祝福の前後

 

一九八二年六月二十七日

ベルベディア


人間は本来、互いに親しく思い合うようになっているのです。しかし私たちの人生においてはとても醜い人がいて、その人と顔を合わせなければならないというようなこともあります。しかしそれは大きな負担となるものです。そこで神は、恋人というものを創造されました。愛し合えば醜いということなど問題ではなくなってしまうからです。しかしその場合、重要な法則があります。即ちここでいう愛は、秩序ある公的な愛でなければならないということです。公的な愛は、霊界を開くことができます。ですから、真の愛は公的な愛のことであり、真の愛は霊界を開くことのできるものなのです。分かりましたか。真実の愛が霊界を開くのです。だから人間は一人でいることはできないようになっています。愛する相手が必要なのです。


先生は訪ねてくる人を自分の恋人のように思って見ております。それが人生の奥義なのです。そこには何の障壁もありません。もしあなたがホーム・チャーチの人々に対して自分の恋人のように思うような気持ちをもっていれば、皆さんに「ホーム・チャーチに行きなさい」などということは言わなくとも済むようになります。あなた方は毎朝起床すると自分からホーム・チャーチに飛んで行くようになるでしょう。あなたの恋人がホーム・チャーチで待っているのですから。もしどこかにあなたの恋人がいれば、あなたの足は自然とその方向に向かうでしょう。それが本心なのです。
けさはもう一つの奥義について話しています。ホーム・チャーチのやり方についてです。それは簡単なことです。ホーム・チャーチを自分の恋人のように思うのです。その恋人は自分の婚約者やまたは夫や子供以上のものです。だからあなたの足は必然的にホーム・チャーチに向かうのです。そうしていくうちに霊界が開かれていくのです。それがホーム・チャーチを勝利していく方法です。

中でも最前線での活動は最も神聖な義務であり、使命であります。それこそまさに人を愛していく道なのです。伝道のため一軒一軒訪問していくのは、伝道することだけが目的ではなく、人を愛していくことが目的なのです。神もある意味では共に前線活動をしているのです。神があなた方の上におりてこられて共に戸をたたいているのです。一軒一軒訪問して戸をたたくとき、九〇パーセントは断れるでしょう。同様に、神があなた方を愛そうとしておられる時、九九パーセントあなた方は神を否定してしまうのです。ですから、前線活動をする中で、あなた方が拒絶されることで神を慰めることができるのです。あなた方が悲しい体験をすることによって神を慰め、神の心情を揺さぶることができます。そしてそこに愛が結実します。それは何と崇高なることでしょうか。私たちは大きな心をもたなければなりません。