ネーナラ統一

1991年1月1日午前零時

韓国・ソウル本部教会にて

(ファミリー1991年3月号)

祝祷

 

 愛するお父様。今、一九九〇年を送り、新しい一九九一年を迎える元旦の新しい朝の瞬間です。

 

 歴史時代を回顧します時、この身がこの地上に生まれてから満七十歳を越え、新しく七十一歳に向かうこの瞬間は、摂理歴史においては七十年の歴史を蕩減し、清算し、この地上にかくも罪悪と死亡の曲折の事縁を残してきたサタン世界のすべての主権を除去し、天が新しく勝利の基台を準備して、天の主権の世界を建立できる新しい八十歳代の再出発時代の劈頭(へきとう)を迎えました。

 

 今、この十年間を中心として、この身が八十歳代までに国を越え、世界を越えて、歴史的に複雑な世の中のすべての問題を清算して、天の国を地上に完成させなければならない重大なる時期が近づいてまいりました。

 

 今まで天が共になされた波乱万丈の歴史過程に、天の心情圏を立てるために統一教会と、統一教会のすべての家庭が四十年余りの間、血のにじむ闘争を経てきました。家庭を捜し求め、教会を捜し求め、氏族を捜し求め、民族に向かって、世界の舞台にまで闘争過程の蕩減の血と汗と涙を振りまいてまいりました。

 

 このようにして、サタンの反対する強いすべての垣根を崩して、今こそ頭翼思想を中心として、神主義に向かって左右が一八〇度の異なる方向を振り返り、天の本郷に向かって戻っていく還故郷時代を迎えました。

 

 お父様。その間、統一教会のあなたの子女たちが、任せられた責任を十分に果たすことができないために、摂理史の中に誇ることのできない歴史的日々がありましたが、それにもめげることなく勝利の盾としてすべてのことを除去し、今や永遠に自由世界を越えて、天に向かう道におけるすべての迫害の要素を除去し、勝利の覇権を立てるべき歴史的な八十歳代を迎えました。

 

 お父様。今まで私たちは体と心を尽くし、天の父母に従ってきましたが、これからは天の国を立てるために、イスラエル民族がカナンの福地に復帰し、定着しなければならない時代を迎えての建国ではなく、建世界のための重大なる使命を果たさなければならない時になりました。

 

 前途に困難があるとしても、すべての困難は蕩減の要因によって解消されるような事柄ではなく、私たちの持てる精誠のすべてを投入することにより、蕩減ではなく天の国の財産として、所有物としての功績が私たち個人、家庭、氏族、民族、国家の前に残り、世界の前に残り、天地に残るという驚くべき時代を迎えました。

 

 今まで私たちが苦労してきたすべての々結果は流れていき、蕩減の祭物として消え去ってしまいましたが、今から血と汗を流して投入するすべての再創造の勝利の権限は、天の全権の前に、万民、万国を越えて、天上世界のお父様の前に奉献できる天の所有として、各自が準備しなければならない個人完成、家庭完成、氏族完成、国家完成という課題をここに集いましたすべての国の人々の環境と境遇に従い、その国を捜し求めなければならない召命的使命が残っていることを知っております。

 

 八十歳代に輝く統一教会の誇らしい時期が訪れましたので、すべての精誠を尽くして、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流すという標語の下で順応してきたすべてが、今勝利の覇権を中心として、天の国の栄光を捜し求めるためにすべての面に真心で体と心が一つになり、天の前に捧げる所有権のために再び、この地のために汗を、人類のために涙を、天のために血を流す時、たとえいかなる根みがあるとしても、国のものとして、神様のものとして、私たちのものとして残すことのできる素晴らしい時代が近づいてまいりました。

 

 今、私たちが行くその路程には、天が共にいてくださいますことを知っております。神様は私たちの直接的な、縦的な心を代表するお父様であり、真の父母は愛を中心とした横的な体を代表する方でありますから、縦横の父母に侍り、真の愛を中心としての一体理想圏内に、私の体と心が再び生まれた復活の実体となり、復活した家庭の実体となり、私の氏族と、私のこを捜し求めてきました。世界万民が天下を統一するための、世界を統一するための目的に向かって前進、前進、前進を固く決意する時が近づいてまいりました。

 

 お父様。この日、天上のすべての聖徒たちと、神様を中心としたすべての十二長老の宝座を中心とした全体は、地上のご父母様と一つになって、この地上のすべての死亡圏を克服し、勝利的基盤の上に立つ統一家を中心として、統一氏族と統一民族を中心として、残された南北の統一はもちろんのこと、アダム国家として整えるべき勝利の韓半島になると同時に、日本を中心としたエバ国家となり、アダム、エバ国家の統一と、さらに進んで周辺にある三大天使長国家を完全に、この国の一族として結びつけることのできる責任遂行を完遂することにより、天地を統一し、万国の勝利の覇権を天の前に奉献する時が訪れましたので、すべてのものを整え、各自が準備できますようにお願い申し上げます。

 

 私の一身、一家庭を中心としての旧約時代の完成、新約時代の完成、成約時代の完成によって、堕落の要件を再び復帰できる内容を超えた直接的な神様をこの地上に臨在させて、崇め奉る直接的時代に入ったことを知ることができますように、お許しくださいますことをお願い申し上げます。

 

 その前に、私たちが行かなければならない道は、家庭は物質的旧約時代を象徴し、子女は新約時代を象徴し、夫婦は成約時代を象徴しますので、万物を犠牲にして子女の道を開き、子女を犠牲にして父母の道を開き、父母を犠牲にして神様が臨在する道を開きましたので、今や私たちの家庭の中心に神様をお迎えし、真の父母をお迎えし、真の子女になった位置で真の万物を従える所有権を決定しなければなりません。万物を再編成して、お父様の前に献納しなければならない時代が近づいてきていますので、各自が準備して、子女、自分、夫婦、それら一切を再び天のものとして付与するこのにより、天の国の万物の所有権、子女の所有権、父母の所有権、神様の全権的所有権を地上に決定し、すべて神様が直接主管できますように、能力を発揮することができますように、主導してくださいますことを切にお願い申し上げます。

 

 今や八十歳代においては、すべてお父様の前に捧げていかなければならないことを知り、今まで備えることができなかった天の国の個人完成、天の国の家庭完成、天の国の氏族、国家、世界完成へと前進する一九九一年となりますように、お許しくださいますことをお願い申し上げます。

 

 こうして、九〇年代から二〇〇〇年を中心としたこの期間に、八十歳代のご父母様を中心にして新しく出発する勝利の年として、この新年を出発させてくださいますように、お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。

 

 民主世界を代表したアメリカと、共産世界を代表したソ連が一つになり、その中で頭翼思想を中心として一体化した縦的な神主義でもって、天宙を統一して新しい平和の時代へ前進できますように、お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。

 

 天が地と一つになって、天が願うすべての願いどおりに、この地上が従い、完成する方向へ収拾されますように、お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。

 

 霊界のすべての霊人たちも地上に再臨復活することによって、子女たちと共に勝利の覇権を整え、神様の選んだ息子娘の権威を受け継いで、祝福を受けた直系の子女たちと天の国の一族になり、民になりますように、お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。

 

 五十億人類が神様に抱かれる一族であることを、この時期に宣布しますので、悪の権限、悪魔の権限を踏みつけ、復活の新しい息吹がすべてこの地球の万民を成就させることができますように、お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。

 

 今や長子権が成立しましたので、父母権復帰と王権復帰の実践的舞踏場が、この地上にできますように、お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。 統一の群れは、このことのために旗手となり、前進的な決意をする天の精兵となれますように、お願い申し上げます。

 

 新しく迎えます九一年、この息子は八十歳代を迎えて出発します。この栄光に満ちた歩みの一歩を新しく踏み出せますように、お許しくださいますことをお願い申し上げます。

 

 前進するすべての路程の上に、お父様の加護と祝福と勝利のみが満ちますように、お許しくださいますことをお願い申し上げます。すべてのことをお父様がお引き受けくださいまして、子女たちはそれに従い、そのすべてのことを収拾することを誓いながら、このすべてのみ言を真のご父母様のみ名によって、新年の劈頭に祝願致します。アーメン、アーメン、アーメン。

 

世界は一つの民族という概念を持って

 新年の年頭の辞は、昨年と同様、三年間同じ標語を定めることにしました。

 皆さんが考えるように、今年も私の国統一であり、来年もまた、私の国統一です。そのように三年をかけて、これを完結させなければなりません。ですから、三年目には必ずという概念を持って、九二年までに私たちはこれを実践しなければなりません。(ここで年頭標語「내나라統一」を謹書される)(拍手)

 

 一九九一年度の新しい年に、皆さん方に祝福がありますことをお祈り致します。(拍手)更に進んで、私たちの大韓民国を中心に、ここに参席されたすべての国の人々にも、新しい祝福がありますことをお祈り致します。(アーメン)。

 

 私たち統一教会は、一九四五年以降に本格的な出帆をしました。そして四十五年という歳月が流れていきました。また、私の年齢でいえば満七十歳を過ぎ、七十一歳を迎える新しい年を迎えました。七十一歳ということは、私にとっては八十歳代に向かっていくようになるということであり、これからの十年というものは、私にとってはモーセがカナン復帰を始めた八十歳の時と同じく、世界のカナン復帰完成を標準としての八十歳代なのです。きょう二〇〇〇年に匹敵するこの時を迎えて、皆さんは摂理がどのようになるかということを推察できなければなりません。

 

 この十年間に、すべての世界の人々が一つの民族の概念を持たなければなりません。今まで人類は、複雑多端なる方向を経つつ今日の国家形成をしてきました。一八一か国、氏族としては、数千の氏族を残しつつ、さまざまなる方向を経てきたすべての国々が、今や一つの方向に向かっていくべき時を迎えたということを、皆さんは知らなければなりません。

 

 いつも「私たちの誓い」の中で暗記しているように、神様のみ名でもって一つの国を捜し求めていかなければなりません。神様のみ名でもって一つの主権を捜し求め、一つの民を捜し求め、神様の国土を捜し求めていかなければなりません。その一つの方向性の決着点は、神様へ戻っていくことであり、天の国に戻っていくことです。

 

 私たち人間は地上に生きていますが、まず何よりも天の国と直結した位置に立ち、天の国に向かっていくことに生涯を捧げて、天の国の永生路程に合うように訓練される舞台がこの地球なのです。地球で一生を送る間に、天上世界、天の国に入って生きることのできるすべての準備を整えなければならないのです。

 

 天の国に入れば、そこは単一民族ではありません。今まで歴史時代の地球上で生きてきたすべての国の人々が入っているのです。しかし彼らはすべてが一つになっていません。みんなが限界線にとどまっているのです。本来は、これが地上から統一されて天上世界に行かなければならないにもかかわらず、悪魔がこの地上を主管したことによってさまざまな分派的な垣根ができたので、すべてに限界が生じて、国境となったのです。その国境の中で生きた人々は霊界に行っても、その形態にとどまるようになるので、一つの国から一つの国境を越え、また次の国境を越えていくということは易しいことではないのです。そのような形態で霊界も今日まで編成されてきているのです。

 

 ですから今日、統一教会が生まれて単一民族形成のための活動を行っているのです。それは、堕落によって愛の問題を中心として分かれたからです。これを蕩減復帰するためには、サタンによって家庭から分離されてきた愛の問題を、神様を中心として、真の父母を中心として、再び生まれたという立場に立って、これを蕩減してこなければならないのです。この蕩減に主導的な役割を果たすのが何かというと家庭なのです。その家庭を形成するために主導的な内容を整えるのが祝福なのです。

 

 祝福を通して、天の国の一族編成、天の国の氏族編成を行い、一つの民族、国家、世界編成のために、私は今日まで多くの闘争を経てきました。悪魔の世界のサタンは、これを妨害し、すべての方向に反対してきました。

 

神のみ旨

 皆さん、天の前に祝福を受けた家庭というものは、普通の結婚による家庭とは違います。歴史性を背負ったサタンたちが反対する環境を突き抜けていくのです。故郷で歓迎を受ける家庭ではありません。故郷を離れて、父母たちが反対し、一族だ反対し、国が反対する環境で、祝福の家庭を中心として世界的な版図を拡張させてきたのが、今日の統一教会の歴史なのです。

 

 それでは、祝福家庭を中心として、世界中の統一教会の信徒は、どこへ行こうとする人々なのかというと、いろいろな国の中で生きていても、その国が自分の国でないのです。その国を離れて、神様が統治する国へ行くのです。複雑多端な民族的、国家的背景を離れて、一つの国家を捜し求めていくのです。一つの国を捜し求めて、一つの方向性を捜し求めて、天の国へ連結させなければならないのです。

 

 もし堕落がなかったならば、アダムとエバは神様から生まれた、神様の息子娘です。神様の息子として人類歴史過程において、初めて男性として生まれたのがアダムであり、また女性として生まれたのがエバなのてす。その男と女、アダムとエバは、神様の前に初めて息子娘なのです。しかし、神様の息子として、神様の愛を受けることのできたアダムの生涯は、堕落の直前までです。またエバが神様の娘として、神様の愛を受けることができたのも、堕落する直前までだったのです。

 

 それでは、いつ堕落したのかというと、青少年時代であり、堕落する前の神様の心情を中心として見た時、堕落以降のアダムとエバは神様の心情圏から離れてしまいました。そして、神様の愛、神様の心情圏とは全く関係のない悪魔の愛によって、私たち人間たちが行かなければならなかった本然的すべての心情的要素は制御され、拘束されながら、今までそこに反抗する路程を歩んできたのです。

 

 ですから、アダムとエバ、男性と女性が一つに結ばれ、永遠に愛の圏に一体となり、分立するにも分立できないようにならなければなりません。しかし、アダムとエバ自身は心と体が分かれ始めました。アダムとエバ自体が、愛を中心として一体になることのできる神様の最初の愛を受けた息子や娘ではなくして、神様の心情に背く悪魔の愛によって、サタンからも愛を受けられず、利用されて生きる路程を出発したのが、堕落直後の人生航路だったのです。

 

 それゆえ、出発当時から幸福という要件がありません。聖書に記されているように涙を流しながら、痛哭しながら、天の前から追放された悲惨な歴史を出発したのが、私たちの祖先だったということをはっきり知らなければなりません。ですから、アダムとエバの生活は、神様の前に違背し、神様の前に立つことのできない罪なる生涯であったというのです。このような出発によって綴られてきたすべての人類歴史は、神様の前に許しを受けることができずに生きていかねばならない地獄そのものなのです。

 

 神様は、これらを救うために千辛万苦しながら多くの蕩減の歴史を経てきました。救援するために神様は能力のある方であり、悪魔を思い切り打ち砕き、人々を奪ってくることもできるのに、それが不可能になったのです。神様が人間を愛でもって育て、愛でもって家庭をつくり、愛でもって氏族、民族、国家、世界をつくろうとされるみ旨があるかぎり、アダムとエバが堕落したとしても、彼らが堕落する前の心を神様は永遠に保っておかなければならないというのです。アダムとエバは堕落することによって、神様の心の世界を離れましたが、力でもって強制して元に戻すことはできないのです。なぜかというと、すでにアダムとエバが悪魔との愛の関係を結んでいるからです。愛の関係を結べば、そこに所有権が決定されるのです。相続権が決定されるのです。さらに同位権、同参権が決定されることによって、完全にサタンの所有になるのです。

 

 たとえば、上流階級の人に愛する一人娘がいるとします。その一人娘が僕と愛の関係を結ぶならば、その娘は僕の所有になるというのです。同様に、私たち人類の始祖が堕落したことによって、天使長と一つになったことによって、僕と一つになったことによって、非合法的にせよ愛の形態において一つに結びつけられたことによって、不可避的に悪魔の所有となったのです。

 

 そして、悪魔とは何かというと、神様の愛を中心とした姦夫なのです。この地の上においても、自分が愛する人を奪った愛の姦夫を許してやる法はありません。しかしこの姦夫を許してあげられるようにならなければ、永遠の天の国へ入っていく道がないという結論が出たのです。ですから悪魔に隷属された人々は、収拾して、再び接ぎ木する役事でもって、たとえどのような恨みがあるにしても、悪魔の側の人々だからといって除去することはできないのです。悪魔の側にいる人々を再び捜し求めていかなければならないのです。捜し求めていって、接ぎ木の役事をしなければならないのです。

 

 ですから聖書に、野性のオリーブの木と真のオリーブの木の比喩があるように、その形が似ているのです。実が違うだけであって形は似ているのです。実を結ぶ前には、真のオリーブの木であれ、野性のオリーブの木であれ同じ木なのです。しかし、秋になれば、野性のオリーブの木は野性の実を結ぶのです。それは、誰も願わないものです。真のオリーブの木を願界ていたのに、野性のオリーブの木になったので、これを再び復帰するために神様は、真のオリーブの木をこの地に送られなければならないのです。それで、天は宗教を通じて役事するので、世界的な宗教であればあるほど、再臨思想、メシヤ思想が介在するのです。

 

 ですから、宗教の中でも、中心的な真のオリーブの木になる中心宗教を立てて接ぎ木していくのです。ところが野性のオリーブの畑はサタンが所有しているため、神様が強制して、これを切って接ぎ木することはできないのです。それゆえ、天の圏の相続を受けて、自然に天側に移してあげて、野性のオリーブの畑ではあっても悪魔の所有権を天が相続した、天側に戻ってきたということを中心として、完全にこの世界が神様の側の支配を受けることができるのです。このような野性のオリーブの畑と同じように、統一的時代を迎えなければならないのです。それで、世界の歴史の中に宗教文化圏を中心として、キリスト教を中心として、世界統一を整えなければならないのです。それが第二次大戦直後だったのです。

 

 それで、サタン世界の野性のオリーブの畑を全部、天側の野性のオリーブの畑としての神様の所有の単一圏が成されて、ここに初めて真のオリーブの木を送って、真のオリーブの木の芽を接いで、世界を一度に接ぎ木して、天の一族の形態を成そうとしてきたのです。これが神様のみ旨なのです。第二次大戦直後、そのようなことを願って、再臨思想時代と連結されて来られる主様が真のオリーブの畑になって、これを全部接ぎ木し単一化させて、一九四五年から一九五二年までの七年間に全世界のキリスト教を統一させたならば、世界はたちまちのうちに復帰されたのです。そして、一つの方向性を整えて、地球の単一民族を中心として、真の父母を中心として、神様が直接指導する世界になれたのに、準備されたキリスト教国家のアメリカはそれが分からなかったというのです。また、キリスト教がそれを知らなかったというのです。

 

統一教会の出発の背景

 再臨の時には、主様が雲に乗って来られることを願ったのであって、地上に人として来られるということを知らなかったのです。あたかも旧約時代と同じです。イスラエル民族は、四〇〇〇年間待ち焦れたそのメシヤがイエス様であったということを知らなかったのです。イエス様を捕らえて十字架で殺したことによって、ユダヤ教とイスラエル民族は、教会と国を失って二〇〇〇年間世界をさまよいながら、地球上のさまざまな国々と民族の中を流されて生きなければならないし、多くの涙を流さなければならない悲惨な歴史を経てきました。世界のすべての民族が抗争し裏切る中で、再び運命の道を経ながら、新しい時代が訪れる時まで、主様が再び来られる時まで、イスラエル民族とユダヤ教は、希望のない拘束された群れとして、この地上をさまよっていたのですが、一九四八年の第二次世界大戦後の韓国の独立と共に、初めてイスラエルの国を捜し求めることができたのです。

 

 そのように捜し求めたイスラエルの国も、自分の力でもって建国したのではありません。アメリカの力でなされたのです。第二イスラエル圏のアメリカの援助を受けてなされたのです。第二イスラエル圏は、第一イスラエルの基盤の上に立たなければならないのです。ですから、第一イスラエル圏を立てなければならない摂理的意義があるので、アメリカを通じてイスラエル独立が起きたのです。韓国も同じです。韓国もキリスト教の代表的な第二イスラエル国であるアメリカを中心として独立したのです。それによって、第一、第二イスラエルを収拾して、その上に立つべきだったのが韓国独立であったのです。

 

 しかし、キリスト教が反対したのです。もし統一教会を中心としてキリスト教が歓迎し、アメリカが歓迎していたならば、約七年路程で新教のアメリカを吸収することができたのです。旧教はカイン的であり、アメリカを立てて、国家を合わせれば、原理的内容を知って、たちまちのうちに包摂するようになっていたのです。七年路程を中心として、一九五二年に統一教会が世界史的な出発をしていたならば、先生が四十歳で世界のいかなる為政者も結び合わせて、一つの天の方向に向かって引っ張って、地上天国の理念へ移行していけたのが全般的な摂理観なのです。

 

 ところがそれができなかったことによって、アメリカとキリスト教が統一教会に反対したことによって、地上のすべてが悪魔の世界、サタン世界へ戻っていったのです。誰でも反対するようになれば、サタン側の世界へ戻っていくというのです。ですから先生が一生の中で世界的版図をもって指導する時代は、統一教会は荒野の群れのように世界を失い、国を失い、氏族を失い、家庭を失った立場から、これらを新しく収拾していかなければならない運命の道を歩むのです。

 

 歴史時代において四〇〇〇年間、悪魔と戦って失ってしまったものを統一教会が再び捜し求めていかなければならないのです。また、そのために四〇〇年もかけることができないのです。これを誰が捜し求めなければならないのかというと、来られる再臨主、真の父母が責任負って、四十年という期間に回復する運動をしなければ、再び永遠に悪魔の世界へ連結されてしまうのです。ですから、このみ旨を知った先生は、生涯を捧げて決死的な努力をしてきたのです。

 

 解放後の十四年は、旧約時代の七年、新約時代の七年に当たり、その次は成約時代の七年に入るのと同じく、蘇生、長成、完成の時代の中で家庭的に堕落をしたので、摂理史的見地において解放後、満十四年目に聖婚式を行ったのです。こうして家庭を持ち、三次七年路程を行ったのです。

 

 そのように男として勝利できる基盤は、アダムとして、蘇生、長成期完成級の基準を越えて、完成期蘇生級から完成期完成級まで越えていかなければならないので、長成期完成級までは迫害を受けなければならないのです。家庭を捜し求めるまでは、歴史時代に受けてきたすべての迫害を再び受けるのです。ですから、大韓民国自体も我知らず反対するのです。既成教会の信徒たちも、統一教会に対して自分でも分からず激しく反対するのです。それはなぜかというと、悪魔が主導するからです。反対する者はいつもサタン側へ渡っていくのです。これを消化しなければならないのが統一教会の道なのです。

 

 ですから、歴史を通じて神様のみ旨を成すに当たって、いつも天の側が打たれてきたのです。悪なる側から打たれても、善なる側は打つことがてきないのです。いつも善なる側は保守的な立場で、これを防御しなければなりません。ところがサタンは、いつも攻撃してくるのです。二人がいる時、どちらが先に手を出すのかという問題です。善なる側は、先に手を出すことができないのです。いつも悪なる側が手を出すのです。善なる神様は先に打つことができないからです。愛を中心に所有権を決定して、これを捜し求めるために、自然屈伏させるために、男であれ、女であれ、神様が好きで行ったからには、世の中の環境がどんなに反対してきたとしても、天に従って行動したという立場に立たずしては、天の国の版図を形成することができないのです。これが宗教世界の悲劇なのです。

 

 そのためには、血と汗を流さなければならないし、涙を流さなければなりません。換言するならば、サタン側の愛を否定し、神様を愛してサタン側の愛以上の位置に立ってこそ、悪魔は離れるようになっているのです。これが公式です。

 

 ですから、イエス様も「誰よりも私をもっと愛しなさい」と語りました。「汝の母や子供や妻を私より愛するものは、私にふさわしくない」と語りました。それのみならず、「自分の十字架を負って私に従ってきなさい」と語ったのです。家庭を克服し、反対する環境を乗り越える愛を持たなければならないことはもちろんですが、さらに、自分の十字架を負って従っていかなければならないのです。

 

 その十字架が何かというと、家庭の勝利で終わるものではないのです。そこには、氏族というもっと大きい怨讐が待っているのです。しかし氏族圏を勝利したといっても、それで終わりではありません。もっと大きい民族がいるのです。民族に勝ったからといってそれで終わるのではありません。国という主権者がいるのです。このように、次々に大きなものが前に立ち塞がってくるので、もっと愛する位置に立ったとしても一方通行ですべてのことが終わるのではありません。このような戦いを重ねてきたのです。それを世界までです。

 

 ですから、キリスト教も世界版図を築く時まで血を流してきたのです。殉教ということです。生命を投入して、また投入して、死亡の峠を踏み越えて立ち、また乗り越えなければならないのです。このように家庭を経つつ、個人的垣根、家庭的垣根を皆崩して、統一天下を成して、すべての環境を開拓するのは、来られる主様にまみえるためです。来られる父母にまみえるためです。偽りの父母の種を受けた位置を離れて、神様の直系的愛を中心とした新しい種を受けた位置で接ぎ木されて神様の国に入っていくのです。偽りのサタンの血族では入れません。ですから、必ず新しく来る真の父母の門を経なければならないのです。

 

「死なんとする者は生き生きんとする者は死ぬ」

 そして、真の父母の前にどのように立たなければならないのかというと、自分の財産をそのまま持って真の父母の門を通ることはできません。また、自分の息子や娘によって通ることもできません。自分たち夫婦だけでもって通ることもできません。真の父母の前に立つためには、全部が新しくならなければなりません。換言するならば、神様が新しく創造したものとならなければなりません。

 

 ですから、私のものであった万物、私の息子、私の相対も、サタン側に保管するのではなく、自分の宗教圏に保管しなければなりません。すべてが私のものではなく、神様のものだと思わなければなりません。神様のものであるという言葉だけではなく、また証文のように名前の変更だけでもいけません。神様のものであるということは、サタン世界の堕落の愛で染まっていたすべてのものを乗り越えた位置で、「何よりも神様を愛し、何よりも永生の路程を愛しますので、神様のものとして受けてください」と、言えなければならないのです。

 

 偽りの愛でもって汚された人生航路が天側へ移されるためには、真なる愛の心情圏で堕落した心情圏を凌駕しなければなりません。生命を捧げずしてはサタンの愛の圏を凌駕することができないのです。ですから、聖書に、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という、逆説的な論理を立てられたのです。これは、このような根本的な内容があるからです。聖書には、その内容を説明していませんが、そのような内容を通じた結果であるにもかかわらず、それを知らないままに今日まで侵攻してきたことによって、霊界に行くようになると、知らなかったことが審判の条件となって、もしそこに解決点を持つことができなければ地獄へ行くのです。

 

 ですから、新生という言葉があるのです。ニコデモがイエス様に尋ねた時、イエス様が、「お前はユダヤ人の先生であるにもかかわらず、新生ということを知らないのか」と言われたのです。新生とは再び生まれ変わるということです。偽りの父母から生まれた人が、真の父母を通じて再び生まれることです。再び生まれる時、神様の愛、神様の生命、神様の血統を受け継ぐために、今までのサタン世界の愛、サタン世界の生命、サタン世界の血統とは無関係となり、意識にもないようにならなければなりません。

 

 このような原則的内容を中心として交差して、地上の悪魔の世界から天の世界へ相続されるために、越えていかねばならないことを知らないでいるのです。そこで統一教会が現れて、具体的な内容を整えて、個人の行く道、家庭、氏族、民族、国家、世界の行く道を全部、編成したのです。その清算した基盤の上に、悪魔も讒訴できない勝利的覇権を地上に築いたのです。このように見た時、今まで私たちが行ってきたことは、個人的な死亡の世界の航路を開拓したことです。先生が個人的な路程を開拓する時、悪魔は全世界の人々を通じてすべてに反対してきたのです。

 

 私は大韓民国の民として生まれましたが、大韓民国の国民としての扱いも受けられないのです。国民の扱いも受けられないばかりか、怨讐の扱いを受けたのです。それで一番後に残るものが何かというと、キリスト教です。聖書に「汝の家族が怨讐である」という言葉があるでしょう? (はい)。終わりの日には、家族が怨讐であり、民族が怨讐であり、自分の一族が怨讐となるのです。しかし民族や一族が問題ではありません。信仰においては、キリスト教がお兄さんの位置にいるのです。統一教会は、弟の位置にいるのです。ですから、今までカインが弟を殺してきた歴史を、末世時代において清算するためにサタンを中心として最後まで統一教会に反対してくるのです。

 

 このような過程を経ながら、個人的な垣根を崩し、家庭的な垣根を崩し氏族編成をしてきたのです。その氏族編成が祝福なのです。この地に天の国の氏族がなかったし、個人もいなかったのです。そこで、統一教会を中心として氏族編成をしたのです。イエス様がザカリヤの家庭をヨセフの家庭を中心としてできなかった氏族編成です。この話は何のことかといえば、男子の生まれることのできるのがヨセフの家庭であり、イエスの血族となるのです。また、女子の生まれることのできるのがザカリヤの家庭なのです。洗礼ヨハネとイエス様の関係、マリヤと洗礼ヨハネのお母さんとは従姉妹関係です。一つの血族なのです。親戚なのです。

 

 ですから本来、洗礼ヨハネはイエス様に反対することができないのです。それゆえ、二人が一つにならなければなりません。男の支派と女の支派が一つにならなければならないのです。なぜそうなのかといえば、今日の五十億人類もすべて男性の側、女性の側の二つに分かれているのですが、イスラエルの国を中心として、ユダヤ教の圏内には多くの氏族たちが入っています。その中で男性を代表したのがヨセフの家庭であり、女性を代表したのがザカリヤの家庭なのです。これが結婚して一つにならなければならないのです。

 

 それでイエス様は結婚しなければなりませんか、してはいけませんか? (しなければなりません)。既成教会では、私がイエス様は結婚しなければならないという話をすると言っては、私に反対するのです。イエス様は男ですか、女ですか? (男です)。男という言葉が生じてくるには、女という存在をおいていう言葉なのです。ですから男が生まれたということは、女に出会うように生まれたということなのです。また、女が生まれたということは、男の存在を条件として、男に出会うように生まれたということなのです。ですから女であれ、男であれ、自分のゆえに生まれたのではありません。このことをよく知らなければなりません。男であれ、女であれ、自分の体は自分のものではないのです。男の体は女のものであり、女の体は女のものであすか、男のものですか? (男のものです)。男のものなのです。

 

 そして重要な愛の器官は、男も女も自分が主人ではありません。女の愛の器官の主人は女ではありません。自分勝手にはできません。その主人は、絶対的に男なのです。男の愛の器官は、絶対的に女のものです。ですから、神様は愛の器官の主人を取り替えておいたのです。これを勝手に使用すれば一族が滅び、天下が滅びるのです。

 

 ですから男女問題には注意しなければなりません。歴史時代に天地が道理であるにもかかわらず、これが入れ代わるならば地天になります。地天になれば、それは、天地の前に怨讐なのです。よく黒白と言いますね。白黒と言わなければならないのに、なぜ黒白になったのですか? また、赤白とも言うでしょう。悪いものが全部、前に立ったのです。しかし、父母は母父になっていません。父母だけは、伝統的になっているのです。これが逆になれば、何の使い道もないのです。

 

 このように見た時、神様が上にいなければならないのに、サタンが上にいて神様が下にいったのてす。これを本然へ正していこうとすれば、歴史路程において上にいるサタンは下がっていかなければならないし、神様が上がっていって交差しなければならないのです。歴史時代に必ずそのような交差点があるのです。

 

 今日、民主世界と共産世界がそうです。精神が先か物質が先か。神様がいないという無神論と神様がいるという有神論なのです。今まで神様がいないという無神論が上にいました。神様が上にいなければならないのに逆になったので、神様は自分の位置を捜し求めて上がっていかなければならないし、サタンは自分の位置を捜し求めて下がっていくので、必ず交差点を経なければなりません。その交差点は何かというと、零点なのです。

 

 今や歴史上に人類の終末時代が訪れたので、民主と共産が交差するのです。神様によって、全世界に澎湃していたサタン世界の全権時代も、七〇パーセントになれば下がっていくのです。七〇〇〇年歴史を中心として蕩減するのてす。七数が問題なのです。第一次大戦もドイツが七〇パーセントは勝ったのです。第二次大戦も日本が七〇パーセントは勝利しました。七数になれば、そこから下がり始めるのです。歴史もこのようにすべてが、原則的な公式を通じて発展するというのです。

 

 人類は偽りの父母から生まれたので、このように謝ったのです。父母を中心としてこのようにならなければならないのに、逆になったのです。それを誰かが来て解かなければなりません。個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に、天宙的に解かなければならないのです。個人的な曲折を解く時代は、個人蕩減時代です。家庭的な曲折を解く時代は、家庭蕩減時代です。

 

八段階の蕩減路程

 今日、統一教会はこのような八段階の蕩減路程を歩んできたのです。皆さんも言葉だけは知っているのですね。個人蕩減、家庭蕩減、氏族蕩減、民族蕩減、国家蕩減、世界蕩減、天宙蕩減という言葉は知っていても、皆さんはそれをいつ蕩減してきましたか。生命を懸けて死ぬか生きるかという決闘をしたことがありますか。皆さんは子供の位置にいるのです。堕落は誰がしたのかというと、父母がしたのです。真の父母の名をもって来られた方は、個人的な闘争をしてその垣根を崩し、家庭的な闘争をしてその垣根を崩し、氏族的な闘争をしてその垣根を崩さなければなりません。こうして、このすべてに上下を中心として合わさることができなければなりません。何を中心として合わさるのかというと、今日の世界は経済圏を中心として一つになろうとしています。経済と知識と権力をもって、力の平準を通じてこれを一つにしようとしています。

 

 しかし、それは間違いです。世界を一つにする歴史的統合的中心方案は、真の愛というものです。歴史の流れには方向があるのです。経済圏でもっては一つになれません。真の愛を中心として偽りの愛を収拾し、上下を連結させなければならないのです。歴史的な真なる方向は一つです。その真なる方向に従って、個人の人生観、家庭観、氏族観、民族観、国家観、世界観があり、これがだんだん広がっていくのです。個人時代、家庭時代、氏族時代です。この中央線に通じるのは、真の愛という方向性なのです。

 

 それで皆さんも真の愛を願うのですね。ですから個人は、堕落によって個人が行かなければならない真の愛の方向性を失ってしまったのです。天の世界へ戻っていこうとすれば、一八〇度違うのです。悪魔の愛とは、自分を中心とした愛なのです。天側の愛はその反対で、全体を中心とした愛です。これが分裂したのです。ですから今まで死亡へ行く道は体が喜ぶ道であり、生命の天国へ行く道は、心が喜ぶ世界です。一八〇度違うのです。

 

 ですから、逆説的論理でもって「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」ということなのです。それは何かというと、このように進んでいた人が一八〇度回れ右をすることです。先の者が後になるし、後の者が先になるのです。父が息子の前に立っていたのに、回れ右をすることによって、息子が父の前に立つようになるのです。天地開闢が起こるのです。私たち統一教会はそのような式をするのです。

 

 このように見た時、真の父母の門を通って行くためには、真なる愛が必要です。悪魔世界では物質を愛しました。その次に知識を愛しました。もし霊界に行く時になって、ソウル大学の卒業証書を千枚持って行っても何の役に立ちません。

 

 また、お金の包みをどんなに愛したとしても、それを持って天上世界に行っても何の効用もありません。知識、何々の博士、何々のメダルを持って行っても、何ら必要としません。権力? 「私は三代も大統領の務めましたから、私は天国に行きます」。とんでもありません。それは皆、よこしまなものです。お金を愛し、知識を愛し、権力を愛し、自分の体を愛する以上に神を愛さなければなりません。私という存在は、サタンに埋められているのです。ですから私の生命以上に愛する基準でのみ、天の国に初めて足を踏み入れることができるのです。

 

 そうでなければ悪魔が遊んでいた敷物の上で生きるのと同じです。分かりますか。悪魔が住んでいた部屋に入って、悪魔が広げ、悪魔が被せて、悪魔が使っていたものを、神様が良しと言うことができるでしょうか。悪魔の痕跡、愛の怨讐になる悪魔の姿はその形を考えるだけでゾッとします。

 

 今国に入るのがどんなに難しいことか分かりますか。既成教会の牧師、長老、信徒たちが、「信じることによって天国に行く」と言うのですが、そのようなでたらめなことがどこにあるでしょうか。もしそうであれば、賢い文総裁が牧師中の牧師になったのです。それらは皆、通じないのです。分かりますか? (はい)。

 

 そのようにして真の父母の門を通じなければなりません。それで統一教会に入って、どうするのかというと、真の父母によって再び生まれるのです。お母さんのおなかより、結婚する前のお父さんの骨の中の赤ん坊の種にならなければなりません。その位置まで訪ねていかなければなりません。何の話か分かりますか。それで統一教会に来るようになれば、統一教会の先生が父の位置にいるので、すべての人が、女であれ男であれ、互いに先生を自分のものにしたいと思うのです。同じ体のように絶対的に必要な先生なのです。正に父のようなのです。そう思いましたか? (はい)。原理がそうですから、統一教会の信徒がそうでなければうそです。

 

 それで統一教会に入教してくれば、先生が父のようであり、兄のように思えるのです。神様の愛を受け、その次には兄の愛を受けるのです。その次が夫の愛です。エバが堕落することによって三大愛を蹂躙したので、このような愛を体験せずしては救いを受けることができません。蕩減することができないのです。一〇〇円の借金をしたならば、一〇〇円返せば全部清算されますが、それができなければそれに該当する心情をプラスしてでも、その量を満たさなければなりません。

 

 それと同じく、三大愛を蹂躙したエバの犯罪的条件を蕩減するためには、真の父に会うためには、父のような思いになるというのです。それは自分を生んでくれた父母が問題ではないのです。私を愛する、兄弟姉妹が問題ではないのです。自分を愛する夫が問題ではないのです。統一教会では、そのような風が吹くのです。

 

 ですから統一教会に来るようになれば、恋愛結婚後一週間の夫婦も、互いに嫌になるのです。統一教会の一番初めの青坡洞教会はみすぼらしい教会なのです。それなのに、その家が一番素晴らしく見えるのです。教会に入れないようにと大門を閉めれば、塀を乗り越えてくるのです。そのようなことが起こるのです。ですから、悪いうわさも立ったのです。

 

 そのようにして、もっと大きい愛、もっと高い愛を持たなければ、天の国に入れないのです。それで先生が絶対に必要なのです。堕落したアダムとエバによって、偽りの生命を植えつけられたので、本然的生命を得るためには、真なる愛の波に乗り、再び父母の骨に入っていかなければならないのです。このように復帰は難しいのです。こうして春の風が吹いたので、統一教会の女性は、十二歳から八十歳までのすべての女性が、「先生は自分の夫だ」と考えたのです。そのように霊界から教えてくれるのです。

 

 先生が父みたいであり、次に兄みたいなのです。それで、首飾りもかけてあげ、指輪もはめてあげ、約婚式もしてあげ、皆、見せてあげたのです。そのような、心遇々中心とした訓練をさせたのです。先生を通じなければ、その道が出てこないのです。そのようにして、心情を置き換えて祝福へ連結させたのです。

 

 それで、父母の門に通じるためには、曲折に絡み合ったこれらを皆、解いて入っていかなければなりません。自分というものが残っていてはなりません。私の生命をつないでくれる真なる愛のみが主体なのです。そこには、男女語区別もありません。それで、父母の骨に入っていかなければならないのです。

 

 そうして解放後、約十四年を経てお母様をお迎えすることができました。原理を学んだ統一教会の人たちは、宇宙のお母様、真のお母様がいつ来られるのかと言って、十四年間先生が一人でいる間ありとあらゆる夢を見ました。娘を持った家では、ありとあらゆることをして先生を誘惑しようとしました。もし私が原理原則を知らなかったならば、とっくに打ち壊されていたことでしょう。皆さんも知っているでしょう。いろんな人々がいたのです。お母様をお迎えしたのに、「このお母様は偽物であり、自分が本物のお母様だ」と言うのですね。世の中にそのようなことがあってよいものでしょうか。

 

 私は、統一教会の教主になってこのような苦労をするとは夢にも思いませんでした。「私は先生の骨の中にいるので、先生が私なのです。私と一つになってください」と言うのです。そして夜であれ、昼であれ、千里、万里遠く離れていても、先生の行く先に行って待っているのです。幼い子供みたいなのです。人は生まれるために、誰しもお父さんの骨の中の種から、お母さんのおなかを通じて生まれてくるのです。七年は旧約時代、また七年は新約時代、そして十四年を経て完成時代に入っていくようになり、長成期完成級で堕落した家庭を捜し求めていかなければならないのです。もし、その時に既成教会とアメリカが協助していたならば、今のお母様ではないのです。別の人がお母様になっていたのです。

 

真の父母の門

 愛のみが自分の生命を乗り越えることができるのです。ですから、そのような立場で旧約時代、新約時代、成約時代を通じて何をするのかというと、神様を私の内に押し込もうとするのです。誰が根なのですか? 神様が根なのです。そうでしょう。神様が人間の根にならなければならないのです。本来、真の父母が根ではないのです。真の父母も神様の根から出てきたのです。男と女という二人の芽として出てきたのです。

 

 アダムとエバは、堕落する前には神様の息子と娘の位置ですね? (はい)。しかし堕落によって、万物もアダム・エバよりましな位置にいるというのです。アダムとエバは成長して堕落しました。堕落によって、万物よりもっと俗なるものになったのです。ですから、万物が人間の上にいるので、私たちの代わりに万物が死んでくれるのです。私たちの代わりに血を流して位置を整えてくれるのです。ですから旧約時代は、すべての祭物を犠牲にさせて息子娘の行く道を築いたのです。そして新約時代はイエス様が来られて、血と肉を流し犠牲になったのです。多くの殉教の血を流して、再臨時代にご父母様が来られる道を築いたのです。イエス様は息子の位置であり、ご父母様は父母の位置なのです。

 

 ですから、霊界に行ったイエス様が先生に礼儀正しくあいさつするのです。このようなことは、皆さんも知らないでしょう。統一天下にするためには、天上世界の神様の前に行って霊界を統一した印を受けなければ、地上世界の統一はできないのです。分かりますか?(はい)。

 

 いつでしたか「釈尊が私の弟子であり、イエス様が私の弟子であり、孔子が私の弟子であり、マホメットが私の弟子だ」と言った時、「文総裁を捕らえて殺さなければならない」と、ホメイニは私に死刑宣言をしました。それは、自分で霊界に行ってみれば分かることです。私は嘘を言う人ではありません。嘘かどうか、霊界に通じる人は祈祷してみなれば分かるのです。ですから、今に見ていなさい。統一教会が宗教統一の中心になるのです。すべての国の指導者たちも全部、自然屈伏してくるのです。

 

 アメリカも私に自然屈伏しましたし、ソ連もそうです。ソ連も「統一教会の文総裁でなければならない」と言っているのです。ソ連の共産世界の頂上にいる人たちも、ソ連の国会で「文総裁の思想でなければならない」と言っているのです。ですから、アメリカも従ってこざるをえません。今回、そのような大会を中心として、全部結びつけました。

 

 さあ、このような問題を考えてみた時に、今年も「私の国の統一」という標語になったのです。こうして真の父母の門を通さずしては、神様を中心として統一ということはありません。男女が堕落することにより、争いの場が展開されたからです。

 

 それで真の父母の門に通じるためには、道理的でなければなりません。道理的になろうとするので苦労が多いのですね。しかしそれだけでは通れません。愛の位置に立たなければなりません。ですから宗教圏内では、全部が出家するのです。国を捨て、家庭を捨て、男は女を克服しなさいというのです。女が怨讐なのです。エデンでアダムを生きられないようにしたのが女なのです。女が男を否定したので、男は女を絶対否定しなければ、肯定的道を捜し求めることができません。ですから、宗教生活を好む人はいないのです。このように全部が逆説的なのです。一八〇度違うのです。御飯を食べたいのに、断食せよと言うのです。遊んでいたいのに、休まず祈祷せよと言うのです。休まずに祈祷することは、どんなに難しいことかしれません。祈祷する時は、敷物を広げてひざまずいて、罪人たることの許しを乞うことから始めなければならないのです。

 

 その次には、犠牲と奉仕です。生命を捧げなさいというのです。これは何かというと、零点の位置に訪ねていかなければ、再び戻ってくることができないということです。では、この零点の肉の塊をどこへ引きずっていくのかといえば、ご父母様のおなかの中へ引きずって入っていくとしても、ご父母様は、け飛ばしてはならないのです。喜ばなければなりません。「ああ、あの女は来ないのか」と、毎日のように待たなければなりません。

 

 皆さんは先生に会いたいと思いましたか? (はい)。先生も同じです。失ってしまった子供に会うのに、どこで会うのかというと、零点の位置を通過しなければなりません。「死なんとする者は生きる」という零点です。個人的垣根を崩さなければなりません。

 

 この地上でこれが解けなくては、永遠に引っ掛かっていくのです。あの世へ行って、父母の世話になるのではありません。父母の世話になるのは、地上世界の二十歳までです。結婚するようになれば、世話になった父母にお返ししなければなりません。息子や娘を生んで父母の代わりに育てるのです。それ以上に目上の人に世話になったことは、お返しする道がありません。ですから水が流れるように、人類に向かって返さなければなりません。父母が私を愛したように、自分の息子や娘を愛する心で人類を愛さなければなりません。

 

 神様が万物を創造する時、心情を投入したのです。それゆえ、すべての物質を神様に捧げなければなりません。それで統一教会の標語が出てきたのです。涙は何のために? (人類のためです)。汗は何だった? (地のためです)。血は何だって? (天のためです)。それでそのように生きてきましたか? (生きようとしました)。生きようとしただけでは、何千年たっても何の関係もできません。生きたのでなければなりません。これは深刻な問題です。このような複雑な蕩減路程なのです。

 

 個人の曲折は、零点をつくる垣根を崩さなければなりません。先生がそれを皆、行ったのです。ですから、一生涯、重要な時は監獄に入っているのです。監獄に入っても、「ああ、私は腹が立つ」と思ってはいけません。たとえ拷問を受け、血を吐いたとしても、「神様、私は死にます」と神様を呼んではいけないのです。

 

 既成教会の牧師たちが監獄に入れば、監獄から出るようにしてくださいと祈祷しますが、神様は知らずに愛する息子、娘を監獄に押し込むでしょうか。神様の曲折があって、監獄に押し込んだのに、その曲折を背負った者が神様に、「ああ、私を助けてください。私を助けてください」と言えば、情が離れますか、情がくっつきますか。先生は監獄に入っていっても、祈祷をしません。拷問を受けて痛いと言いません。机の脚のような角材で激しくなぐられるとしても、「角材がぶっ壊れるのであって、私はぶっこわれない。打つなら打ってみろ。神様の名前でもって打て。悪魔よ、打て!」と言うのです。先生は体も丈夫ですし、力持ちなのです。

 

 私の父は、米俵一つをこのように持ってよく階段を上がっていきました。そのような血族の中に生まれたので、七十歳を越えた今もかくしゃくたるものです。山を駆けていく野鹿も、裸足で走っていって捕えようと思っているのです。

 

 このような複雑な個人的垣根を全部崩しました。家庭的な垣根、氏族的な垣根、民族的な垣根、国家的な垣根、世界的な垣根、その次は霊界に行って、霊界の道を皆、築いておいたのです。地獄から天上世界に行く道を皆、高速道路にしておきました。道は築いておいたのですがその道を走るためには、自分が峠にいるならば、その道は自分が築いてこなければなりません。分かりますか。

 

 父母が間違いを犯して垣根を築いたので、真の父母になるためにはこの垣根を皆、崩さなければなりません。第二次大戦直後にキリスト教を中心として、もし先生に侍ってきたならば、その垣根が全部、崩れて天下が統一されたのです。

 

第三イスラエル圏の形成

 このようなことを知っていた先生がいかばかり大変だったことでしょうか。ですから、私は解放後には「万歳」を一回も叫ぶことができなかったのです。私が行かなければならない道は、私がつくらなければならないのです。三十八度線を越えながら、神様の前に祈祷したことは、「共産党は私の手で処置します」ということです。悪魔が覇権を握ったこの地球を私が撃破するのです。

 

 この話は何のことかというと、一つの教会をつくるということです。その教会を中心として第三イスラエル圏を形成するために、キリスト教ができなかったことを成して、世界を統一する次元の時代を迎えなければならないということです。それがまさしく今なのです。今や文総裁に反対する人はいません。今までアメリカで私を讒訴してきた弁護士、判事たちは今に見ていなさい。悪魔の首を切るのは、悪魔の一番近い息子たちなのです。

 

 ですから、本物の共産党員になろうとすれば、父を殺してこそ本物の党員になれるというのです。自分の兄弟の血を流すことのできないような人は、本物の党員にはなれません。父が息子の首を打つことなど問題ではないのです。これらは悪魔の悪らつなる手法によって、人間の行くべき最後の門を閉めてしまおうとすることなのです。その悪魔に対して、世界的に一人で戦ってきた大将がこの私なのです。そうですね。大将だと言ったからといって気持ち悪く思わないでください。戦って勝利して今では大将になったのです。(拍手)

 

 ですから何よりも、誰よりも、もっと私を愛さなければ天の国に入ることができません。歴史上の堕落の血族として生まれたすべての忠臣、烈女、国を愛する愛国者、世界を愛する聖人、家庭で父母を愛する孝子、孝女がいるとすれば、それ以上の位置に立たずしては天国に入れません。それは、サタン世界に包括された世界の伝統を残すだけであって、天の国では何の役にも立ちません。先生がそんなことを話すので、既成教会が大騒ぎしたのですね。

 

 既成教会の牧師たちが霊界に行ってみれば、どのようになるでしょうか? そこの女たち、文総裁を何だと思いましたか? 国を生かし、大韓民国を世界一の国にするために天が送った使者であるにもかかわらず、自分勝手に扱ったのですね。

 

 最近は、このようなことを語っても、先生を知らない人も分かるようになったのですが、四十年前にこのような話をすれば、空砲を撃つ文総裁、嘘をよく言う詐欺師の文総裁と言われたのです。そう、彼らが詐欺師ですか、私が詐欺師ですか? それは、歴史が流れるにしたがって証明されるのです。

 

 何よりも真の父母を愛する心情圏が主体にならなければなりません。相対になってはいけません。金孝律のお母さんも天国に行こうとすれば、「ああ、私の息子の孝律が来ないのか」という心を持ってはいけません。彼は自分の息子でしょうか? 自分との関係で生まれては来ましたが、それは、サタン世界の血統を受け継いで生まれたということ以外に何がありますか。それを悔い改めなければなりません。悔い改めて天国に入っていかなければなりません。それが統一教会に入ってきた目的です。

 

 このようにして先生が個人、家庭、氏族、民族の垣根をすべて崩し、霊界にふさがっていた垣根も皆崩しました。今まで地上で悪魔が持っていた長子権も復帰しました。分かりますか? (はい)。ですから神様も救援摂理のためには、自分の一番愛するひとり子を犠牲にしたのです。ひとり子を犠牲にさせるとともに、そのひとり子に従う群れのクリスチャンたちにも今まで血を流させてきたのです。

 

 神様は先生を愛するように思いますか、思いませんか? (思います)。よこしまな話はやめなさい。神様が愛するのを見ましたか? (はい)。それでは、神様の愛する先生がなぜ一生涯このように悪口を言われるのですか? (愛によって、もっと高めるためです)。話は素晴らしいですね。そのように愛して、あの世での特権的福を与えようとするのです。

 

 人類歴史は六〇〇〇年ではなくして、二億五〇〇〇万年になりました。今まで数多くの歴史時代を経てきながら、神様が捜し求めている真の父母というものは、心の中にいるのであって、会うこともできず、夢の中でのみそれを希望してきていたのです。神様はそれをつくることができません。人間が捜し求めてこなければなりません。なぜかというと、アダムである人間の父になる祖先が、過ちを犯したからです。

 

 民が罪を犯したことを、その国の王が償うことができるでしょうか。息子娘が罪を犯したことを、父母が背負うことができるでしょうか。父が罪を犯したことは、息子娘が蕩減する法がありますけれど、息子が罪を犯したことは、父は蕩減できないのです。この話は何かというと、神様が私たちのすべての罪を代身して、全部蕩減してくれなければならないという話にはならないのです。

 

 蕩減は私たちがしなければなりません。天使世界を通じて蕩減するのです。分かりますか? (はい)。友達を通じたり、自分の近い息子娘を通じてしなければならないのです。父母が負債を負ったものは、子供が弁償するのです。また子供が負債を負ったものは、父母が返済してやらなければなりません。しかし本来は返してやってはいけないのです。この話は何のことかというと、神様が私たちのすべての罪を犯したことを責任を負って解いてくれなければならないということではないのです。

 

 息子が死刑宣告を受けたのに、父母が死刑を受けることができるでしょうか。父母が死刑を受ける整種になったのを、息子が代身して死刑を受けるのは道理に合っているのです。

 

 ですから文総裁が現れて、個人から世界的な反対を受けてきたのです。誰かが悪魔の前に立って、世界的な反対を受けなければならないのです。そうして個人の垣根を越えて世界的な反対の中で打たれて奪ってくるのです。罪のない人を打ったならば、打った人が良心の呵責を受けるのですね? (はい)。良心の呵責を受けてまた打つ法はないのです。ですから悪は戦いを続けることができません。清算しなければなりません。その時は、どのように清算するのかというと、「私が過ちを犯しましたから、一つなぐりましたから一つ半打たれても良いです」と言うのです。その時は、そっと一つなぐるのではなく、大きく一つグワンとなぐっても罪ではないというのです。二つなぐった人は、三つなぐられて許しを受けるのです。

 

 それは何のことかというと、損害賠償の請求は、元金と半分の利子を請求して受けるのです。ですから、神様は救いの摂理をするにあたって、全知全能であるので、思いどおりに行おうとすれば一日で世界を皆、引っ繰り返すこともできるのです。ところが人間たちは、この法を知って適用することを知らないでいるのです。文総裁は、それが分かったのです。

 

神様の戦法

 初めて人間世界で神様の作戦と悪魔の作戦を知ったので、「おい、悪魔め! お前の作戦を皆、行ってみろ。お前がどれだけやってみたって、神様の戦法にはお前の戦法では勝てないのだ。私が勝つだろう」と言ったのです。神様の戦法は、先に打つのではありません。打たれて奪ってくるのです。サタンも過ちを犯したことを知っているのです。

 

 神様が、「お前は成功したのか、失敗したのか」と問う時、「過ちを犯しましたが、文総裁はそれが分からないのです」と言うのです。分からなければ条件が立てられないのです。なぜかというと、「アダムとエバは分からないで堕落したのです。分かっていたならば堕落していません。ですから、分からずに堕落してこのようになったので、分からない圏内で成されたすべてのことは、私(サタン)の所管にあるのであって、解放することはありません」と言うのです。ですから、文総裁は、世界的に歴史以来の宗教という名のもとに、人類全体の前で世界的な大迫害を受けてきたのです。大韓民国だけでも母という母、夫とう夫、妻という妻、息子娘という息子娘で私に反対しなかった者はいません。

 

 先生が迫害を受けていた時は、連絡もしないで毎日のように引っ越ししたのです。ですから先生を見失ってしまって、多くの人々が祈祷しました。「そんなに会いたいのか?」「はい」と言って、泣き騒ぐので、「おい、住所を書いてあげなさい。どこどこにこのような家があるから直ちに訪ねて行きなさいと」。そして、私が一人で祈祷しているとドアを開けて、「先生いますか」と言って、入ってくる人が多かったのです。聖書の奇跡も、統一教会に比べれば何でもないのです。

 

 先生がおなかが空いていると、道端でおばさんたちが白い服を着てあいさつしながら、「昨夜、夢に私の祖先が現れて、あなたにもてなしをしなければならないと言ったので、夜を徹して食事を準備しましたのでどうぞお入りください」と言うのです。そのようなことを、信じられますか? 先生にはそのような何かがあるので、他の人ができない業をしてきたのです。

 

 ここには西洋の人たち、東洋の人たち、さまざま人たちがたくさん集まりましたね。みんなは何を求めてきましたか、何を捜してきましたか。文総裁に会っても、何にも与えるものはありません。悪口しか与えるものがありません。(笑い)。まるで、愛を捜し求めて集まってくるジプシーの群れのようです。真の愛の味が分かるのですね。真の愛は蜂蜜のようなのです。働き蜂は密の味が分かるので、花の香りをかぎ、千里の道も遠しとせずに飛んでくるのと同じです。

 

 それで、真の父母になるのは易しいことではありません。私が真の父母の権限を譲りますから引き受けたいという人がいるならば出てきなさい。それは雷に打たれる者です! (笑い)

 

 私は真の父母になるということなど思いもしなかったのに、統一教会の責任を負っていかざるをえなくなり、そうしているうちに真の父母になったのです。私は真の父母になるということを初めから分かっていたならば、万民が皆、理論的に従ったのです。何も分からずに人生の根本問題を掘り下げてみると、ここまで来たのです。さまざまな曲折を解いてみると、真の父母のすべての解怨成事もなり、神様を解放する必要が分かったし、今は神様が私によって解放を受けたので、絶対的に文総裁を愛さざるをえないというのです。(アーメン)。(拍手)

 

 では、皆さんは真の父母に会って何をしましたか? 先生は今まで、悪魔の世界で鞭打たれながらも、家庭を経て、氏族を経て、民族を経ながら、個人編成、家庭編成、氏族編成を成してきました。統一教会の祝福家庭は氏族編成なのです。それも世界的なのです。今ではサタン世界が捕えて絞首台で首を切ることはできません。なぜかというと、素晴らしく生きているからです。一般社会では東洋人と西洋人が結婚しても、なかなか一緒に住むことができず、よく離婚するというのに、私たち統一教会の人々は十年でも、二十年でも素晴らしく生活していくのです。またよく見ると、子供たちは、親よりも素晴らしい息子娘が生まれているのです。子供たちが実に美しいのです。私がイーストガーデンで十二か国の人々と共に住んで、その十二か国の人々の子供たちを見ると、本当に素晴らしい子供たちなのです。彼らが成長すれば全部、婿や嫁にしたいと思うのです。全部がそうなのです。

 

 それで、ここにいる夫婦は、自分の息子や娘は自分より出来が良かったですか、悪かったですか? 先生とお母様によって生まれた息子や娘も、先生とお母様より出来が良かったでしょうか、悪かったでしょうか? (出来が良いです)。

 

 うちの孝進もここに来ているでしょう? (はい)。「孝進、一度、立ってみなさい」(拍手)女に生まれたならば先生のような人の嫁に一度なってみたいですか? (はい)。ですから、統一教会の信徒たちの願いは、先生の一族とどのように姻戚の縁を結ぶのかというのが最高の希望なのですね。(笑い)。

 

 もし鉱夫であっても、そこの鉱山の主人にきれいな娘がいるならば、その娘を自分の嫁さんにしたいと思うことは罪ではありません。恋煩いにかかって事件を起こせば問題ですが、心で思うのは罪ではないのです。なぜ正月早々からこのような話をするのかといえば、今からきれいに男らしく、女らしく国のために全部、血筋が通じ、脈が通じる愛国者の伝統を継いであげるために、このような話をするのです。分かりますか? (はい)。

 

 さあ、時間がたくさん過ぎました。もう二時になるのですね。

 

真の父母の家庭が築かれるまで

 真の父母が訪ねていくことのできる家庭にならなければなりません。分かりますか。真の父になるためにどんなに迫害が多くあったことでしょうか。神様はアダムを通じてエバをつくりましたね? (はい)。それで先生は何にも分からないお母様を育てていったのです。「失礼しました。お母様、そういう時は聞えなかったと思いなさい」。世間知らずのお母様をお迎えしたので、周囲は狼のようにワンワン騒ぐのです。昼であれ夜であれ、毎日のように騒ぐのです。世の中で私はそのような女たちを初めて見ました。事実なのです。狂ったのです。一人ぐらい狂うならかまわないのですが、全部が狂ったらどうしますか。

 

 先生の結婚式が終わった時に、お母様になりたいとは何事ですか? 資格から見れば、自分たちのほうが皆、ましなのですね。お母様は何にも分からないのですから、原理もよく分かりません。ですから、育てていかなければならなくなったのです。その当時は博士の女たちもおり、大学に通う女たちもおり、美女たちもいたのに、四十歳になった老いぼれが二十歳にもならない娘と結婚するとは、まるで泥棒の徒弟になるみたいでした。(笑い) これは本当に素直な話です。ですから私自身も、女たちに対して失礼だったのですね。

 

 このように、先生の幸福なる家庭を築くということは本当に難しかったのです。ですから、しばらくは定着できませんでした。それで十四年が過ぎました。十四年の間に何をしたのかというと、大韓民国における主権と戦ったのです。北韓に行って戦ったのです。一九五五年度にも刑務所生活をしましたね。北韓に行って金日成と戦い、南韓に来ては南の政権と戦いました。戦ってそれを全部、越えていかなければなりませんでした。イエス様がユダヤ教とイスラエル民族の前に追い詰められ、ローマの前に追い詰められたからです。現代のローマのような国はアメリカなのです。イスラエルの国と同じ立場が韓国なのです。ですから、アメリカの守護を受けているのです。

 

 それでは、ユダヤ教とイスラエル民族がローマと一つになって反対しイエス様を殺したのと同じように、悪魔は、再臨時代になってそれを適用してくるのです。ですから、キリスト教と韓国とアメリカが一つになって文総裁を監獄に押し込むのです。全くイエス様の時と同じです。そこから解放されなければなりません。ですから全部経ていかなければならないのです。蕩減というものは恐ろしいのです。

 

 ですから一生の間、何を誤って監獄に行くのかと言うのです。私の行く先々がすべて監獄なのです。アメリカに行っても監獄に行ったでしょう? (はい)。私はアメリカに行って、アメリカのお子を一文も使いませんでした。アメリカの二億四千万の西欧社会の人たちが自由世界を代表すると言いますが、彼らは私に対し顔を上げることができず、私に負債を負った人たちなのです。ところが反対に私が打たれたのです。アメリカを援助してあげ、救ってあげるために行ったのに、アメリカはその私を打ったのです。それでアメリカが報いを受毛泣ければなりません。アメリカが過ちを犯したので怨讐の国、ソ連をしてアメリカを打つのです。分かりますか。

 

 今回、ソ連の野党の人が教育を受けました。彼は、「私が帰れば文総裁の思想をもって全部、党を創建してソ連に影響を及ぼす」と宣誓して帰ったのです。そのような六つの衛星国家の人たちが来て教育を受けました。それでソ連のすべての頂上の人たちが教育を受けて、「文党クラブ」を宣布して出発していったのです。

 

 アメリカが私を打ちましたし、ソ連も一九八七年に金日成と相談して私の暗殺計画をしました。二十五名の赤軍派を送って、文総裁を暗殺するように指示したのです。それで私は、法廷闘争をせず、捕らえられることもなく、モスクワに入城したのです。生命を差し出したのです。分かりますか? このように私はいつでも生命を差し出し、生命を投機として一生の仕事をしてきたのです。そして、黙って打たれ、サタンの都城を占領してきた歴史が、文総裁の輝かしい勝利的歴史だということを知らなければなりません。

 

 その間に皆さんはよく食べて、良い生活をしていましたね。今やご父母様が血の代価で支払ったすべての価値を、一文のお金も出さずに、功労もなしに受けて、それでもありがたいとも思わないのですか。祝福を受けたその価値がどんなにありがたいことなのか分かっていますか。

 

 正月早々からこのような気持ちの悪い話はしたくないと思いましたが仕方がありません。これが、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」ということであり、「良い話を聞かんとする者は滅びるのであり、悪い話を聞かんとする者は福を受ける」ということです。

 

 さあ、このようにして先生が家庭を捜し求めるために、どんなに千辛万苦したことか分かりましたか。家庭に対する迫害を多かったし、そのわなを抜け出るためにどれだけ苦労したことかしれません。民族のわなからも抜け出なければならなかったのです。大韓民国の数千数万の家庭たちが迫害する、そのわなを無事に抜け出なければなりません。私が一対一で力でもって戦えば、皆、ぶっこわれていくのですが、神の戦法は打たれて奪ってくるのです。先生は袋だたきに合いながら、全部捜し求めてくる業をしてきました。

 

 統一教会の文先生を捕らえて殺すと言いながら、一家族が、一党がありとあらゆる迫害を加えてきたのです。その後、統一教会に入会願書を出し、祝福を受けて死んでいった人もいます。世の中は実に妙なものですね。

 

 統一教会の原理を知れば、この道を行かないわけにはいかないし、いかばかり心的苦痛が大きいことでしょうか。私を殺すために銃を持ってきた者もいます。鎌を持ってきた者もいます。おのを持ってきた者もいます。私はこの地上で人を生かしてあげるために、万民を解放するために来たのに、私の教えは聞こうともせず、刃を携えて現れるのを天は願わないし、棍棒を持って現れるのを天は願いませんでした。

 

 そのような過程を経ながら、先生が家庭の位置を確保する時までは、多くの恨みがあったのです。世の中のいかなる家庭も体験できないような悲しい背後の曲折を皆、経なければなりません。お母様もそうです。美しいお母様に何の罪があるというのですか? 世の中のことを何も知らない二十代の女性が嫁に来て、部屋らしい部屋もなく青坡洞の二階の部屋に住んでいるのに、女たちが来ては「この部屋はあなたの部屋ではなく私の部屋だ。明け渡しなさい」と言うのです。先生に会っても、「なぜ自分を相手にしてくれないのか、若い嫁さんが良いのか」と言うのです。実にありとあらゆることを見てきました。世の中で言えばそのような横暴がどこにありますか? それも見て知らないふりをしなければならないのは、師の行く道、神様の行く曲折がそうだからです。それは笑いごとではありません。

 

統一教会の祝福

 先生は家庭を定着させるためにどんなに千辛万苦し、また教会を定着するためにどんなに千辛万苦したことでしょうか。今も統一教会にその手下たちが反対するのですね。

 

 西欧社会ではすでに、「再臨が人として来られるならば、文総裁こそ間違いなくその方である」というのが公論になっています。(アーメン)。アーメンは、何のアーメンですか? この国の大統領は、「文総裁がなぜ再臨主だという話をして私を苦しめるのか、援助してやりたくても援助してやれないようになせ苦しめるのか」と言っているのです。再臨主もしたくてするのではありません。世の中を生かそうと思うので、悪口を言われながらそのような業をしているのです。静かに門を閉めて、一人で再臨主になって世の中が救いを受けにくるようであれば、そのように静かにしているというのです。悪口を言われるのが明らかなのになぜそうするのかというと、生かしてあげるためには仕方がないのです。二つの組が生じなければならないのです。「反対する者はあちらへ行け、支持する者はこちらへ来い」と、二つのグループに分かれるのです。あなた方は支持する者ですか、反対する者ですか? (支持する者たちです)。最初からそうですか? (はい。最初から反対しませんでした)。(笑い)

 

 先生の家庭を定着させることがどれだけ難しかったことか、皆さんには分かりません。先生とお母様だけが分かるのです。女として妻の位置を確保し、夫に侍って生きる基盤を築くためには、いかばかり背後に曲折の事縁が多くあったことか誰にも分からないのです。

 

 その峠を越えるまでは、教会が大騒ぎしたのです。「統一教会を信じるな」と、全部が大騒ぎしたのです。また、「文総裁はなぜそのように悪口を言われるのか、少し悪口を言われないようにしたらどうだ」と。もし、そうできればどんなに楽なことでしょうか。私は愚かではありません。それらは皆、分かっています。なのに、なぜ他人の息子娘を、当の父母の知らないうちに結婚させてあげたのでしょうか。これが心配なのですね。

 

 結婚をする前に全部、約婚をしてあげて、結婚式の招待状を出したのです。「あなたの家の息子娘が何日結婚するようになりましたから、この通知を受け取ったら出席してください。その時は礼服を着て来なければなりません」と。礼服がなければ出席できないということです。それで結婚式の当日は、龍山警察署が実に苦労したのです。

 

 三十六家庭の結婚式はいつしたのかというと、早朝にしたのですね。それも争いの中で、「うちのお父さんを出せ! 私の娘を出せ!」と言ってきたのです。父母の知らないうちに結婚するようになったからです。父母から承諾を受けなけなければならないのに、結婚式の日に何々の礼服を着て結婚式に出席しなさいという通知を出したのです。世の中にそのような習慣はありません。そのような習慣がないことを私もよく知っていました。知らずにするならばともかく、知っていてやったのです。このようなことを知りながら行わなければ蕩減にならないのです。分かりますか。眼を閉じていいかげんにしてはいけません。

 

 私は、監獄に入っても、「あなたは誰ですか」と問われた時、「私は文教主、文なにがしです」と言うのです。統一教会の教主であるということを恐れる人ではありません。皆さんは、自分が統一教会員だということを恐れたでしょう。どこに行っても私は統一教会の教主だと宣伝しました。もしそのことで、なぐられるならば一回だけではなく、死ぬまでたぐられなければならないのです。それが分からなければなりません。先生はその日から今まで、継続的な幅跳びをするのです。教会を定着させるためにです。

 

 以前、青坡洞で礼拝していた時、周辺から、どんなに石を投げつけられたことでしょうか。ガラスが破れたり、また脅迫や脅しを受けたのです。私は度胸があるので生き残ることができたのですが、もし女みたいであれば、すでにヒステリーを起こして、真っ青になってやせ衰えて死んでいたはずです。だからと言って、私は悪いことはしません。生かしてあげるためにするのです。しかし少し過ぎるほどに熱烈なので、心配するのですね。(笑い)

 

 先生の家庭を立てることがどんなに難しかったことか、皆さんはよく知らなければなりません。皆さんは生きることにおいて、そのように難しく生きたことがありますか。先生一人で、大邱などでは一か月に十三回も引っ越ししました。「気違いみたいな文なにがし、悪魔の魁首が入り込んだ。大邱市から追い出せ!」と言って行く先々で迫害されたのです。ですから、いつも荷物を包んで引っ越して回ったのです。このように個人の生活も大変でしたから、家庭の定着はもっと大変だったのです。分かりますか。さらに、教会の基盤を確保することがどんなに大変だったことかしれません。統一教会は氏族編成をして世界的に連結されなければならないので、祝福しなければなりません。ですから祝福がいかばかり冷遇されてきたことでしょうか。

 

 三十六家庭から七十二家庭、一二四家庭、そして一昨年には、日本と韓国の交差祝福を行いました。韓国と日本の男女が、交差祝福をしたのです。エデンの園に、アダムとエバと三大天使長がいたのですが、エバがただ一人であるのと同じく、日本はまさしく一人のエバと同じなのです。アダム国家この文総裁と、ソ連、中国、アメリカが三天使長なのです。四人の男が互いに張り合っている中で、きれいに飾った美人の立場が日本なのです。ですから中国も日本を飲み込もうとするし、ソ連も日本を飲み込もうとするし、アメリカも日本を飲み込もうとするのですが、文総裁が主人なのです。それで息子娘を全部交差祝福したのです。それで国中が大騒ぎするのですが、大騒ぎしたって何になりますか。

 

 一週間の間に数万名が往来するというのですから、日本の韓国大使館では、ビザの判こを押すのに夜を徹して、四位基台をつくって押してくれたのです。それがなぜか当人たちにも分からないのです。そのような天の風が吹いたのです。

 

 それで祝福を受けてよくなったのですか、まずかったのですか? (よくなりました)。では、きちんと生活していますか? (はい)。喧嘩もせずに、千年、万年生活できますか。両親に侍って千年、万年生きるという韓国の民謡があるのです。韓国は実に芸術的な国なのです。そのように、天国の民になることのできる素性を持っているのです。あの歌、何と言いましたか。

 

 「月よ月よ、明るい月よ。李太白が遊んでいた月よ。あの月の中に月桂が植えられているので、金の斧で整えて、銀の斧で取り出して、両親に侍って千年、万年も共に生きたい」と。

 

 今までそのように両親に侍って生きてきたのです。そうではありませんか。それは、何だと思いますか? 真の父母が来られるので、千年、万年生き永らえて真の父母に侍るということなのです。

 

 それで、統一教会が定着するためにはどれだけ大変だったことでしょうか。もし統一教会の大学を二十年前に建てておいたならばどうなったことでしょうか。五代長官が、統一教会の大学をつくれば大韓民国を飲み込んでしまうと思って反対したのです。

 

 統一教会が今日このような基盤を築くためには、背後に先生の血を流す歴史的事実があったということを知らなければなりません。礼拝する場所がなくて、赤ん坊を生む女が産室を探し求めてあえぎ苦しむのと同じような曲折がどれほど多かったことか知らなければなりません。

 

 神のみ旨から見るならば、韓国の一番大きい教団がすべての教会を代表して、神様に祝祷を捧げることが願いであるにもかかわらず、「かわいそうなこの教会を救ってください」と祈る身の上なのです。

 

 統一教会を立てるために、悲痛なる歴史があったということを知らなければなりません。しかし、今からは各国が歓迎する時代です。アメリカでも今、家庭破綻が朝野の問題になっています。日本もそうです。ヨーロッパもそうです。もはや統一教会の祝福家庭のみが人類における希望的家庭として、家庭崩壊を防御できるのであり、青少年の淪落を防御できるのであると、希望の灯台のように考えられる段階に入ってきたのです。

 

 ここに、西洋の人たちもたくさん来ていますね。あなた方も知らなければなりません。先生がどれほど迫害の道を経てきたのかを知らなければなりません。先生は、このような基盤を築くために多くの迫害を受けてきたのです。分かりますか? (はい)。ですから誰も祝福のカップルを引き離すことはできません。神様がそのようなことを願うからです。それを知らなければなりません。その一双一双が祝福を受けるために、天は多くの血族を通じて、手を差し伸べて先生と出会うようにしたのです。それは偶然なことではありません。歴史的な事件です。

 

二万数千の氏族的メシヤ

 真の父母が生きる時代に共に生きているということ、同じ地球で同じ生活をしているということは驚くべきことです。また先立って、祝福の基盤を受け継いだということは、驚くべきことなのてす。百万長者が問題ではありません。この大宇宙が、現代の人々が問題ではないのです。もし先生が皆さんみたいであったならば、統一教会が生じたでしょうか? 私は行く先々で、監獄を目標として直行したのです。監獄の正門へ向かっていったのです。皆さんはそれが分からなければなりません。

 

 先生がとどまることのできる家庭、先生がとどまることのできる一族を捜し求めていく中に、今日の世界版図を築きました。そこに対備することのできる外的条件として、世界の学者世界、アカデミー、言論界の組織、頂上会議をつくっておきました。また、心を代表した宗教圏の連合、体を代表した政治圏の連合、これは、個人の体と心の闘争歴史でもって分かれてきたものを今、終わりの日になって収拾せずしては人類の生きる道が、収拾する道がないからです。平和の世界へ行く道がないからです。反対されながらも一人でこのような業をしてきたのです。その時、誰が歓迎しましたか。

 

 このごろになってようやく、文総裁の功績を誉めたたえる人がいます。皆さん、見ていなさい。これからは文総裁を歓迎しようとアメリカで大きい問題が生じます。何の話か分かりますか? (はい)。文総裁を「世界の生きた聖者だ!」と言って、四方で旗を掲げてデモを行いながら歓迎する日も遠くありません。

 

 今や学者世界でも文総裁の思想を研究する人々が多くなりました。韓国語を流暢に話す学者たちも多くなりました。考えのないところに行動は起こりません。そして行動は、個人行動ではないのです。世界を考え、世界を幸福にするためには、個人では駄目なのです。天地が協助して、このような問題をつくってきたのです。

 

 今や、今年の八月には五万双の合同結婚式をしようと考えているのです。「郭錠煥!」(はい)。今、何万双が可能ですか? (五万双を目標にしています)。今までに祝福を受けた家庭は二万数千家庭になりますが、一家庭が三人ずつ伝道すればどうなりますか? 自分の妹、弟、姪、甥、一族の中には多くの対象者がいるのです。統一教会の祝福を受けた家庭をすべてが誉めたたえるのであって、反対する家はありません。反対する者は今後、にわかに死ぬようになるのです。本当です。統一教会の家庭は、いかばかり素晴らしいことでしょうか。問題はありません。

 

 さあ、このような統一教会の世界的な祝福家庭をつくって、全部が氏族的メシヤになるのです。世界に二万数千の氏族的メシヤができるのです。イエス様が来られて、イスラエルの国とユダヤ教を一つにしたその基盤の上で結婚されたのと同じ家庭が、二万数千双配置されたという事実の前に、世界的戦いは皆、終わるのです。今や歓迎する時代に入るのです。

 

 日本の祝福家庭の子女たちは何名ですか? 世の中ではしきりに産児制限をしますが、統一教会は産児制限ではなくて、産児拡張なのです。そして、文総裁が一番なのですね? (はい)。一四〇名ほど生めば良いのですが、十四名しか生めませんでした。どんなに子供たちが多いといっても、一人でもいなくなれば何かがガランと空いたようになるのです。(笑い) 産婦人科の医者から、私は野蛮人文総裁だという噂を立てられたのですが、「野蛮人であれ何であれ、神様のみ旨をなさなければなりません」と言ってあげました。天の国の民が必要なのです。きょう伝道して入ってくる人より、祝福を受けて生まれた息子や娘がもっと天の心情に近いのです。そうですね。

 

 その次に、「祝福を受けます」と言って入教してくる年の多い人たちは、最初から門を閉めてしまうか、祝福をしてあげないようにします。アダムとエバが真の父母になったとしたら、結婚して一緒に住んでいた人たちを祝福してあげるようになっていましたか、なっていませんでしたか? 自分の息子や娘だけ、若い人だけを祝福してあげるようになっていたのです。エデンの園で真の父母は、そのように結婚した人々を見ることもできませんでしたし、考えることもできなかった状況を考えてみた時、既成家庭の祝福ということは問題にされなければなりませんか、されてはいけませんか? どちらですか。それを考えなければなりません。

 

 今、正にそうです。先生の七十歳代の昨年までに、神様の復帰摂理七〇〇〇年歴史を皆、蕩減してしまいました。それで私はクリスマスに、「神様の願いの成就の日が今や近づきました。あなたの怨讐を思う時代は過ぎ去ります。今、私の手によって、すでにそのような悪党の巣窟、悪党の群れは壊れていきます」と祈祷したのです。

 

 今、アメリカでは、私娼街だとかマフィアが角つき合わせをしているのです。それなに結部、手を出さなければならない道が残っているのです。ですから、マフィアタチハ「M・マフィア」「ムーン・マフィア」だと言っています。マフィアよりもっと恐ろしいのです。このような話は初めて聞くでしょう。今まで私が語って手を出さなかったものはありません。

 

 統一教会はアメリカの行く方向を正してやり、既成教会の方向を正してやるために、三十五万人の牧師たちを教育してきました。そして代表的な七〇〇〇名の牧師たちを韓国に連れてきて、精神的な武装をしてあげたのです。今やアメリカの教会は、文総裁に従っていかなければなりません。アメリカの教会に希望を与えてあげ、方向性を正してあげたのです。すでに一九七九年に、神学界でも実力的な論戦で完全に手を挙げたのです。

 

 すべての宗教の宗団長たちが連合して、その宗団の大神学博士たちが連合して、世界で一つのバイブルを作るために自分の宗団の代表教理を加えて、四回ずつ修正をして、来年には出版して販売することにしました。しかしそこには肉だけがあるのであって、そこには創造観がないし、歴史観がありません。その次には、理想観がありません。骨がありません。骨は統一原理なのです。それは統一教会にだけあるので、それを除こうにも除くことができません。今から何が起こるのかといえば、「おい、おい、行くな、行くな」と言いながら、先生に従っていくようになるのです。

 

 さあ、それで家庭を捜し求めることが難しかったし、教会を捜し求めることが難しかったし、その次には、キリスト教の方向を正すことが難しかったし、滅びていく自由世界の方向を正すことが難しかったし、滅びていく共産世界の方向を正すことが難しかったのです。それで結論が何かというと、文総裁によって長子権が復帰されたことです。皆さんはカイン・アベルの歴史を知っていますね。そこで、長子権が復帰されたのです。本来アダム自体が長子権を持っていました。アダム自体が真の父母になり、アダム自体が王の王になるためです。

 

 堕落によって人間が何を失ったのかといえば、長子権を失ってしまいました。天と地の基いを相続する長子の権限を失ってしまいました。悪魔のゆえにです。神様の愛と、神様の生命と、神様の血統を中心として、天地の創造主たる父母に侍る永遠なる血族にならなければならないにもかかわわず、アダムは真の父母になる権限を失ってしまったことも分からなかったのです。

 

「南北総選挙対備全国大会」

 今日、堕落しなかったならば、世界はアダム文化なのです。アダム一族なのです。ですから一つの王権なのです。民主世界というのは、杖と同じです。兄弟主義なのです。民主主義とは兄弟主義なのです。兄弟が多いので、相続するために代表を立てるのです。兄弟たちが全部集まってより犠牲になり、より奉仕し、より伝統を立てることのできる人を選ぶのです。これが民主主義です。民主主義は兄弟主義ですから、その後に父母主義時代が訪れてくるのです。

 

 選挙で父母を選出できますか、選挙で再臨主を選ぶことができますか、選挙で神様を採択することができますか? とんでもありません。ですから、この選挙時代、選挙主義、民主主義時代は、不信的風潮を醸成する基台になっています。なぜかというと、民主主義は全部、自分の利益のためにはありとあらゆることを行うからです。金力を動員し、人力を動力して中傷、謀略などありとあらゆることを行うのです。

 

 それで今回の選挙の時、正そうと思います。それで「南北総選挙対備全国大会」を行い、地方自治制の選挙をする前に発表したのです。

 

 今日、統一教会員のすべては正念場にならなければなりません。正義のラッパを吹く者にならなければなりません。そして国を捜し求めなければなりません。分かりますか? (はい)。政治の世界には心がありません。ですから政治の世界に心を植えてやらなければなりません。そのような時が来ました。私が宗教指導者として、なぜこのような南北総選挙対備という政治風土の話をするかというと、頂上の人々が責任を果たせないので仕方がありません。これから、ラッパを吹かなければなりません。分かりますか? (はい) 私の国を捜し求めるためには、選挙人たちが努力する何十倍をしなければなりません。「私に投票してください!」と言う人がいれば、それ以上に叫ばなければなりません。

 

 今年の標語は何でしょうか? (「私の国の統一」です)。私の国の統一です。私の国には心がありません。国を愛する心がありません。皆さんは、心を代身しなければなりません。先生は家庭を捜し求めるのが難しかったし、氏族を捜し求めるのが難かしかったのです。そのような中で世界的に、イエス様を中心としたすべての氏族基盤を編成してきたのです。今では、世界は皆、私の懐に抱かれるのです。分かりますか? (はい)。私が今、指示し、計画していることは、ソ連とアメリカの国会議員を教育して、姉妹血縁を結んでやることです。その次に、大学街の教育です。今回そのようなテストをしてみました。世界の政党のリーダーたちを集めて教育したのです。

 

 こうして、頭翼思想を中心に民主世界と共産世界を正すのです。このままでは世界は滅びます。回れ右をすれば、右側が左側になり、左側が右側になるのです。分かれて争ってはいけません。手を握らなければなりません。そしてどこへ戻っていくのかというと、根本へ戻っていくのです。偽りの父母によって堕落したので、一八〇度回れ右をするのです。心と体の分離により、外的に版図を拡張して、有神論と無神論で争ってきたのですが、これらを頭翼思想でもって一つにするのです。

 

 ソ連ばかりでなく、中国でも「文総裁を英雄として侍る」と言っているのです。「朴普煕! そうですか?」(はい)。このような基盤を築くためには、ソ連が自分の国を守るための何十倍の努力と、何十倍の功績を通じて、心の姿勢でもって受け継がなければならないのに、統一教会の信徒たちはそれを分かっているでしょうか? 自分たちが何もしないでこれをただでもらうとは何事ですか! 何の話か分かりますか。

 

 今回、先生の八十歳代に世界に向かって、再収拾し、統一天下に向かって前進するこの時点において、皆さんが命令を受けているこの瞬間がいかばかり厳粛な時かということを知らなければなりません。私の国の統一というこの課題が、歴史以来の摂理史を中心として何万年、何億万年待ち焦がれてきた神様の願いであり、今はそれが着地する息詰まる瞬間であることを知らなければなりません。また、数多くの宗教人たちが悔しい思いで血を流しながら、「私たちの怨痛なる恨みを解いてくれ」と天に祈祷し、所願成就の日を願ってきたすべてのことが、この地上で成されている息詰まる瞬間であることを知らなければなりません。ここに書いてある「私の国の統一」ということは、今日の韓国の地のみを中心とした、韓半島だけを中心としたことではありません。世界の国家を代表したものです。分かりますか? (はい)。世界国家なのです。これは、元来「私の国の統一と私の世界の統一」として「私の世界」を入れなければならないのです。それを略しているのです。

 

 ここにいるこの世界の人たちが各自、自分の国を統一して、韓国に接ぎ木するならば、私の世界の統一になるのです。それを知らなければなりません。私の国の統一のために持てる精誠を尽くして、今までのいかなる愛国者よりも、いかなる忠臣よりも精誠を尽くしていく歩みを促しながら、「涙とともに、また行かなければならない」と拍車をかける日々の生活を誇ることができなければなりません。何の話か分かりますか? (はい)。疲れた脚を引きずって行きながらも、倒れることはできません。あの山を越え、一つの峠を越えて、また一つの峠を越えて、歴史的資料を残さなければならないのです。天の伝統を記録する時に、私が働いていたことが、一つの資料として登場する歴史的な資料を残さなければなりません。伝統としてこれらの残りうる資料のために、私の至誠に満ちた心を尽くした所にのみ、天の祝福の福地が皆さんの行く手に連結されるということを知らなければなりません。

 

 このような基盤を築くのに、先生は順風満帆で行ったのではありません。暴風雨の押し寄せる台風圏内で、この基盤を築いてきました。ですから、この厳粛なる家庭の伝統、教会の伝統基盤を中心として、より価値のある国を解放する立場に立って、「南北総選挙対備全国大会」という名称をもって、その解放の旗を掲げ、解放の勇士として、精兵として一様にいでたつことを誇りとしなければなりません。私の目の前に見える家々は、焦土のように踏み越えていくという覚悟をしなければなりません。何の話か分かりますか? (はい)。きょうから、総出動なのです。

 

 それで結論は、皆さんが長子権を受け継ぎなさいということです。長子権を受け継ぐためには、悪魔の長子と戦って勝つことのできる勝者の権限を整えなければなりません。天が堂々と記憶することのできる、霊界全体と祖先たちが記憶することのできる摂理の覇権を与えられた息子の姿勢を整えなければなりません。このような堂々とした長子権を帯びた息子の姿をもたなければなりません。そしてその息子は、妻を従えなければなりません。エバはアダムの骨子でもってつくられました。ですから、女性を完全にみ旨の前に一致化するように治めなければなりません。

 

 天国は、真の愛を持った者だけが行くことができます。お金を捜し回った人は、あの世では地獄に行きます。聖書にも、「神様と物質を共に崇め奉ることはできない」とあります。愛を中心とした物質は天国に属し、愛を中心とした知識は天国に属し、愛を中心とした権力は天国に属することができますが、愛を抜いて、自分の利益を中心としたものは天国に属することはできません。愛を中心としないものはすべて、邪なるものです。あの世に行けば、方向を失ってしまいます。

 

 宗教は永生の道を捜し求めていくものです。永遠であられる神様が愛の対象としてつくった人間なので、永遠なる人は、愛の対象が自分より出来が良いことを願うのです。皆さんも愛の対象である息子娘が、自分より出来が良いことを願うのと同じことです。それは、神様に似たからです。ですから、私たち人間の価値というものは、神様よりも出来が良い愛の対象であると見るのです。このような永遠なる真の愛における永生の論理は、自然的な論理なのです。このような永生の道を築いていくのです。永生の個人的心情の版図を築き、永生の世界で歓迎される家庭的版図、氏族的版図、民族、国家的版図を築いていかなければならないのです。

 

 祝福を受けた家庭の前に世界がありましたか。アダムの前に世界がありましたか。あるのは、自分が治める家庭と神様に侍ることであり、それ以外にはありません。それと同じです。よこしまな悪の世界を中心とした習慣性をきれいに清算しなければなりません。すべて解放された姿をもって、本然時代の長子権を純粋に受け継ぐことのできる息子となり、長子権をもって家庭をなしてこそ、父母権が復帰されるのです。父母権を失ってしまったので、氏族的メシヤを中心として父母権を復帰することによって、皆さんの生まれた本郷の地を故郷の地として設定できる天の祝福を受けたのです。

 

 先生は過ぎ去る旅行者として語るのではありません。一家の長として、一国の長として、一天下の中心存在として語っているのです。氏族的メシヤの責任を果たしてこそ、王権が連結されるのであり、国が連結されるのです。世界と国の基準を皆、築いておきました。私はこの垂直に立っています。皆さんはここに、東西南北を中心として連結させるのです。個人が蘇生であり、家庭が長成であり、氏族が完成なのです。このようにして、国家的基準を中心としなければなりません。ここに連結させなければなりません。世界各国が連結されなければなりません。民族解放は遠いところで起こるのではありません。個人的基台の上に家庭があり、家庭的基台の上に氏族基盤を中心として、東西南北の氏族たちが連結される時、国は形成されるのです。

 

「統班撃破」

 この南韓の地において、引っ繰り返していかなければなりません。それは氏族ではできません。家庭なのです。家庭へ戻っていかなければなりません。アダムとエバが堕落することによって天の方向を一八〇度反対の地獄へと展開してきたので、一八〇度家庭で回していかなければなりません。これを成すために、霊界のすべての反対、地上での反対を先生の一代で皆、清算しておきました。ソウルから地方まで全部です。それで今年は「統班撃破」です。

 

 基地は家庭です。家庭に着地して方向を定めなければなりません。すべての家庭は、ご父母様と神様の名前を中心として写真をかかげ、四位基台で敬拝しなければなりません。三代が敬拝しなければなりません。四位基台は三代なのです。祖父母、父母、子供たちなのです。三代が敬拝しなければなりません。

 

 真のご父母様と共に四位基台圏を成して敬拝するところは、堕落圏でなくなるのです。神様が直接主管をするので解放圏となり、霊界に行った天上世界のすべての霊人たちが、地上に降りてきて、天使長のようにアダム家庭を保護する時代に入ったのです。昔はカイン圏が霊界になり、アベル圏が地上になっていたので、アベルがカインを救うために犠牲になって、今日まで利用されてきましたが、今や長子権を復帰したので霊界が天使世界であり、地上が、統一教会を中心としたアダム圏なのです。アダム圏を後援するようになっているのであって、利用するようになっていません。ですからサタンが介在して活動する余地がないのです。サタンは追放されるのです。

 

 強く大胆に立ち、その基準を一歩も譲らない前進的姿勢をもって、平衡的基準を整えて前進するところには、悪魔の勢力圏は全部、崖から落ちていくのです。そのように、家庭ごとに火をともすようになり、金日成も先生の言うことを聞かなければ、一夜のうちに霊界に連れていかれます。皆さんがそのように、真の父母の名前でもって行えば、金日成も除かれるのです。彼は歴史以来最も悪辣な共産主義の覇権主義者です。そして、父という名前を持っているのです。悪魔の国家的再臨主なのです。スターリンは悪魔の世界的再臨主です。

 

 先生は一九四五年から一九五二年までの七年間に、キリスト教を統一し、世界統一圏を期待していたのです。先生の時であるので、世界的再臨主型のスターリンは、五十年以上生きられませんでした。ソ連と中国もそこから分かれ始めたのです。今や金日成だけ残りました。分かりますか。金日成だけ残りましたね? (はい)。ですから、南韓での家庭を回していかなければなりません。家庭から金日成の地下工作班たちの電話電報をする通信が途絶えなければなりません。家庭の女たちが全部かばい立てしているのです。おばあさんのスカートに包まれて、彼らはよこしまな関係を結んで保護されているのです。それを撃破する運動をしなければなりません。分かりますか? (はい)。サタンが隠れている基地の家庭を中心として、撃破運動しなければなりません。

 

 今まではピラミッド式の組織でしたが、今からは違います。反対に引っ繰り返すのです。ですから、本部がありません。地方にも県がありません。郡がありません。先生を中心として本部は全家庭なのです。堕落する以前にもそうです。父母だけしかないないのです。祝福家庭は、全部ご父母様を中心として、神様を中心として特命を受けて、その命令の一元化実体圏を整えて、天の前に奉献しなければならない責任を、地上に生きる血族たちは全うしなければなりません。これが天国に行くことのできる準備なのです。

 

 霊界に行く時、おを持って行くのではないのです。サタンの息子娘を教育できなくて、悪い人のままにしておくならば、あの世で引っかかります。木逆さにして入っていくのと同じです。一人が一二〇名以上収拾しなければなりません。天の国の民を皆、失ってしまいました。それを接ぎ木して、再び失ってしまわなかったという条件で合わせなければならないのです。

 

 霊界で十二真珠門を経ていくためには、地上でたくさんの天の民を捜し出して戻ってこなければなりません。そのためには、涙と血と汗と再創造の真の愛の心情を中心としてサタンの父母以上の、サタンの夫や妻以上の、息子や娘以上の心情を投入して、涙とともに、血と汗とともに交差する家庭を経ずしては、天の国の所有圏、民を立てることはできません。この数に比例して、あの世で栄光の座に、神様の前に近づくための条件が分かれるということを知らなければなりません。分かりますか? (はい)。

 

 文総裁はそれを知ったのて、一生涯を、国のみならず世界へと経てきたのです なぜかというと、真の父母の名前が怨讐となったからです。霊界へ行っている人たちまでも全部、真の父母の恵沢を受けなければなりません。ダンベリーの監獄に入って、二月一日に地獄と天の門を開く式を行い、すべての開門を準備したのです。

 

 このように千辛万苦の恨みの峠を越えて、また越えて行かなければならないし、大洋が広いというならばそれを泳いで渡っていくのと同じく、山が高いというならば、裸足でもって白雪の積もるヒマラヤ山頂を越えるのと同じく、悲惨な歴史上に、すべての勝利の覇権的基盤を立てたという事実は驚くべきことです。そのような、悪魔も従ってこようにも従ってくることができぬ、離れようにも離れることができない受難の道を経てきたということを知らなければなりません。

 

 私の家、私の息子、私の娘が厳粛な神様なのです。第二の神様なのです。おじいさん、おばあさんは神様の代身として、昔を代表し、父母は今の時代を代表し、息子娘は未来を代表したものです。三代で過去、現在、未来の神様の顕現者として侍ることができなければなりません。息子娘をだまし、妻をだまし、父母をだます人は地獄に行くのです。為に生きる愛で、生命まで投入しても忘れてしまう真の愛の核の中心として、家庭と国家と世界と天地が連結されるようになっているのです。それ以外にはありません。

 

 そのような核を通じた心情的内容をもって、天の国の民をいかに復帰するのかということが、今日の私の国の統一の秘訣なのです。今日は世界に散らばっている宣教師たちか皆、集まって来ましたが、皆さんも自分の国に帰って、きょうの私のこの統一と同じく、自分の国で同じ立場に立って、持てるすべての精誠を尽くして、自分の国を他のどの国にも負けないように早く天の前に奉献しなければなりません。

 

 旧約時代の万物、新約時代の息子娘、成約時代の夫婦、その次に神様を地上にお迎えして、これを横的に引き受けなければなりません。堕落によって地上に神様をお迎えすることができず、サタンを迎えたのです。今からは神様をお迎えして、全部を連結しなければなりません。ですから皆さんの万物は、皆さんのものではありません。万物は、旧約時代に該当するものです。息子娘は新約時代に該当するものです。旧約時代に万物を犠牲にさせたのは、息子娘の行く道を築くためであり、息子娘を犠牲にしたのは、父母の来る道を築くためです。そして、真の父母がこの地に来て苦労するのは、神様をこの地にお迎えするためです。サタンをこの地に迎えたので地獄になったのです。真の愛でもって神様に侍らなければなりません。

 

自然屈伏の時代

 再創造は、投入して、投入して、忘れてしまった真の愛の起源を通じて、神様に侍ることのできる物質と子女と自分自体の全部を結束させ、すべてのものが真の愛と連結された神様のものであるということが設定された後で、再び分配を受けて子女の所有時代へ連結されるのです。父母の所有、子女の所有時代へ分別されるのです。

 

 ですから歴史は社会主義社会を経てきたのです。共同共有の時代になるのです。今日、大韓民国は資本主義社会であり、政府がすべてに干渉するので、半社会主義と同じなのです。半社会主義によって個人所有を認めないのです。これからは、神様にお返ししなければなりません。お金も自分のものではないし、息子娘も自分のものではないのです。自分自身も、夫婦も自分のものではないのです。全部、自分勝手にできない時代になります。お母様であっても自分の思いどおりにはできません。すべて報告しなければなりません。

 

 息子娘も、自分の思いどおりにはできないのです。息子や娘も父母の言うことを聞きますか? そうでしょう。悪魔は四方八方を全部バラバラにするのです。終わりの日には、妻たちは二人以上の男に仕えるのです。全部、浮気者になります。男たちは言うまでもありません。あちこちに臭いをまき散らして回るのです。

 

 共産主義は何かというと、今後来られる天の国の法によって絶対命令に生きるために、悪が先に天の国を真似て、真を偽りのものにするための一つの方便的手段として現れたものです。私たちはそれ以上に、世界に向かって越えていかなければなりません。脅迫や脅かしではなく、愛でもって自然屈伏させるのです。文総裁が誰かの首を切りましたか? 人を殺しましたか? 脇腹に刃を突きつけましたか? そのような人がどこにいますか? 全部、愛して自然屈伏して、このような基盤を築いてきたのです。ですから今後、家庭の全体の前に影響を与えて、家庭を頭翼思想でもって一八〇度回しておくので、争ってはなりません。神様の真の愛を中心として、完全に平和を中心として、家庭から氏族、民族が連結されるのです。北韓に対しても、そのような愛を持っていく時、サタンは打つことができないのです。

 

 自然屈伏する時代になったのです。もし自然屈伏しなかったならば、金日成父子は一夜のうちに霊界に連れていかれるのです。分かりますか? きょうの夕方にでも神様は霊界に連れていくのです。ですから、いつどのようになるか分かりません。金日成が死ぬ前に何をしでかすか分かりません。総選挙に対備してすべての方向に準備した人は滅びません。

 

 このような準備の時代にこそ、家庭を中心として転換させなければなりません。これを捜し求めていって着地し、家庭を中心として初めて天の国が地上に定着するのです。分かりますか? 定着して、方向の違う愛の理想出現が起こることによって、家庭天国から氏族天国、民族天国、国家天国、世界天国、永遠なる解放の世界へ、神様に侍って展開されることが私たちの願いなのです。ですから、どんなことをしても南北を統一しなければなりません。

 

 南北を統一し、アダム国家とエバ国家を統一しなければなりません。第一に南北を統一しなければなりません。南北を統一するには日本が協助しなければなりません。なぜかというと、堕落はエバの過ちによって、二つに分かれたからです。先生の故郷は北韓です。北韓はキリスト教文化圏にあります。キリスト教が責任を果たせなかったことによって南韓に下ってきたのです。南韓に何の教会がありましたか? 慶尚道、全羅道に何の教会がありましたか。

 

 避難民たちが南に来て生活する中で、友達になり、結婚して、南韓に教会が満ちるようになったのです。北韓の民が失ってしまったものを全部、南韓で蕩減復帰するための役事を成して、再び今からは戻っていかなければなりません。

 

 お金は皆、北韓の人たちが持っているのです。経済圏も北韓の人たちに皆、奪われました。今、故郷に戻っていく前に国を生かさなければならないのに、国を愛することを知りません。南韓の地で自分の基盤を築いて、二階建ての瓦ぶきの家を建てようとするのですが、北に家を移して住もうという考えをしないというのです。お金の包みを持って全部、北韓に行って生きようと考えるのです。それはいけません。そのようなことを教育して、北韓の一五〇〇万の五道民を収拾し、教会と連結させて、南韓の四〇〇〇万が先生の言うことを聞くようになれば、南北韓のキリスト教統一、国民統一が可能になるのです。今日の統班撃破は、南北のための統一のための近道であるということを知って、この道を行かなくてはなりません。

 

 それで今年も再び、「私の国の統一」のために、私の四肢、体が疲れきり、海老寝をする恨みを持ったとしても、この歴史的な目的が粛然とした天の使命であることを知り、前進、前進の隊列に参加することを誇りと思い、出動する新年劈頭のこの時間であることを知らなければなりません。分かりますか。再び、また再び、私の国の統一をより輝くようにしましょう。

 

 自分の持てる精誠を尽くし、これを撃破させて余りあるという決意を固くし、総出動、総進撃させ給いますように。ここに参加することを誓う人たちは、新年劈頭に神様の前に宣誓しましょう。「宣誓!」。新年に、神様の祝福が皆様の上にありますことをお祈りします。

 

祝祷

 

 愛するお父様。蕩減復帰摂理という恨みに満ちた時代は、今、文総裁の前に過ぎ去りつつあります。ただ一つ残りましたことは、北韓の地のみです。

 

 あの怨讐のようなソ連の領域も、今やすでに、すべての氷山が溶けて春を迎える時になりました。アメリカも、希望もなく喘ぎ苦しみ、サタンに引きずられていったすべての悲惨なる運命が、文総裁によって新しい方向を迎え、今や頭翼思想を足として、天上の神様の懐へ戻っていける神主義を知るようになりました。このすべての勝利の覇権的世界の版図を分けてきましたが、この勝利的すべての版図を納めて天運と共に今、韓国を訪れました。

 

 韓国を訪れてみると、南北韓に分かれております。南韓のキリスト教を中心としても、これがまた、統一教会と分立しております。これらすべての与件を越え、キリスト教は反対するとしても、南韓の国家と一つになる時、キリスト教圏を引っ張って、どこにでも戻っていけることを知っております。そのような原理の道が分かりました。ですから、国を動かし、この世の国の政権に反対するこの実相を、今日、統一教会が主体になり、すべての家庭が統一教会と一つになり、喜びの基準でもって国民すべての家庭の上に定着できる環境的与件を開拓することにより、真の父母の前に北韓の偽りの父母、金日成は自然屈伏しなければならないという、北韓共産党以上に南韓の統一教会が熱意を尽くし、生命を皆投入して熱烈に動くようにしなければなりません。サタンの父母圏は、自動的に座を明け渡させなければならないという原理的観をはっきりと知っておりますので、ここに集ったすべての人の心を、自ら固く決意させていく王道の礎石をはっきりと知ったので、この礎石を踏みしめ、道を越え、国を越え、北韓へ、そして統一を成して、アジア統一と、世界統一の未来像を神様の命令とともに、受け継げますようお許しください。

 

 そして、私は天と地の代表であり、世界の代表であり、南北統一の代表であり、それのみならず、南韓におきまして、すべての邪悪なるものを除去した勝勢的代表であり、天の家庭と天の個人の代表であるという自負心を持って、どこであっても恥じることのないように、堂々とした歩調で整えて、行軍のラッパの音と共に自らの歩調を合わせ、勇ましく前進に前進を固く決意することができますように、天の国の息子娘になりますように、お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。新年劈頭に決意したすべての事実をお受けくださいますように、今や、明日から、この正月初めから戦う統班撃破路程の上に自信を持って進むすべての者が、順応の道理を目撃しながら天のみ言と共に、命令と共に、その事実が現実に一致することを喜んで感謝しながら、前進に前進を固く決意しながら、誇り高き姿を天の前に示して、天の国に記憶されうる息子娘になりますように、お許しください。新年劈頭に出発を覚悟しましたので、お父様、今年の標語を中心とした私の国を……。また、愛する統一圏を中心として直行する統一教会の群れとなり、南韓の地に天の国の春の季節を成すことができるようになさしめてください。

 

 今、八十歳代を中心とした十年間、世界的なすべての問題を整備しなければならない莫大かつ重要な責任が、この身の行く道に残っておりますから、お父様、今まで指導してきましたその一念と共に、あなたが共に成さり、すべてのことを収拾されたように、残ったこの十年の八十歳代に有終の美を飾れますように保護し、引導してくださいますことを重ねてお願い申し上げながら、万々世の恵みと愛があなたが経綸なさいますその経綸の中に永く共にありますように。

 

 全世界の統一教会の群れがこの朝、ご父母様のおられる地に向かいまして、祝祷する一律的な恵みの圏として紐帯を結ばれまして、統一的行歩を共に整えて出発できますよう祝福してくださいますことをお願い申し上げながら、すべてのみ言を真のご父母様のみ名によって祝願致しました。アーメン。

 

(本データは 大分聖殿 よりいただきました)