家庭教会は我々の定着地

 

一九八三年一月一日午前零時


 祈祷


 愛するお父さま、今まさに一九八二年が過ぎ、新しい一九八三年の元旦を迎え、新しい八三年の一年を受け継ぐ始めの瞬間に立っています。この時間を迎えて新しい年を計画しようとしている全世界のすべての民の心の方向を、あなたの経綸のみ旨と一致することができるように収拾してください。その中には数多くの宗教人たちがおりますが、彼らが一つになって天倫のみ旨に従うことによって、順応の道理を立たせることができるように、この時間から記憶してくださることをお願い致します。
 特に全世界に広がっている統一の群れは摂理の最終的目標に向かって前進しております。彼らは受難と苦しみの中で八二年を送り、新しい八三年が希望の年になってくれることを両手を合わせて祈っております。このあわれなる統一の群れをこの時間記憶してくださいますようお願い申し上げます。彼らの心と体が一つになって歴史を代身して忠誠の道理を果たし、天の国の建国の勇士として、あなたの心情の奥深くに忘れることのできない群れとなると同時に、あなたの愛を注ぐにふさわしい息子、娘であると称することのできる群れとしてください。そして新しい歴史的発展の時まで率いてくださいますようお願い致します。
 受難が多かった八二年を回顧する彼らは心の中に涙ぐましい心情をもって今日、この父母様がおられるアメリカのニューヨークに向かって心を合わせ両手を合掌し、お父様の前に祈っております。その厳粛な祈りの場において新しく勝利を再決意して八二年を越えて八三年を迎えたその心を、お父様、よろこびをもってごらんください。新しい年が勝利の年となって、お父様の前に彼らが感謝を捧げることのできる一年になるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い致します。
 今や新しく世界のすべての人類を代表した統一教会の全食口たちは一つの心情と一つの目的のもとに、八三年はより忠孝の道理を多くたてようと新しい決意をしております。人類救援成就のために隊列をなして前進する勇士となって、明日と今日の保証を受けることのできる勝利の後継者となり、あなたの心の中で忘れることのできない群れとなることをこの時間お父様の前に決意いたしますのでお受けください。
 お父様は数多くの事情を持たれながら復帰の歴史を通して人類を探して来られました。悲しかった人類始祖の誤ったその日からお父様は独り淋しく人類を探そうとなさる悲しみと苦痛の道を歩まれ、人類の背後で苦労の道をたどられながら歴史的蕩減の路程を経て来られたことを知っております。そのようなお父様の事情を知った統一の群が、歴史を通して先祖たちが自分たちの誤りを悔い改めることができなかったことを今一度回想して、厳粛に現世の人類を代表して天の前に悔い改めることを決意し、宣誓する群となることをお許しください。
 この群は、あなたと共に行く道に悲しみが同伴することを知りながらも逼{ひつ}迫{ぱく}の道、追われる道、流浪の道を介意せずに歩んでまいりました。あなたに従って来た歴史過程においてアブラハムがそうでしたし、イスラエル民族を導いたモーセもそうでした。またイエス様はこの地上にみ旨をなすためにローマ帝国を屈服させ勝利の天国を迎えなくてはなりませんでしたが、選民的国家イスラエルを失ったために国を後において全世界に受難の道をキリスト教という名の下に出発しなければなりませんでした。このような歴史的な事情を今一度回顧してみるときに、その目的を二千年のキリスト教歴史に延長しながら、四千年の歴史を再び収拾して来たキリスト教の受難の道は血と汗と涙に濡れていたという事実を知るものでございます。
 このような孤独な道、悲しみの道、時には死の場にありながらもあなたと共に歩み祈祷したすべての群を眺めるお父様の切ない心情を今一度回顧するものでございます。そして今日、この世界的歴史的時代を迎えて再び統一教会が同じような道を歩んでおります。
 キリスト教が責任を果たした勝利の世界的圏内において、悲しみの道ではなく栄光の道として天に仕え、個人はもちろんのこと家庭、氏族、民族、国家、世界が定着した場において天の所願の主権を中心にして、栄光と勝利をお父様の前に讃揚でもってお帰ししなければなりませんでした。しかし、キリスト教がその責任を果たせなかったために、今日そのキリスト教文化圏の前に、あなたのみ旨の中に立てられた統一教会の食口が受難の道を歩んでおりますが、このような歴史的蕩減という悲しみの峠道を再び歩ませなければならなかったお父様の事情を思うものでございます。
 個人から逼迫をもって追われ、家庭から逼迫をもって追われ、氏族、民族、国家はもちろんのこと世界から追われて来ました。さらに自由世界の中心であるアメリカにおいて、天のみ旨のために仕えたこの群が天に従って来たすべての宗教人たちの前に排斥されて来ました。しかし、そのような歩みの中にあって、今日このような基盤にまで開拓することができましたが、そこには数多くの犠牲と涙の跡があり、その背後にはそれより以上のあなたの悲しみの歴史が隠されていたという事実を知るものでございます。
 お父様、今この場において、自由世界に勝利の一日をもって出で立った統一教会が絶望して倒れるそのような教会になるのではなく、前進と飛躍を決意して新しい時代圏内の上に新しい定着地を持つことのできる勝利の基盤と世界的旗手としての使命を担ってみせるという自信を持つことのできる基盤を備えてくださったあなたの恩賜を感謝申し上げます。
 ニューヨークの中心にあるこの殿堂を中心にした統一教会は今まであらゆる人々の嘲弄と批判の対象となってきましたが、新年を迎えた今から、このところに集まったあなたの子女たちが一心同体となって天の権威と天の体面と善の主権を立てるための天の国の独立軍の勇士として参戦する権威と、凛{りん}々{りん}としてサタン世界に誇ることのできる姿勢を持つことをお許しくださいますようお願い申し上げます。
 夕陽を迎え、夜道に向かって行く統一教会ではなく、子正(午前零時)を過ぎて夜明けの光明の太陽に向かって、この未明の夜明けの瞬間に処している統一教会の上にあなたが希望をお持ちください。
 一九八三年は、天をこの地上に定着させるために、全てのことを権威と勝利の防{ぼう}牌{はい}(盾)でもって防御しながら天の国の利益を追求して、あなたの勝利の権限を造成するという決意を新年の年初にすることができますようにお願い致します。
 さらに韓国、日本、アメリカ、ドイツを連結する摂理的代表国家の上にあなたのよりいっそうの導きのみ手を差しのべてください。今や、この国々においては反旗を掲げていたすべての群を弱化させることのできる時が来ました。ですから攻められていた善なる側の人々が向上することのできる八三年になるようにお願い申し上げます。
 すべての霊界が地上の国家を代表した統一教会の群と一つになり、先祖たちと、後孫たちが一体化して世界の勝利圏を確約することのできる八三年となることをお許しください。反対していたすべての悪の勢力圏を制圧し、勝利に向かって飛躍的に発展することができるよう新年の初めから霊界を出動させ、命令することをお許しください。
 この場所に、地の勝利の一日を待ち望んでいた数多くの宗教人、数多くの義人の霊たちが同伴し、直系を通して解怨され、後孫たちが統一の旗印の前に集合することのできる勝利圏、地上の理想圏をつくることができるようにすることを、お許しください。
 大韓民国、日本、アメリカ、ドイツ、その他一二七カ国のあなたの愛する食口たちの涙の跡を残しながらの祈祷、この場に向かって泣きたいすべての訴えと祈祷が今、この世界の上に新しい歴史的な一つの勝利的蕩減の条件を立たせ、民族動員と人類動員を直接指揮することのできる一つの土台となるようお願い申し上げます。
 今年の新しい目標は「家庭教会は我々の定着地」という標題を基点にして、自信満々と出発し歩むことですが、新年に際して天自らこの出発を命令して下さることをお願い申し上げます。この天が宣布された命令の下に数多くの道人たちと数多くの宗主たちを動員して、彼らをして教権を一つにして、お父様のみ言を胸に抱いて前進することができる新年としてくださいますことを、お願い申し上げます。
 勝利の一日と善の主権を求めて勝利の地上天国に直行することができるように命令を下してください。命令されたことが新年の初めのこの瞬間から地上に成就することをお許しくださると信じますので、どうかそのことが宣布されますようにお願い致します。許されためぐみを感謝しながらすべてのみ旨を真の父母様の御名によって祝願いたします。 アーメン

 

 み言


 今日、数多くの宗教人たちは神を栄光の宝座に座している全知全能のお方として、また絶対的な権限を持ったお方であると考えています。ですから神は苦痛とか悲しみとかいったものとは無関係の方であるとみるのです。しかし、そのように考えながらもキリスト教では神を「天のお父様」と呼んでいます。しかし、これは二律背反しているのです。なぜなら、父であれば子供の苦しみや悲しみを共にするからです。もしキリスト教のとっている立場が神の立場と同じであるならばキリスト教はいつまでも存続するでしょう。しかし、それが神の立場に反するとすれば、終わりの日には消えてしまうでしょう。このような結論を下すことができるのです。


 宗教の歴史をさかのぼってみると、宗教の歴史は悲惨な歴史であり、殉教の歴史であり、迫害の歴史であったことがわかります。それでは宗教は誰の願いとしてそのような迫害の道を行くとみるのでしょうか。宗教を信ずる人たちは誰でも神の願う道としてみるのです。


 宗教は迫害がある時代には発展しました。それは、人々が迫害の過程で天のために祈祷するとき天はいつでも共にいてくださったからです。そして、そのような迫害の過程を通じて彼らの願いのすべては成し遂げられていったのです。しかし、宗教が一度確立し、自分のものを誇ることのできる世界的版図を持ち、楽になり迫害がなくなると自然に天はそこから離れてしまうのです。このように迫害があるときに宗教が発展してきたとすれば、その迫害はどういう意味をもっていたかということが問題になります。


 いつまでも神の側に立てられた宗教は個人的な迫害時代を越えて来ましたが、ここで問題になるのはその個人に対する迫害が単に個人的な段階でのものなのか、それともアメリカの二億四千万を代表した個人に対するものなのか、あるいは四十億の人類全体を代表した個人に対するものなのかということです。神がその迫害を人間に願うとすれば、単に四十億分の一、あるいはアメリカの二億四千万分の一の人間として迫害されることを願うのではなく、アメリカの二億四千万を代表し、世界の人々を代表して迫害されることを願うのです。それは、その個人が迫害に打ち勝つことによってアメリカと世界に勝ったと同じ立場に立たせるためなのです。この世界が善なる世界ではなく悪なる世界であるとみる限り、この世界に勝つための迫害の過程があり、これを越えなければならないのです。そのために神は、このような個人に対する迫害を許さざるを得ないのです。


 それでは悪なる世界とはどんな世界でしょうか。それはサタンが主管する世界です。そして神とサタンとは正反対なのです。サタンは自分の世界から神が一人でも奪っていって天の国をつくることを願いません。サタンがなぜそれに反対するのでしょうか。神が一人、二人とサタン世界から抜いて天の国をつくろうとしているのを知っているからです。このために世界を支配しているサタンと個人的に戦って勝利しなければ天の側に戻って行くことができないのです。それは聖書でいっているように、人間が堕落したためです。堕落しなかったならば神の愛の中にあったものが堕落することによってサタンのものになってしまったからです。


 堕落とは人間でいえば病気になったことであり、機械でいえば故障したことです。神はどうにかして病気を治そうとしますがサタンはどうにかして故障を修理させないようにするのです。一度病気になって、その病気が完全に治った人がいた場合、その人はどんなに菌がある場所に行ったとしても再び病気にはかかりません。アメリカに行こうと、韓国に行こうと、日本に行こうと、たとえソ連に行ったとしても病気にかからないのです。このようにみるとき、個人に対するサタンの迫害もこれと同じように世界的なものでなければならないのです。そして、神は世界的、あるいは歴史的に人類を凌駕することのできる個人的迫害圏を勝利した代表者と共にいるのです。


 それでは迫害はどのように展開されるのでしょうか。堕落した世界においては堕落した世界全体がその個人に対して迫害しますが、それは人を通してなされるのです。サタンはサタン世界の中で一番勢力があり、権勢があり、お金があり、その他、一番重要なものを全体動員して迫害するに違いありません。そして、サタン世界においてこのような基盤を持っているのは主権国家なのです。このようなことから歴史上において宗教を全体的に迫害して来たのは主権国家であり、それが宗教の歴史であったと私たちは考えるのです。


 それでは神は一人の人が個人的に世界迫害圏を勝利した場合、それをそのままにしておかれるのでしょうか。そうではありません。神は戦って勝利した人の個人的勝利の伝統の上に、それを受け継いで家庭を勝利させ、その家庭的勝利の上に氏族、民族、国家、世界的勝利へと発展させる路程を行かせようとするのです。そのために真に神側の世界的チャンピオンになるための道を行こうとする人は地域を回り移動しながらその環境圏内で迫害されて行かなければならないのです。これは極めて理論的なことです。


 このようにみるとき世界の終末にはどのようなことが起こるかといいますと、世界の半分以上が神側になり、これに対して他の半分が神はいないといって神を否定し反対する側になります。このように世界が必ず二つに分かれるとみるのです。現在の民主世界と共産世界がまさにそれではないでしょうか。


 キリスト教の歴史をみた場合、新教の背景には旧教があり、旧教の背景にはユダヤ教があります。ユダヤ教は国家的迫害圏を担当し、キリスト教は世界的迫害圏を担当しました。そして今日、統一教会が宇宙的迫害圏を担当しているのです。それは統一教会がそうであるというのではなく、そのような歴史の過程を誰かが経なければならないということです。過去の歴史をみると、ユダヤ教は四千年間中東地域を中心にした隣邦国家の迫害の対象となり、いつも迫害されて来ました。そのことは旧約聖書にも書かれています。次の時代を担ったキリスト教は世界的時代であったために、当時の世界を支配していたローマ帝国によって迫害をされたのです。当時、世界はヨーロッパ地域に限られていたので東洋の文明国インドとか中国はまだその出来事に気付いていませんでした。それでは今日の統一教会はどうでしょうか。東洋はもちろん西洋も含めた全体、地球上のすべての人類から迫害されているのです。迫害の歴史を通してこれをみたとき、統一教会は世界史的な内容を充分に備えているということができます。(拍手)キリスト教の歴史の流れでいえば、キリスト教がユダヤ教の主流の中の主流の内容をもっていたように、今日統一教会がキリスト教の主流の主流になっているということを私たちは知らなくてはなりません。


 それではその主流の中心は何でしょうか。それはメシヤです。当時、ユダヤ教はメシヤが来ると言っていましたが、キリスト教ではメシヤが来たと宣言しました。それでは今日の統一教会は何と言っているのでしょうか。キリスト教の主流としての思想の中心は再臨思想です。そしてキリスト教では再臨主が来ると言って待っています。しかし統一教会では再臨主が来たと言っているのです。迫害ということからみた場合、統一教会ではいつメシヤが現れると言っているでしょうか。迫害の前でしょうか、真只中でしょうか、それとも後でしょうか。(前です。真只中です)。前とか真只中であるとすれば、メシヤ自身が迫害に会うということになりますが、そうでしょうか。ですからメシヤは迫害に勝利した、まさにその時に現れなければならないのです。このような原則になっているとすればユダヤ教やキリスト教を信ずる人たちが世界的迫害を受けていないのにメシヤに会いたいというとすれば、これが本当の信仰でしょうか。どうでしょうか。(いいえ、正しくありません)。


 迫害の歴史を見るとき、神がメシヤを送る場合、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的迫害を通過した勝利の基盤の上に、そのような安全地帯に送るというのが間違いのない確実な結論になるのです。何の話かわかりますか。(はい)。ですから終末には統一教会のように世界的迫害を通過する宗教、また、このことを主張する一つの宗教が現れて来なければならないのです。そうでなければメシヤが顕現することができないのです。


 私たちムーニーは迫害が好きですか。(きらいです)。同じことを神に質問したとすれば、神も迫害を好きでないと答えるでしょう。ですから先生も好きではありません。それが人間の本性なのです。ではどうして迫害されなくてはならないのでしょうか。それは、そのようにすることによって世界を救うためです。それでは、どうして迫害の過程を通じないと救われないのでしょうか。人間が病気になったために、仕方のないことなのです。そして、病気は治さなければならないのです。


 神が病気の子供を見て「おー、おー、病気になってよかったね、私はとても気分がいい」と言うでしょうか。どうでしょうか。(言いません)。人類の始祖であるアダムとエバは神の僕ですか。それとも息子、娘ですか。(子供です)。今日のアメリカにおいて多くの父母たちが自分の子供を自分勝手に取り扱っていますが、それが真の父母といえるでしょうか。神と人間との関係はどのような関係でしょうか。(真の親子です)。それでは真の父母は自分の子供が病気で倒れて苦しんでいるのを見て子供よりももっと胸が痛むでしょうか。それともただ哀れむだけでしょうか。痛がっている子供は何も知らずにただ「ワーワー」と泣いて、痛いのを呻{しん}吟{ぎん}するだけですが、何の病気かもわからずに「ウーン、ウーン」と子供が泣くときの父母の心はどうでしょうか。それは痛がる子供よりも、もっと辛いものなのです。


 今日、既成教会で信じられているように神は全知全能であって栄光の宝座に座っていて、自分の息子、娘が死んで行くのに、その宝座で「さあ、こちらに上がって来なさい。私は座を立つことができないのだから」と言うのでしょうか。それとも宝座を捨てて降りて行く神でしょうか。どちらでしょうか。(子供のところに下りて来ます)。それでは神を王座に座しているとみるキリスト教の信仰は正しいでしょうか。間違っているでしょうか。(間違っています)。キリスト教もユダヤ教も神をそのように考えていますが統一教会では神は宝座に座する栄光の全知全能の、ただそれだけの神とは考えません。すべてのものを捨てて子供の所へ飛び降りて来て泣き叫んで大騒ぎする神だとみるのです。そこが他と違うのです。


 神が天の国、霊界を支配しているとすれば、天の国の王座を離れて地上を総動員して仕事をするために飛び降りて行くとき、すべての霊界にいる人々が「神様だけ行ってください。私たちはここにそのままいますから」と言うでしょうか。それとも「一緒に飛び降りて行こう」と言うでしょうか。(一緒に行きます)。そのようにみる統一教会の信仰は正しいでしょうか。また一般の、今までの既成教会の現実とくらべたときどちらが正しいでしょうか。統一教会の皆さんは迫害されたとき悲しく思いますか。悲しく思いませんか。どうでしょうか。人々から「あなたはどこの教会に行っているのですか」と聞かれたとき、「統一教会に行っています」とはっきりと答えることができますか。それとも、そのように言わずにただ「教会に行っています」と答えるのですか。人々から何度もその名前を聞かれて、初めて「超教派教会に通っています」と答えるのですか。(いいえ、ちがいます)。(笑い)なぜ笑うのですか。そのように答えた覚えがあるからですか。(違います)。


 皆さんは迫害がきらいでしょう。(きらいではありません)。先生がこのような話をする前まではいやだと思っていたのでしょう。それが事実であって弁解することはできません。迫害はいやだけれども、その意味を知ってみると、迫害を受けてそれに勝利しなければメシヤと共に神側に戻ることができないということがわかるのです。そのことを知った皆さんは人々の前で「私はムーニーです。私を迫害してください」と言うことができますか。(はいできます)。本当にそうしますか。(はいします)。


 私たちは個人的迫害、家庭的迫害、氏族的迫害、民族的迫害、国家的迫害、世界的迫害を通過しなければなりませんが、全体的世界的迫害を天的立場で一度だけ通過したとすれば、すべてのものをみな通過したと同じ立場に立つことができるのです。このようにみるとき、今統一教会が世界的迫害時代に生きているということは誇りうる立場にあるということではないでしょうか。はたして、レバレンド・ムーンは頭の悪い人でしょうか。よい人でしょうか。(よい人です)。それでは一体、一生の間、迫害を受けてきたレバレンド・ムーンとはどんな人なのでしょうか。レバレンド・ムーンは韓国で迫害され、日本でも迫害され、その後アメリカに渡り、アメリカでも「何をしに来たのか」と言われて迫害されました。それにもかかわらず次には「モスクワ大会をする」と言っています。これは大変なことです。それでもレバレンド・ムーンは賢いのでしょうか。(賢いです)。本当に賢いのですか。(賢いです)。皆さんには降参しました。(拍手)どうです先生が降参して気分がよいですか。(はい、よいです)。ヤコブは天使と戦って勝利することによりイスラエルという名前をいただきましたが、先生は皆さんに何という名前をあげましょうか。先生は皆さんに、はっきりと「私は降参した」と言いましょう。(拍手)


 きょうの題目は「定着地」です。神もメシヤも地上に定着しなければなりません。しかし、今日、メシヤの家庭と氏族と民族と国家が定着することのできる地がどこにあるでしょうか。神は宗教の基盤を通して定着地を尋ねて来ましたが、今までの神の摂理の中にはそれが無かったのです。メシヤが来た場合、メシヤ個人の次にはメシヤの家庭、メシヤの国、メシヤの世界が来なければならないのです。


 レバレンド・ムーンは一九七六年に世界から迫害されました。共産世界、民主世界、五色人種のすべてから迫害されました。アメリカにおいても宗教という宗教と共産党が一つになって殺そうとしました。そしてありとあらゆることをしてきました。反対しない人は一人もいないほどでした。人々はレバレンド・ムーンが偽者だと思っていました。ところが、本当に偽者であれば神が罰を与えるはずですが、偽者のように見えたものが次第に栄えて行き世界的段階にまでなったのです。そして今ではアメリカのすべての人々がレバレンド・ムーンの世話になる段階にまでなって来ているのです。宗教の歴史が同様であったように統一教会は十年の迫害の過程において世界的基盤を築いて来ました。このような事実をみたとき、神が世界的な基盤を築くことのできる内容を持っている統一教会の背後にあって多くの協助をして来たということを否定することはできません。このことから迫害はサタンがして祝福は神が与えてきたということがわかります。このような観点でみるとき、統一教会は世界的宗教になることのできる十分な内容を持っているということになるのです。
 それではレバレンド・ムーンは怖い恐ろしい人ですか、それとも怖くない人ですか、悪い人ですか、善い人ですか、普通の人ですか、並外れた人ですか、一体どういう人でしょうか。(並外れた人です)。サタン世界からみれば歴史上で一番怖い人ですが、天の側においては歴史上で一番天を喜ばせる人なのです。ですからレバレンド・ムーンを好きな人たちは神と皆さん以外にはいないという結論になります。それでは世界に六億のクリスチャンがいますが、神は彼らを嫌いムーニーだけを好むのでしょうか。どう思いますか。(違います)。愛の神はその両方を愛しています。それでは神は人数の多い方を重要視するのでしょうか、それとも人数よりも真実さのほうをもっと重要視するのでしょうか。(真実な方です)。皆さんはよくわかっているのですね。


 統一教会の信徒たちはどんなに非難されても、お父さんやお母さんに連れ戻されても、それをみな振りはらってレバレンド・ムーンについて来ます。白人世界のアメリカの賢明な青年たちがそのようにしているのです。彼らはたとえ全世界の人から反対され殺されそうになってもついて来るというのです。それは先生が真実な人であるのを知っているからです。


 レバレンド・ムーンがアメリカに来たとき、ほとんどのアメリカ人は「アメリカはルツボであり、金でも銀でも石ころでも何でもみな溶かしてしまう。だから十年もすれば、ムーニーも同じようにアメリカナイズされてムーニズムは無くなってしまうだろう」と言いました。しかし十年過ぎてみるとアメリカナイズはしないで、全部みなムーンナイズしてしまいました。これは大変なことなのです。(歓声、拍手)今まで踊りを踊ったり、ダンスをしたり、椅子に座って生活していたアメリカの青年たちがムーンナイズして、床に座るようになったのです。そして今、皆さんは先生の話を聞くために先生よりも長い時間床に座っているのです。家に帰っても、お父さんやお母さんが「椅子に座りなさい」と言うのに皆さんは「椅子はいりません。私は床に座っていたほうが楽です」と言うのです。今、これが大きな問題になっているのです。(笑い)


 お金の使い方にしても、お父さんやお母さんは家のために使ったり、自分たちの世界一周旅行のために使いますが、皆さんは国や世界のためにお金を全部捧げてしまいます。ですから家の人たちからよく言われるはずがないのです。クリスマスになって人々が新しいきれいな服を着てパーティーに出るのに、皆さんはボロの仕事用の服を着てパーティーにではなくみ旨のために出かけて行くのです。(笑い)。


 三十歳になっても皆さんはデイトすることを知りません。そのために親から「他の人たちはみな嫁に行くというのに、どうしてお前はデイトもしないのか」と聞かれますが、皆さんは「デイトをしなくても大丈夫です」と答えるのです。また「酒を飲んでもよい年令になったのに、なぜ飲まないのか」と聞かれます。しかし、皆さんの中にお嫁に行けない娘がどこにいるでしょうか。花婿になれない者がどこにいるでしょうか。一日に六千組、一万数千人が一度に花嫁や花婿になったのです。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。(拍手)これらのことを見たとき、サタン世界では、にっちもさっちも行かないことが神側からみればとても素晴らしいことになるのです。皆さんはサタン側の息子や娘ではなく神側の息子や娘になったのです。だから出来がよく素晴らしいのです。


 サタン世界においては、何とかしてムーニーを捕らえて殺そうとします。レバレンド・ムーンに対してはヒットラーやムッソリーニ、そしてスターリンよりも、もっと恐ろしい独裁者、悪玉であり、人間を丸ごと飲み込んでしまう一番の悪党の頭だと言って大騒ぎしています。(笑い)ムッソリーニはそれでも月給を払って人に仕事させますが、レバレンド・ムーンは月給を払わずに奉仕させるので、これほど恐ろしい人間はいないというのです。(笑い)ですからやがて一年、二年、三年たてばデモが起こり、レバレンド・ムーンは追い出され、その運動は後退してしまうはずだと思われていたのですが、十年たっても、びくともせずに益々前進しているので、これは大変なことになったと思ったのです。そこで彼らはムーニーに対して「君たちは洗脳されているのだ」と言って首ねっこをつかんで何とかしようと騒いでいるのですが、どうすることもできずにいるのです。その結果、ついにサタンは「これは手に負えない完全に洗脳されている」と言ってあきらめたのです。(笑い)


 次のようなこともありました。統一神学校の卒業生が他の有名大学の博士コースに進んだ時、担当教授が最初にしたことは、洗脳されていないかどうかを調べる視点検査でした。ところが結果は正常でした。(笑い)ムーニーは歌が歌えず、食事を座ってすることができず、何もかも全部できないと思っているのです。しかし、レバレンド・ムーンは、今では世界中の科学者や神学者、哲学者に知られていて、有名な学者で先生を知らない人はいません。みんな先生を高く評価して喜んでいるのです。今この時間に、かつて反対した神学者はもちろんのこと、すべての宗教界の有名な最高クラスの学者たちが、フロリダに集まって「ゴッド・コンファレンス」(神様会議)を開いています。その人たちは、かつてレバレンド・ムーンと言えば悪人であると思っていた人たちですが、今は尊敬の目で見ているのです。レバレンド・ムーンはアメリカで、十年間もたたかれて来ました。ニクソン大統領はたたかれて一年半もたたないで倒れてしまいましたが、レバレンド・ムーンはどんなに言論界から悪口を言われても、たたかれても依然として倒れずにいます。それどころか一九八二年のピープル・マガジンには八二年の話題の人として、二十五人の中に選ばれました。


 レバレンド・ムーンは立派ですか、立派でないですか。(立派なハンサムな人です)。ハンサムですか。先生はハンサムという言葉は好きでありません。それよりも先生のことを「漁夫のようだ」と言ったほうがよいと思いますが、どうでしょうか。皆さん西洋人の目から見て東洋人が立派に見えますか。ハンサムに見えるというのは嘘ではないのですか。(いいえ美しいです)。外国人を見れば誰でもそのように思うのです。それにもかかわらず皆さんは先生が好きであることを先生もよく知っています。


 では、どうして先生が素晴らしいとわかるのでしょうか。皆さんは祈祷や夢の中でたびたび先生に会うので、それがわかるのです。心の底から先生が好きでないならば、どうして統一教会のそれほどスマートでない先生が、霊的に皆さんを訪ねて夢の中に現れるのでしょうか。皆さんの中に、夢で先生に会ったことのある人は手を挙げてみてください。ほとんどの人が手を挙げましたね。それでは先生と同じようにキリスト教のすべての信徒にイエス様が現れて教えてくれるでしょうか。(いいえ)。なぜイエス様は現れないのでしょうか。それはイエス様を本当の意味において愛していないからではないでしょうか。これをみたとき、ムーニーはレバレンド・ムーンをイエス様より以上に愛しているという結論になります。


 先生によって皆さんの精神が、これほどまでに東洋に引かれるようになったため、西洋の男性は東洋の女性と結婚したいと言っています。これは今までのアメリカ人には考えられないことです。将来の統一教会の家庭には面白いことが起きるでしょう。同じお母さんから黒い赤ちゃん、白い赤ちゃん、そして黄色い赤ちゃんが生まれるでしょう。それは先祖の血がみな混ざってしまっているからです。白人のお母さんが三人の子供に乳を飲ませて育てるときのことを考えてみましょう。そのお母さんを一番好きなのは黄色い赤ちゃんで、次が黒い赤ちゃん、そして白い赤ちゃんは、それほど好きでないという時に、そのお母さんがいくら白人が好きだからといって「黒人は向こうへ行きなさい。私の好きな白人はこっちへ来なさい」と赤ちゃんに対しても大人と同じように言うでしょうか。言わないのです。そして、お母さんの横に行っていつも寝るとしても、そのままにしておくべきであって、誰もそれを差別して引き離すべきではないのです。赤ちゃんを愛しているお母さんの目には、どの赤ちゃんもみな同じように見えるからです。このことを知らなければならないのです。


 それでは神にとってはどうでしょうか。神が「白人は近くに来なさい。しかし黒人や黄色人種は向こうへ行きなさい」と言うでしょうか。もし肌の色によらないとすれば何によって神の近くに行く順序が決まるのでしょうか。(愛する度合によってです)。その答えは間違っていますね。(いいえ間違っていません)。間違っています。(正しいです)。そうです。皆さんの言うことが正しいのです。先生は今まで降参したことはありませんでしたが、真理によった場合にはしかたがありません。神も仕方なく降参するでしょう。


 もし先生が東洋の女性であったら、どんなに素晴らしいでしょうか。そうであれば、白人の男性と結婚して白人の息子や娘を生むことができます。またその白人の氏族がアメリカに住んで、黒人の血統と結ばれたとすれば、黒人の子供を生むこともでき、黄色人種と結ばれたら、黄色人種も生まれてくるでしょう。私はそのように考えるのです。東洋の女性が白人と結ばれて、三人の子供を生んだとすれば、そのようなこともあるのです。愛には色がないのです。


 今度の祝福では、アフリカの人と日本の人がたくさん祝福を受けました。このことによって日本人の両親がどれほど驚いたかわかりませんが、どんなに騒いだとしても、これは神を喜ばすことであり、人類が真の愛で結ばれる道を行くことなのです。ですから皆さんは何も恥ずかしがることはなく、堂々としなければならないと考えるのです。(拍手)日本においては「統一教会はこのような結婚式をよくやった、五色人種が統一するためにはこれでなければいけない」と新聞やテレビなど多くのマスコミに報道されました。そして、この報道を見た両親たちは「うちの息子、娘はほんとうによくやってくれた」と大喜びしました。良心からみても反対できないというのです。人種問題はこのようにして、解決することができるからです。また祝福を受けた本人たちも「ほんとうに祝福を受けるために韓国に行くことができてよかった」と言っているのです。ですから、今では日本の社会では、統一教会は合同結婚式をするものとみられています。また公的機関においても、誰が反対しようとも結婚式を受け入れようとしています。


 今までのほとんどの噂はレバレンド・ムーンを悪人だと言っていましたが、レバレンド・ムーンが祝福というすばらしいことをしただけではなく、ワシントン・タイムズを設立したことによって言論界が大きく変わって来ました。以前には怨讐として、めちゃくちゃに打たれ反対されたのに今では同志としてみるようになりました。そればかりではなく、反対していた新聞社の先輩たちを受け入れて、ワシントン・タイムズで仕事をするようにしたのです。ですから遠からず歴史のある新聞社の先輩たちのすべてが、私たちと親しくしなければならなくなるでしょう。そして反対している言論界は後退しはじめるでしょう。


 アメリカ政府が取り押さえて追放しようとしているのに、レバレンド・ムーンはアメリカを助け、救おうとしているのです。やがてこのことを世の中にすべての人々が、知るようになればレバレンド・ムーンは悪い人などとは、良心が痛んで言えなくなってしまうでしょう。以前には、高い地位の人たちが住んでいるワシントンの政府機関のビルディングの中で、回転椅子に座って自慢そうにしていた人たちが、今ではワシントン・タイムズのそのような事実を知って、みんなレバレンド・ムーンの所にアドバイスを受けに来るようになったのです。また反対していた人たちが「レバレンド・ムーンはほんとうに頭がよい、天才的な頭を持っている。どのようにして、このような時にワシントンタイムズをつくることができたのか」と言っています。また共和党全体が保守党代表新聞であると言って騒いでいますが、一方では「レバレンド・ムーンよくやってくれました」と言って拍手を送っているのです。(歓声、拍手)それはちょうど冬の間、砂糖水だけで育てられていた養蜂が春になって、おいしい花の蜜の味を知ったために砂糖水には振り向きもせず、ただ花の中に頭を押し込んで、いくら引き離そうとしても、ピンセットで引っ張っても、たとえ尻がちぎれても離れないのと同じで、他の新聞社にいた人たちがワシントン・タイムズのすばらしさを一度知ると、どんなことがあっても離れようとはしないのです。(笑い、歓声)


 私たちはいろいろの悪口を言われていますが、この名節を迎えて誰よりも実のある幸福に満ちた生き方をしています。しかし、みなさんの親の多くは、それを知らずに夜も寝ることができず、クリスマスやお正月に帰ってこない自分の子供たちは、亡びてしまったのではないかと痛哭しているのです。このようなことを考えてみたことがありますか。


 私たちのしていることはどれだけ大変なことでしょうか。


 私たちは未来のアメリカと世界を自分の手で創建しようとしているのです。共産世界をこの世界からなくし、悪のすべてを取り除いてサタンの勢力をすべて清算しようとしているのです。そのような世界ができたらどんなに素晴らしいでしょうか。(拍手)そのために私たちは時間があればフランス語をはじめ、スペイン語、韓国語、日本語等、各国の言語を勉強しなくてはならないのです。アメリカにおいては青年たちが麻薬の犠牲になって死んでいますが、私たちは世界の新しい未来のために生きるのです。言語を勉強することによって、私たちはアフリカで一人になってもどこに行っても生きることができるのです。私たちは、それを仕方なく、いやいやするのではなく自主的に希望をもって進んでするのです。皆さんはそのようにしていますか。(はい)皆さんは何と素晴らしい人たちでしょうか。休む間もなく進んで行かなければならないムーニーは、なんとかわいそうな惨めな人たちでしょうか。しかしまた、サタン世界からみれば、なんと恐ろしい人たちでしょうか。


 私たちの目の前には神が住む宮殿があります。そして、私たちはその天の国の市民となるために準備しているのです。市民としてふさわしい人格と所作と礼儀作法を学ぶために、私たちは信仰の道を行くのです。


 レバレンド・ムーンが今まで成して来たことは何でしょうか。歴史上、数多くの宗教と教団があり、数多くの宗教人たちがいましたが、神の摂理の中にあって世界的な迫害の道を勝利した神が選び愛する希望的な個人が、どこにいたでしょうか。さらにそのような家庭、氏族、民族、国家、世界がどこにあったでしょうか。この神の所願を達成するためにレバレンド・ムーンは進軍しているのです。(拍手、歓声)それではそのような勝利は誰が「確かに勝利した」と保証するのでしょうか。それは私たちがサタン世界で勝利することによってサタンが保証するのです。そして、それを果たすことによってこの世界がよくなるのです。


 サタンの保証書はちょうどブラックジャックのようなものです。ラスベガスに行って、トランプのブラックジャックをするときのことを考えてみましょう。ブラックジャックの親になった人は、まわりの人の顔を見ながら、ブラックジャックが出ないように願っていますが、出てしまった場合には、もうどうすることもできません。負けるほかはないのです。サタンのサインを受けるためには、サタンがありとあらゆる方法手段でする迫害の中にあっても、それ以上に神を愛さなければならないのです。どんなに迫害されても、それ以上に神をもっと愛するときには、サタンは尻尾をまいて「私はあなたにすべて降参しました」と言うでしょう。ブラックジャックが出たときというのは、サタンがこの人を降参させることは不可能だと認めたときです。レバレンド・ムーンはブラックジャックの出し方の秘訣を知っているのです。個人的ブラックジャックはもちろんのこと、家庭的ブラックジャック、氏族的ブラックジャック、民族的ブラックジャック、国家的ブラックジャック、世界的ブラックジャック、天宙的ブラックジャックへと版図が大きくなったとしても、愛を中心にした、その秘訣は同じなのです。


 この夜半に、このようなことを教えているのを知って、サタン世界は「おー、レバレンド・ムーンそのようなことを言わないでほしい」と言って大騒ぎしています。(拍手、歓声)知ってみれば簡単な内容ですが、レバレンド・ムーンはこれを知ったために、一生の間、迫害されながらもすべてを捧げて歩んできたのです。あるときには母親が理解できず、息子や娘も理解できませんでしたが、それでも変わりなく歩んで来ました。たとえアメリカが反対しても、共産党が反対しても、その秘訣は同じことなのです。このことを知った人たちは「迫害は私が川を渡るための飛び石である。なんとありがたいことか」と言うのです。皆さんもそのように考えますか。(はい)。先生は迫害は好きではありませんが、皆さんは本当に迫害が好きですか。(はい)。それでは皆さんは先生よりも偉大だということになります。本当にそうです。もう皆さんには、はっきりとわかったと思います。


 それでは、この前結婚したばかりの女性が男性に対して「あなたは十年、二十年もこの道を信じて来て、ようやく妻となる人を迎えたのだから、これ以上迫害されるために行く必要はないし、もう休んだらどうですか」と言ってよいでしょうか。また「将来、自分の息子、娘を食べさせるためには大学に行って博士になるための勉強をしなければならない」と言うのでしょうか。(いいえ)。(笑い)「いいえ」と言っていますが、よく考えてみてください。女性が夫となる人の服を引っぱって迫害するというのです。それがどういうことかわかりますか。まさにサタンの餌食になっているということです。


 これに対して夫が「あなたの言っていることは正しい。そのとおりである」と言ったとすれば、サタンが手をたたいて踊りながら「これはしめたぞ」と言うのです。男性は、このような時に「サタンよ退け」と相手に向かって言わなければなりません。そのように言える男性は手を挙げてみてください。それでは女性の皆さんはどうですか。女性の半分しか手を挙げていませんが、それはそのように言えないということなのですね。(笑い)きょうは新しい年です。ですからこの時間に手を挙げたとすれば、神が一人一人に印をつけて三百六十五日間認めてくださるというのです。それなのに、どうして手を挙げないのですか。もう一度チャンスを与えましょう。きょうは新しい年です。手を挙げた人は、皆許してあげましょう。(笑い)もう一度手を挙げましょう。男女とも皆、挙げましょう。(笑い)どうもありがとうございました。(拍手)時間が終わりに近づいて来ました。もう二時間過ぎてしまいました。二時間過ぎても皆さんは先生に不平を言わないですか。元日に居ねむりをすれば罪になります。(笑い)先生は皆さんが居ねむりをしないようにワンマンショーをしながら話しているのです。


 今年の標語は「家庭教会は我々の定着地」です。それでは「家庭教会」とは何でしょうか。ホーム・チャーチは統一教会の迫害の歴史を通してレバレンド・ムーンが歴史的個人蕩減の世界的基準、家庭基準、氏族基準、民族基準、国家基準、世界基準、天宙基準のすべての蕩減路程に勝利してチャンピオンとなったという決定が下された証明書として与えられたものです。(拍手)それは神とサタンの両方から与えられたものです。ホーム・チャーチによってはじめて皆さんはすべての蕩減条件を払うことができ、はじめて定着することができるのです。


 アブラハムはカルデヤのウルから呼び出され、ヤコブはカナンからラバンの家に避難して行き、モーセはエジプトから呼び出され、キリスト教はイスラエルからローマに入って行きました。それと同じように、今日まで統一教会は故郷を捨ててジプシー生活をして来ました。ですから先生は故郷を離れ、祖国を離れて、荒野のような砂漠のようなアメリカの地で、世界的迫害を受けて来たのです。そして今はモスクワ大会を宣言して、モスクワに向かって前進する過程に入っているということを知らなければなりません。先生は共産主義に対する最前線の兵士であり、一人で共産主義と戦っているのです。


 最初、皆さんたちにモスクワ大会の話をしたとき、これを聞いた皆さんは「レバレンド・ムーンは死んでしまう。なぜ死ぬようなことをするのだろうか」と心配しました。昨日の朝食の席で数人の責任者に約十分間、モスクワ大会をどのようにしてするのか、話しました。それを聞いた人たちは「それは問題ではありません」と言っていました。皆さんにも話して欲しいですか。(はい)。もしそれを聞けば「モスクワ大会は問題なくできるだろうから、もっと楽にして休もう」と言うでしょう。(いいえ休みません)。またこの話を共産党の人やスパイが知ったら、今から防御線を張って支障が多くなってしまいます。(笑い)


 ここで一つ皆さんに質問があります。もし、今先生が「モスクワに行きなさい」と言えば皆さんは行きますか。それが問題です。(行きます)。それではどのようにして行くのですか。宣教師として行くのですか。問題はそこにあるのです。今世界の共産国で統一教会の食口のいない国はありません。何年も一緒にいた、しっかりした一人のムーニーが、いつの間にかいなくなったことがありましたが、いなくなってどこに行ったかといいますと、共産国家に行き、伝道をしているのです。ある祝福家庭においては、夫が妻と別れて行きました。皆さんにはそのような生活ができますか。「祝福を受けたのだから、息子や娘を生んで楽しく生活しよう」という考えでは駄目なのです。皆さんにとって、使命が貴いですか、それとも生活が貴いですか。(使命です)。


 先生は毎朝五時に祈祷に通っていますが、あるとき、お母様が身体が痛いと言って身動きもせずにぐったりとしていました。しかし、先生は厳しく「そのくらいならば歩くことくらいはできる」と言って、起き上がれないお母様を見て見ぬふりをして、苦しくても行かなければならないときがありました。またあるときは、お母様が「あなたは夫であるのに子供を十三人も生んだ妻のことをもっと考えてくれないのですか」と言いましたが、もしお母様が先生の話をよく聞いて、先生の事情をよく知っていれば、そのようなことは言わなかったと思います。


 先生も足が痛かったり頭がとても痛いことがあります。しかし、そのようなときにはもっとそれ以上に無理をして頑張ります。その場で倒れて死んだとしても、それでもいいと思って無理をすると、いつのまにか治ってしまうのです。そのようなことがたくさんありました。夜おそくまで長い時間話をしていると、皆さんが「先生は年をとっているのでもう疲れたことでしょう」と言って同情してくれますが、自分たちのほうが疲れたので「先生もう寝る時間になりました。行ってお休みください」と言うのです。このようなときには、すかさず「腹黒い人め」と叫んでしまいます。(笑い)先生はそのような生き方をしているのです。皆さんが部屋から出ていった後は、その後かたづけをしたり、報告の手紙を読んだり、残った事務処理をしたりします。そしてそのまま椅子にもたれて寝てしまうこともあります。先生はどこででも寝ることができます。この場で寝ようと思えば、五分以内にいびきをかいて寝ることもできます。トイレで寝ることもできます。皆さんには先生が鉄のように頑強な人のように、特別に見えるかも知れませんが、そうではありません。


 先日、ある子供が先生の所に来て「自分は小さい時、お父さんお母さんがあまりにも尊く立派に見えたので、そばに近寄り難く、そのため父母の愛を十分に受けられず、そのことが恨みとなっています」と言っていました。それに対して先生は「あなたがそのように思うのはもっともだと思う。しかし、私はあなた一人よりも、もっと人類のため神のために行かなければならなかったのです」と答えました。また病院に入院している食口が誰を信じて病気を治そうとしているか考えたこともあります。中には片輪になった人もいます。すべての面において神が保護してくれればと思いますが……先生としてはまだまだ行かなければならない道が残っているので会いに行くこともできないのです。このことを考えると、本当にすまないと思います。


 このようにみるとき、レバレンド・ムーンには今まで定着地がなかったのです。ジプシーであり旅人であり、また避難民だったのです。ですから追い出されれば追われるままに出て行かなければなりませんし、それでも不平を言わずに走って行かなければならないのです。レバレンド・ムーンがそうなので、それに従うムーニーもそうなのです。それではムーニーと神とレバレンド・ムーンは、いつになったら定着することができるのでしょうか。それは深刻な問題なのです。


 一九四五年から一九八五年まで統一教会は四十年荒野時代にあるということを知らなければなりません。それは幕屋時代なのです。これからは世界的カナンの地に入って定着して十二支派に土地を分割しなければならないのです。この四十年間において、すべての蕩減条件を立て、私たちが定着することのできるカナン復帰の基準を、国境を越え主義主張を越えて世界にまで広げなければならないのです。それをすることによって私たちの国の創建が始まるのです。この時が至って、レバレンド・ムーンが次第に有名になり、今までは暗黒の地にいましたが、暗闇から朝の太陽が光り輝き出るように、次第に現れ出すのです。


 北米ではレバレンド・ムーンに反対していますが南米では支持しています。アメリカの新聞をみてみますと、新聞記者たちがレバレンド・ムーンのことを「問題になっている文師」とか「韓国の福音伝道者」、「実業家」、「韓国人ビジネスマン」とか、いろいろの書き方をしています。しかし南米においては「国際的に有名な文鮮明師」と書いています。これほど違うのです。アメリカでは「韓国人」と書くことによって、見下げようとしているのです。南米では先生を支持して「西洋が夜であるならば東洋は昼であり、西洋社会がレバレンド・ムーンに反対すれば東洋が歓迎するであろう」と言っています。


 それでは世界で、どの人種が一番人口が多いでしょうか。(黄色人種です)。今日、西欧社会が日本のために大騒ぎになっています。西欧社会が下がり日本が上がっていっているのです。上にあったものも時がたとば下りて行くようになっているのです。これからはムーニーの迫害時代から歓迎時代に移って行くのです。神がいないとすればいざ知らず、神がいるとすればそのようにならなくてはならないのです。ムーニー迫害時代が四十年であれば、それに代わるムーニー歓迎時代は四十年でしょうか。それとも四百年、四千年、四万年でしょうか。あるいは四百万年でしょうか。ムーニー歓迎時代は永遠なのです。(拍手)


 たとえ教会に来て間もないとしても、先生が苦労して勝利したすべてのものを、元旦を迎えるにあたって、皆さんはそのまま受けることができるのです。それはちょうど、第二次大戦において、一番始めに参戦した勇士たちも、飛行機に乗って戦場に行く途中で、終戦になり戻って来た勇士も、どちらも参戦勇士には変わりがないのと同じことです。レバレンド・ムーンの名と共にムーニーが有名になったこのような時代に、すべての蕩減条件を立てて神に侍り、イエス様に侍り、真の父母に侍ることのできる地上の定着地としてのホーム・チャーチを世界のどこでも始めることができたという事実は、この上ない大きな天の許しと祝福であるということを知らなければなりません。


 堕落することによって人類は神に対する愛を失い、真の父母に対する愛を失い、真の子女に対する愛を失いましたが、これを解決するために失われた本然のものを探さなくてはならないのです。ですから、第一に神を愛さなければなりません。そして、神を愛するということはホーム・チャーチを愛するということなのです。神を先に愛したという証明を受けた後に自分の息子、娘を愛することができるのです。これが原理なのです。また夫婦が愛しあった後に子女を愛することができるのです。(黒板書き)この四位基台が失われたことが堕落です。神の愛、真の父母への愛……これらが失われたのですから、これを探し出さなくてはならないのです。それをどこで探すのでしょうか。堕落によって汚された愛の園をどこで探すのでしょうか。それはホーム・チャーチ以外にはあり得ないということを知らなければなりません。たとえ三十六家庭の人であってもこの公式を通過しなければならないのです。そのために愛する妻を捨てなければなりませんし、生まれた息子、娘を愛するにしても、その前にホーム・チャーチをしなければならないのです。ホーム・チャーチで第一、第二、第三、第四と復帰の順序に従って、失ったものを探さなければならないのです。そこにおいてサタンの讒訴を受けるのではなく、歓迎を受けるようにするのです。世界を縮小したその圏内で神を愛し、真の父母を愛し、夫婦が愛し合い、子女を愛したということにおいて歓迎を受けなければ、天国に行くことができる資格を得られないのです。


 そのためにホーム・チャーチは絶対に必要なのです。今朝、朴先生が「先生、ホーム・チャーチには若い人がいなくて困りました。伝道をなんとかしなくてはなりません」と言いましたが、もしそのことがホーム・チャーチは必要でない、ということであれば問題です。先生は何か話したいことがあれば、正面からお話ししますが、今朝朴先生にお話ししようと思っていたところ朴先生が時間がなかったので、今、お話ししたいと思います。朴先生はワシントン・タイムズの社長になり、毎日のように飛行機に乗ってワシントンとニューヨークを往ったり来たりしていますが、そのような忙しい中にあっても、自分の名刺を用意しておけば若い人に会うたびごとに、名刺をあげて伝道することもできるのです。そして「私はワシントン・タイムズの社長ですが、あなたに私の会社を見学させてあげましょう」と言って、十回も往復してから、どこか一日を決めて集めるようにすれば、二十名は集まるでしょう。先生はこのように考えるのです。しかし、それをどうしてしないのでしょうか。


 新聞記者たち数百名をかかえていながら、なぜその人たちに伝道させることができないのでしょうか。記者たちが若い伝道対象者をワシントン・タイムズに案内し、見学させてあげれば、伝道できるのにどうしてそれをしないのでしょうか。どこの責任者もみなそれをしないで、先生に、人が足りないから人をまわしてほしいと言っていますが、とんでもないことです。


 遊んで食べて休んでからホーム・チャーチをするのでしょうか。もしホーム・チャーチができなかったら大変なことになります。これは生死の問題であり、永遠の問題がかかっているのです。神と真の父母様と共に自分の息子、娘、妻を連れてホーム・チャーチの三百六十軒を訪問するとき、二十四時間、家の門を開いて自分たちを歓迎し、自由に出入りすることができるようにしなければ天国に行くことができないのです。それを通じてこそ天国に行けるようになっているのです。それこそ神の永遠なる定着地となり、それを基地として国家へ、世界へ、そして天国にまでも、どこへでも行くことができるのです。また、ここを中心にして霊界に往ったり来たりするのです。それは神からみれば、海に浮かんでいる一艘の小舟が数千年間漂流を続けながら最後に舟をつけることのできる地上の基地を探すことができたということと同じ論理です。


 皆さんがホーム・チャーチの話を聞くだけでやらずに死んだとすれば大変なことになります。霊人たちは地上の人たちを信じてホーム・チャーチの基盤が築かれるまでは何十年でも何百年でも何万年でも待たなければならないのです。霊界に行ってから天国に入ることはできないのです。原理がそのようになっているからです。世界に広がっている統一教会の信徒たちや祝福家庭は先生が家庭を連れて一日二十四時間のうち、いつ訪ねても歓迎するでしょうか。しないでしょうか。(いつでも歓迎します)。皆さんも同じように、皆さんの息子、娘を連れて行く時、二十四時間のいつでも門を開いて歓迎してくれるホーム・チャーチの基盤をつくらなければなりません。


 統一教会のこの運動が世界的に公認されれば、モスクワ大会をすることは問題ありません。何の話かわかりますか。(はい)。先生は自由世界に対する責任を、みな果たしたので定着する時が来たのです。


 今年、一九八三年は重要な年です。先生の裁判も終わるでしょう。そして全世界の人々が統一教会を新たに研究しようとして来るでしょう。すべての準備のもとに歴史的峠を越える時が来たのです。(拍手)このような時に、もし皆さんがその使命を果たそうとしなければ、世界の有名な学者たちや神学者たちを動員してするかもしれません。白人たちができなければアメリカに住んでいるアジアの少数の民族を動員してそれをするでしょう。アメリカには七十万人近い韓国人がいますが、今まで、アメリカのために使ってきたものを、この七十万人のために充当したとすれば完全に動員しても余りあるでしょう。そして、今は七十万人程度ですが三年後には百万人を超すでしょう。何の話かわかりますか。その人たちは皆レバレンド・ムーンを尊敬しているということを知らなければなりません。先生が訪ねて行けば数カ月以内に全部の人たちを糾合することができるのです。それでは皆さんがしますか。(はいします)。「私は新聞社に行っていて、特別であり、責任があって忙しい」と言うことはできません。たとえ、どんなに忙しいといっても食事する時間や寝る時間があるでしょう。


 きょう新年を共に迎えた若い人たちがこのような新しい内容を知って、今年の目標に向かって、今年を決定的な年とするために戦うことを神の前に決意しなければならないのです。
 昨年の年頭標語は「家庭教会勝利」でしたが、皆さんはどれだけ勝利しましたか。勝利すべきホーム・チャーチを、私の天国をどれだけ愛しましたか。その前の年は「家庭教会は私の天国」でしたが、皆さんは自分の天国建設をどれだけしましたか。結局、誰もできませんでした。今年こそは成し遂げなければなりません。そのために、先生はここにいるすべての責任者、祝福家庭全体を動員するようにしようと思います。韓国においては、先生がアメリカに来る時にそのようにしました。いずれ、日本もそのようにするでしょう。これができなかった場合には、皆さんの全員が永遠に流浪のジプシーの行脚の路程を歩み続けるでしょう。これができなければ定着地を定めることができないからです。そればかりか霊界に行っても皆さんは先生を訪ねることができないのです。


 キリスト教において(天国を実現することができず)個人的楽園が生じたように、ホーム・チャーチができなければ家庭的天国ができずに家庭的楽園が生じるということを知らなければなりません。その家庭的楽園では、妻が夫に対して、あるいは夫が妻に対して「あなたはどうして私を引っ張っていかなかったのか」と言い、息子、娘が親に対して「どうして自分たちをたたいてでも引っ張って、天国に行けるようにすることができなかったのですか」と言って、夫が妻に、妻が夫に、そして息子や娘が親に向かって讒訴するでしょう。サタンが讒訴するのではなく、皆さんの夫、妻、息子、娘が讒訴しあう、そのような世界に留まるようになるでしょう。それがどれほど悲惨であるか知らなくてはなりません。先生はその悲惨さが、どれほどであるかをよく知っているので、そのような場を避けるために今まで無慈悲に子供を育て、無慈悲に妻に対して来ました。皆さんはこれらのことを知ってもなお妻にやさしく対し、子供を抱いて愛するのですか。


 ホーム・チャーチは何よりも重要な、何よりも先にしなければならない急務であり、生きている間にしなければならないことなのです。レバレンド・ムーンも一生を捧げて、昼も夜も目が開きさえすればそのために生きて来たのです。


 きょう、この新しい日に皆さんはこのことを知ったのですから、神を奉じ、真の父母を奉じて、真の夫婦として子供を愛することのできる定着地を求めて出発しようと決意しなければなりません。今までは何度も誓いながらその責任を果たしませんでしたが、今年こそは果たさなければなりません。自分は、今年こそは間違いなく果たすという人は手を挙げましょう。(アーメン)ありがとうございました。(拍手)