家庭教会は私の天国


一九八一年一月一日午前零時
ワールドミッションセンター

 

 祈祷


 愛する天のお父様、今まさに一九八〇年が過ぎ、新しく一九八一年を迎える元旦の扉が開かれました。数多い歴史過程を通して、恨み深い日々が過ぎ去っていきました。
 その間、韓国における一九二〇年度からの六〇年期間は、あなたがこの地上に送った不肖、この息子を、天自らが育み、鍛錬してくださり、物心のつくときまで、お父様の保護の中で導いてくださり、新しい歴史的な観と歴史的使命を果たすべき人間がどうあるべきかと言うことを教えてくださいました。神とイエス様を知ったときから、歓迎と栄光の一日があなたの歴史の中にあるべきであることを知りました。しかし、民族を中心としたキリスト教と、韓民族が責任を果たせなかったために、悲しみの歴史を経て、通過しなければならなかったことを今一度回想するものでございます。
 しかし、天は、必ずや勝利の日を迎えるために、数多い日々、数多くの血ぬられた闘争の道を、幾度も繰り返してこられました。お父様のその労苦の前に、真実、感謝を申し上げます。
 また、一九六〇年代より、二千年の歴史を今一度蕩減するために、キリスト教が果たすことができなかった責任と、国が果たし得なかった使命を蕩減すべく三次七年路程を設定したその日を思うとき、あたかも昨日のように思われます。今日のこのような歴史的勝利圏があろうとは、誰もが想像することができなかった、その当時を回顧しながら、今や三次七年路程を既に終了し、第二回目の三次七年路程を発表することのできる歴史的な時を、生きながらえてお父様を奉じ、世界の前に蕩減して宣伝することができた、その日がどれほどの感謝であるか知れません。
 今、本格的に、国家と世界の次元を乗り越えて、新しい歴史的門戸を開き、八〇年から八一年に向かって躍進する新たな決意の場において、今年の標語を、「家庭教会は私の天国」という題として出発したしますから、お父様、この標語を喜んで受けてくださり、統一の群れが、このような内容を持って祈祷する所はいずこでも、お父様が親しく共にいてくださいますよう懇切にお願い申し上げます。
 なおまた、この場には、昨日、八四〇双の新しく天の家庭として因縁を結んでくださった、あなたの記憶することのできる子女たちが、世界の各地から集合しました。あなたが共におられて、この八一年を新たな希望で胸をふくらませ、この栄えある場に同参させてくださいましたことを感謝申し上げます。輝く新しき八〇年代の旗を高く掲げることのできる八一年を迎えてという事実はこれからの一〇年間は、ありったけの精誠と忠誠をもって歩むべきときでもあります。家庭を代表とした全体が先頭に立つべき、家庭教会時代を迎えたことを感謝申し上げます。
 サタン世界のいかなる混乱相を眺めたとしても、彼らが、内的により天を畏れながら、希望が失せていくこの世に対して、高く大きい希望を抱きつつ前進することのできるあなたの子女たちとならしめて下さいますよう切に望み願う次第でございます。
 遠く、韓国と日本、そして全世界の一二七カ国において環境と事情は異なりますが、どうぞこれらの国々をご覧下さい。どの国にも父母様と天を慕う幼い子女たちが広がっておりますので、その場に祝福を与えてくださいますことを切にお願い申し上げます。
 厚大なるお父様の愛の中で、この息子を歩ませてくださったように、家庭を保護してくださることを信じておりますので、なにとぞ、鉄石のごとき不動の守りと変わらぬ役事の恵によって、困難な環境を開拓し、任された責任を果たすために、あらん限りの努力と忠誠を尽くす不足なき子女とならしめてくださいますように懇切に望み願う次第でございます。
 希望の八一年を迎え、新たに展開される多忙な日々を、お父様の御前で報恩することを今一度誓いながら、流れいく歴史の中で、誇り得る八一年となるように祝福してくださるようお願い申し上げます。また新しく誕生した指導者が、聖恩を受けたその日から、歴史的な世界の新しい責任を担当することができますよう前途を祝福してください。さらに、韓国もそのような道を行き、アジアと西欧が連結することのできる輝かしい新しい次元の世界を展開なさしめてくださいますことを切にお願い申し上げながら、任されたすべてのことを喜びとしてお受けくださいますよう、真の父母の御名によって祝願申し上げます。

 新しい時代一九八〇年代
 新しい年のメッセージは「家庭教会は私の天国」です。
 私たちは今、一九八一年を迎えました。一九八一年を迎えることにより、一九七〇年代のすべては過ぎ去り、今や完全に八〇年代に入りました。これをみ旨の立場から先生を中心としてみるならば六〇歳を越えて七〇歳代に入ろうとしています。私が一六歳と時にみ旨を知り、それを出発してから四四年が経ちました。
 六数と四数は、今までサタンに握られていた数でしたが、この復帰の勝利的なときを通して、それは天的な数としての支えとなり、新しく七数が歓迎される数として連結する支えとなることでしょう。つまり、四数が六数と共に、天の基本的数となすことのできる時代に入ってきたということです。そしてこれは、今年から始まって、一九八〇年代が、統一教会自身の新しい時代に入ろうとしていることも意味しています。八〇年代、一九八一年からの一〇年間は、天の協助を受けて、統一教会が急速に成長する期間になるはずです。もはや速く歩くというよりも、これからは跳び、飛躍するにちがいありません。そのようになるでしょう。そして八〇年代から九〇年代に入るということは、私の年齢は七〇歳になるということです。み旨を中心としてみるならば、それは実に重要な期間に向かって出発しているという観念をあなた方は持っておかなければなりません。
 
 世界的蕩減の場、ホームチャーチ
 レバレント・ムーンが世界的蕩減を終えたとき、あなた方にはホーム・チャーチ圏しか認められないのです。ホーム・チャーチにおいて、私はすべての相続権を与えました。今からあなた方は個人的にホーム・チャーチの領域で働こうとしています。私は世界的蕩減条件を全部伝授し、皆、成し終えました。レバレンド・ムーンの行く道を、あなた方は後を追ってこなければなりません。ヤコブが歩んだ道はイスラエル民族が行かなければならなかったのであり、モーセも行かなければなりませんでした。そしてモーセの行く道を民族が行かなければならず、イエス様も、また誰もが歩まなければならないのです。では統一教会はどうでしょうか。私が行く道を、あなた方も、世界の人々も歩まなくてはなりません。
 アメリカで、統一教会のメンバーが伝道し、あらゆる活動をするとき、レバレンド・ムーンが出会ったのと同じような反対に出会います。しかし、レバレンド・ムーンが街頭に出て伝道するということになった場合は別ですが、あなた方がそこに行くときには、彼らはあまり興味を持ったり、真剣であったりしません。それはどういうことでしょうか。それは、誰も、もはや統一教会に反対する興味を覚えないということです。あなた方は成すべきことはなんでしょうか。このホーム・チャーチに対して個人的蕩減条件と共に、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙を乗り越えることのできる蕩減条件を立てることです。過去、レバレンド・ムーンが四〇年間、韓国をはじめとする四十カ国を中心にしてあらゆるところを行き巡りながら、非難され、ののしられたことを、あなた方も一生かかってやり遂げていかなければなりません。
 世界的蕩減をする特殊な舞台として、これを決定してくれる所として、ホーム・チャーチを掲げました。ホーム・チャーチの三六〇軒は、世界の三六〇民族を代表することができ、全体を代表する用語としてすべてを決定してくれるのです。そして、これは神とサタンの両方から認められています。ですから、私たちがホーム・チャーチをよく行わなければ、どんなことをし、どんなに伝道しようとも、それらの全部はあまり重要ではありません。すなわち、実際にホーム・チャーチを行わなければ、天国にいくすべがないのです。
 心の天国と体の天国がありますが、心の天国、体の天国とは何なのでしょうか。心の天国とは、心の中で、サタンがあなた方を讒訴できないという意味です。同じように、体的な体の天国は、あなた方の体において、どこもサタンが讒訴できないことを意味します。故に、もし私たちがサタンの讒訴から免れているならば、それが天国であるわけです。そして、さらに、私たちは環境的天国を持つべきです。環境とは、私たちが家から踏み出して、隣近所に歩いていく所です。もし、サタンが環境について、なんら讒訴条件を持たないならば、真に最小サイズの天国にいることになります。
 それこそ、イエス様が成そうとしたことでありました。誰でも、教会に来て、レバレンド・ムーンの考え、理想にしっかりとつかまっているならば、どうなるかというと、ただちに心と体におけるサタンの讒訴がなくなるでしょう。サタンは、彼についてどこも讒訴するところがなくなります。ところが、彼が、十分に強くなり、出て行き、環境を伝道するようになると、サタンの反対に出会い、家庭内でなく家庭外で戦いが起こります。堕落したアダムとエバは環境を持っていませんでした。この環境が確保されたとき、ただちに家庭基準の天国を持つようになります。そして、氏族基準まで天国が確保されるようになります。
 しかし、その前に、迫害に打ち勝つことによって、環境に勝利しなければなりません。我々の教会において、環境に打ち勝たなければ、孝なる息子、娘になることはできません。なぜなら、仕える基盤がないからです。環境は私たちに仕えるための基盤を与えてくれます。天はこのホーム・チャーチを父母に仕え、愛国者、聖人として仕える上での基盤として認めます。言い換えれば、私たちがホーム・チャーチで勝利すると、神はその人をホーム・チャーチにおいて聖人として認めるのです。聖人は世界的な人物ですが、このホーム・チャーチという単位において勝利することによってそれば認められるのです。
 では、ホーム・チャーチが発表されたのは韓国でしょうか。それともアメリカでしょうか。(アメリカ)。なぜアメリカでホーム・チャーチを発表したのでしょうか。このニューヨークの三六〇軒という環境においては、四〇から六〇の異なった人種が生活しています。世界の他のどんな所にも、環境状況がそのような国はありません。そういう面でユニークです。もし、三六〇軒の部分、あるいは全部があなた方に反対したならば、それはただ単なる個人とか、家庭が反対しているのではなく、そこにはあらゆる人種がいますから、それは全世界があなた方に反対しているのと同じことになります。世界基準の蕩減を通過することができる国がアメリカです。アメリカのニューヨークで勝利することにより、私たちはその後で、ワシントン、フィラデルフィア、ボストンなどを担当しても、だんだんと容易になります。この理由のために、私たちはホーム・チャーチを担当しなければ、天国を建設することも、天国へ行くこともできません。

 家庭教会は「私の」天国
 さあ、きょうの課題はなんでしたか。「家庭教会は私の天国」。天国とは誰の天国ですか。あなた方のお父さんやお母さんの天国ですか。それは私の天国です。
 これまであなた方は、ホーム・チャーチは統一教会内部の、ある制度だとか、教えであるとか考えた人も多かったかもしれません。しかし、もはやそうではありません。統一教会におけるホーム・チャーチは、私という個人的な、本当に個人的なものであり、多勢とか、すべての人に属するといったものではなく、文字通り私の天国なのです。
 イエス様が来るまで天国はありませんでした。イエス様は、天国の鍵をペテロに与えましたが、イエス様はどこへ行ったのでしょうか。彼は十字架へ行かれましたか。それとも真っ直ぐ天国に行きましたか。十字架へといかれましたね。天国の鍵はなんでしょうか。それはホーム・チャーチです。それ以外はありません。ではペテロはどうすべきだったのでしょうか。今、私たちは、彼がその体的天国つまりホーム・チャーチを開くべきだったと言うことを知っています。そして、私たちの言葉で言う、環境を確保できるのです。その後に氏族の編成が成されます。イエス様が「あなたが地上でつなぐことは天でもつながれ、地で解くことは天でも解かれるであろう」と示されたように、私たちも地上で天国を実現しない限り、霊界での天国も実現されません。
 ここで、先生は同じような状況にいます。先生は地上天国の鍵を与えなければなりません。すると、その鍵を与えた後、私はイエス様のように地獄に行くのでしょうか。(いいえ)。それを既に確保したので、違う方向へ、違った状況へと向かっていくのです。大きな希望と期待を持って、より高い次元の働き、すなわち完全な天国へと向かっていきます。イエス様が地上を去ったとき、彼は、自由に、思い通りにまた帰ってくることはできません。この点でも私は異なっています。弟子に鍵を与え、地上を去ったとき、また戻ってきたければ戻って来ることもできます。
 私が戻ってくるときは、統一教会に戻ってきますか。それともホーム・チャーチに戻ってきますか。(ホーム・チャーチ)なぜですか。教会は家庭のための、社会のための事務所のようなものです。それはちょうど中間のようなもので、事務所です。しかし、ホーム・チャーチは神が働くことができる所、父母様が働くことのできる所、息子、娘がすむことのできる所、一生涯ともに暮らすことのできる所です。真の兄弟がそこに住み、真の氏族がそこに住みます。それがホーム・チャーチです。(大拍手) 
 私はあなた方に祝福を与えましたね。(はい)。その返事はあなたが個人として祝福されたからですか。(いいえ)。それともこれから国家や世界が天国に近づくことができる、したがって、「もしあなたが私を蹴飛ばし、私に信じられないような指令を与えたとしても、私は情熱をもってあなたを歓迎します」、そうした意味での感謝のサインなのでしょうか。

 ホーム・チャーチを訪ねたい
 私は成功したホーム・チャーチに行くとき、ノックもせずに家に入っていきます。そして、私のために備えられたすべてものを取り上げて出て行き、それをあげたい人にあげます。そのとき、「先生、あなたは前もって電話もせずにやってきて、私に一言も連絡せずにそれを取りました」と不平を言うでしょうか。(いいえ)。それとも、「それは皆あなたもののです。いずれにせよ、あなたのために用意されたものです。私に知らせずにあなたが何をしようともかまいません」。あなた方はそう言いますか。「先生、私はそれを好みません」と言いますか。それとも、「先生がそんなにくつろいでいるので、大変うれしく思います。それはあなたのために用意されました」と言いますか。あなた方が私に文句を言わないことを知っています。しかし問題は、ホーム・チャーチのメンバーが先生に対してどうするか、ということです。それが問題です。わかりますか。先生が入ってきて何かを蹴飛ばして壊し、出て行くとき、またそうします。それでも、ホーム・チャーチは私が来て何かをしたことで、ただもう嬉しそうにしています。(はい)。
 私が百歳生きるとすれば、三万六千日生きることができます。それでもし、私が一軒のホーム・チャーチを一日訪ねるとすれば、三万六千軒のホーム・チャーチしか訪ねることができません。もし、私が一日に一軒の家を訪ねて、周りのものを蹴っ飛ばすとしても、三万六千軒しか訪ねることができません。しかも私は、これから百年生きるわけではありません。もう六〇歳ですから、どうして百年も生きることができるでしょうか。もし私が五年間、毎日一軒の家に行き、そこにある物を蹴飛ばして壊したとしても、千八百件しかできないのです。たったそれだけです。その千八百軒だけが、その壊れた物を持つことになるのです。それはあまりにも貴重なものになるので、博物館に飾られるようになり、皆が、「どうか私の家に来てください」と争い合うようになるでしょう。(笑い)。あなた方は、それを打算的な意味でもやるかもしれません。「どうぞ来てください。私たちはたった千八百軒しかないうちの一軒になるのですから」。
 そのときがやって来ると、あなた方はクリスマスのベルのようにベルを鳴らし、音楽をかけ、先生が自分のホーム・チャーチに来られるように願をかけます。私はあなた方のホーム・チャーチに行きますが、あなた方が先生を招待すれば、先生が自分のホーム・チャーチに来ると思いますか。あなた方が招待すると、先生は行くと思いますか。私はあなた方に招待されたからではなく、行きたいから行くのです。(笑い)ですから、それはあなた方次第ではなく、私次第なのです。たとえ、あなた方が私を歓迎しようとも、もし私がそこへ行って、そこにある物を全部壊してしまったら、(拍手)、あなた方が霊界へ行った後で、私は大きな霊的(天上)天国をそこにつくります。そうしてあなた方は歓迎されます。先生はあなた方のホーム・チャーチに行き、すべての家具類を壊しました。ですから、あなた方は先生の天国に来て、どんな家具でも、好きなだけ壊してもかまいません。あなた方のホーム・チャーチでは、すべての家具は木製でしょうけれども、先生の霊的天国は金やダイヤでできており、あなた方は自由にそれを壊しても良いのです。(笑い)。
 あなた方は申込用紙にサインしますか。「先生、私はそうします」。そのような申し込みにあなた方はサインしますか。(はい)。それを申し込む人は手を挙げてください。でも、その申込用紙にサインしても、あなた方は好き勝手にそうすることはできません。私が「さあ、どうぞしてください」と言うとき、はじめてあなた方は志願することができます。あなた方が、それは良い考えだと思って、それに志願しても、そうすることはできません。私があなた方に志願する権限を与えます。あなた方は志願する権限を自分で持っていません。わかりますか。(はい)。

 体的基準の相続
 あなた方が「はい(イエス)」と言うとき、イエスが何を意味するか分かりますか。イエスとは韓国語でイエス・キリストのことです。
 あなた方は、ホーム・チャーチについてよりよい理解を得、ホーム・チャーチがどのようなものであるかについて、明確な理解を得ています。私はどこに行って蹴飛ばしたらよいのでしょうか。今、あなた方は霊的(天上)な天国を相続したいと思うでしょう。(はい)。イエス様は死にましたし、彼は受けませんでした。イエス様は今日まで努力して来ましたが、しかし、彼は受けませんでした。彼はそれを建設しにやって来られましたけれども、それを得ませんでした。イエス様は体的な天国も持ちませんでしたが、今のあなた方はこれらのものを相続する上で、なにをもっているのでしょうか。相続のために何を持っていますか。
 もし私が、「さあ死になさい」と言ったならば、最低死ぬふりをしなければなりません。あなた方が死のうと決意し、死のうとしているならば、私はそれを見て、「思いとどまりなさい」と言います。非常に面白い話をしましょう。私のいた田舎で、ひとりの少年があまりにもいたずら好きなので、その両親は「あなたは私の手に負えない、さあ死んでしまいなさい」と言いました。そこで、その子は真に受けて首吊りをしようとしました。彼は死のうとして、「お父さん、さあ私はもう死ぬ準備ができました」と叫びました。そこで両親がやって来ましたが、彼が本当に首をつろうとしているのを見ました。両親は一体全体どうしたらよいでしょうか。両親は彼を連れ出し、「いいえ、そうしないで。今、私はそうするなと命じます」と言います。
 こういう話は韓国人が好んで話す内容です。誰かがあなたに「死ね」と言ったならば、あなた方は死ぬふりをするとよいのです。(笑い)。そのようにするのです。ですから、あなた方はそれを理解しなくてはなりません。私が、「死になさい」と言ったら、あなた方は「いいえ、私は死にません」と言うのではありません。そう言うべきではないのです。「はい、死にます」とあなた方は言わなければなりません。(笑い)私はあなた方が相続できるように、ある最小の条件を見つけようとしています。したがって、私が、「死ね」と言うならば、あなた方は最低「はい、死にます」と言わなければならないのです。
 それは体的基準を相続することに他なりません。しかし、環境基準についてはどうでしょうか。ホーム・チャーチの基準をあなた方は相続しようとしています。そのとき、あなた方は、「先生、三六〇軒のホーム・チャーチを伝道するのはきつすぎます。私は居間に座っていようと思います」ということができますか。自分の手で実際にしなければならない事柄があります。もしも、条件によって、ホーム・チャーチが運営されるとしたら、なんてすばらしいことでしょうか。三六〇軒に対して、紙片に毎日何かの形を描き、「さあ、これは毎日、私の実際のホーム・チャーチを訪ねたことになるのだ」としたら。しかし、そういうわけにはいきません。先生が本当の良く働くように、私たちも本当に良く働かなければなりません。ホーム・チャーチを成功させるには努力が必要です。わかりますか。(はい)。

 苦労して得たホーム・チャーチ
 私の天国とはなんでしょうか。それは私の理想、私の愛が住む所です。私たちは、ともかくも、それをどこかで見つけなければなりません。このホーム・チャーチは誰のものでしょうか。それはあなた方のものであり、あなた方がそれを本当に一生懸命働くとき、あなた方の先祖、協助霊を含めて、あなた方を取り巻くすべてのものは、それを達成するために降りてきて、あなた方を助けます。あなた方は霊界の実際の助けを大変多く見出すでしょう。あなた方はそれをするまでは本当には決して分かりません。
 ホーム・チャーチをしていると、あなた方は、それがまさにイエス様の働きの本当の目的であったことがわかるようになるでしょう。イエス様はかくも懸命に働き、弟子たちを集められ、説教をされましたが、彼はそれを何のためにされたのでしょうか。それによって、弟子たちと自ら自身をホーム・チャーチに送るためです。さあ、この価値をどれほど多くわかってもらえるでしょうか。このホーム・チャーチのために神が苦労し、イエス様が命を亡くし、私も苦労し、数多くの宗教家たちが犠牲になり、そして数多くの戦争歴史を今日まで続けてきました。
 ホーム・チャーチさえすれば、自動的に人格形成が成され、国ができあがります。私たち統一教会の信者たちが、あり一国の民族よりも多く、たとえば五千万人になると考えてみましょう。それを統一教会の原理でみるならば、その国は統一教会に対してカイン的立場に立つとみるのです。統一教会を歓迎しなければそのような立場になります。そして、その国の集めた税金よりも、統一教会の信者たちが出すお金の方が多かったとしたら、その国は神の方向に回りますか。回りませんか。どうでしょう。(回ります)。そして、色々な国々が神の方向に回り、十カ国が完全に神の方向に回るようになるでしょう。そのように考えれば、天国はまだ遠くにありますか。それとも近いですか。(近いです)。
 一五万はアメリカにおいて私たちが欲する全てです。ひとりが三六〇軒を担当するとすれば、一五万人の献身者がいれば、アメリカのすべての家庭をカバーすることができるのです。ある大学には四万の学生がいます。そのような大学が何百とあります。もし、それらの大学が四つ集まれば一五万人になります。ですから、そのようにみるならば、天国を建設するのは容易ですか。それとも難しいですか。(容易です)。困難です。(容易です)。もしあなた方がその人数を伝道しないならばCARP(原研)がします。CARPは四つの大学を復帰するだけでよいのです。(はい。拍手)。それゆえ、心の留めておいてください。ホーム・チャーチは誰の天国ですって。(私の天国です)。
 私のしたことを百科事典にたとえるならば、あなた方が編集しようとするものは、百科事典ではなく、小事典です。わかりますか。(はい)。そしてあなた方は、私の辞典のようにそれぞれの項目に詳しい説明をつける必要はありません。ひとつの項目には、最小限の説明があればそれで十分です。しかし、あなた方の辞典でも、基本的な単語は全て見つけることができるでしょう。たとえば、涙です。私の辞典には、涙は、「涙の科学的な構成物質」とか、「それがいかにして出されるか」、「どんな場合には」とか、それら全てが書かれてあります。しかし、あなた方の辞典には、涙は「泣く・・・・」と、必要なのはただそれだけです。博士課程を卒業するのに、どれだけの論文を書かなくてはいけないか、知っていますか。そして、あなた方が卒業しようとしているのは、その百倍以上のところです。あなた方は、その小さな辞典を書こうとしないのですか。(書きます)。わかりますか。(はい)。私が持っている辞典は全てを包含していますが、あなた方が持っている辞典は、簡略な小事典です。わかりますか。(はい)。

 迫害と祝福
 あなた方は行き、迫害されなければなりません。実際、もし、私が迫害され、蹴飛ばされることによって百年間かかってもできないことを蕩減するならば、なんとすばらしいことでしょうか。ですから、ホーム・チャーチは、誰の地上天国ですか。(私のです)地上天国へ行きたいと思いませんか。(思います)しかし、あなた方は、日中だけ天国に行きたくて、夜には行きたくないのでしょうか。あなた方が天国へ行きたいのは、食後ですか。それとも食前ですか。日中ということは、私は食後行きたいということです。(いいえ、違います)。私は会議の後に行きたいのです。(いいえ、違います)。私は良い服を着てから行きたい。私は、遊んだ後行きたい。その通りですか。(いいえ)。「いいえ」とはどういうことですか。あなた方は、どうしようというのですか。では、いつ天国に行きたいのですか。あなた方は、「人びとが迫害しない限り、私はホーム・チャーチに行くことはいやじゃない」と言うでしょう。(爆笑)
 しかし、一つのことがあります。迫害されなければ、あなた方は祝福を受けることがないでしょう。もし、迫害され、頬や顔などを叩かれるならば、一方、祝福がやってきて、あなたのものになるのです。あなた方が迫害されるとき、ただ微笑んでいたことの意味を人々が悟るまで、長くかかるでしょう。「今、なぜかわかった。彼らは私の祝福を盗んでいたのだ」。ですから、「キリストは再び盗人のごとくやってくる」と言われているのです。(笑い・・・拍手)
 ちょうどレバレンド・ムーンが、この見知らぬ国に来て、人々は彼を信じられないほどに迫害しましたが、私は祝福が舞い込んでくることを知っていました。私が迫害されることによって、それほど高く上がるのです。そのように見ると、レバレンド・ムーンは迫害を導き出す頭の良い人ですか。それとも愚かな人ですか。愚かではなく、それは盗人のようです。それは釣りに似ています。大きい魚が小さい釣り針でつりあげられますね。同様に、あなた方は迫害されます。迫害は、あなた方が得る祝福と比べれば、小さなものです。ですから、仮に打算的に考えても、あなた方は得をします。
 各一軒一軒が燃料タンクだとすると、三六〇軒ありますから、三六〇軒の燃料タンクを持つことになります。あなた方は、これをパイプによって連結させなくてはなりません。それから、それに点火します。そうしてロケットのように発射させます。あなた方は、わずか一〇の燃料タンクしか使わないのですか。(いいえ)。たとえ一〇の満タンの燃料タンクに点火しても、それは、天国に運んで行ってはくれません。力が十分ではないのです。わかりますか。三六〇の燃料タンクをパイプで連結して、それに点火し、ロケットのように飛んでいくのは、あなた方自身のためですか。それとも私のためでしょうか。それはあなた方自身のためです。あなた方はそれをするのです。
 今年の標語の言っていることは、そのようなことなのです。私の天国というのは、誰か他の人の天国ではあしません。ですから、自分の家庭を愛し、自分の子供を愛する代わりに、また自分の国のために奉仕しながらも、あなた方は、それ以上に真剣にホーム・チャーチをするでしょう。ある男性が、自分の時間を全てホーム・チャーチで費やし、彼の心にはホーム・チャーチのことばかりしかなく、いつもの時間に家に帰ってくることもない。それで彼の妻が不平をいいはじめます。「私の夫は、帰宅もせず、私を待たせ、私を寂しくさせる」。もし、彼女が不平を言いはじめるなら、彼女は教会で見つけられる最悪の妻です。(笑い)。その通りですか。

 先祖の再臨協助
 私がなぜ、どんなに非難されながらも、悲しみを耐え、命をかけて、ホーム・チャーチをつくりあげようとして生きてきたか、その理由が、今はじめてわかりましたね。ホーム・チャーチこそ、私がしようとしたことであり、イエス様、そして全ての宗教家がしようとしたことです。今、あなた方は、そのことが分かりましたね。ホーム・チャーチが目的地であったわけです。このことは、まさに相似的なことです。イエス様がイスラエル民族に再び現れたように、ペンテコステは世界のいたる所で起こるでしょう。それが今、起こっているのです。ちょうど、あなた方はイエス様の立場で、どこに行っても、イエス様の出現があるでしょう。ただあなた方は、もっと進んだ立場です。イエス様の時には一ヶ所だけでしたが、今は一時に何十万という場所に現れます。
 そのような特権は、あなた方がホーム・チャーチをするときに、あなた方の先祖が、あなた方を通して、働き、あなた方を助けることです。彼らがあなたの立場のようになったかのように、です。ちょうどイエス様の時代の先祖が地上に再臨協助したように、何百、何千というあなた方の先祖が再臨協助することができるのです。宗教を信じなかった先祖たちでも、彼らが良い霊である限り、この特権に預かることができます。なぜなら、教会についていくあなた方によって、宗教完成したに等しい祝福を相続することができるからです。
 図が示すように、このイエス様の時代には、多くのイエス様の弟子たちが、ユダヤ教を通じてイエス様の使命のために働いていました。それがここにあります。そして、ここにあなた方がいます。ところがあなた方はそのような資格(立場)にも立っておりません。しかし、ホーム・チャーチを通して上がることができます。これは、このように移動します。そして二千年の間に、ここまできていた、あなた自身の先祖は、それがやや善霊である限り、全員が、ちょうど忠実な弟子のようにたくさんのクレジットを持って、祝福の世界に瞬間的に下りてきます。これは本当に信じられないくらいの特権です。ある人に一晩のうちに大きな特権を与えるのです。
 ですから、全て一時に、あなた方の先祖の解放が起こり、あなた方自身の解放も起こり、スミスとかベーカーといった、全ての氏族は、ただちに祝福の領域に入って来ます。三番目に、それと同時にあなた方自身の子孫の完成のチャンスが現れるようになるでしょう。この条件の故に、あなた方は、観念的な天国ではなく、真の天国に行けます。私たちは、それを建設し、そこに行きます。もし、あなた方がよくホーム・チャーチを行わないならば、ホーム・チャーチは「あなた方はどうして、ホーム・チャーチに来ないのか」と、非難するでしょう。そして、ホーム・チャーチに行き、それをよくやらなければ、あなた方を本当に責めるでしょう。わたしますか。霊人になっているあなた方の先祖は、あなたが以上に、霊界で起こっていることについて、より敏感に知っています。
 ですから、あなた方の家庭、あなた方自身、そして、あなた方自身の氏族、そして、あなた方子孫全員、そして、あなた方の国とあなた方のいる世界の全てが、この天国に連結されるでしょう。
 
 環境的天国、ホーム・チャーチ
 このような天国をもちたいと思いませんか。今、はっきりと、かつ確実にホーム・チャーチについて知りましたか。(はい)。ホーム・チャーチは環境的な意味での天国なのです。ですから、統一教会に対して質問があり、誰かがあなた方統一教会員に、「天国はどこにありますか」とたずねたら、あなた方は「天国は、環境のホーム・チャーチの中に存在しています」。と答えるこができます。それは、なんと高く、なんと進んでいることでしょうか。イエス様のときの答えは、ただ「天国は、あなた方の心の中に存在している」ということだけだったわけですから。今は、体、その次に、環境的天国であるところのホーム・チャーチです。それから、なんになるのでしょうか。ホーム・チャーチの後は、何がくるのでしょうか。国家が来るでしょう。そしえ、その後には、世界、そしてそのあとには天宙、そして全てが統一されるようになります。天宙的な統一教会です。(拍手)
 しかし、ホーム・チャーチの後には、他の事はだんだん難しくなるということはありません。ですから、あなた方は、他のチャーチについて考える必要はありません。考えることは、ホーム・チャーチのことだけです。他のことは、あまり考える必要はありません。なぜならそれは、より簡単だからです。わかりますか。一日が過ぎていくにつれて、この教会がだんだん多く現れてきて、前線が押し出され、天国がより具体的に実現されるでしょう。
 ですから一九八一年から、それは全てあなた方のものです。私は、この一点だけを行い、準備し、それに標準をあわせてきました。そして、私はある日、休暇をとるかもしれませんが、あなた方は私のスケジュールに従って、私の後について行こうとしてはいけません。私がホテルや観光地に行くと、私の後について行きたいと思うでしょう。ニュースがやってきます。それは私は好きではありません。ですらか、私のホテルが教会のすぐ隣であり、教会員が、私がそこにいることを知っていたとしても、私を訪ねようとよもや考えないで下さい。なぜなら、あなた方には、あなた方の仕事があるからです。あなた方は忙しくて、先生がどこにいるかとか、先生が何をするかについて、注意を払うことができないはずです。
 もし、私が本当の酒を飲もうと決めたとしたら、どうしますか。バーに行って、大きな器で思い切り飲み干し、外に出てきたら、どうしますか。(爆笑)。そうしたらあなた方は、統一教会の最後だ、と思うでしょうが、それは間違っています。なぜなら私には理由があるのです。もし、私がいくらかでもアルコールを飲んだとしたならば、私は、世界で最もひどい酒飲みの蕩減をするために酒を飲むかも知れないのです。(爆笑、拍手)。ノアの家庭を覚えていませんか。ノアはぶどう酒を飲んでから、酔って裸で寝ていました。すると彼の息子がやって来て、それにカバーをかけようとしましたが、それは厳しい結果を引き起こしました。誰がそれを想像したでしょうか。
 蕩減復帰、つまり、蕩減を通過することによって復帰することですね。私たちは、ほとんど二四時間ぶっ通しで働きます。しかし、それはとても、なさなければならないことに比べれば、なんでもありません。ですから、地上天国を建設するためには、私たちは全神経、耳を集中して、先生は今度、どのような不可能な難しい指示を出そうとしているのか、と待たなければなりません。その指示が下されるや否や、私たちは出かけていき、それを実行します。私たちはそれについて準備ができていなくてはなりません。もし、私があなた方に指示したとしたら、あなた方は瞬間的に反応しますか。(はい)。その指示がなんであれ、夫を捨ててでも、その奉仕をやってきますか。もし、私が指示したならば、あなた方はすぐに聴きますか。(はい)。しかし、それには、どれだけの信仰がひつようとされることでしょうか。ホーム・チャーチをすること、それにはあまり、たいした信仰は必要としません。
 あなた方は、ホーム・チャーチについて、あらゆる理由、あらゆる理屈をするようになりました。どうして私たちはそれをしなければならないのか、どんな意味がそれにはあるのか、私たちがそれをしなければ(私たちに)残される道は何か。もし、私たちが地獄に行くとすれば、真っ直ぐ、そのど真ん中に行きます。それが私たちのもたなければならない決意です。
 
 最高の特権
 ですから一九八一年には、私はホーム・チャーチを、あなた方の権限、あなた方の働きの場として与えています。いかなる仕事を持った人もホーム・チャーチを持ち、もし彼らが、ホーム・チャーチでより懸命に働いて、それから自分の仕事をするならば、その人は決してサタンから讒訴されることはないでしょう。サタンを含め、誰も彼を讒訴することはできません。
 さあ、私が、「ダースト博士はどこにいるのか」とたずねているとしましょう。彼は事務所のどこにも見当たりません。そうして誰かが、「彼はホーム・チャーチにおります」と言います。そうすると私は直ちに、彼が私のもとに現れなかったことを許します。バンケットのときでさえ、時間がやってきたのに、彼が現れません。今や来賓が皆出そろって、時間はもうとっくに過ぎています。私は怒って「彼はどこにいるのか」。そこで誰かが、「彼はホーム・チャーチにおります。たぶん彼はホーム・チャーチで、本当に深刻な話ににっちもさっちもいかないでいるのでしょう」と言います。すると私は、「ああ、そうなのか。それでは私には時間があるので、私が彼に代わってバンケットをすることにしよう」と言いますそれが、私たちが最優先事項におかなくてはならないことなのです。さあ、あなた方はホーム・チャーチがわかりましたか。
 神様が夜の間中、おられなかったとしましょう。そうして私が、神様はどこにおられるのだろうか、と探します。神様は二四時間の終わりにも帰ってきません。神様はどこからも現れません。そこで私が「どこにいらっしゃるのですか」と言いますと、神は、「私はホーム・チャーチに降りました」と言います。すると直ちに神様に対して、全てのことが許されます。(笑い)
 歴史を通じて、他のどこにも、統一教会以外には、誰もそのような最優先権と特権は与えられませんでした。ホーム・チャーチを行う限り、それはあなた方の最高の特権であり、他の全てのことは第二義的なこととして免除されます。
 ホーム・チャーチをするとき、あなた方は自分のことを注意したりしません。服がきっと聖フランシスが着ていたと思われるもののように、ぼろぼろになっても、その人は自分が考えるよりも百倍も偉大です。そうしてあなた方は、自分がかくもぼろぼろであることを知らずに走っており、たとえ誰かが道端であなたの服を引っ張ったとしても、後ろを振り返って、彼が誰であるかを見る余裕もありません。しかし、あまりにも引っ張るので振り返ると、先生がいます。私は、「いらっしゃい。洋服屋に行きましょう」と言い、そこであなた方に最良のスーツを買ってあげるでしょう。スーツだけでなく、最高のコートも買ってあげるでしょう。それに靴も添えてです。
 私がそのために(お金を)費やす限り、お母様は私に不平を言いません。神は私がお金をホーム・チャーチで働く人を支えるために使う限り、「あなたはあまりにお金を使いすぎます」とは言いません。このように未曾有の特権を、私はあなた方に与えるのです。もしあなた方が最良のホーム・チャーチをするならば、私はそれを与えます。私はそのような時別な権利が好きです。私は、それをする、ある種の特別な権利をあなた方に与えます。わかりますか。

 ホーム・チャーチは、あなた方の仕事です
 あなた方は自分の家庭の面倒を見る必要もないし、妻の面倒をみたり、子供の面倒をみる必要もないのです。そして他の誰かが、あなた方の家庭の面倒をみてくれます。それは誰ですか。たぶん神様でしょう。もしあなた方が本当にホーム・チャーチのために働くならば、私もあなた方の家庭を助けるでしょう。しかしそれは、「私がホーム・チャーチをよくやっているから、私は、私の家庭の面倒をみる必要がない。なぜなら、先生は、その人の面倒をみるとおっしゃいましたから」という意味ではありません。
 もしあなた方が、そのように考えるならば、それは、そのようなわけにはいかないでしょう。その人がたとえ一生懸命働いて、後になって、「先生、私はホーム・チャーチでこんなに一生懸命働いているのに、どうしてあなたは私の家庭の面倒をみてくださらなかったのですか」と言います。たとえあなた方がそう言っても、私は、「いいえ私は知りません」と言うでしょう。(笑い)。もし私が、あなた方の家庭を助けなければ、あなた方のホーム・チャーチの人々が、必ずあなた方の家庭を助けてくれるでしょう。私があなた方の家庭の面倒をみるのと、ホーム・チャーチの人々が、あなた方の家庭の面倒をみるのと、どちらを好みますか。(ホーム・チャーチ)。そして、いたるところがメダルで満ち、それがあなた方の飾りになります。
 さあ、私はあなた方に全部語ってしまいました。今、あなた方は、「先生、私たちは十分の教えをあなたから与えられました。もう、私たちにこれ以上教えてほしいと思うことはありません。先生、あなたは、もうこれ以上はなされる必要はありません。私たちはもうただなすべきことをするだけです」と、言うことができます。わかりますか。(はい)。ですから、全てをあなた方に継承して、私は、どこかを訪問するためにアメリカを離れるかもしれません。私はイギリスに行ってもかまいませんか。(はい)。美しい光景を楽しむだけのためでも、ですか。どう思いますか。イギリスは私が行くのを歓迎しますか。イエスかノーかどちらかですか。(イエス)。
 あなた方は、真に、先生の責任が今、この時点で終了しつつあることを知らなければなりません。だから私は、「今度は、あなた方の番であり、あなた方の仕事は、非常にはっきりしており、ホーム・チャーチである」と言っているのです。さあ誓いましょう。「私は、今まで以上によく分かりました。これからの私の働きの目的は、ホーム・チャーチであり、ホーム・チャーチ以外の何物でもありません」。一九八一年に向けて、このように宣誓する人は、手を挙げてください。
 神が私とあなた方を祝福されますように。