The Kingdom of Love(愛の王国)


マルコ12章 12:28ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。 12:29イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。 12:30心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 12:31第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。 12:32そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。 12:33また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。 12:34イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、「あなたは神の国から遠くない」。それから後は、イエスにあえて問う者はなかった。


この部分は良く引用される有名な部分です。パリサイ人がこういう質問をしてイエス様を試そうとしたのです。「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」という質問に対して、イエス様はこう答えます。「第一の戒めは『主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』」 私たちはこの部分を「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして…」と普通読みますが、聖句に忠実にいうと「すべての心を尽くし、すべての精神を尽くし、すべての思いを尽くし、すべての力を尽くし」と強調されているのです。そして「自分を愛するように隣り人を愛しなさい」とあります。これに対して律法学者はイエス様の発言を繰り返します。
先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。 12:33また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです
「沈黙を破って」以降、しばらく時事問題を扱っていませんでした。以前は時事問題についてよく話しましたね。しかしここのところ説教では王国の性質として、その政治過程や経済のしくみについて、また社会主義、共産主義、寡頭政治と自由社会の違いについて見てきました。しかしそういう一般的な学びを時事問題と結びつけて考えることが重要です。というのも現在は審判の時であり、極めて深刻な時であるからです。
イエス様がこうしたやり取りをしていた時代もローマが非常に混沌としていた時でした。実際イエス様が来られる44年前にローマは崩れています。(訳注:紀元前44年2月カエサルが終身独裁官に就任するも同年3月15日 元老院派に暗殺される)そして紀元前27年にはアウグストゥスがローマ皇帝となり地上の神だと宣言します。ローマは共和国として出発しましたが、うめき声をあげながら何百年かけて崩壊の道をたどっていきます。新たな覇権の時代を経て征服の時代、帝政時代と辿っていきます。そのような状況の中でイエス様は語られたということです。
ローマ帝国は決して一枚岩ではありませんでした。最近イエス様を取り上げた「復活(risen)」という映画がありましたね。そこにピラトも出てきます。主人公は確かローマの百人隊長でしたね。戦いに出る前に小さな偶像に祈ったりしていました。古代イスラエルはそういう多神教世界に囲まれていたことを忘れてはなりません。様々な種類の「神」に囲まれていたのです。歴史的にもバビロンの神などがバール神などの形でまだ生き残っていました。子供を犠牲に捧げたり女神を讃美する神殿娼婦がいたりしました。それが当時のローマの現実だったのです。そこでローマのエリート達はヘラ(ギリシャの女神)や他の女神に香を焚いたり、神殿娼婦と交わったりしていたのです。それを霊的体験と受け止めて「愛の神」に感謝を捧げていたのです。これらが当時のイエス様を囲む現実の環境だったのです。
そのような中でイエス様は「主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である」と言います。イエス様も当時多くの神が存在するという相対主義に直面していたのです。私も神、あなたも神、何の神にだってなれる、そういう世界です。私たちは神学的相対主義が何か新しい思想だと思っていますが、そうではなく古代からあるというのです。古代の多くの神の概念、異なった様々な基準と道徳観。道徳も相対化されていたのです。神殿娼婦は古代ギリシャでは普通でしたし、教師が若い青年を犯すことも普通に行なわれていました。これが、哲学者が若者に教える内容でした。女性は月のものがあるので神殿に入ることができないとされ、ギリシャ・ローマ文化においては男同士の親密な関係がレベルの高いものだと信じられていたのです。弟子たちと哲学を学び、神を学ぶと共に、親密な関係をもつというのです。教師が生徒に知識と知恵を教えると同時に性行為に及ぶということです。ギリシャ・ローマ世界ではそれが文化の一部だったのです。それらは社会的に許されていたのです。
ゲイ・同性愛運動が盛んになり、同性婚が合法となり、またトランス・ジェンダーの問題が強力に押し出されました。その後、人種問題に起因する暴動がありました。そして小児性愛。自分たちも同じ人間なのに性的嗜好が特別であるというだけで差別を受けていると主張しています。こういう精神を病んだ人たちが、同性愛者が使った同じレトリックを使ってキリスト教徒や良心的な人々を非難しているのです。
そしてまた新しく出てきたのが近親相姦症候群です。里子に出された少女が自分の本当の父親を探し出し、そして「恋に落ちる」というのです。そういう近親相姦コミュニティも同性愛者とおなじ理屈を並べるでしょう。
同性愛者が性の区別を解体し道徳を解体しました。ひとたびそれが許されると、他のあらゆる狂気が野放しになるということです。獣姦までそうなるでしょう。これはフィクション映画のテーマではありません。私たちの社会で現実に起きていることなのです。これらは決して新しいトレンドでもなければ、新しい傾向でもありません。古代ギリシャ・ローマで一般的に行なわれていたことなのです。過去のサタン王国の文化だというのです。
キリスト教がこれらを一掃して一旦は地下に潜ったのですが、再び社会の主流に復活し躍り出て現実の問題として議論されています。イエス様もそのような道徳相対主義、神学的相対主義、文化的相対主義のなかで、しかもローマ帝政の圧迫を受けるという環境の中で語らざるを得なかったのです。イエス様はユダヤのパリサイ人に迫害されるだけに留まらず、ローマのために働くサンヘドリン(ユダヤ最高法院)の裁判官からの迫害も受けたのです。
この状況は現在私たちが置かれた状況と似ています。同性婚はローマ帝国から公認されてはいませんでした。しかしインテリ層の間ではそういうことは普通に行なわれていました。ちょうど今の大学でフリーセックスが普通に行われているのと同じです。大学に送る親御さんは気をつけて下さい。
そのような背景の中でイエス様は「主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である」と訴えます。つまり順守すべき基準は一つであるというのです。神はただ一つの性質をもち、それに背くものは神が憎むということです。神はご自身の子供を愛するので、他人の子供を犯すのは神に反することなのです。神が創造された父母からなる家庭を愛されるので、それが侵されることは望まれないのです。夫一人に4人の妻、あるいは80人の妻、あるいは一人の妻に80人の夫、そのようなものを神は願わないというのです。神は同性婚もトランス・ジェンダーの結婚も願いません。今、72種類のジェンダー(社会的性別)があるといいます。スタートレックでもそんなに出てこなかったですよ。狂っています。
イエス様は「神は一つ」といいます。自由社会、天一国憲法の観点から見て、この事実は非常に重要です。それだけでなく「真の父母」というものを理解するにおいても重要だというのです。もし真の父母が一つであり、(真の父と母が)同等の権限を持っているとすれば、今起きていること―韓オモニが、お父様が「変更してはいけない」と命じたことを悉く覆していくこと―も正当化できるでしょう。実質的にはオモニの方がお父様よりも大きな権威を持っていることをそれは示しています。
しかし真の家庭やお父様と直接関わったことのある者たちは、「お父様が絶対的主体であった」ことを疑うこともできません。真の父母の中心はただ一人であったのです。お父様が中心に位置し、その周りをオモニも他の者たちも回っていたのです。ただ一つの柱、一つの中心というのが重要なのです。なぜならそこから一歩でも外に踏み出す時、相対主義の餌食になるからです。一神教から多神教に踏み出すその瞬間に相対主義者になっているのです。二神教へと踏み出せば、幾千の多神教へとまたたく間に転がり落ちていくことは避けられないのです。創造主を相対化し、主体的相対を相対化することに伴う必然の結果です。
自由社会、天一国憲法の定める社会ではそれ(神の唯一性)が重要です。なぜなら神様が皆さんに与えられた自由と権利、すなわち天一国憲法に描かれる自由と権利は、すべての人間、すべての政府、ありとあらゆるものの上にある主権者である神様、唯一の神、至上のお方より授かったものに他なりません。それは神学でいう「神聖な権利」、自然権と言い換えてもいいでしょう。すなわちその権利はいかなる人間も、いかなる団体、いかなる政府、政治権力も奪うことはできないのです。決して奪うことができません。他の「神」をもってしても奪うことはできないというのです。なぜならそれは「唯一の真の神」、「王の中の王」から与えられたものだからです。
何か新しいことを話していると思うかもしれませんが、天一国憲法の指し示すポイント、お父様が憲法に掲げるべきとされた「神の血統を守ること」「人権」「公金を正しく扱うこと」これらの事項を具体化したにすぎません。これらはすべて「唯一真の神」を出発点とするものです。「唯一真の神」はご自身がひとたび定めた法、人類に与えた自由の賜物を変更できる同等の権力をもつ対象的相対など持ちません。
「唯一真の神」から離れるときそれがどれほど甚大な結果をもたらすかわかりますか。独裁者が横行するようになるのです。間違いなく独裁者が横行します。そして彼らは自分が「神」であると主張するようになるのです。「唯一真の神」は天一国憲法の基礎です。天一国国民のすべての自然権の源泉となるのです。これはアメリカ合衆国憲法がユダヤ・キリスト教の伝統にもとづく自然権を定めたことと同様です。「神様のないところに自由はない」と国進兄さんが何度もいうことの意味はここにあります。
考えてみて下さい。99%の人が投票して自由を求めたとしましょう。しかし残りの1%がそれを拒否し、反対するものを殺していくとすればどうなるでしょう。お前たちが平和と自由を求めるならお前たちを殺して自分は独裁者になると言うのです。独裁者は多数決で選ぶ「自由」などに縛られることなどないのです。独裁者は自分で法律をつくることができるからです。このような「独裁者原理」がいつも優位に働くのです。「人間が自分達ですべて決める」というシステムでは必ずといっていいほど独裁者がゲームに勝つのです。そのようなシステムの社会では51%が賛成すれば「権利」は直ちに消え去るのです。そして独裁者の軍門に下るようになります。論理的で知的にもまっとうな理屈です。
「自由」の源が「超越的なもの」でない限り、独裁者に勝つ術(すべ)はないのです。それは「唯一なる神」、「すべての上にいます神」です。私たちを奴隷にすることを願う独裁者のようなお方ではありません。私たちに「自由と責任」を与え、「人権」を与え、またそれをご自分の憲法に刻もうとされるお方です。そしてその憲法はメシアとその直接の血統圏を通して与えられるのです。
一神教的世界観と多神教的世界観の闘争は現代社会でも形をかえて見ることができます。もちろん現代人はゼウスなどの神々を信仰などしていませんがそれに代わる「神々」を信仰しています。科学技術を利用した「超人間」です。スーパーロボットや脳内の働きをただちにデジタルに反応させる技術などを用いて壁の向こうを透視できるような超人間をつくり出そうとしいます。数カ月前に、たっぷり白いひげをたくわえた科学者が「われわれが神になる。誰もそれを止めることはできない」と豪語している映像をここで見ましたね。新しい「神々」を信仰しているのです。それはゼウスやアテネ、アフロディーテなどではなく現代風の「神々」です。しかしその目的、行きつく先においては古代と何の変りもありません。それは何かというと「自己崇拝」に尽きます。自己の快楽、自分のために生きるという精神です。
現代にみられる状況と同じような立場でイエス様も闘っておれれます。「心を尽くし、思いを尽くして、あなたの主なる神を愛しなさい」と言われました。それができるようになるためには自分の個人的な好き嫌いを乗り越えなければなりません。いつでも一緒にいてロマンチックに慰めたり励ましたりしてくれる神様を信仰したいというのならそれは神様ではありません、むしろ子犬を飼う方がいいでしょう。
神様をそのまま受け入れなければなりません。宇宙の創造者であり、あなたの人権の創造者です。そのお方をありのまま受け止めなければならないというのです。神様が物理法則、数学の定理などのすべての法則、宇宙の構造を創造されたのです。神様が決めたことを人が変更することなどできないのです。
現代には神を求めると言いながら「魔法のランプ」のような神を探しているひとがいます。それでは真実なる神様と関わるとは言えません。真の神様との関わりとは自己を再創造し、ときには痛みを伴う形で自己を成長させ強化する、そのようなものなのです。そういう過程を通して神様はあなたが想像もしなかったような人間に作り上げて下さるのです。私たちは自己の思いを滅却して神様を受け入れなければなりません。
天一国憲法においてもこのことは非常に重要です。アメリカの愛国者がどれほど合衆国憲法を愛したでしょうか。彼らはアメリカ人であることを誇りに感じるとともに憲法を愛したのです。ジョージ・ワシントンやトーマス・ジェファソン、ジェームズ・マディソンなど知らない人たちも、独立当時よりも目減りしているとはいえ、これほどの自由を与えてくれるアメリカの憲法に感謝しているのです。
天一国憲法も同じような愛国者をもっともっと多く生み出すことでしょう。アメリカとは比較にならないほど多くの中産階級を生みだすはずです。アメリカには40%から45%の中産階級が存在します。たいへん大きな割合です。普通の人が家を持ち車も2台持っています。他の国からやってきた人々はアメリカ人の生活レベルの高さに驚くのです。天一国憲法のもとでは60%は中産階級になることでしょう。分権化が大規模に行われ、修正条項もつくることができない天一国憲法では溢れる自由と規制の廃止。実際毎年、10%の法律が効力を失います。ビジネスを起こしたことのある人は体験していると思いますが、アメリカでは規制が多く束のような書類を提出しなければならないのです。年間4万枚の書類に目を通さなければなりません。これは弁護士やコンサルタントを雇う余裕のない中小企業を潰そうという謀略です。
天一国のシステムは異なります。三権分立ではなく五権分立です。またメディアは企業の所有とはなりません。ですからアメリカでいま行われているような5つの巨大メディアが情報を独占し操作するようなことは起こり得ません。
天一国の7つ目の抑止力は「自然権」です。「自然権」の考え方は神様に由来します。市民の権利は神によって与えられたという考え方です。その中には王の持つような権利、すなわち「私有財産に対する権利」「私有財産を守る権利」「武器を所有する権利」「個人の所有物を押収されない権利」などが含まれます。このシステムの下で大きな豊かさを享受することが可能です。しかしそこに大きな責任も生じます。国の制度としての社会福祉は法律で禁じられているのです。福祉は個人レベルで、教会や皆さんのような善良な人たちによって実践されるべきものなのです。福祉は市井(しせい)の人々が愛と思いやりをもって助け合うべきものであって、腐敗した政治家が取り仕切る冷血で計算高い中央集権化された「政府」に丸投げすべきではありません。「慈善行為」を犯罪組織に任せるようなものです。それぞれが自分の責任として実践して下さい。
天一国ではまた大きな豊かさを享受できるでしょう。なぜなら私たちは責任と誠実の原則に従って動き、勤勉の原則にしたがい信用に値する人として働きます。そして契約を誠実に守る人々です。こうした行動規範は人々に成功をもたらすに違いありません。次世代も必ず成功を納めるでしょう。こうしたことは学校では教えないことです。
そうした社会的成功に伴い、人々はそれほどの自由と成功を中産階級にもたらす天一国憲法の価値を真に理解するでしょう。60%が中流家庭である社会を想像してみて下さい。他の国から信じられない数の人々がやってくることでしょう。唖然とするほどの豊かさがそこにあるというのです。世界中の人々が大挙して押しかけてきた最盛期のアメリカでも中産階級の割合は40~50%でした。加えて奴隷のような人々も存在していました。始まりは小さくともどれほど自由で豊かな国になることでしょう。社会を欺き腐敗させる福祉制度が禁じられる結果、どれほどの道徳基準をもたらすことでしょう。人々は責任を自分のものとし、それを悪魔(政府)に引き渡さない結果として非常に成熟した市民になるでしょう。
ひとたび責任を悪魔に引き渡すときどうなると思いますか。実質的に魂を売り渡すことになります。永遠の生命を悪魔に委ね、自分中心の人生を生きることになってしまいます。それは良い取引だとは思えません。
先週起こった重要な問題を取り上げてみましょう。大統領候補ヒラリー(クリントン)に関する問題です。ある報道によればクリントン財団は過激な独裁国家から相当のお金を受け取っています。女性に運転する権利も認めないような国から2500億円もの政治献金を受け取っておいて女性の権利を守るとはよく言えたものです。サウジ・アラビアの女性は週に一度、遊園地に行ってせいぜいゴーカートに乗れればラッキーだというのです。女性はそこでしか運転できません。
普段は眼だけを見せるブルカを着なければならないのですが、週一回、遊園地の従業員が全員女性だけ日を設けてその日は女性も入場客としてジーンズをはいて西洋人と同じ格好で構わないというのです。そこでゴーカートを運転してサウジの王様に賛辞をおくるのでしょうか。13世紀のようです。それらの超独裁者連中がアメリカのトップ・リーダーに財政援助してるというのです。トップ・リーダー達はまるで芸能有名人のように熱狂を欲しています。有名芸能人、映画俳優と同じ舞台に上がっては自分もファンの声援を求めるのです。
「すべての性被害を受けた女性の話を聞き、理解し支援すべきだ」とヒラリーは自分のツイッターでつぶやいていますが、彼女の夫(ビル・クリントン元大統領)が性的被害を与えた女性はわかっているだけでも10人以上います。それらの被害者の話も聞くのでしょうか。これらの女性は無視です。このような人物がこの国を牛耳っているのです。自由社会、天一国はこのような事件と対比して考える必要があります。いかに対極的であるかというのです。このような現実の中で今私たちは暮らしているのです。
7月5日、FBI長官ジェームズ・コーニーはヒラリー・クリントンが国務長官時代に国家安全保障などに関する極秘情報の扱いに関して大きな過失を犯していたと痛烈に批判する衝撃的な記者会見を行いました。FBIは証拠をあげながら国の極秘情報の扱いを違法に行なうことにより国の安全保障に危機に晒(さら)したこと、しかも100回以上もそれが繰り返されたことを明らかにしました。しかしFBIはヒラリーを起訴しない方針を明らかにし、各方面から怒りと法秩序にもとるという非難を集めています。これがアメリカの現状です。もはやこの国は共和国ではありません。このような相対主義を信奉する悪魔的魔女に支配される寡頭制国家です。このような者たちが全米を巡って国家の頂から私たちに「何が(現代の)罪であるのか」「自分達をなぜあがめなければならいのか」説教してまわるのです。アメリカの一般大衆も軟弱になりヒラリーのような独裁者のいうことをまともに聞き入れるという弱点をさらけ出すところまできました。権威に盲従するように飼いならされたのです。
これはジョージ・ソロス(米国の投資家)の写真です。ハンガリー出身の胡散臭いおじさんです。狂っていると言っていいほど危険な人物です。何と「社会正義協会(social justice organization)」という左派市民団体に3300万ドル(約35億円)を寄付しています。この組織はアメリカ国内で実質的に暴動・内乱をそそのかしています。例えばブラック・ライブズ・マター(訳注:アフリカ系アメリカ人への暴力と憎悪に対する米国の社会運動・人権保護運動)などを支援しています。古代ローマではありません現代アメリカでの話です。2千年前のイエス様の時代の話ではありません。今の話です。
今週、主要メディアはこの事件(米国ダラス、黒人による警官5人射殺事件)にかかりきりでした。内戦が作り出されたのです。これを財政支援したのがソロスのような人物です。財務公開したとき巨額の献金が表に出ました。その献金が罪のない人を巻き込む暴動に使われたのです。論調は、白人は殺されても仕方がない、警官が悪いというものでした。アメリカの警官についていうなら、平均的警官はよく人権条項を守り、修正第2条項(武器所有権)を支持しています。ほとんどのアメリカ警官は男女ともに責任感の強い人たちです。にもかかわらず、メディアには警官を悪とするプロパガンダ(政治宣伝)が横行しているのです。「いまこそ黒人社会は立ち上がらねばならない」というのです。ビヨンセ(女優、シンガーソングライター)もブラックパンサーのいでたちでコンサートの舞台でなにやら叫んでいました。こうした様々なルートを通して人々は偽りの宣伝文句を受け取っていきます。その結果、白人でなければ警官に殺されるという意識を持つようになります。
トランプ候補のときもそうでした。マスコミはトランプが人種差別主義者だと宣伝しますが、データやこれまでの記録をみるときそれは誤りだとわかります。トランプ候補を支持すると言うだけであらゆる人から人種差別をするものだと非難される有様です。
古代ローマが他国を征服するときの戦略は「分断して征服せよ」でした。内輪もめを利用したのです。人類史上最大の領土を手中に収めた大英帝国が採った政策も同じです。つい2年前、ウクライナで採られた手段もそうでしょう。シリアでもイラク、アフガニスタンでも同じことが起きています。戦争は止まらないのです。なぜなら天使長が戦争を必要とするからです。
天使長こそ「分断-統治」の作戦を使っているのです。それは去年、シリアとウクライナで起こりましたが、彼らが今、狙いを定めているのはアメリカ合衆国です。「分断-統治」の作戦がこのアメリカで展開されようとしているのです。
こういう事態になってオバマ大統領は「分断はない」と発言し「警官が問題だ」「修正第2条(武器所有権)が問題だ」と述べています。そしてこれを機に一般市民の武器所持を禁止しようとしています。
これはドラッジ・レポートです。全米主要ニュースサイトへの最大のリンク誘導をするサイトとして知られています。毎日、千二百万人が利用しています。CNNでも一日八十万人です。その見出しを見て下さい。黒人社会の暴動がエスカレートする様子を一面で伝えています。シカゴでも大きなイベントを中止したと報道しています。
艱難の時代が目に見えるようになってきました。暴動騒乱だけでなく世界経済的破綻の問題もあります。すべては天使長の支配下に収めるために仕組まれたものです。天使長の世界政府、天使長の支配。お父様は国連をカイン型UNと呼ばれて批判してこられました。なぜなら結局共産主義の思惑通りになるからです。家庭詐欺連合はこの考えに同意しないでしょう。かれらは世界政府、共産主義と共に歩むことを願っています。魂を含むすべてを失ったとき、何かおこぼれでも貰えると思っているのでしょう。
こういうことが起こっているということです。白人警官は黒人を殺すというイメージがありますが、統計では2015年警官によって射殺された人の内、50%は白人であり、黒人は26%となっています。昨年警官に射殺された黒人は200人。この数字は他の自殺などの不審死あるいは事故死の数に比較するとき問題にならない数字です。マクドナルド博士が調査したデータによると強盗で検挙された者のうち62%が黒人であり、殺人事件の57%、暴行事件の45%が黒人によるものでした。ちなみに黒人のアメリカの人口に占める割合は15%に過ぎません。このような暴力犯罪が少数派コミュニティに集中していることからそこで銃器による攻撃を受ける警官のリスクの割合は飛躍的に高まると言えます。
もちろんそうしたコミュニティには違ったアドバイスが必要です。まずそこには圧倒的に母子家庭が多いのです。父親のいない家庭では統計的に子供のIQ(知能指数)が低くなっています。また賃金の安い仕事しかなく、非行に走る率、離婚率がともに高く、父親不在では非常に不安定な家庭しか築けないといえます。たとえ立派でなくとも父親がいるだけで社会的には子供は安定して育つのです。
こうした家庭崩壊は福祉国家の成立とともに展開したものです。黒人であることは関係ありません。私の高校時代の友達はほとんど黒人でした。そのような「福祉国家」をつくりあげたのは彼等ではなく「連邦政府」です。「連邦政府」が父親を離婚してお金を手に入れるという誘惑を与えたのです。父親と離婚すれば給付金がもらえるようになったからです。
また別の男性と子供を作り、離婚すればまたお金がもらえる。こうしてフリーセックス文化、不倫文化、離婚文化を生み出したのではありませんか。シングルマザーの家庭が統計的に子供にとって最も危険な環境なのです。とくに母親にボーイフレンドがいるときはさらに危険です。こうして高い割合で非行に走らせるのです。
一体誰がこのような「奴隷制」を維持してきたのでしょうか。「連邦政府」がそうしてきたのです。コミュニティを壊し、家庭を破壊し、結婚を壊し、家庭から父親を排除し、母子家庭を量産して虐待を増やし、子供にとって危険な環境をつくり出したのもすべて天使長の位置にある「連邦政府」だったのです。天使長の位置にあるものがそもそもの出発点だったというのです。天使長が戦術的に家庭を崩壊させたのです。
また同じ統計によれば、黒人に発砲する警官は白人警官より黒人警官のほうが2倍多いということです。白人警官が黒人を憎んでいると結論付けることは決してできないのです。黒人警官の方が黒人の被疑者を撃つ割合が白人警官よりも2倍多いというのです。世間は事実に関心がないのです。しかし事実はひとの命を救います。事実に則(のっと)って話すとき人の命を救うことがあるのです。政治的配慮や感情にまかせて話をするとき、人の命を救うことができないのです。
こうした黒人社会の問題は1940年代以前には存在しなかったのです。非常に活力に満ち社会的にも学力、進学面でも勢いづいていた彼らの社会を意図的に計画的に破壊したのは、連邦政府の政策だったのです。本来、黒人社会は非常に創造力に満ちています。芸術、音楽、スポーツなどどの分野をみても分かるでしょう。安定した家庭環境を与えられさえするなら、どんな分野でも負けることはないのです。黒人社会を解体したのは天使長である「連邦政府」だったのです。父親不在の家庭を再生産した挙句、彼らの社会を追い込んだのです。これはベトナム人社会、メキシコ人社会、ヒスパニック社会でも同様の(政府による)画策がなされています。
国民がこの事実をよりよく知って(政府による)破壊作業を止めることができるなら、多くの人が助かるでしょう。これが「事実が人の命を救う」ということの意味です。真実を知ることが重要なのです。しかし人は事実に直面することが不愉快なので見たくないし聞きたくないのです。
「シングルマザーの家庭こそ子供の成長にとって最も危険な環境である」と私が言うとき女性は不愉快に思います。それがどうしたというのです。私は少しも気にしません。あなたが不愉快に思おうとどうしようと事実は事実です。シングルマザー(母子家庭)で母親のボーイフレンドが同居している場合、子供の虐待が起こる確率は平均の11倍跳ね上がるのです。こうした事実を受け止めることが生活を変えるのです。子供たちの命を救い、シングルマザーたちに「ひょっとして私の家庭は危険なのかもしれない」と気づかせるのです。
感じのいい男の子が先日のキャンプに参加していました。祝福2世ですが両親が離婚していました。母親は別の女の子を連れた男性と暮らし始めたそうです。12歳くらいのヒスパニックの少年でした。その子が「亨進ニムに話がある」と言うので、「どうしたの」と聞くと途中で泣きながら自分の事情をつらつらと話し出しました。「お母さんのボーイフレンドが僕にひどいことをする」といいました。それが何なのか具体的には分からなかったのですが私はこう言いました。「だから格闘技を練習しなければならないんだ」その少年は喜んで柔術や忍者のトレーニングに参加していました。(何週か前の)礼拝の最中に「今日初めてパンチを顔面に受けた人はいる?」と私が聞いたとき、それを聞いた彼は喜んで嬉しそうに母親に何か言い、私たちのトレーニングに参加したのでした。しかしシングルマザーの家庭に育つ彼も、危険に満ちた生活を私に明かしてくれたのでした。
私たちが事実を知ることを避け、感情に走るなら、勝つのは天使長です。事実を知らないとこういう精神薄弱なプラカードを掲げて喜ぶようになるのです。(スライドには「憎しみではなく愛を!」や「ピース。シャローム。サラーム」などのプラカードをかかげたデモに参加する人が写る)「ピース。シャローム。サラーム」ですって、マイケル・ジェンキンス(元米国家庭連合会長)かと思いました(笑) 持っているだけで気分良くなるんですね。それは基準がありません。感情の問題に過ぎないのです。事実と何の関係もありません。この国で白人が黒人を憎むということなど一般的にありません。黒人やヒスパニックに対する差別の残滓がもはやこの国に残っているとは思いません。「そうであるかのように描かれている」だけです。それに反応してフェミニストか何かが「憎しみでなく愛を!」などというサインを持ち歩くのです。
これらの女性運動家が「銃所持の自由」や「中央集権の解体」「教育省の廃止」に賛同すると思いますか。彼女たちが社会福祉の予算を削ることに賛成すると思いますか。彼女たちは事実を見ていないのです。感情のまま流されているのです。善意のおバカさんたちです。ただ良さそうなことを叫んでいるだけでちょうど韓流ドラマが気分良くさせてくれるように気分良くなるだけに過ぎません。そしてこの感情主義こそいま社会の主流になっているのです。
イエス様は「神を愛しなさい」とは言いましたが「何もかも愛しなさい」とは言っていません。すべてを愛するなら「悪」をも愛さなければならないではないですか。イエス様は「唯一なる主なる神を愛しなさい」とおっしゃたのです。一つの基準、ただ一筋に私たちと関わりたいという一条の願いをもったお方です。何でもかんでも愛して相対主義に陥いって、それが現代的で教養があると思い込む。それは愚かなことです。哲学のイロハも理解できない脳死状態だと言わざるを得ません。感情に圧倒されて相対的位置の弱さを理解できないのです。その議論は論理的ではありません。その結果、コミュニティを破壊し、人々を救うことができないのです。
例えばある人がアルコール依存症だとしましょう。「ああ、私はあなたを愛しているので、そんなに飲みたいなら好きなだけお飲みなさい」「あなたは犠牲者に過ぎません。もっとアルコールをあげましょう」などといってどんどんお酒を飲ませることで問題が解決するでしょうか。もちろんあり得ません。「最も効果的な治療は問題を直視すること」だということは証明された事実です。現実を直視し、自分が命を危険にさらしている事実をしっかり認識することが重要です。それが人生を変え世界を変える鍵です。感情に走っても何も解決しません。100%社会主義化、奴隷制、寡頭制の「喜びの王国」に利用されるのがおちです。これが悪魔のやり方です。耳ざわりのいいことだけを聞かせ、気分の良くなることだけをさせておくのです。これほど簡単な方法はありません。そして自分達が大きな社会悪と闘っていると錯覚させ良い気持ちにさせるのです。それが共産主義を招いているとも知らず!愚かな若者、年配者もそうですがこれでは「白痴」です。現実を見ることができないのです。サタンは私たちに「あらゆるものを愛そう」とさせます。神様は何でもかんでも愛しなさいとは仰いません「ただ神を愛せよ」と仰ったのです。私は妻を愛するとともに不倫を愛することなどできません。皆さんも子供を愛しながら売春宿に売ることができますか。神様を愛することは神様の願いを愛することです。この世の願いを愛するのではありません。
天一国憲法が描き出す神様との契約を愛すべきです。すなわち自由と責任、権力分散、勢力均衡、州の権利、私有財産の保護、国民の権利と主権、これらが、神様が人類に約束された事柄です―「あなた方に乳と蜜の流れる地を与える」―神様は繰り返しイスラエル人に主権を約束されました。
私たちは神様を愛さなければなりません。神様とその延長である地上のイエス様を愛するのです。唯一の神を愛するとき私たちは一つの焦点を得ます。訳も分からず何でもかんでも愛さなければ、と情感に流されることもないのです。一つの善の基準に生活の照準を合わせるべきです。人間が自分達で作った基準ではありません、そのようなものは善ではあり得ません。真なる善は、哲学でいう「至高善」、すなわち神様なのです。その至高善、神様が人間に与えたものが「自由と責任」だというのです。神様は悪なる神様ではありません。自由を下さったのです。私たちを奴隷として生んだのではありませんし、人口知能のようなものとして作り出した訳でもありません。自由と責任を下さいました。素晴らしいことではないですか。
イエス様の戒めを愛さなければなりません。「私を愛するならば私の戒めを守るべきである」(ヨハネ福音書14:15)と仰っています。神様を愛するときその戒めが私たちにとって最高に価値あるものとなります。「隣人を愛せ」という時、隣の人のためにゴミ出ししたり芝刈りをしたりするイメージがありますが、「隣人の保護者」「平和警察、平和軍」と考えることはできないでしょうか。何か隣人に起こればすぐに駆けつける。火事になれば消防士になり、敵が来れば私が警察官になるのです。私たちは偽りの王国に暮らしていたので、それが本来の隣人の愛し方だとは知りませんでした。たとえ隣人が「変わった人」「自分と意見が異なる人」であったとしても関係ないのです。隣人の生命を守る保護者、警官だというのです。たとえ隣人がイスラムであれレズビアンであれ、その生命を守る者にならなければなりません。たとえ隣人の考えが自分と全く違ってもその権利のために立ち上がらなければなりません。それが「真の神の人」と「リベラル」、共産主義者」との違いです。大きな違いです。たとえ愚かな考えを持った隣人であったとしてもその生命を命懸けで守ること以上に「隣人を愛する」素晴らしい方法があるかというのです。それが自分を迫害し憎む者のために命を捧げられたイエス様が身をもって私たちに教えて下さったことではないですか。それゆえに神様を愛し、イエス様を愛し、そのような信じられない人間になろうと努力しているのではないですか。
カルトのメンバー、宗教の信者になろうとしているのではありません。神様、イエス様との絆を結ぶことを通して自分をよりよく変えようとしているのです。思いを尽くして神を愛し、隣人を愛するものになろうとしているのです。これがイエス様から学ぶ社会学です。
「神の国の福音を愛しなさい」とイエス様は説かれました。多くの教会が福音からそれていきました。自由と責任の与えられた地上の神の国を愛することが社会の核心です。神様を愛するなら、神様を損なうものを憎まざるを得ません。神様が子女に与えられ相続された賜物を奪おうとする者を憎まざるを得ません。自由を奪おうとする寡頭政治など憎むべきです。神の理想を破壊しようとする思想を憎まなければなりません。妻を愛するとき同時に淫行を憎みます。「まあまあ、そう固いことを言わずに」などと相対主義の罠に陥ることはありません。自由と責任という賜物を否定しようとするものを憎みます。「国民のため」という見せかけの寡頭政治を憎まなければなりません。最初は国民に奉仕するように見せかけながら結局、国民を寡頭制の奴隷に貶(おとし)めるのです。今アメリカで起こっていることがそれです。(ヒラリー)クリントンは別世界の住人です。一般市民は彼女のようなまねはできません。同じようなことをすれば必ず刑務所行きです。なぜ彼女だけすり抜けることができるのですか。もはやアメリカは自由の国ではありません。マスメディアを支配し国民を「脳死状態」にまで洗脳するものを憎むべきです。ソビエトもヒトラーも独裁者は皆この方法を用いています。天使長の手段です。それゆえ、天一国憲法で制限をかけているのです。これがアメリカの現状です。
先週の自由社会の勉強会でも出ましたが、ホワイトハウスは7月1日付である大統領令を出しました。問題は、その中で初めて「政府の自衛権」という概念を持ちだしたことです。そしてそれが「固有の」権利だというのです。本来、政府には政府自身を(武力で)守る権利などありません。そして「政府」を守るために必要な武力行使が許されるというのです。しかもその武力行使に制限は設けられていません。今や「政府」は自分をまもるため特殊部隊を含むあらゆる武力を用いることができるというのです。大統領令には他の「政府」と協力して市民の暴動を抑えるとも書かれています。それは耳触りの良い言葉で包まれていますが、実質的に「政府」が一般市民を必要とあれば殺す権利を大幅に拡大しているのです。こういうことはヒトラー体制下のドイツでもありました。ユダヤ人の集団虐殺は当時合法だったのです。
これで全体図が見えてきました。マスコミは白人対黒人の構図しか見せませんが、天使長の構想は人種間闘争を利用してウクライナのように分断―統治することです。そして「国際的」な支援を求めさせる。そのためやってくるのが国際連合です。あるいはNATO、あるいは他国の軍隊が騒乱を治めるためアメリカにやってくることが法的には可能になったのです。これは非常に危険なことです。本来他国人である彼らはアメリカ国民のことを配慮しません。他国民を使って自国で警察行動を許すなど、全体主義国家でない限り考えられないことです。視野を拡大すれば天使長が世界レベルでやろうとしていることが分かります。
支配をただ拡大したいのです。韓オモニのとった行動の結果、世界は大患難の時代を迎えました。当時、皆私たちが気が狂ったと思いました。しかし3年経って世界経済は崩壊の淵にあります。今ドイツ銀行が破たんに瀕しています。リーマンショック以上の打撃に見舞われようとしています。超ド級の経済危機、人種間戦争の危機などは天使長が救世主を装って登場する舞台づくりなのです。天使長は問題を改善して見せることで世界を世界政府に導こうとしているのです。これはコーラン、仏典、そしてとりわけ聖書が予言していることです。聖書は世界政府の成立を予言しています。私たちは文字通り覇権の時代を迎えています。緊迫した時代です。大きな災いが来るでしょう。
あるデモを行っている青年が手に持っていたプラカードには death to ameri-KKK-aと書かれていました。アメリカをKKK(キュー・クラックス・クラン)に例えているのです。どれほど国から意識が離れてしまっていることでしょうか。まったく洗脳されているという他ありません。問題は警官にあると思い込んでいるのです。海外の銀行にハイジャックされていることに思いが至らないのです。彼らにとって問題の所在はヒラリー・クリントンのような罪を犯しても抜け道をやすやすと通り抜けていく悪徳政治家や「連邦政府」でもなければCIAでもない、「黒人を憎む白人警官」これだけなのです。これがアメリカの現状です。事実が重要です。人が何と言おうと構いません。本当のことを話すだけです。それによって誰かの生命が助かるならそうすべきでしょう。お父様から離れ去って地獄に行くしかない霊的生命がお父様に戻るとき、考え方においてもこの世のマスコミや一般社会のいうことを鵜呑みにしなくなるでしょう。たった一人でも真実を知るならその人を通して先では多くの人が知るようになるのです。それが真実の美しさであり自由と責任の力だというのです。神様からの賜物の価値と善の上に立っているので最後には必ず勝利するのです。
一方で全体主義者は間違いなく敗北します。負けを知るまで戦いをやめないほどに傲慢であるからです。終末には神様が勝利を収めます。サタンの王国は一掃され、神様の千年王国、天一国が現れるのです。


天聖経1788(英語版) アメリカの青少年には、世界がなく、国がなく、家庭がなく、父母がいません。フリーセックスを中心として「ホモセクシュアルだ、レズビアンだ」と言って、男性と女性を否定しているのです。このようになれば、人類は1世紀以内ですべてなくなるのです。悪魔の魔法に引っ掛かってうめいているこの人類の惨状を御覧になる神様の心は、どれほど痛いかというのです。(208-265,1990.11.20)

 

天聖経のお父様のみ言「悪魔の魔法に引っ掛かってうめいている人類」という部分が本当にいい得ています。権力のトップにいる者たちはただ単なる強欲な金持ちの独占者ではありません。彼らは霊的になっています。カルトの力に捕まえられているのです。それは古代の邪教に通じています。我知らずそれらの力が世界を支配する力を与えてくれるからです。古代のサタン的儀式にはまり込んでいます。そして一般大衆を魔法にかけているのです。文字通り自分たちは超越した力を持っていると思い込んでいます。
彼らに人類をゆだねることはできません。彼らに私たちの子孫を任せる訳にはいかないのです。ルーシェルの地獄の深淵から湧き出た者達だというのです。全体主義者の血統の淵から生まれた者達なのです。サタンの胎から生まれた者達です。地上のサタンです。
私たちが神様の自由と責任、神の国のために立ち上がるためにはこのような敵と向き合わなければなりません。真理と力、御霊と栄光、徳を持って戦い、はっきりと彼らに向かって「間違っている!」というのです。そうすることで人々の目を覚ますことができるのです。またその人びとがまた他の人を目覚めさせる。
人類という「眠れる巨人」が真の自由、神様の賜物に目覚めるとき、愚か者たちの支配のくびきを打ち破るのです。天使長は激しく反撃することでしょう。しかし負けは確定しています。厳しい時代がやって来ます。しかし天使長の敗北という結末を私たちはすでに知っているのです。神様は勝利を収めます。神の国は打ち建てられます。そして私たちはその王国で神様と共に暮らすのです。そこで神様と共に天使長を支配するのです。そして神の王国の正統な後継者として立つのです。アーメン。

み言は「サンクチュアリNEWS」から引用させていただきました。

※ サンクチュアリNEWS:https://nqj17437.wordpress.com/