争をした時には、皆で集まって、勝利のパーティを開きましょう。私は一つのことを楽しみにしています。誰であっても、家庭教会と三六〇軒の摂理を完成させた人は、そのチャンピョンは、本当に真の父母の子として認められるでしょう。するとその人は、私とお母様に、最初の完全な家庭教会の招待状を出すことができます。その最初の家庭は、韓国から出るでしょうか、アフリカからでるでしょうか、日本からでしょうか、アメリカからでしょうか。(アメリカです)。私が韓国の教会に同じ質問をしたなら、彼らは「それはアメリカでもなく日本でもなく、韓国だ」と言うでしょう。日本人は「日本だ」と言うでしょう。ですからあなた方は競争になるわけです。

 遅れをとらずに勝利せよ
 あなた方アメリカ人は長い足を持っているので、それはおおいに有利です。そのためにあなた方は速く走れます。でも小さな韓国人や日本人に気をつけてください。彼らは、このようにして速く走ります。日本人と韓国人はなかなか手強い相手です。なぜなら、彼らの足は短く、あなた方の足は長いけれども、あなた方は彼らに比べて目が大きいのです。ですからあなた方は、必要でない多くのものを見てしまいます。韓国人や日本人のメンバーは足は短いかもしれませんが、眼が非常に小さいので、彼らはゴール以外何も見ないのです。ですから、このようにして行きます。それでもあなた方は勝てますか。
 韓国人の生活の仕方はこうです。彼らは一週間、一食抜いて一日二食でも、なんともありません。しかし、アメリカ人の生活の仕方は、三食、食べなければなりません。韓国人のもう一つの有利な点は、彼らは座るのに何か特別な家具を必要としないということです。彼らはどこにでも座れます。砂の上でも、ハイウェイの上でも、どこでも気にしません。しかし、あなた方はたくさんの道具を使って食事を複雑にしています。フォーク、ナイフ、バターナイフ、サラダフォーク、ステーキナイフ、コーヒーやディーのスプーンもあり、スープスプーンもあります。どうしてこうも複雑にしているのですか。韓国人は箸だけあれば、サッサッと食べてしまいます。すべてがそうです。箸は鳥からきています。鳥の口は、箸のような物です。同じ原理からきているのです。鳥はそんなに多くのフォークやナイフを必要としません。
 そのようにあなた方は、遅れをとる多くの要素を持っています。それでも遅れをとりませんか。(はい)。スープが来て、順々に他の料理が来ます。食事が終わるとデザートが来て、また飲み物が来ます。そのようにして朝食を取るのに、正午前にコーヒーブレイクがあります。一日に何度のブレイクがあるのですか。それでもあなた方は、家庭教会に勝てるというのですか。(はい)。あなた方は、多くの浪費をしているのです。この頃あなた方は、マニュキュアやアイメイク、ルージュをしたりしていますが、それでも家庭教会を完成させる時間があるというのですか。(はい)。
 勝ためには、三つのことが必要です。考え方を変え、生活を変え、行動を変えなければなりません。速く歩くかわりに高速道路を走るといったスタミナや燃え上がるような情熱があなた方にあれば、私はそこにはなんらかの希望があると思います。このアメリカが家庭教会のチャンピョンを勝ち取ることができるでしょうか。(はい)。あなた方の答えは非常にはっきりしています。しかし、わたしがどれだけあなた方に騙されたか知っていますか。あなた方はどれだけの回数、「はい」と私に言いましたか。いつも、「はい、はい、はい」です。それなのに、そういった行動はどこへいったのでしょうか。
 一九七九年は許しましょう。私は忘れる決意をしましょう。一九八〇年はどうですか、自信がありますか。(はい)。今回、私はこの「はい」を覚えておくべきでしょうか。忘れるべきでしょうか。(覚えておいてください)。覚えようか、忘れようか、どちらですか。(覚えておいてください)。私に覚えてほしいと思う人は、はっきりと「はい」と言ってください。(はい)。あなた方はきれいな手を持っていますね。(笑い)
 
 天のヒーローとなろう
 私は今朝、ただ単に説教したのではなく、ワンマンショーをしました。私は一九八〇年には希望や明るい楽しいこと以外は見ないので、この日を幸福で楽しく、真に陽気に、というのが私のこの年のスタートの仕方です。
 私は手帳に、あなた方の家庭教会の第一番、第二番と記録するようにしていますが、あなた方はどんな数が欲しいですか。その手帳を地上で見たいと思うでしょう。しかし、あなた方は霊界に行った瞬間に自動的に、私が記録したその手帳を見ることができます。「あなたと私がナンバーワンだ」。とすると、あらゆる陽気なダンスや叫び声が、あなた方の先祖やアメリカの先祖によってなされます。神様もそれに目を向けて、「あなた方はそこで何をしているのですか」と言います。すると、「お父様、どうぞ降りてきてください。私たちは家庭教会で一番になりました。アメリカは第一位になりました」と言うのです。
 考えてごらんなさい。家庭教会のチャンピョンになったことを、マラソンで第一位になったことを比較できますか。(いいえ)。オリンピックのマラソンでもですか。(比較できません)。些細なマラソンのチャンピョンでさえ、その栄光を勝ち取るために、生涯走り続けます。そして二〇年間や十年間かかって、やっと一つのオリンピックで勝ちを得るのです。あなた方はそれよりもずっと偉大な栄誉、大変な栄光である家庭教会のチャンピョンになるために、ほんの二、三年を費やそうとは思わないのですか。一九八〇年だけでも、完全にベストを尽くそうとはしませんか。
 私は知りたいのです。私が今朝言ったことについて、あなた方だけではなく、世界中の統一教会メンバー全員が従って実行することでしょう。わかりますか。つまり、あなた方は競争することになるのです。彼らは聞きます。全世界が、今朝私が語ったことを三日以内に聞きます。三日後、各国はアメリカ人と比べると三日遅れをとったことになるので、誰もがアメリカ人よりも良い運動をしなくてはいけないと思って、そして追い抜こうとするのです。
さあ、分かりましたね。きょうの題目はなんであったかというと、「家庭教会は天国の基地」です。そこに行ってこそ幸福があるのであり、真の喜びがあるのであり、そこにあるものが真のものであり、そこに行って休むのが真の休みであり、そこに行ってすべてのことをするのが天国人のすることであり、そこに行って住み、そこで死ぬのです。家庭教会はそういうところであることを知ってください。あなた方は若者です。どれほどよいことでしょう。家庭教会をするために行きましょう。行きましょうとも!
 家庭教会が終わったら、別荘を建てる土地を探さなければなりません。あのギリシャとか、かのニュージーランドとか、こちらにあるバージン島やプエルトリコなど。約三十ヶ所に別荘を建てなければなりません。しかし、自分がそのような場所に行くとき、たった一人で行って楽しいでしょうか。私は家庭教会のチャンピョンを連れて行きたいと思っています。家庭教会をつくるためには、食べることができなくても、悪口を言われても、迫害され、打たれてもいいのです。最も苦労し、しかも最も勝利をおさめた家庭教会チャンピョンが私のお伴をするのです。その時は喜びのあまり踊るのです。ディスコのダンスどころじゃないですよ。そして、そんなチャンピョンは普通の車には乗れません。彼らをリンカーン・コンチネンタル、レディフォードに乗せてあげようと私は思っています。彼らは英雄、天のヒーローです。
 あなた方は、何等を得ようと思いますか。どんな結果を得ようと思うのですか。ナンバーワンか、百万番目か、どちらですか。(ナンバーワン)。
 今朝は、決意するためにふさわしい時です。決意をしてください。外的に天国の基地をつくるためには、あなた方自身の中に天国の基地をつくらなければなりません。それは真実のことですか。合っている話ですか、合っていない話しでしょうか。ですから、喜ぶことです。喜ぶのです。
 お母様と約束した時間は過ぎ去ってしまいました。さあ、あなた方は何等になりたいか決めましたか。あなた方の目標を達成するのに、毎日あなた方を監視する監督が必要ですか。(いいえ)。もし、あなた方が本当に決心するなら、あなた方は家庭教会のチャンピョンになります。ということは、私が一九八〇年も成功するということです。あなた方は、私に成功してほしいと思いますか、思いませんか。(思います)。
 「イエス」は、イエス・キリストを意味します。ということは、あなた方はあなた方の使命のために、イエス様の死のように、自分の生命をかけますか。死ぬまでやりますか。
 これは一九八〇年の最初の、神と私との約束です。八〇年代、これからの一〇年の間、まちがいなく、忘れずに記憶しておかなければなりません。やりますか、やりませんか。(歓声)。その言葉を信じて、終わることにします。