氏族的メシヤの任務


1990年2月4日(日)
本部教会でのみ言


 きょうお話します題目は、「氏族的メシヤの任務」あるいは「使命」です。このような内容をもってしばらくお話いたします。


 この地の上に生きているすべての人たちが神様がいるということをはっきりと知っている人たちが多くありません。その中で神様がいると思いながら信じていくそのような群れというものは、宗教圏外に一般の人は神様がいることが分かりません。


 それならば、宗教圏がなぜ生じましたか? これは、皆さんが知っているように堕落の結果です。今日、宗教が願うすべての理想が何ですか? 一つの世界、理想の世界を神様のみ旨によって促求させるための使命を責任負って地上で拡大を始めてきました。その限界線は世の中の終わりの日までです。終わりの日になるようになる時、宗教が拡張したその目的がなされるようになるならば、宗教の使命は終わるのです。


 終わるには、宗教の使命、宗教の中心になる目的が何ですか? これは、メシヤです。すべての高次元的な宗教は、再臨思想をもっています。その再臨思想を中心とした自分の宗教のその目的は、宗教は異なり、文化背景が異なりあるいは、東西南北が異なるとしても天が提示する再臨思想を中心とした中心存在は、いろいろ教派が多いけれども、それは、一つのその存在は、教派を統合して……存在の帰結点は、一つです。


 その帰結が何ですか? 人類が堕落したので宗教が生じました。では、再臨思想、メシヤ思想も堕落ゆえに生じました。堕落しなかったならば生じなかったのです。では、堕落しなかったならばどのようになったでしょうか? 堕落しなかったならば、神様を中心として創造理想に従い、神様と一つになり、生命の根を神様にして、神様の愛と神様の……神様は、愛の主体であり、生命の主体であり、血統的主体であるというのです。この主体を中心として私たちの堕落しなかった父母が決定されたならばよかったのに、堕落したという事実は、人類の一番初めの先祖が堕落したという事実は、堕落しなかった父母が生じなかったということです。


 堕落しなかった父母が生じたならば、エデンの園から追い出され得なかったのです。神様が追い出すことができなかったというのです。追い出さなかったならば、どのような位置にいたのですか? その帰結点は、同じです。神様を中心とした人間の最高の欲望は、神様の息子、娘の位置にいたということです。のみならず、息子、娘にだけ、主従関係にありたくないというのです。相対的関係にもいたくないのです。


 このようになる時、堕落しなかったならば神様自身がアダムを中心として、エバを中心として内在して、アダム、エバの結婚は、神様の結婚になったのです。神様自身が創造したのは、愛ゆえです。このように見るようになる時、そのような位置で神様を根とし、神様の愛の根、生命の根、血統の根としてそれを一体化でもって受け継ぐことのできるアダム、エバは、愛を中心としてアダム、エバが一つになり、生命を中心として一つになり、血統を中心として一つになることのできる道を中心として、縦的な神様と横的な神様が一つになったならば、そこから生まれるのが私たち人類であるというのです。


 ですから生まれたすべての子女たちは、それを拡大するならば生まれたすべての人類と世界は、神様の愛を中心として生命を受け継ぎ、神様の愛を中心として生命を受け継ぎ、血統を受け継ぎ……堕落しなかった真なるご父母様の愛を中心として生命と血統を受け継いで縦的な父母と横的な父母の血筋を受け継ぐことのできるのが私たちの善なる、堕落しなかった世界の人たちであり、民であり、人類であったのです。


 ですから、愛をつかまえて引っ張るならばこれは、縦的な神様の愛、また愛をつかまえて引っ張るならば、横的な真の父母の愛です。それ以外には、愛がないというのです。そのような位置になるならばどのよになりますか? 神様の生命の種を受けるのです。問題は、神様が私たちの父です。


 父という定義には、血統的関係がなければなりません。血統的関係がある前に、父、母の生命の結託がなされます。一人では絶対になされません。父、母の血筋が連合することができるためには、父、母という固体も血統を受け継ぐためには、生命の結合がなければなりません。生命が一つにならなければなりません。何によって? 愛によって。


 愛を中心として生命が一つになり、同化されたそのすべての第二の生命を受け継ぐことのできる要素を受け継いで生まれたのが子供です。ですから、血統の中には生命があるのです。その生命の中には、愛があるし、血統の中に愛があるのです。このようになるのです。愛があるところに生命があり、愛があるところに血統があります。愛が動くならば、男であれ女であれ、血がたぎります。生命が躍動します。生命があるところに愛があります。生命があるところに必ず、愛がなければなりません。生命には必ず力があります。血が動ずるというのです。


 このすべての三要素は分かれることができません。これが一つに和合して私たちの生命の起源になり、血統を統合して受け継いで生まれた人たちが堕落しなかった人間世界の本然の人です。では、その生命の本然の人は、生まれた髪の毛だとかすべてのものは神様の愛と神様の生命と神様の血統と私たち人類の真の父母の愛と生命と血統の総合的化身体です。それで私たちの良心があるのです。良心が何ですか? 縦的な父母を受け継いだのが良心です。父母に似るのです。そうではありませんか? 世の中を見れば、父母に似ない子供がいないのです。似ているというのです。縦的な愛と生命と血統を受け継いで似て生まれたのが私たちの心です。それが縦的な私です。これを今まで宗教世界が分からないでいるのです。


 皆さん、統一教会の人たちが幸福なのです。歴史以来にこのような内容を説破したところは統一教会しかないからです。良心が何ですって? (縦的な私) 縦的な私なのですが、それがどこから来たのですって? 縦的な愛から来ました。皆さん、それが分からなければなりません。愛は、直短距離を通じます。ですから、神様の愛があるとするならば、神様の愛がとどまることができるところは、垂直線以外にはありません。すべての測定の起源である垂直が問題です。ですから、全部が垂直に似てきます。


 その中で人が……万物の中でただ、人のみが最も貴いというその言葉がどのような内容なのかという時、人は垂直に立って歩き回ります。動物と異なることがそれです。人が神様を受け継ぐことができる素性をもったので人だけが神様の永生的素性を備えています。
 そのような縦的な神様の真の愛から因縁づけられた私自身であるということを肯定するようになる時、ここは自動的に永生が存立するのです。


 その次には、横的な父母の生命と愛と血統を受け継いだのが体です。体は、横的世界と接するのです。体は必ず、万物世界、横的な地球にあるすべての要素を吸収しなければならないし、心は霊的な世界の要素を吸収しなければなりません。それゆえに私たち人間は、二つの世界の生命の要素を吸収して発展するのです。そのような者が、私です。そういうのが朴某であり、そういうのが統一教会の人たちです。


 これが一つの公式です。そのようになっています。ですから今日、既成教会で言うに、「父なる神様」と言います。「何が、父なる神様なのですか」と問う時、「そんなこと、父なる神様だからと言うから、父なのでしょう?」と言います。皆さん、それが分からなければなりません。父子の関係というものは、だれであってもそれを分けておくことができません。どのような強制的な力をもって、どのような教育的、知識的影響をもっても父子の関係を断ち切っておくことができません。これは、絶対的です。


 これが絶対的であるならば、父子の関係を結ぶようにした……。父母の関係であるならば、父母はだれですか? 父母は、男、女の結合です。父子の関係が絶対的であるならば、絶対的関係をつくっておいた先位的位置にある夫婦の関係は何になるのですか? 何を中心として? 愛を中心として。その絶対的中心が何ですか? 男でもないし、女でもなく、愛です。


 このように見る時、男、女の絶対的中心が愛であると見るようになる時、神様を中心として見る時、神様に絶対的なものが何ですか? やはり、愛です。神様も愛に絶対屈服したがるのです。


 そこの人、起きなさい。あんたはだれですか? おいっ! ここに何をしに来たのですか? 何しに来ましたか? 自分だけ考える女ではないですか。


 皆さんに話するのは簡単な内容ですが、先生は、血みどろの闘争をしました。歴史以来このような内容を発表した人は、ここに立っている人しかいません。これは、宇宙の秘密です。


 ですから、愛は必ず、直短距離を通ずるので神様の上にある愛が地上に来る時は、垂直線しかありません。男、女の愛も直短距離を通ずるので垂直に対する九十角度以外にありません。ですから、球形的愛の理想を編成しなければならない立場の神様は、宇宙空間にいるのではありません。上下、前後、左右を中心とした核の位置にいます。


 ですから球形を中心とした球形の平行線を前にして見る時、中心点が表面で一番高いところです。それが分からなければなりません。皆さんは、中心存在になりたいでしょう? なぜ? 球形の世界で一番高い位置であるからです。また、一番深い位置です。一番高く、深い位置です。


 皆さん、渦巻くようになるならば、上っていく道と下っていく道があります。ですから、渦巻きが掘って島をつくるのと上って行ってするのとあります。天に上っていくのと下っていくのがあります。渦巻きがそうではありませんか。ですから、愛の渦巻きを中心として見るようになるならば、そのような作用があるのでこの核を中心として運動するのです。上ったり下ったりするのです。それで統一圏が展開されるのです。ここ、半分がこのように上って行きますから、ここも水平線であり、これは下って来ますからここも水平線です。四方に統一圏が展開されるのです。この中に宇宙の四方の円形は保護を受ける位置に立つという内容になります。


 さあ、このように見る時、それでは、各宗団あるいは、宗教たちが数千年間編んできた四大宗教--四大宗教は、四大聖人がいるのです。変ではありませんか? なぜ、聖人たちが宗教の教主なのですか? 孔子もそうだし……儒教という言葉、釈尊の仏教という言葉、回教という言葉、キリスト教という言葉……宗教の教主がなぜ、四大聖人に入りますか? 天を知らない人は、聖人になることができません。天の根本を知って天の根本と共に生きる人が真なる聖人です。


 皆さん、神様の前に四大聖人が集まりました。間違いなく行って集まるのです。「ああ、私は東から出た孔子というだんなです。私によって及ぼされた影響が大きいです。三十億人類が影響を受けました」と言い、イエスは、「私がキリスト教文化圏を中心としては、白人社会を前にして、私がヨーロッパを中心としたキリスト教文化圏を中心として約八億の人が影響を受けています」と言い、また、仏教圏は、仏教圏を中心として見る時、「インドを中心として何億、八億、インドだけでも今、七、八億になるではありませんか。その次に儒仏仙文化圏を中心として八億以上、影響を与えました」と言い、また、回教もそうです。「モスレムを中心として三億五千万以上の人、約六億に影響を与えています」と言って互いに自慢するのです。


 そうなのではありませんか、神様の前で。神様が「おい、あんたたち何しに来ましたか? あんたたちの宗教が何していますか?」と問えば、「何をしているかとは何ですか。神様のみ旨をなそうとしたでしょう?」と言うのです。返答は、それしかありません。「あんたたち、仏教のみ旨をなそうとしましたか。儒教のみ旨をなそうとしましたか。キリスト教のみ旨をなそうとしましたか。回教のみ旨をなそうとしましたか?」と言えば、「神様の前に行っては、回教のみ旨をなそうとしました」と言うとするならば、「この回教が神様ですか? それが中心になるのですか? 仏教のみ旨をなそうとしたならば、仏教が神様の代身なのですか? キリスト教のみ旨をなそうとしたならば、キリスト教が神様である私の代身ですか? そういう奴らは、私の前に立つことができません」と言うというのです。


 神様が「あんたは、何を中心としてしましたか?」と問う時、神様の前に「仏教の釈尊を中心としてしました」と言えば、立つところがありません。イエスも神様の息子なのですが、息子が父が分からず、「私の主張どおりにしました」というのがあり得ますか? すべての答えは、正解は何ですか? 「問うまでもありません。あなたのみ旨のために生きたのですね?」と言うのです。み旨は、何のみ旨? 教えるみ旨? お金をもうけるみ旨? 権力を握るみ旨? 何のみ旨なのですか? そのみ旨の中心は何ですか? 答えは皆、簡単です。「あなたたちは、何になりたいですか? 神様のみ旨は、あなたたちが悪く思うみ旨ではないのです。あなたたちが一番喜ぶみ旨であるのであなたたち、私の前で何になりたいですか?」と問うようになる時、釈尊が「問うまでもありません。私は、神様の法を好みますね?」と言い、また、儒教で言うには、「神様の名前を好むのですね?」と言えばそれでよいですか? 


 儒教は、天が何なのか具体的な内容が分かりません。孔子が善を為す者は、天報之而福と語り、不善を為す者は、天報之而禍と語りました。その次に、元亨利貞は天道之常であり、仁義礼之は人性之綱であると解いてみたとて人格的神がいません。


 また、モスレムは、キリスト教と儒教の中間何と言いましょうか、ですから、イエスも一人の預言者と見なしているのです。そうしてこそ自分が立つ場があるのですね。メシヤだと言うようになるならば、困るというのです。そこに人間の欲望が行っているのです。


 それでは、神様が「あんたたち何になりたいですか?」と言う時、一番になることができるのが何なのですか? 「神様の僕になりたい人、手を挙げなさい」と言う時、だれが手を挙げますか?

 釈尊が手を挙げますか? 欲張りの釈尊が……釈尊が欲がありますか、ありませんか? 慈悲の心だけなのですか? 慈悲の心が一日の生活の慈悲の心ですか、永遠の生活の慈悲の心ですかという時は、欲が大きいことを言うのです。そうではありませんか? 欲があります。何の欲? 自分の思いをなし、神様のみ旨をなすための欲があります。それを世界を越え、永遠な版図を拡張させるための欲があります。


 さあこのように見るならば、その結論が神様の僕になりたい人、手を挙げなさいと言う時、皆さん、ここにいる出来の悪い人たちも今朝、神様の僕になりたい人、手を挙げなさいと言う時、一人もいません。一人も。(笑い) いないから悪口を言っても構わないのです。「それ、何、問うまでもありますか?」と言うというのです。


 その次に神様の婿になりたい人と言って問うてみると、「それ、左手を少し挙げたいのですが……」と言うのです。(笑い) 神様の娘といえば、少し挙げたいのだがと言い、神様の嫁はどうですか、と言えば、じっと考えてみると嫁よりもましなのが何ですか? 娘、息子。全部、集まるならば、泥棒のような連中……道主であれ何であれ、確かに私もそのうちの一人の泥棒ですね。一番良いものを先にもちたいというのが泥棒なのであって、どうということがありますか? 
 父母を中心として見るようになるならば、父母の前に愛を中心として泥棒するというのです。うちの孝進もそうかもしれないですね。(笑い) 父の愛を一番もちたいのです。弟妹よりもっと……。そうでなくて弟妹たちに皆、受けるようにし、その弟妹たちが愛されるのを見て東西南北へ笑うようになるとするならば、神様が全部ひっくるめて与えるというのです。それが分からないのですね。


 今、見るならば、孝進も今、難しい立場にあるのですね。お兄さんがどうするのかと……そのようにはにかむ必要がありません。孝進、分かりますか? うちの仁進姉さん、来ましたか? 仁進姉さんもお兄さんに対してそのように思っているのですが、そのようにする必要がありません。お兄さんがいかばかりか器が大きいですか、そうでしょう? お父さんに似たのですね。


 神様の嫁になりたい人、手を挙げてみなさい。こいつらめ! (笑い) 欲が深いというのです。神様の婿になりたい人、手を挙げてみなさい。嫁になり、婿になっても家族なのです。神様の家族になるのです。なのにそのように勘定なのですか? それで何になりたいですか? 神様の娘? 皆、笑うのですね。(笑い) また、息子? 


 それでは、神様の息子、神様の娘、一人がいいですか? ずらりと並ぶとよい、とこのようになるのです。それでは何でもって取り替えるのですか? 神様の娘の中の何の娘?


 神様の息子の中の何の息子? 神様を一番愛する息子、神様を一番愛する娘にならなければならないのであって神様が私を一番愛する神様になりなさいと言ってはいけないのです。


 父、母が息子に孝行しなさい、と言うのはそういうのが分からなくてそう言うのですか? 父、母が息子に精誠を尽くしてとそういうのは、それが分からなくてそう言うのですか? それが分からなくてそう言うのでしょうか? まあ、天道だというのです。ですから、息子、娘が神様をだれよりも愛する息子と娘になりたいというのが総結論です。十年、百年研究して結論を下してもその結論しかありません。そうではありませんか? 


 それでは、神様が見るようになる時、孔子も釈尊も神様を何よりも愛する一番目の息子になりたがるというのです。このように見る時、先生がなぜキリスト教を捕らえて、今、私がキリスト教を選んだ罪が多くて私が今、悪口を言われているのです。じっとしているのに悪口を言っているのです。


 このころ、何の国民日報? 国民新聞だと言いましたか、国民日報と言いましたか? (国民日報) それが私に早く大きくなれと走っている馬にムチを当てるのですね。(笑い) それ、悪いことではありません。乗って越える人が必要なことは、窪みが必要なのです。平地は必要でないのです。馬を走らせてそれに乗って越えるのは、窪みがあるからです。窪みがあってこそ乗って越えることもできるのです。そのような意味からムチを当てる人が必要なのです。


 それでムチを当てることによって統一教会がまだらになって、高いのや低い連中が、これは駄目だといって全部、水平線になるのです。分かりますか? 統一教会の先生だけが最高の位置に立ってみ旨をなすというのより反対し、それで憤るようになるとするならば、憤るついでに負けないために夜を徹して働かなければならないし、食べずに働かなければならないし、休まずに働かなければならないということが起こるのです。


 このように見る時、統一教会自体から見るならば、悪くありません。反対がなければいけません。春の風が吹いてこそ……春の風を何と言いますか? 春風をそよそよと言いますか? 何と言いますか? ピュウピュウと言いますか? (そよそよ) 秋の風は? (さらさら) 秋の風がそよそよなのですか、さらさらなのですか? 秋の風は何と言いますか? ああ、それ、私は分かりません。皆さんが解決しなさい。


 風が吹かなければなりません。春の風が吹かないようになるならば、そのすべての冬やあるいは、一年間積もったすべての腐った要素、悪いものを全部、はたいてしまわなければなりません。ですから掃除をするためにも必要なのです。反対するとしても統一教会があまりにも膨大ですから、乞食のかさぶたみたいなもの、うじ虫みたいなものは皆、落ちてしまうというのです。それを恐れるのは落ちます。偽物たちは皆、流れていきます。統一教会の本物はどうですか? 


 ご覧なさい。精米所でも精米中に玄米、白米になるのが難しいです。玄米はさっと殻だけ脱けますけれども白米は桶で何回転も回ってねじれてすりむかれてこそ白米になるのです。分かりますか? ダイヤモンドも磨いてこそ光るのです。ですから反対がなればいけません。反対がなければ、私が反対の大王になるのです。これが鉄則です。反対を嫌う人皆、立ち去れというのです。私は、世界から反対されながら口を開いて……いる位置に皆、放り込めというのです。口をあまりにも大きく開くから皆、放り込んで世界が皆、入ってきたのにまだ開いています。(笑い)


 サタンを皆、捕らえて食べたのですね。その次に、サタンの後に従ってくるのが神様です。それを皆、捕らえて食べるというのです。サタン世界のもの、悪いというものは私が皆、消化するのです。統一教会に入ってきて悪いものは消化してそれ以上を捕らえて食べると言いますから、神様までもすっかり占領することができるのは、二つとも、丸ごと放り込めばよいのではありませんか?

  悪いものは消化してしまい、良いものは、血肉へ行けばよいのですね。それで世界的に歴史以来に一番悪口をたくさん言われたチャンピオンがだれなのですか? この人ではないですか? 私ほど悪口を言われた人がどこにいますか? いないのですね? それは、アメリカのようなところでクイズに出てきます。宗教指導者として歴史的に一番悪口をたくさん言われた人がだれなのか、という時、子供たちが笑いながら、「ヘッヘ--、それは、レバレンド・ムーン」とそう言うというのです。(笑い)


 ああ、時間がたくさん過ぎます。一時間前に終わるのに……。うちの子供たちが十時の飛行機でアメリカに帰らなければならないのです。来て七時半までに終わらなければ皆、ぶらりぶらりと出て行くようになりますので……そうでなければ私が約束を違える人になりますから……。分かりますか? 


 それで結果の返事は、出来の良い人、出来の悪い人、神様を中心として見る時、何になるのかという時は、一番神様を愛せない嫁になります。娘になります。(アーメン) あの人、何がアーメンですか? (笑い) あのようなおばあさんがいますから私が恥をかくのです。(笑い) 何、皆、笑うのを見ると分かるのですね。


 だれかれを問わず、孔子であれ、釈尊であれ、イエスはいうまでもなく全部、そうなのです。このように見る時、文総裁は賢い人ですから、このようなすべての聖人たちが私とこのようなことを自問自答した最高の頂点になる答えの基準が何なのか? だれよりも神様を愛するのが一番の目的であるという観点からすべての聖典を探査しました。学んで文総裁になったのではないのです。この原則に合わないものは、真理ではありません。真理は、事理と理論に合わなければなりません。


 ですから、そのような観点からすべての聖典を見れば、孔子もあいまいです。人格的神が分かりませんでした。父が分からなかったのです。生まれた私たち人間の根本である父がいるはずなのに父が分かりませんでした。また、仏教も万象帰一の法を論じます。人格的神が分かりません。へたをすると唯物論に陥りやすいのです。進化論に陥りやすいのです。進化論的発展的信仰基準に立つのでこれは、唯物論に接近しやすいのです。


 このような観点から見る時、キリスト教を中心として--なぜ、キリスト教が偉大なのかといえば、キリスト教のイエスは、宣布するに、「私は神様のひとり子だ」と語りました。さあ、これ、そのような意味で素晴らしいのです。


 イエスは、私より風采がよくありませんでした。本当ですよ。イエスに会ってみますと私より風采がよくなかったというのです。(そのとおりです) 本当なのです。(笑い。拍手) 世の中で観相を見る人が私を見るならば皆、惚れ惚れするのです。私が風采が良いのか、悪いのか分かりませんけれども、このように素敵なところのないように出来ていますけれども、観相を見る人が私を見れば……。


 しかし、イエスがひとり子だと語ったのは、長男だということです。神様の愛に一番初めのものとして接したというのです。受けたその愛を私がもつためには、だれよりも私が神様を愛するというのです。その話、合っています。


 イエスはゲッセマネの園で十字架を前にして三次にわたって祈祷しながら、「アバ父よ、できることならこの十字架の道をさけるようにして下さい。しかし、私の思いのままではなくて父のみ意のままに……」。そのみ旨のためには生命をささげる愛の道を生きますという厳然とした姿勢をとったということは、驚くべき事実です。


 皆さん、先生を愛しますか? (はい) 愛しますか、愛しませんか? (愛します) 言葉は、巧みですね。へつらいながらうまくごまかし、サタンが利用し、だまして取るように……。エデンの園でひそひそと話してするそのような声は、信じません。


 占領するのに手を出さず、完全に永遠に占領することのできる一つの方法の道があるとするならば、愛を中心として行動するその愛は、何の愛ですか? 私のためにする愛でない、為にする愛をもった立場に立つならば、手を出さずに永遠に占領します。永遠に支配します。それ、お分かりですか? 父、母に対して死ぬように、生きるようにすべてのものを犠牲にして行きながら孝行しようとする孝子の前には、父、母が身動きもできません。父も母もぐうの音も出ないのです。父、母が立派で天の代身であってもできないことがあるのですが、その息子、娘が自分を犠牲にさせていきながらも永遠に為にする人、自分は愛されなくともお兄さんたちが愛されるようにし、町内に分け与えようとしながら最後まで為にする愛をもつようになる時は、弟妹たちから与えるものを皆、もって来て与えても弟妹が不平を言いません。「ああ、お父さん、お母さんがお兄さんにだけすべての祝福をしてやり、私たちだけ除いておく」言うのではありません。既に負債をたくさん負ったというのです。それで、「ええ、そうでなくては」と言うというのです。


 ですから、為にし、また為にし、また為にし、上に下に、東西南北、前後左右のすべての球形的な内容をもって父母のためにしようとする孝子孝女の前には、父、母がぐうの音も出せないのです。同じ道理でもって道主たちが語るに全部、神様に対して孝子になるには、ひたすら死んでも良いし、生きても良いし、生きるより死ぬのがもっと良いと言うことのできる人の前には神様もぐうの音も出ないのです。それ、簡単ですね? 


 そのように生きた人が地獄に行きますか、天国に行きますか? (天国) 神様の前に行きますか、後に行きますか? 皆さんは、神様の後について回りたいですか、神様に侍って回りたいですか? (神様に侍って回りたいです) 侍って動き回る人は、横へ歩いて行かなければなりません。これ、どれだけ不便ですか? それでも良いですか? それ、やってみなさい。簡単なことなのです。


 皆さん、天国に行きたい人、手を挙げてみなさい。既成教会の信者たち全部、泥棒みたいな奴らが聖書をもって、聖日に行って説教を一度聞いたと言って天国に行きますか? とんでもないことです。そのように安くはないのです。聖書には、「汝の心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なる汝の神を愛しなさい」と語っていますから、この一番目になる戒めに引っ掛かる人は、天国に入れません。二番目の戒めは何ですか? 「隣人を愛するに自分を愛するように愛しなさい」。神様を一番愛し、隣人を二番に愛する人が孝子になるのです。分かりますか? 父、母を一番愛し、その次に自分の兄弟たちを第二に父、母のように愛する人が父母の前にも孝子であり、親戚の前にも孝子になるので、この孝子は、父、母がこの位置にいるならば、垂直の位置に行って立つのです。


 上から下ってくる真の愛があるという時は、その真の愛の最短距離に--真の愛は、最短距離を通ずるので垂直の位置に立つことができるので、そこに立つのです。垂直は、影がありません。夜を支配します。世の中のすべてに通じていて何でも知っているのです。そして、平面基準から見るようになるならば、水平線になって直短距離、男、女が愛するようになるならば、女が男を眺める時、水平線から見るようになるならば、男、女がどのように見ますか? このようにして眺めますか? 手を水平線にして、顔もこのようにして、体も真っ直ぐな姿勢を中心として会うようになるならば、このように行って会っては、男、女が愛するならば、どのようになりますか? 手がどこへ行きますか? こちらへ行きますか? 自然に、話する前にこのように行くのです。それ、そうなのか、そうではないのか見なさい。夫と妻たちが、新郎新婦同士会う時、手がこのようになりますか? いつこのようになるのか分かりません。いつ曲がるのか分かりません。考えより先立ってさっさと行動して動きます。


 私が愛する妻に対してキスをする、キスをしてやらなければならないと思ってする人は愛ではありません。自分でも知らずにキスして、してみると、ああ、キスなんだなあと分かることができるキスをしなければならないのですね。何、キスの話をすると行って朝からなぜそうですか? あなたや私やキスが好きで生きるのではありませんか。キスすると考える人は偽物で、自分でも知らずにキスしながら喜ぶのは本物です。自分を押し立ててするのは、天理に通ずることができません。自分でも知らずに、自分というものがなしに愛が先立つ位置は、天理が通じます。そこは、無事通過です。キスするという時は、自分が現れてするのではありません。祝福家庭たち、そうですか? このうすのろたちめ。(笑い)


 それでは、先生はどのように生きますか、と言う時、私も分かりません。(笑い) それ、お母様に聞いてみなければならないのですね。お母様も笑っているのですね。(笑い) ああ、時間があのようになったのですね。早く行かなければならないのです。(笑い) さあ、ですから、答えがそうです。皆、答えが分かったのですね。皆、分かったでしょうね? (はい)


 これは、個人的王様になることができるし、国家の王様の座をもつことができるし、世界の王様の座、天上天下の王様の座を身につけることができたのが堕落せずに神様の愛の前に孝子の権威を備えたアダム、エバの位置であったということが分からなければなりません。


 では、メシヤが何ですか? 日本語の飯屋ではないのです。これは、何ですか? 救世主です。救世主は、何の救世主なのですか? お金がなくてそのクソ桶でよく食べ、よい生活をしなさいと救ってくれるそのような救世主ではないのです。それが分からなければなりません。既成教会の連中。何、イエスを信じて福を受けるって? 私が知っている天国は、そうではありません。イエスを信ずるならばこの世の中で災いを受けます。なぜ? サタン世界とイエスが教えた天の世界が行く道とは正反対です。滅びなければなりません。聖書にもそうあるではありませんか? 栄えようとする者は滅び、滅びようとする者は栄えるとそう言っているではありませんか? 生命を失おうとする者は生命を得、生命を得ようとする者はそれを失うと語ったではありませんか? 反対なのです。イエスを信じて福を受けようとする連中は皆、気違いです。イエスを信じて十字架を負っていかなければならないのです。肥やしにならなければなりません。イエスも肥やしになりました。


 それでは、メシヤ、救世主が何ですか? 何の救世主なのですか? 権力の救世主ではないのです。お金の救世主ではないのです。知識の救世主ではないのです。愛の救世主です。生命の救世主であり、血統の救世主です。なぜ? 堕落したので神様の愛を失ってしまったし、生命を失ってしまったし、血統を失ってしまい、神様のものを受け継ぐことができなかったのでそれを再び探し求めてやるために来られた方が救世主です。救世主は、世の中を救い--故障になったので救いが必要なのです。水に溺れた人を本然の状態に回復しておくようになる時、救いを受けたというではありませんか。


 何を失ってしまったのですか? 神様の愛を失ってしまったし、生命を失ってしまったし、神様の血統を失ってしまいました。それでは、メシヤが来て何をするのですか? 種を受け損ないました。悪魔の種を受けました。天使長の種を受けました。根が天使長です。それで神様を中心としてメシヤを送るために今まで六千年間働いたのですが、縦的な位置において横的に送ることがどれだけ難しいことですか。自分の頂上の愛の位置、完成の位置まで愛のみ旨年を受け継いだ愛を受けるためには、いかばかりか受難の道を通じて……垂直的段階によってイエスも修養し、四十日断食をしてそこで受け継いでこなければならないのです。


 先生も同じなのです。神様の息子になるためには、垂直の位置に入っていかなければなりません。東西南北の感覚と前後、左右、上下のすべての感覚を体得したのが、神様が見る時、選び出すことなしに体験であるということができる位置に入ってくるようになる時、息子の位置に入っていくのです。それが本然の位置です。そこに入っていけないようにするためにサタンがすべての方位を塞いでいるのです。一番サタンが恐れるのが、神様の愛に接するのを一番恐れるのです。


 お金を恐れるのではないし、権力でもありません。神様の前には、権力が必要ありません。神様の前には、権力が必要ありません。神様は、全知全能なる方であるので、知識が必要でありません。全知なる方であるので知識が何が必要ですか、知識の王様なのに。


 このように見る時、メシヤはだれですか? 今日、統一教会で言う氏族的メシヤというのが何ですか? 今までは、一人のメシヤを送るために縦的に上ってくるこれを除いてしまうための闘いをしました。イエス時代は、死んだのです。文総裁時代に来て私を打ち殺すために全キリスト教と世界全体が合わさって私を打とうとしました。しかし、文総裁は知恵深い人です。私がこういうことを自慢するのです。実に知恵深い人です。悪魔が一番私を恐れるのです。悪魔が一番恐れるということが、神様も一緒に恐れるということなのですか? 神様は、一番喜ぶのです。なぜ? 引っ掛かりません。


 昨日、何とか日報に文総裁がアメリカに行って罪を犯して監獄に行ったのに厚かましくも罪がないと言っていると言いながら何とか言っているのですが、この野郎たちめ! 七十万人のアメリカの弁護士とその弁護士に教える世界の三千三百の大学で全部、レバレンド・ムーン事件は、アメリカの亡国の判決であると語っているのに、世の中を知らない、何と言いましょうか、乞食の子にも及ばないのです。彼らが全部、私に特赦してくれと言っているところなのに、何がどうしたって? なぜ、アメリカを正面から悪口を言い、CIAを引っ掛け、FBI、法務省を引っ掛けて悪口を言うとしても黙っていますか? この野郎たちめ、何を上手にやったというのですか。彼らが私にひざまづきました。それなのに何がどうして、どうだって? そのようにつまらない男ではありません。見なさい。つまらない男ですか? 前から見ても大きくて丸くふくよかであるし、後から見てもそうですし、横から見てもそうだし、上から見ても下から見ても大きく丸くふくよかになっているのですね。丸々とよく転がるようになっているではありませんか。


 ですから、ボールを蹴っとばしてみなさいというのです。角を蹴っとばしても転がるし、上から蹴っとばしても転がるし、よく転げ回るボールであるのでサッカー場に必要なのではありませんか。ですから、世界の人たちが私を皆、蹴っとばしたのですね? 蹴っとばすからよいのですね。それで何かといえば、転げ回りながら勝利することのできるコーナーにさっと入っていくのです。統一教会は、サッカー場で蹴っとばされてきましたけれども、勝敗を決定するのは、私が皆、してしまいました。(拍手)


 さあ、それでは、人間世界の願いが何なのですか? 自分が神様の種を受けられなかったのが恨みですから、再びこの地の上に父母が来て神様を根として神様の生命に接ぎ木し、生命を再び自分に植えてくれることによって、堕落したけれども堕落の皮を脱いで堕落しなかった本然の世界に入って行くことができるのです。簡単なのです。


 ですから、アダムが堕落した以上の神様の愛を受けることができる真なる父母を待ち焦がれるのが人類の救道者たちの目的である救世主思想です。また、神様は、これを達成しなければ、絶対的神様になれないので、どれだけ困難があるとしてもこれの是非の判定を下さなければならないというのです。


 このように見る時、それではイエス時代にそのことをしましたか? イエスができずに死んだのです。では、統一教会は何ですか? イエスが失敗したことを収拾するために来たのですが、文総裁は何をしましたか? 簡単に話してみましょう。文総裁が何をしていますか? 悪口を言われますけれども、悪口をどれだけでも言ってみなさい。愛する一等の美人さえ抱けばそれっきりです。(アーメン。拍手) 悪口を避けますか、神様の愛を受ける美男美女が一組になりますか? どういうのを願いますか? どういうのを願いますか! こいつらめ、返事をしてみなさい。気持ちが悪くなぜ返事をしませんか? (笑い)(美男美女が一組になります) それは、問うまでもないのではありませんか。皆、教えてやっても返事ができなければ死ななければならないのであってそういう者たちと何をしますか。ゴミ箱に入らなければならないのですね。気持ちが悪くとも仕方がないのです。私は悪口をよく言うと言うなというのです。悪口言われるようにそうするのだから仕方がないではありませんか。悪口を言って初めて答えが出てきますから仕方がないのですね。この出来損ないたちめ。(笑い) ですから、駄目なのです。悪魔の血を受けましたから良いことが何がありますか。自己第一主義者ではないですか。サタンが何ですか、自己第一主義者なのですね。その種を蒔きましたから、個人主義世界の版図、亡国の僕が起こるのです。全部が個人主義の王様です。皆、滅びなければなりません。


 ですから、文総裁は賢いです。悪口を言いなさい。金持ちが悪口言うならば、金持ちの家の長女、長男は、統一教会の人になるというのです。これ、どれだけ面白いですか? その父親、その母親、その次にその夫が何の理由もなく悪口をよく言うようになれば、その女房と息子、娘は、文総裁の輩になります。そのような復讐がどこにありますか? 


 ここで私に対して悪口をよく言う人、だれですか? それを考えてみなさい。その家の息子、娘、その父親がどれだけ出来が悪かったなら……文総裁は、十回悪口を言われてもじっとしているのですね。百回悪口を言ってじっとしているのに、百回悪口を言っても黙っている人ですから自分の母親、父親が誤ったとそう言うのであって、私が誤ったと言う息子、娘がいますか? その息子、娘が私が誤ったと言えば、亡国の僕です。それは、滅びるようになっています。不必要になぜ悪口を言いますか? そうしてみるとその息子、娘を皆失ってしまうのです。その息子、娘は、間違いなく自分の父をよく見ない限り、必ず統一教会を研究するようになっているのです。これ皆、天の造化の業です。ですから悪口を嫌がるなというのです。


 私は、悪口を言われなければ興味が起きません。それも病気なのですね。ですから、私が方法を一つ研究したのですが、悪口がない時は私が悪口を言うのです。(笑い) 違いますか? 私が悪口を言われてできましたから皆さんができないことをできるようにしようとするならば、悪口を言わなければならないのが原則ではありませんか? ですから悪口をよく言うという話が悪いことではないのです。私はその話を聞いてもよいです。「文総裁、悪口をよく言う」と言えば、「そうですね。それが、私が行く教えの正統的道なのですが。アーメン」と言うというのです。(拍手)


 では、今日、氏族的メシヤ……。文総裁が今までしたことが何ですか? 共産主義、民主主義を克服しました。右翼、左翼が皆、なくなりました。今や残ったものは、頭翼しかありませんから、左翼を捨ててどうであっても体を打ってでも統一教会にすがりついて頭を捕まえようと大騒ぎするようになっています。今やその段階に入ってきました。そのようなことが分かる文総裁は、賢い人ですから、世界を収拾するために学界を収拾し、統一科学を中心として科学と宗教が分立されたこの紛争を防御するために宗教は科学的な致理論理を通じて決定し、今日、現代の知性人たちが、消化することのできる内容でもって教えてやるのです。科学者大会を通じて世界の碩学たちが文総裁を好きになるのです。(アーメン) 分かりますか?


 世界の碩学たち、今どこにいる碩学たちであっても来いといえば来るのです。世界九十二か国にPWPAの支部をもっています。一時動員するならば、数万名を動員することができるのです。ワールド・アンド・アイというのが世界的に有名な雑誌になったのもそれゆえです。電話一本で学者世界に通じないところがありません。朱東文、そうですか? (はい) 嫌だという奴が何人になりますか? (見たことがありません) 見たことがありませんか? (はい) そのくらい大きくなったのです。


 学界がそうであり、その次には言論界を調整します。今、言論界と学界を統一させているのです。分かりますかか? 言論界というのは、何といいますか、主権の中で立法、司法、行政を中心として四部署と言って言論機関が行政立法、司法よりもっと権威をもったものなのです。これは、立法、司法、行政のどこにでも入って行っています。そのような面では私が恐ろしい人なのです。既成教会のうじ虫ぐらいのものが騒げば、ワシントン・タイムズに載せ、一度に世界的に揺すぶればガラガラと崩れます。


 何新聞? 国民日報? 国民日報は、問題にもなりません。私が組んでぶんなぐれば……。けれども私はそれをしません。神様が力あると思いのままに打ちません。今に見ていなさいというのですね。どれだけうまくいくか見ようというのです。今に見ていなさいというのです。神様の作戦は、打たれて奪って来るのですね。イエスが打たれましたけれども二千年間待ったので利子の利子までしてしきりに多くなって世界を全部訪れることができるようになったので、統一の王者になりました。世界統一したのです。(アーメン、拍手)


 ですから統一教会も悪口を言われるのが長引くと心配しないで下さい。長引けば長引くほど世の中の福を皆受け、霊界の福までも皆さんの足の下に入って来ています。あきあきしますけれどもそういうことなのです。それが分かるのです。ですから、四十年間悪口を言われてもびくともしません。分かりますかか? 四十年間血の汗を流す苦痛を受けてもびくともしません。そうしてみると世の中の万事が私の足の下に入ってきています。今や私を除去する人がいません。ソ連と中共とアメリカが合わさってもレバレンド・ムーンを除くことができないというのです。なぜ? 思想的に、自分たちが必要な現代の科学技術で、また、混乱した経済金融的に……流通においてアメリカが混乱して問題が起こりました。それを救うために私がこの仕事をしているのです。
 経済分野において、今後、産業構造はどのようになりますか? 多国籍企業が自体の利益のために一方通行が不可能です。平準利益を取る共同統一路へ行くのです。既に皆、提唱しておきました。それを準備するためにレバレンド・ムーンがあらゆる方向に、各分野を皆……。大韓民国がなくとも私が整えた基盤をもって、島国に行って大韓民国を動かすことができる実力をもった男です。


 政治街でああだこうだと言う人、今に見ていなさいというのです。どのようになるのか。初代大統領になった李承晩も追い出されました。張勉も追い出されました。朴正煕はどれだけ悪ければ、死んだというのですか。全大統領も追い出されました。盧大統領は、どうなりますか? なぜこのようになりましたか? 主人が分からなくてそうです。主人を。自分たちが主人ではないのです。天が送った主人ではないのです。こういう話は、しっかいりしなさいということです。


 主人がどこにいるのか分かりません。アメリカも主人ではありません。ソ連も主人ではないし、北韓も主人ではないのです。金日成は間もなく死にます。見ていなさい。皆さん、私が語る統班撃破組織を組んで北韓の人たちが自発的に死ぬとしても三十八度線を越えてくるということのできる行動が起こるならば、金日成は自動的に死ぬのです。死ねと祈祷する必要もありません。ここで責任さえ果たせばできるのです。春が訪れてくるようになるとするならば、冬に凍っていた氷は、解けるようになっているのです。


 統一教会の人たちと統一教会を中心とした南韓国民が天意に一致しないようになるならば、金日成は最後まで残っています。残っていなければなりません。残っていなければ、ここが統一がされません。そうでしょう? ですから門を開けることができません。それが分からなければならないのです。


 それでは今日、氏族的メシヤを送る神様がいかほど悲惨だったのか? 今までは、イエスを送る時、氏族的メシヤの位置に送りました。今日、統一教会の文総裁は、個人的メシヤ、家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤの蕩減条件を皆、立てました。今からは、三十八度線、国境を越える段階に来たのです。分かりますか? ですから、文総裁の影響は、大韓民国を越えて世界に波動を及ぼすのです。五大洋六大州に波動を及ぼしているのです。


 大韓民国はどうですか? 出来損ないたちめ。山の中のウサギの子は、自分が住む家が一番であると思うのですね。虎が住むところは、嫌だというのです。ですからいつでも来て取って食べることができるのです。私が操作をしようがどうしようが……。アメリカを滅びる立場から救った私なのです。中共が滅びていくのを防ぎ止めたのが私なのです。ソ連を引きずり出したのが私なのです。CIAでもないし、アメリカ政府でもないのです。そのような男が、既成教会が反対するのを私が手を出したならば今までそのままでいると思いますか? ガラガラと皆崩れたのですね。しかし、そうしません。あること皆、やってみなさい。あんたたちの実力どおりに皆、やってみなさいというのです。実力どおりに皆、やってみるとしても最後の勝負に負けた者がチャンピオンなのですか? そういう者が賞をもらいますか? 大衆にぶんなぐられるのです。天地に音もなく除かれるのです。分かりますか? 宗教世界においてチャンピオンの位置から脱落せず、勝勢的権限を積み上げてこれだけにしてきました。


 この前、第二十三回宗協に行って十か宗団が集まる中に私が質問したことが、「釈尊が願うことが何なのか?」ということで、その答えが「神様の息子、娘だ」というものです。


 それでは、皆さん、神様の息子、娘になることができますか? できません。悪魔の子として生まれました。切って接ぎ木しなさいというのです。ところが接ぎ木は、一人で接ぎ木できません。それで文総裁に皆、引き継ぎしました。それが何の思想? 頭翼思想が何なのですか? (神(様)主義です) 神(様)主義が何なのですか? アダム・エバ主義です。アダム・エバ主義が万民の主義です。頭翼思想が私の思想です。そうでなければなりません。


 それが何ですか? 創造理想とともに理想実現することのできる内的内容を十分に補強することのできる内容をもたなければなりません。それを私たちははっきりと分かっています。分かりますか、分かりませんか? どのように神様はつくりましたか? 投入してつくりました。ですから、先生は何かをし始めるならば、いい加減にするのではありません。深刻です。精誠を皆、投入するのです。血と汗と涙とともに投入するのです。そうするならば必ず対象が生ずるようになっています。プラス電気があるならば、マイナスが生じます。マイナスがあるならば、プラスが生じてくるのです。完全に為にして投入するところには、そこに相対的要件は、自然発生して環境基準を整えてやるのが天理の道理です。まあ、事実は、このような話をする時間がありません。


 神様一人、しがない存在の立場に立ってイエス一人を送ったのですが、氏族的メシヤを殺してしまいました。千辛万苦して文総裁をつくって何をしましたか? 天上世界、地上世界のすべての統一圏を中心として僕の僕から、僕からずっとしてきて、養子、庶子、直系子女、このように上ってきて地獄から天まで鉄槌を打ち込んだというのです。分かりますか? 


 文総裁が神様の愛を中心として世界から、国からアダムから、エバから、カイン、アベルを中心として僕の位置まで鉄槌を打ち込みました。先生を通して縦的な神様の愛が天上最高の位置から始めて最低の位置まで打ち込みました。これを抜き捨てることができません。分かりますか? 


 その次に横的に……。先生が経なかったところがありません。闘いは皆、終わりました。今や統一教会に反対する人がいません。分かりますか? 個人的に反対しましたし、家庭的に反対しましたし、氏族的に反対しましたし、民族的に反対しましたし、国家的に反対しましたし、世界的に反対しましたし、天宙的に反対したすべてのものを中心としてさっと清算しました。この中で父なる神様と言い、真の父母とそう言うことのできる生命以上の決意をした人は、悪魔の世界と邪なる死亡の世界は関係のない者になるのです。分かりますか? 分かりませんか? 
 そのような垂直の位置から天にいる神様の代わりに地上に下ってきて地上から横的な面で氏族的メシヤを派遣したのが今度の挙事だというのです。分かりますか? (はい) 氏族的メシヤは、私が死ぬとしても世界的に築かれた版図、これは、必ず、氏族的メシヤはこの鉄槌、垂直的世界に接ぎ木されるようになるというのです。


 氏族が多くなるならば国も……、ここにいる新羅金氏、何千万? 千万でしょう? それあんたたちの一族さえ合わさるならば、統一されるのではないのです。新羅金氏、このころ、よく動きますか? (はい) ですから、今、先生は、何ですか? 氏族的メシヤを送ってアベル的一族の祖先になるのです。この先祖たちは、生命の種をもったというのです。メシヤは、父母であるので、種をもって現れるのです。分かりますか? (はい) 皆さんの一族と父、母は、サタン世界の種を受けたのです。皆さんが生命の種をもってぶつかるのです。そうするとどこに行っても……。モーセと魔術師が投げつけた杖が、投げた蛇になりましたけれども、後には、モーセの蛇が飲み込んでしまうとの同じく、今からは、迫害が皆、過ぎ去りました。ですから飲み込んでしまいます。


 宴会を昨年にし、今年して二回したでしょう? 父、母が皆さんの宴会の餅をもらって食べましたか、食べませんでしたか? (もらって食べました) 悪口を言ってしまってから、もらって食べる時、お腹がすっきりしたでしょうか、物足りなかったでしょうか、呆れ返ったでしょうか? (呆れ返ったと思います) 呆れ返ったでしょうね? 眼を開けられず、子供は神様のように、子供が一番恐ろしい人のように対さざるを得ない父母になりました。愛でもって抱いてやるのです。それで接ぎ木して新しい生命体を増やしてやることによって父母圏解放が始まるのです。子女圏解放。


 長子圏は、既に蕩減復帰しました。ですから日本と韓国と、アダム・エバ国家基準を蕩減したし、アメリカ人と韓国人を結婚させたのです。喜ぶならば、カイン・アベルの争い圏がなくなるのです。分かりますか? 二世たちは、全部、結びつけておいたのです。まあ、こうですから、今や氏族的メシヤとして配置するとしても皆さんは、迫害されません。


 文総裁が有名になったのですね? この韓国は、一番の谷間なのです。先生は、全部、乗って越えて行ったり来たりして谷間は後で訪ねてきたのです。三年間に皆、終わるのです。それをするのですか、しないのですか? (します) しないという人、手を挙げなさい。耳が塞がっていなかったのですね。耳が塞がっていなかったならば、心も塞がらなかったのですね? そうですか? 眼が皆、開いているのですね。そうですか? 眼が皆、開いているのですね。心も開いていますか? 手が動くのですね。心も動きますか? (はい) 分かることは分かるのですね。


 氏族的メシヤというのは何かといえば--神様とあの上からの垂直的愛の基盤なくしてメシヤを送っていつでも失敗しました。アダム家庭で失敗したし、ノア家庭で失敗したし、アブラハム家庭で失敗したし、モーセも失敗したし、イエスも失敗したし、文先生まで失敗しようとしましたけれども私は賢い人なのです。韓国が出来の悪い国なので私がアメリカで基盤を築く前には私が韓国に現れませんでした。政治家だとか何だとかいうましだという人に一人も会ってみたことがありません。会ってみたとて皆、私よりできないものをできないようになっています。私が問うてみると返答できないようになっているし、自分たちが問うてみることを私が全部、答えるようになりますから、出来が悪いのですね?


 一生涯世界を駆け巡りながら学者世界にましだという人を巡り歩きながら打ち捕らえてきた歴史的な経歴者なのに……韓国を度量の狭い国と考えたのです。皆さんもそう思ったのですね。先生のことが分かりましたか? どのくらい分かりましたか?


 見なさい。真の父母が現れるために何千万年なのですか? 人類歴史を考古学的な探索材料、化石だかいう材料がなくて分からないのであって、何千、何億万年前に人の生が生まれたのです。千万年だといいますが、千万年ではないのです。その期間までアダム・エバを再創造するのに、この地の上に神様が位置を確保できず、押されてきたのですが、見なさい。文総裁は、何ですか? 一人出てきて闘いの場からお母様を探し求めて聖婚したのですね。息子、娘をもって……。


 その次には、家庭編成を世界に二万五千家庭以上展開しておいたのです。その次に氏族的メシヤ圏に、イエスが再臨せずに勝利することのできる、ローマと国家を治めることのできる権限を付与させたのが氏族的メシヤです。


 この基盤を動かして地方に戻っていって面長(面の長)であれ、支署主任であれ、郡守であれ、警察局長であれ、彼らが反対することができないようにつくっておきました。これができなければ死ななければならないのですね。滅びなければなりません。そいつが滅びなければ、私が滅びるようにするのです。逆さに突き立ててしまうのです。父母の位置というものは、厳重なのです。子供たちが死んでおり、子供たちが地獄に行くことを知っては、眠ることができません。ご飯を食べることができません。休むことができません。それこそ心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛し、隣人を自分以上に愛さなければならないのです。こうでなくしては、解決ができません。お分かりですか?


 氏族的メシヤは、何を受け継いだって? 宗教世界の文化圏の結実として現れたメシヤ的責任です。父母が来て伝授し、四方に宗教解放が展開されるのです。分かりますか? 統一教会のメシヤ圏に入ってきて消化されたのは……。宗教生活が良いですか? 私は宗教生活が嫌です。祈祷するのがどれだけ大変なことですか。宗教から解放しなければなりん。悪魔の鉄格子から解放しなければならないし、宗教から解放しなければなりません。悪魔の鉄格子よりもっと恐ろしいものが宗教の鉄格子です。なぜ? サタンと対処していきますから防御線を強化しなければならないので、宗教は絶対的でなければなりません。しかし、統一教会は、独裁性がないのですね?


 こいつら、映画館や劇場に行っても黙っておいておき……。私は、昔、映画館を見ず一キロメートル外の地域へ行ったり来たりしました。このころは、行ってどうであっても私が皆、正すことができる自信があるので黙っておくのですね。


 これ、自由なのです。祈祷もしない統一教会の輩ではないのです。イエス様は、夜を徹して祈祷したし、先生もここにタコができるほどに祈祷し、十七時間、普通十二時間を十年余りしたのですが、これは、野良犬みたいな連中が皆集まりました。受けたものがどれだけ貴いものなのか分かりません。博士課程を勉強してみた人が本当に博士が貴いことが分かります。小学校を出た者に博士の学位を与えても紙切れと思うのです。そんな考えをもってしては、いけないのです。そこに内的に対備されるものを、価値比例に対する正面攻撃時代が来るのです。しっかりしなければならないのです。


 見なさい。今度、学者たちを中心として最高という人たち……そうではありませんか? 先生は、今まで世界の碩学を中心として、言論界を中心として、その次には、サミットクラブ、カイン的大統領たちを貫いてぶら下げているのです。分かりますか? こうして彼らが囲いになっているのです。それにだれが反対しますか? 


 先生は、反対の環境でこのような開拓をして皆さんのために、子供たちのために、解放を歓喜の環境で栄光の座を付与させるためにしておいたのですが、それを偽物と思い、それを有難く思わず……その理想相対的価値でもって私が神様のためにするように皆さんは、先生のためにしなければなりません。そうしてこそ皆さんの息子、娘が先生の代わり、神様の代わりに皆さんのためにするのです。分かりますか? (はい)


 生命を伝授するために責任を負わなければなりません。宗教の実の名前を代表して現れた氏族的メシヤの前には、氏族的教団解放運動が展開されているのです。宗教が必要でありません。分かりますか? 宗教が必要でないのです。ですから、父、母を全部、切って神様の生命の根の前に真の父母から受けた生命の種を与えるのです。生命を与えるのです。また、サタン世界の父、母、一族まで飛び散らせて伝授させるようになる時は、最後です。万民が全部、祝福を受ける時になるならば……。今後、祝福は、何百万人になるのです。人工衛星を通じて……。


 それではその時において皆さんが、時が過ぎた後に責任を果たさずに氏族的メシヤ圏を中心としたことは、宗教歴史に今まで数多くの宗教が総合したそのすべての功の実績を何にも知らない皆さんの前にアダムが堕落せず、ノアが失敗せず、アブラハム、イサク、ヤコブが失敗せず、モーセが失敗せず、イエス様が失敗せず、先生が失敗しなかった、苦労の十字架を負わなかった、受難を受けなかった歴史時代全体を解放された位置で備えたその結果、実をもたらしてやったことを知らなければなりません。


 その名前の中には、数千万人の殉教の血が呼びかけ訴えており、数多くの先人たちが道を中心として犠牲になった人たちの復興の基地になって、平面的にどこであっても天の基地になって私が解放の行歩を整えることのできる地上天国になってやることを願う願いが迫っていることが分からなければなりません。血の訴えと人類の願いの訴えが一塊になっていることが分からなければなりません。それを解くことができず、完遂できずに眠りますか? 私は、眠れません。今もそうです。すっかり今では、習慣になって三時間以上眠れば起きて眠りません。がさごそするのです。小鬼みたいにそうしますから、若いお母様が睡眠がたくさん必要なのにそれのために十字架だと考えて心配です。お母様、少し手助けして下さい。手助けしてくれるというのが他のことではないのです。早く先生が思い切り眠るようにすることです。睡眠の蕩減復帰をしなければならないではありませんか。約四十日、食べずに眠るならよいでしょう。分かりますか? (はい)


 氏族的メシヤは、ユダヤ教、キリスト教、統一教会を中心として正統的なすべての失敗を圧縮させて勝利的権限をもって仏教、儒教、すべての宗教が福を受けるといいますから、すべての福を総合した位置で決定的核を伝授したのが何ですって? 皆さんは、国家を心配する必要がありません。皆さんは、世界を心配する必要がありません。皆さんの一家を心配すればよいのです。これができなければ……。今後は、ラジオを通じて原理講義をする時が来るのです。分かりますか? 


 このころ、広告というものがあるでしょう? 新聞社を通じて全部、広告も出さなければならないし、その次には、ラジオ放送もしなければなりません。できなければ、私が買わなければなりません。しなければ、政府と争ってでも……南北韓が統一されるならば、教育する材料がないではありませんか。私しかいないではありませんか。新聞社、MBC、KBS、この野郎たちめ、大きなことを言うな。ぶん殴る時が来るのです。


 それでワシントンに世界の何をつくるのかといえば、世界TV放送局、言論界の放送局たちが入って来て放送することのできる放送株式会社をつくりました。分かりますか? 放送局たちが来てその部屋を手に入れて使うことができるようにしたのです。施設は世界の最高です。一万二千坪の建物を造りました。一万二千坪であれば、成和大学の四倍です。分かりますか? それを見れば、韓国人は、ひっくり返るのです。


 そして、ワシントンの六千名の記者クラブ、放送局を私が掌握しました。それが分からなければなりません。ある時は、私が指示して何を送るなといえば、神様に祈るようにこのようになっているのです。韓国のモグラの子たち、MBS、KBS、こいつら、材料がどこにありますか? そのような男がうすのろのようにこうしているのです。分かりますか? 神様が出来が良いですか、悪いですか? 一番出来のよい神様が阿呆のようにしているのと全く同じです。私もそのような父に似たというのです。そうなのです。時が至れば、太陽の光が地平線を越えて来るようになる時、天下を黙って占領するように、地平線上に現れるようになる時は、太陽のように輝くことができるレバレンド・ムーンになるかもしれないというのです。(はい)


 その前にメシヤの責任を果たさなければなりません。氏族的メシヤ、分かりますね? 数多くの宗教が犠牲になって探し求めてくる救世主--救世主が父母です--を探し求めるためのそれを完全に包んで……何の功もありません。死ぬ覚悟を一度してみましたか? 苦労を一度しましたか? こいつらは、氏族的メシヤだといえば、安物だと思っています。月給をもらう職場より分からない奴らがいます。私がそうであったならばどうなりますか?


 父、母を犠牲にさせ、妻子を犠牲にさせてそうしたのです。そうですか、そうではありませんか? 返事をしてみなさい。(そうです) なぜ? その価値がどれだけ大きいかを知っていますから……こいつら、世の中が分かりません。どのようなことが起こるのやら……。どの大学に行き、何がどうして、就職をし、それが問題ではないのです。これを逃してしまうならば、うじ虫になるのです。日本人が入って来るのです。アメリカ人が入って来ます。今度、人事処置をするのです。日本人たちを連れて来て全部、配置するのです。韓国の地の祖先たちにつくっておくのです。そうできますか、できませんか? 先生がそうできる足場を築きましたか? 韓国の奴ら、ダメな奴らは、壊れなければなりません。私はこのころ、そのような憤った心が生じます。こんな奴ら、腹立たしい乞食の群れから悪口を言われたことを思うと腹立たしく思います。


 今度、このようになりますので統一教会に反対するならば、胸がどきどきします。分かりますか? そのような時が来ますから、強く大胆であり、前進に前進をして氏族的メシヤ完結のための一家族、五代祖先から六親等、七親等まで復帰して彼らが団結し、核になってカイン圏、文氏であるならば文氏氏族を収拾しなければなりません。


 文氏氏族は、私が心配しなくても全部、従って来るようになっています。なぜ? 文氏は、私にかかっていますからね。そうではありませんか? 私が国家的基準、世界的基準を皆、蕩減したので、じっとしていても彼らは今や、入ってくるようになっているし、今後、統一教会の信徒たちが、文氏一族に一番先に訪ねていって伝道しなければならないし、アベル的基準でもって全部、押していかなければならない立場にあるので、自動的に統一がされるようになっています。


 そのような氏族的メシヤの任務がどれだけ重大ですか。宗教の実であると同時に来られる再臨主、父母の権限の名義と内容を受け継いだことを知らなければなりません。分かりますか? 


 ゲッセマネの園でイエス様が祈祷していたのと同じく、私の思いではなくして父のみ旨年のままになさって下さいと言いながら十字架まで負っていくのです。できないようになる時は、死の峠を越えてでもメシヤの名分を守ることができなければならないのです。その上にみ旨から見るようになる時、長子圏が復帰されましたから、共産圏と民主世界は、今や文総裁を支配することができません。世界を共産党が指導できません。アメリカが指導できません。ただ一つ、希望的なことは、文総裁に任せてみたら? 文総裁は、世界を引っ張って行くことができますけれども、民主世界のブッシュも世界を引っ張って行くことができません。何、ゴルバチョフも引っ張っていけません。私が二人とも生かしてやろうとしているのではありませんか。


 こうして私が一回り回すならばよいのです。文総裁が一番下にいるでしょう? 一回り回っていく時は、どこへ上って行きますか? これが天辺に上って行くのです。ですから、その時になる前に韓国において氏族的メシヤの使命が完結されることによって統一教会に希望的成就は、自動的になされるのです。(アーメン)


 きょうここにすべて、百三十七か国の宣教師たちが皆、集ったものと思います。皆さんもやはり、同じです。戻って行って祝福家庭と一つになってその国を中心としてメシヤになって救国の使命を完結しなければならない責任が全世界的にあるという事実を知るようになる時、統一教会の信徒たちは、寂しくありません。分かりますか? (はい)


 先生は、迫害を受けながら打たれて奪ってきたのですが、皆さんは、迫害を受けません。今からは、打たれて奪ってくるのではないのです。従順させて福を与えていくのです。これは皆、もちましたから、天運が私たちの前に押し寄せましたから分けてやらなければならないのです。このような重大な宗教を代表し、人類を代表して、神様と霊界全体を代表してそれを解怨成事することのできる神様の真の愛の、真の生命の真の血統、縦横を中心として受け継いだそれを増やし、地上に地上天国の基盤を完結するのです。
これが氏族的メシヤの任務なのです。(アーメン) 分かりますか? (はい) この責任を果たすという人、手を挙げてみなさい。祝福家庭たち、行かなければなりません。今度、私が固く決意したことが、この基盤を築いておいて外国を回って来なければならないということです。


 <祈祷>
 愛するお父様。この地の上に民主主義時代までは兄弟主義であることを私たちは、知らなければなりません。これが六〇年代を中心としまして、国運を中心としまして戦勝国家たちが敗戦国家を独立させ、平準的兄弟国家の位置に立てましたことを思います時、兄弟たちは、争いでもって始めましたので争いでもって終えなければなりません。


 そうでありますから、兄弟たちが編んできます歴史は、戦争の歴史を避けることができません。しかし、父子の関係は、争いがあり得ません。今や父母に侍り、子女の位置に立ちましたので兄であれ、弟であれ、すべての兄弟たちが合わさりまして、父母とともに和合することができる時代に来ましたので万国の万民が父母を中心といたしまして一つになることができる時代が参りました。


 これが国家的基準と世界、天宙基準を中心といたしまして八定式を既に終えましたので、縦的に天が思いどおりに往来することができますし、横的に天が思いどおりに地球のいかなる表面までも自由自在に通ずることができます時代が参りましたので、地球村という言葉がございます。


 地球村のみならず地球家庭を語っております統一教会、地球家庭的歴史が地上に展開され得る時代が参りました。世界のすべてが昼と夜に二分されていました世界が、今では一日生活圏内に入って参りまして、私たちの生活のすべてのことが瞬間に世界と通ずることができる時代に入って参りました。


 これは、理想的神様の愛を中心といたしまして統一的一つの世界を標榜いたしてきましたあなたのみ旨の成就が終末の時に完結されるための全体的に表示でありますことを思います時に、これを活用することができます主体的役軍たちが統一教会の信徒であるということを知りながら、自主的な信念をもち、足取りも堂々として天の権威を全国に広げ、よろずの人の前に広げるに不足のない氏族的メシヤの使命を果たさなければならないことを既に宣言しましたし、行動いたしておりますから、ともあれ不足なく天が休まず、ご父母様が休まず、天が精誠を尽くし、ご父母様が精誠を尽くし、蕩減の道を通じましてなしましたすべてのことを解消させまして、無蕩減圏内で氏族的責任をする幸いなる事実を失うかわいそうな群れになりませんように、もろ手を挙げまして決意しましたこの場となりますよう切にお願い申し上げます。


 自分の子供より神様をもっと愛さなければなりません。自分の妻よりも、自分の父母より一番が神様であり、神様を愛しますことを中心といたしまして父母と連結し、妻子と連結し、子供と連結するその家庭とそのような子供たちが愛することができます心を、国家を代表しまして、全体家庭を投入しまして国家を愛し、国家を投入しまして世界を愛し、世界を投入しまして天宙を愛するようになります時、個人から出発しました神様の愛の起源がすべての天地を包み、天に入ることができますこの道がこのような公式的路程であるということをよく知っております統一教会の群れが、今後に格別にこの路程に異議がありませんし、差異がないように、あります責任を果たしまして解放の家庭、解放の主人たちになりますようお許し下さいますように。


 それで神様の真なる愛と生命と血筋を全地球の人々がもったと天の前に栄光をお返しすることができます天のすべての一族になることができますように前進を固く決意するようお許し下さいますように。それによりまして氏族的メシヤを宣布いたしましたすべてのことがよく発展しますことをお願い申し上げます時、このすべてのみ言葉を真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。アーメン。