家庭教会勝利


一九八二年一月一日 午前零時 ニューヨーカーにて


 祈祷

愛するお父様、今、まさに一九八二年の元旦を迎えました。八一年の一年を、あなたの見守りの中で数秒前に送り、新しいこの時間に迎えましたことを感謝申し上げます。摂理路程において常にお父様は、私たちを導いて下さるために、多くの祭物と共に、あなた自らの加護と愛をもって指導してくださったことを感謝申し上げます。長かった復帰路程において、数多くの先祖たちが犠牲になったのであり、現代にいたっても数多くの後孫たちが今もって蕩減の道を歩まなくてはならない運命のおかれております。このような、すべての過去と現在と未来を連結させるために、一人のアダム再創造を計画されたあなたの摂理のみ旨の前に、アダム個人を中心として、それに相対する基準を家庭、氏族、民族、そして国家基準を越えて世界にまで広げようとされました。
 カイン・アベルを一つに完成させる教会基盤を一致化させるためにキリスト教文化圏を築きあげ、それを中心にして、新しい時代におけるメシヤによってアダム完成圏を世界的基準において成就しようとされた、その摂理時代における歴史過程を通して、お父様がどれほどのご苦労と闘いの路程を経て来られたかということを考えますときに、ただ感謝申し上げるのみでございます。
 第一次の父母にならなくてはならなかったアダムが堕落することによって、第一次の真の父母の位置を失ったアダムの失敗を償うべく、イエス様は第二次真の父母の名をもって蕩減復帰の責任を果たすために、イスラエル民族とユダヤ教とローマ帝国の版図の前に立たれて、教会と国が一つにならなくてはならない運命におかれていました。それは即ち、カインとアベルという二人の息子が一つにならなければエバの基準である教会完成圏を迎えることができないという原則があるからであり、メシヤの前にユダヤ教とイスラエルの国が一つになり、来られるメシヤの前に相対的な役割を果たすことのできるエバの基準と子女の基準を完成してから、エバはカイン・アベルを完成させたその位置においてアダムの前に進まなくてはならない原理的内容がありました。メシヤは、これらの事柄を通して摂理のみ旨を成就しようとされましたが、イエス様は三年公生涯の路程を通してみ旨を成すことができないまま十字架に亡くなられました。以来、営々として二千年歴史を通してキリスト教という新しい宗教を立てて、血を流しながら、あるいは死の道を通過しながら個人の蕩減路程はもちろんのこと、家庭、氏族、民族、国家、世界的蕩減路程までをも血の祭壇で連結しながら今日のキリスト教を創造して来られました。そして第二次大戦の世界的な勝利圏を、このアメリカをアベル的国家として立て、全世界の国家郡をカイン的国家として、アメリカを中心として一つにすることによってキリスト教を中心に新婦の立場を整え、新郎として来られるメシヤを迎えることによって、世界的基準において失った本然の歴史を総蕩減するためのみ旨を成就しようとされたあなたのみ意は計り知れないほど大きく、かつ厳粛なものであったことを知っております。その成就のために、民主世界の中心であるキリスト教が統一教会と一つにならなければならない運命的使命をもっていたにもかかわらず、第二次大戦を機に韓国の国を中心としてアメリカと英国を背景とした世界的な基盤を完結しようとされたにもかかわらず、キリスト教の反対によって失敗し、歴史は流れに流れて悲しみの峠を越え、再蕩減の路程を今日の統一教会がたどってきているということを考えますときに、天がどれほどの苦労を負われ、嘆きをいだかれたかと考えるものでございます。
 この場に立っておりますこの息子の三十代、四十代を中心にして、世界の舞台に向けていたあなたのみ旨は、今六〇代を越えて、七〇代、八〇代を目標にして、新たに摂理史を再蕩減することとなりました。六〇年代と八〇年代の二〇年路程において二千年歴史を再蕩減すると同時に、アダムの失敗を償うために霊肉を総合して、肉的条件までも兼ねた蕩減を果たすために、霊肉一体化の基準を通して、霊肉を一つにしたアダムの個人的基準から始まって、アダムの家庭的基準、アダムの氏族的基準、民族、国家、世界的基準の再蕩減の路程を通過して、この八一年度において、第一次三次七年路程を終了し、第二次三次七年路程の出発を発表することのできる恩賜を立てられました。このことは世界的な勝利の基盤の造成であることを私たちは知っております。こうすることによって、今後に展開される急変する摂理史の前に変わり行く世界を直視しながら、第二次三次七年路程の二年目を迎えるこの元旦の朝を迎えましたので、お父様が、ここに共にいて下さって、私たちすべての心を一つにならしめてください。
 この場において民族的基準を越え、国家的基準を越えて世界史的基準の上に立って五色人種が集まりました。それらが世界の民族を代表し、全体を総合したアベル的存在として一つになることのできる場にならしめて下さい。そして、統一教会が共産世界と民主世界の前に勝利の基盤を築き、その基盤の上に、お母様を中心にして、お父様が勝利の基盤を条件的基準において築きあげることのできた恩賜を感謝申し上げずにはいられません。
今、そのような世界的版図を再現させることによって、子女たちがその造り上げた世界史的勝利の家庭圏を確保し、国家と世界に、あるいは天宙に、そして天の前に出るにあたり、サタン世界から妨害されることなく行くことのできる勝利の条件を築き上げ、その勝利を縮小させたものとしてホーム・チャーチを与えられました。今、私たちはホーム・チャーチの基盤の下に、新しい子女の名分をもって、いかなる迫害をも乗り越え、今、歓迎する世界に向かって突進すべき、とてつもない歴史的な過渡期に第一歩を踏み入れた瞬間を迎えました。
 この八二年度は統一教会においてホーム・チャーチを中心に役事しなくてはならない新しい時代的起源を意味すると同時に、新しい伝統を設定するための年として、あらゆる至誠を尽くしていくことができますように許してくださいますことを懇切に願うものでございます。
 摂理の路程において亡くなった先祖たちは恨みを解くことができずに霊界に行って呻吟しております。それらのすべての恨みを、今日の私たちがホーム・チャーチを中心にして、すべての霊界と、過去、現在、そして未来の後孫の勝利基盤を終結させることのできる厳粛な立場に立っていることを各自が悟り、天が指示されたみ言の前に真情をもって侍ることができますよう導いてください。
 今、私たちは天の前において、もはや僕の僕でなく、僕でなく、養子でなく、庶子でなく、また、エバの恨みに同参する子女でなく、またアダムの恨みに同参する子女ではなくして、父母が喜び、兄弟姉妹が喜ぶことのできる立場に立っております。さらには、世界的蕩減路程のおいて立ちはだかるサタンの侵害を防御できる立場に立っているだけでなく、個人が前進することができ、家庭が前進することができ、氏族と民族、国家、世界、天宙にまで前進することのできる道を、これからの七年の生活圏内において築くことができるという、驚くべき時代におかれているということを感謝申し上げます。
 第二次三次七年路程を祝福してください。なお新たな決意で奮起する統一教会の群れたちの前途にある八二年の動きが、新しいホーム・チャーチ運動にあることを提示するにあたり、これが伝統の起源になるという事実を考えるときに、心のすべてを尽くしていくことができますように。心と体が一つになり、家庭における夫と妻が一つになり、父母と子女が一つになり、そのような家庭を中心にして、家庭と氏族が一つなり、そのような氏族が中心となって民族が一つになり、そのような民族を中心として国家が一つになり、そのような国家を中心にして世界が一つになり、そのような世界を中心にして天宙が一つになり、そのような天宙を中心にして神様と共に一つになり、最後に神様の愛を中心にして世界史的基準においてすべてを成し遂げたということのできる祝福の一日に向かって、再び愛の理想の実践過程をひたすら歩んでいかなくてはならない第二次の路程を出発する庭に私たちは立っております。天よ、祝福してください。
 私たちは強く、大胆に、最後まで闘い抜かなければなりません。このようなすべての悲しみの時代が過ぎ去り、歓迎を受け、私たちが同族として愛することの出来る時代圏に越えていくことのできる時代的環境を備えてくださった恩賜を感謝申し上げます。お父様、祝福してください。今や統一教会は顔を上げて声高く天の前に感謝することができ、すべての人の前で誇り得る、このような時代に次元へと移り行くこの瞬間を、お父様、祝福してくださることを切にお願い申し上げます。
長かった蕩減路程を忘れて、これからはただホーム・チャーチを舞台にして、自分の血と汗と精誠の限りを尽くして、自分の足跡がない所がないほどに私たちはその地域を歩まなくてはなりません。至誠をもって、すべての家の門を出入りして、自分が通らなかった門がないほどに至誠の道理を尽くして、主人として出入りすることができるような道を整えなくてはなりません。
そして、万物はもちろんのこと、カイン圏全体の子女たちが自分と一つになり、万物復帰の基準を完成して、カインと万物が一つにならなくてはなりません。万物圏を中心としてカインとアベルが一つになった後に初めて家庭の基準をもったお母様を中心に迎えて一つになり、その後にお母様は天の前に出ることができるという歩みがあった事実を考えますとき、感謝を申し上げます。
 今、この日、この朝は、お母様にとっては四十歳を迎える新しい日となります。年若かったお母様は、先生のような、おじいさんのような、親のような、夫のような、そして兄のような夫に仕えながら、今日の統一教会の歴史を創建するために血の滲むような道を歩みながら、よくぞ耐えてくれました。このお母様を、天のお父様、どうかあなたが愛してください。彼女は大きな心を抱いて怨讐の子までも愛し、自分の子までも愛することのできる位置に立ちました。
 今、統一家においては統一教会の祝福を受けた家庭と、先生の家庭を中心とした誉進様と孝進様の家庭とが一つにならなくてはならない歴史的使命を負っています。そのような中にあって、第一次三次七年路程が終わる年に結婚と約婚式を挙行することができたという驚くべきこの事実を、お父様のみ前に心から感謝申し上げます。今、この二人の息子・娘の家庭が、今日の統一家家庭の手本とならなくてはならない歴史的使命を担っていることを彼らは知らないでおりますが、お父様、周囲を囲むカイン側に立っている家庭たちが、この家庭を守り、かつて天使の世界が見守ることのできなかった歴史的恨みを解くために、精誠を尽くして、あらゆる面で垣根となり、手本となって、厳粛に神のみ前に孝誠の道理を果たすことができ、教えることができますように。このようなことを通して、平和の基準を備えることによって、家庭圏を中心とした基盤が氏族圏、民族圏、国家圏へと発展したときに、はじめて真の父母が国家の真の父母の基準を越えて、世界の真の父母としての過程を越えて行くことができ、さらには天上世界の真の父母の基準を越えて神様の愛の基準まで到達することができ、万世において恨みを抱いてこられた神様が、彼の国の王として君臨することのできる基盤になるという驚くべき事実を今一度考えながら、意義ある八二年を迎えましたことを、お父様が祝福して下さいますよう重ねてお願い申し上げます。
 全世界に散って、この時間、師を慕い、父母様を慕うものたちの上に祝福を与えてください。戦いの場で独り淋しく涙を流す同志たちがおり、戦いの蕩減路程において嘆息する者たちがおりましたならば、この時間を通して万代の祝福を与えてくださいますことを幾重にもお願い申し上げます。
 今、平和が訪れる新しい国をめざして、第二世たちはカナン福地に向かって出戦しなくてはならない一つの峠が残されております。カナン七族との戦いを勝利に導かなければ、イスラエルの偉業地が天の勝利と讃揚をもって受け入れることができないという事実を知っております。
かつては、イスラエル民族に対してカナン七族は反対する立場に立っていたため、天は彼らを滅ぼすように命令されましたが、今日は「愛でもって屈服させよ」という命令のもとに出発するホーム・チャーチ圏を、お父様、祝福してください。
 どうか今また、一つになって前進するすべてのものの上に祝福が与えられますことを切に願い望む次第でございます。神の栄光と平和が末永く続き、八二年度より実り多い年とならしめて下さい。過ぎ去った一年におけるすべての見守りの役事を感謝しながら、今後のすべてをあなたにお任せいたします。
 過去の先祖たちを、このホーム・チャーチ運動に参加させて、霊的天使圏世界を地上に形成することができるように総動員することを、この時間にお父様が命令して下さいますよう切にお願いする次第でございます。そのことによって、今まで地上に侵攻していたあらゆる中間霊界の障害を防ぐことのできる特権を受け、ホーム・チャーチ基盤への障害を防ぐ条件を立てることができ、さらには霊界解放圏をも成就するものと信じますので、この時間、それらのことがなされますようにお父様のみ前にお願い申し上げます。
 すべての恩賜と愛でもって、この日の朝を祝福してくださり、また、すべての上に愛をもって一九八二年を祝福してください。すべてのみ言を真の父母様の御名により祝願いたしました。
 アーメン


 み言

 皆さんは、たった今、一九八一年を送り、一九八二年を迎えました。転換するときの時間は同じ時間であっても、それは立場が違うということを知らなければなりません。それは別の日とされることを私たちは知っています。皆さんは羅針盤を知っていますね。羅針盤をみると、零から始まり、一周して三六〇度になり、再び零度に戻ってきて出発します。三六〇度を連結すると、このように(黒板を使いながら)なります。それと同じく、今から八二年度を、もう一度一回りするために行かなくてはなりません。そのような意味で今年の新しい年が皆さんにとって祝福の年であることを祈ってやみません。
 私たちは、もう一度神様について考えましょう。神様の立場からみて神様の一番記憶に残る日とはどんな日でしょうか。神様にも出発の日があるのでしょうか。(はい)。神様ご自身にもそのような日があります。一年は陰暦でみると三六〇日でなっており、これは羅針盤の度数と一致します。そして陰暦では四年目に、うるう年がきて、一ヶ月を加えて一三ヶ月とし、陽暦とあわせていくようになっています。それは原理的です。四年目に四数と一三ヶ月の一三数について、西洋では四数と一三数をいみきらっていますが、東洋でも四数をよくない数とみています。私たちは、この四数と一三数を復帰しなければなりません。数字の一三は非常に重要であり、私たちは一三数を復帰しなければなりません。陰暦では四年ごとに、うるう年がやって来て一三数を復帰します。それらの数字は神様の摂理のおいて重要な数字となっています。
 
では、神様の考える「日」に対する観念とはどういうものでしょうか。地球上での日に対する観念で考えると思いますか。神様は年や月や日時の流れを意識していると思いますか。(はい)。神様において、一日とか、三六〇日とか、新年になることとか、神様が考えるでしょうか。考えないでしょうか。(考えます)。それならば三六〇日の全部を考えるでしょうか。それとも特別の日だけを考えるでしょうか。(特別の日)。それでは神様が定める特別の日とは、どのような日でしょうか。(神の日)。

「神の日」がまだ定まっていなかった創世記においてです。誰でも、あることの始まりか、結末か、完成した日に印をつけて記憶したいと思うでしょう。たとえば神様が天使界を造り始めた日と、終わった日が特別な日になります。そしてその日を神様は記憶するに違いありません。同じように万物の一つひとつに対しても、全部その日を記憶しているのです。鉱物、草木、植物、動物一つひとつを造った日と、一つひとつの完成した日を歴史の中において記憶しているに違いありません。

地上で肉身をもったまま理想の世界にまで通過することのできる愛の関門をつくろうとするために、統一教会においては、愛の問題、家庭倫理を重要視するのです。家庭を単位として、そのような倫理と愛を実践するのです。つまり、人間はそのような最高の目的に向かって努力しつつ進まなくてはならないという結論を下すことができます。そのような努力が歴史時代を通して受け継がれてきました。それを願う神様は、男を女を、あるいは息子を娘を一つの場所に集めながら、宗教をもって今まで摂理してこられたのであり、その摂理してきたすべてのものを一つに束ねることのできる基盤をしてつくったのが、理想的家庭基盤として立てるようになった家庭教会(ホーム・チャーチ)であることを知らなくてはなりません。

皆さんはホーム・チャーチの勝利者になりたいですか。なりたくないですか。(なりたいです)。ホーム・チャーチの勝利者になるために皆さんはどうするのですか。「自分は高い思想を持っているのだから、皆に仕えられるために行くのだ」と考えますか。(いいえ)。そうです。仕えられるためではなしに、仕えるために行かなければなりません。皆さんは、ただよい場所、栄光の場所、高い場所に行くことや、人々が頭を下げて仕えるためにやってくることを願うのですか。それがホーム・チャーチですか。(違います)。なぜちがうのですか。そうです、そのような場所に真の愛はありません。

重要なことはホーム・チャーチに勝利することです。ホーム・チャーチの場所に行って、ごみ箱の底までも掃除して、奉仕しなければなりません。たとえ文句を言われても黙って奉仕するのです。なぜ、そうまでしなくてはならないのでしょうか。それは自分が完成するためです。人々を救うというよりも、自分が立てた蕩減条件で自分が救われるのです。即ち、自分のためのホーム・チャーチなのです。皆さんはそれらの人々のために何か良いことをしてあげていると思っているかもしれませんが、決してそうではなく、そうすることによって完成するのは皆さん自身なのです。そして人々がサインすることによって皆さんはホーム・チャーチの試験にパスするのです。

家庭教会がなぜ必要になったのでしょうか。それは堕落した父母ができたためです。その父母を復帰するためにイエス様が来られましたが、ザカリヤの家庭とヨセフの家庭が一つにならなかったために、イエス様が十字架につけられました。それを蕩減しなくてはならないのです。ではイエス様を誰が殺したのでしょうか。私たちが殺したのです。そのために、その罪を蕩減しなくては天の国に入ることができないのです。
 
み旨の道を行くにあたって、み旨を愛する以上にわが子を愛した場合には、み旨の道がふさがってしまうのです。切れてしまうのです。それで先生としても(家族よりも)カインを愛する道を行かなくてはなりませんでした。その道においてカインを屈服させなければならないのです。
 個人的アベルの立場で個人的カインを屈服させ、家庭的アベルの立場で家庭的カインを屈服させ、氏族的アベルの立場で氏族的カインを屈服させ、国家的アベルの立場で国家的カインを、世界的アベルの立場で世界的カインを、天宙的アベルの立場で天宙的カインを屈服させていかなければならないのです。そうするためにはカイン、アベルの世界を通過する中で、弟であるアベルの兄さんカインを復帰するのですから、ただ座っていてできるのではなく、出て行ってカインを探して来なくてはならないのです。出て行って探してこなければ次の段階に上がっていくことができないのです。これが原則であるということが理解できますか。外に出て行って戦って兄さんを探して連れ戻ってから上がっていくのです。その次にまた出て行って戦い、同じようにして次の段階まで上がっていけるのです。
 このような理由で、私は世界的カイン圏としてアメリカを尋ねて来たのです。打たれて奪ってくる、また打たれて奪ってくる。その繰り返しなのです。
皆さんがこのような形で蕩減路程を行くことができるのは、先生が蕩減条件を立てて勝利したからなのです。事実、世界のホーム・チャーチは世界教会の勝利した上に立っているのです。わかりますか。先生は皆さんが勝利するためのすべての方法を教え、さらにすべてのことを蕩減復帰できるように全世界を小さな世界に縮小しました。これがホーム・チャーチなのです。イエス様が十字架につくことによって成し得なかったすべてのことをホーム・チャーチにおいて蕩減復帰することができるのです。アベルが帰るときには、そのままでは帰れないのです。カインと一つになってからでないとだめなのです。

ホーム・チャーチは何よりも貴いものです。アメリカの大統領になることよりも、百万長者になることよりも、いかなる成功をすることよりも、問題でないほど貴いものであることを知らなくてはなりません。皆さんがホーム・チャーチにだけ勝利しておけば、皆さんが死んだ時にホーム・チャーチの人たちが讃美と讃揚ともって見送り、霊界全体がそれに拍子を合わせて歓迎すると言う事実を知らなければなりません。そこで死んだとすれば皆さんは、直ちに天の国のどこにでも通じることのできる復活体として、すなわち、何の制限もない神様の息子の特権をもって復活することができるのです。そうしなければ先生の行くところに共に行くことができません。神様のおられる所に入っていくことができないのです。
皆さんが霊界に行ったとき、過去の歴史において殉教した多くの聖人たちに会います。その聖人たちが信仰生活しながら殉教するまでの一生は、今日のホーム・チャーチの活動より難しかったでしょうか、やさしかったでしょうか。(難しかったです)。それでは、あなた方は何の特権によって、そうなったのですか。それはただ真の父母のみ言と、命令に従順に従ったという、それだけの条件が特権となったのです。霊界にいる人たちはホーム・チャーチをもっていると思いますか。(持っていません)。みなさんはどうですか。真の父母によって驚くべき恩賜と福を賜ったと言う事実をしらなくてはなりません。皆さんはそれを蹂躙するのですか。このような基盤を築くために、数多くの国が滅び、数多くの氏族が滅び、数多くの国民、数多くの人々が犠牲になってきたと言う事実を知らなくてなりません。皆さんは霊界に行って、それらの人々を指導し、教育しなければならないのに、一体何を持ってそのことができるのですか。真の父母のみ言を聞いて順応したという事実をもって、そのことが許されるのです。
ホーム・チャーチにおいて皆さんの立場はアダムの立場になります。ですから天使界にはいつでも皆さんを保護し、援助しなくてはいけない責任があります。皆さんの努力の度合いによって天使が降りたり、神様が訪ねてきたりするのです。蕩減条件によって、その度合いによって皆さんの先祖も再臨し、ホーム・チャーチ地域にある三六〇家庭の善なる先祖も相対的に再臨するのです。このようにして、悪なるサタンより強い勢力圏をなせば、サタンは自然に風呂敷を包んで闘わずに後退してしまうのです。すると今まで反対していた人が次には皆さんに近づいてくるのを実際に目の前に見ることでしょう。それでも反対する人にたいしては、先祖たちが首を絞めつけたり、色々な苦痛を与えて「統一教会に反対してはいけない」と言うのを聞くでしょう。

ホーム・チャーチを完成させるまでは不平を言うことも、後退することもできません。疲れることができないのです。先生はそれを知ったために今日まで、この世界の蕩減条件を立てるのに不平を言うことができず、後退することができず、疲れることができない、そのような歩みをしてきました。皆さんも同じなのです。ただ前進、前進、前進し続けるのです。
今は、もうホーム・チャーチのことを確実に分かったでしょう。(はい)。他には何もありません。皆さんは死を克服することのできる神様の愛の圏内で生きる復活体になりたいですか。なりたくないですか。(なりたいです)。それができなければ悲惨なものです。霊界に行ってしまえば、帰ってくることができません。皆さんは先生に会い、このようなことを知っていたにもかかわらず今までホーム・チャーチができませんでした。いったいどうするのですか。だから、今からはホーム・チャーチの勝利に向かって、すべてのものをさておいて先頭に立って走るのです。